チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

日曜美術館「仏師 運慶~時代が生み出した天才~」

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日曜美術館「仏師 運慶~時代が生み出した天才~」

平安時代から鎌倉時代にかけての仏師・運慶。源平の戦いなど激動の時代を生き、その才能を開花させた。仏教彫刻の歴史を変えたと言われる天才の作品に迫る。

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東京国立博物館で行われている展覧会では運慶作と言われている31体のうち22体が集まる。国宝となっている作品も多い。特徴は力強い体つきやリアルな表情、仏像を人間のように表したのだ。その会場に仏像好きでイラストレーターのみうらじゅんが訪れた。みうらは傑作の数々を見ながら、運慶の人間像や作品に込めた思いに話を巡らせる。これを見ればあなたも仏像好きになれる至福の時間!

【ゲスト】イラストレーター…みうらじゅん,美術史家…佐々木あすか*1

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【司会】井浦新,高橋美鈴

放送

2017年10月15日

仏師・運慶の生い立ち

運慶とはいったいどんな人物だったのでしょうか。

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それを知る手がかりが京都六波羅蜜寺にあります。

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これは運系の息子湛慶がつくったとされる運慶の肖像彫刻です。

手掛けた仏像の力強い作風から刷ると意外なほと゜穏やかな表情を見せています。

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運慶が誕生した丙運時代末期。仏像の製作は主に今日の京都で行われていました。

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手本となっていたのは平等院鳳凰堂阿弥陀如来坐像。

運慶がうまれるおよそ100年前に活躍した仏師・定朝の作品です。

流れるような浅い彫りの衣と穏やかに瞑想する表情が当時の貴族たちの心をつかみました。

その後仏師たちは冗長の様式を真似て仏像を作るようになります。

そんな時代に運慶が登場するのです。

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1150年頃、奈良で生まれた運慶。

慶派と呼ばれる仏師終電の棟梁・康慶を父に持ちました。

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康慶の流派はその昔、興福寺などで仏像の修理を手がけていました。

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興福寺を代表する仏像・阿修羅像です。

乾漆造と呼ばれる方法で作られています。 

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 阿修羅像は運慶が生まれる400年前に作られた奈良時代の傑作。

興福寺の僧侶でもあった運慶は先人が残したこうした仏像から手法や表現を学び、腕を磨いていったと考えられています。

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奈良、円成寺。ここに運慶が初めて制作に取り組んだ仏像があります。

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国宝・大日如来座像です。1176年。運慶は11ヶ月という長い時間をかけて掘り上げました。(一般的な仏像の制作期間は3ヶ月と言われています)

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そしてそれまでの仏像彫刻の次様式を大きく覆す革新的な作品に仕上げました。

定朝の様式にはない彫り方がこの仏像には随所に見られます。

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たとえば針のある頬や、強い意志を感じさせる切れ長の目元など、新しい表現です。

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衣の下に隠れた太ももはその厚みを感じられるほど。

足の裏の土踏まずまで細やかに彫り込まれています。

仏に人間のような体をもたらせた表現は平安時代にはなかったものでした。

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この仏像の台座の裏を撮影した写真があります。

そこには運慶の署名が残されていました。

大仏師康慶の実弟子・運慶。

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仏像を作った仏師自らが銘を記した最初の例とされています。

ここには運系のどんな思いが込められているのでしょうか。

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圓成寺の大日如来座像は今回の展覧会の見どころの一つとして展示されています。

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「組んでいる場所は、これより前の時代はもう少し低い位置でした。腕ももう少し下げていました。腕を上げると真ん中に集まってくるので力強く感じることができます。絶妙なイチです」(佐々木あすか)

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11ヶ月という長い期間かかった理由は、いろいろな試行錯誤があったであろうことが伺えます。

「例えば上半身に斜めに条帛という服をたすきがけに掛けていますが、最初の状態では上半身裸の状態で布の部分だけを貼り付けていて、おそらくそれは、本来なら手間ががるのでしなくていいことですが、体のバランスとか肉付きとか・・・

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体というものをどう表現するか試行錯誤してたのではないかと思います。父とは違う表現を追求していたのかなと思います。そのため時間がかかったのではないか」(佐々木あすか)

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仏師が生きた時代

運慶が生きた時代は源氏と平氏が覇権を争う戦乱の時代でした。

そしてそのことが運慶に転機をもたらします。

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1180年。平氏に歯向かう奈良の東大寺興福寺平氏の軍勢によって焼き討ちされるのです。

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その結果多くの仏像が灰となりました。

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その時東大寺の復興に奔走したのが僧侶・重源です。

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いっぽう、さらなる時代のうねりが。

1185年に壇ノ浦で平氏が滅亡。源頼朝が東国・鎌倉に貴族に変わり新しく武士の政権を打ち立てます。

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そのため東国で寺院の建設が相次ぎ、運系のもとに武士たちから仏像づくりの注文が増えていったのです。

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1186年に作られた伊豆・願成就院の国宝・毘沙門天立像。

源頼朝の義理の父、北条時政の発願によって作られました。

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運慶が武士をイメージして制作したと言われる仏像。

力強い造形と勇ましい表現は、貴族に変わり新しい時代を作ろうとする武士たちが望んだものでした。

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さらに運慶は表現の幅を広げて行きます。愛知県にある瀧山寺。

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ここの聖観音菩薩立像は、源頼朝のいとこに当たる僧侶が制作を依頼したものです。

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晩年の運慶が到達した境地

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関連番組

特集番組「運慶とは何者か?」 

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放送記録

av98ingram.wpblog.jp

 

書籍

 

展覧会

 

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unkei2017.jp

 

*1:東京藝術大学, 大学院美術研究科, 研究員,鎌倉時代彫刻史における京都仏師の造像ネットワークに関する研究

2018年にヒットする美術展はどれだ! 1~12位予想

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2018年にヒットする美術展はどれだ!

レアンドロ・エルリッヒ展:見ることのリアル

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会場:森美術館

会期:2017.11.18(土)~ 2018.4.1(日)

http://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/LeandroErlich2017/index.html

ルドルフ2世の驚異の世界展

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会場:Bunkamuraザ・ミュージアム 

会期:2018年1月6日(土)~ 3月11日(日)

http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/18_rudolf/

 

色絵 Japan CUTE !

会場:出光美術

会期:2018年1月12日(金)〜3月25日(日)

http://idemitsu-museum.or.jp/exhibition/schedule/



仁和寺と御室派のみほとけ ― 天平真言密教の名宝 ―

会場:東京国立博物館

会期:2018年1月16日(火) ~ 2018年3月11日(日)

http://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1868

 

ブリューゲル展 画家一族 150年の系譜

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会場:東京都美術館

会期:2018年1月23日(火)~4月1日(日)

http://www.ntv.co.jp/brueghel/



至上の印象派展 ビュールレ・コレクション

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会場:国立新美術館

会期:2018年2月14日(水)~ 5月7日(月)

http://www.buehrle2018.jp/



プラド美術館展 ベラスケスと絵画の栄光

youtu.be

会場:国立西洋美術館
2018年2月24日(土)~2018年5月27日(日)

https://artexhibition.jp/prado2018/



建築の日本展:その遺伝子のもたらすもの
会場:森美術館
会期:2018.4.25(水)~ 9.17(月)

http://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/japaninarchitecture/index.html

 

竹久夢二展(仮称)

会場:東京ステーションギャラリー

会期:2018年5月19日(土)-7月1日(日)

http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition.html#future



生誕100年 いわさきちひろ、絵描きです。
会場:東京ステーションギャラリー

会期:2018年7月14日(土)-9月9日(日)

http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition.html#future



ムンク

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会場:東京都美術館

会期:2018年10月27日~19年1月20日の予定



カタストロフと美術のちから展
会場:森美術館
会期:2018.10.6(土)~ 2019.1.20(日)

http://www.mori.art.museum/jp/exhibitions/catastrophe/index.html

 

 

ミュシャ展」に人気集まる

2017年上半期で最も入場者を集めた美術展は「ミュシャ展」(国立新美術館)の65万7350人でした。

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超大作の「スラヴ叙事詩」が、チェコ国外で初めて揃って展示されることで、開催前より大きな話題を集めていた。会期中は一部の「スラヴ叙事詩」作品が撮影可能だったこともあり、SNSでのシェアなどでより多くの動員を集めたと考えられる。

https://bijutsutecho.com/insight/5760/

2017年後半の美術展

2017年美術展のスケジュールも残り僅か。

後半見るべき美術展。話題の美術展を整理してみました。

 

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2017年の美術展を振り返ってみましょう。

 

2017年にヒットする美術展はどれだ

 

 

1「ティッツイアーノとヴェネツィア派展」東京都美術館 2017年1月21日~4月2日(終了しました)

水の都ヴェネツィアは、15世紀から16世紀にかけて海洋交易により飛躍的に繁栄し、異文化の交わる国際都市として発展を遂げるなかで、美術の黄金期を迎えます。政庁舎や聖堂、貴族の邸宅のための絵画まで、公私の場のためにさまざまな主題の絵画が制作され、明るい色彩と自由闊達な筆致、柔らかい光の効果を特徴とする、ヴェネツィアならではの絵画表現が生み出されました。本展は、ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノを中心に、黄金期を築いた多様な芸術家たちの絵画をとおして、ヴェネツィアルネサンス美術の特徴とその魅力を紹介します。 

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2「ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲルバベルの塔」展」東京都美術館 2017年4月18日~7月2日(終了しました)

ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲルバベルの塔」展を、東京美術館で開催いたします。副題に「16世紀ネーデルラントの至宝―ボスを超えて」とある通り、ブリューゲルのみならず、彼が手本とした先駆者ヒエロニムス・ボスの油彩2点、そして彼らが生きた時代、16世紀ネーデルラントの絵画、版画、彫刻を全体で約90点の出品作でご紹介します。
迫真の写実と輝くような美しい色彩が印象的な油彩絵画、ボスの怪物モチーフが所狭しと、描かれる版画作品、そして木彫の粋を尽くした彫刻作品など、16世紀ネーデルラント美術の精華をご覧いただきます。
また、今回の展覧会では新しい試みとして作品を美しく見やすく展示することに加え、東京藝術大学COI拠点の特別協力により芸術と科学技術を融合させ、原寸を約300%拡大したブリューゲルバベルの塔」の複製画を制作・展示します。また、同拠点は「バベルの塔」の3DCG動画も制作し、多様なメディアを駆使してこの傑作の魅力に迫ります。 

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3「ミュシャ展」国立新美術館 2017年3月8日~6月5日(終了しました)

アール・ヌーヴォーを代表する芸術家の一人、アルフォンス・ミュシャ(チェコ語発音ムハ※、1860-1939)は、オーストリアモラヴィア(現チェコ)に生まれ、ウィーンやミュンヘンを経て、27歳でパリに渡り絵を学びました。なかなか才能を発揮する機会に恵まれなかったミュシャは、34歳の時に、女優サラ・ベルナール主演の舞台「ジスモンダ」のポスターを手がけることになり、一夜にして成功をおさめます。以降、優美で装飾的な作風は多くの人を魅了し、時代の寵児として活躍しました。

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美しい女性像や流麗な植物文様など、華やかで洗練されたポスターや装飾パネルを手がける一方で、ミュシャは故郷チェコや自身のルーツであるスラヴ民族のアイデンティティをテーマにした作品を数多く描きました。その集大成が、50歳で故郷に戻り、晩年の17年間を捧げた画家渾身の作品《スラヴ叙事詩》(1911-28年)です。およそ縦6メートル、横8メートルに及ぶ巨大なカンヴァスに描かれた20点の油彩画は、古代から近代に至るスラヴ民族の苦難と栄光の歴史を映し出す壮大なスペクタクルであると言えます。 

 

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アルフォンス・ミュシャの世界 -2つのおとぎの国への旅-

アルフォンス・ミュシャの世界 -2つのおとぎの国への旅-

 
ミュシャのすべて (角川新書)

ミュシャのすべて (角川新書)

 
アルフォンス・ミュシャ作品集

アルフォンス・ミュシャ作品集

 
ミュシャ装飾デザイン集―『装飾資料集』『装飾人物集』

ミュシャ装飾デザイン集―『装飾資料集』『装飾人物集』

 
もっと知りたいミュシャ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

もっと知りたいミュシャ―生涯と作品 (アート・ビギナーズ・コレクション)

 
アルフォンス・ミュシャ作品集

アルフォンス・ミュシャ作品集

 

 

4「大エルミタージュ美術館展 オールドマスター 西洋絵画の巨匠たち」森アーツセンターギャラリー 2017年3月18日(土)-6月18日(日)(終了しました)

エルミタージュの1万7千点にも及ぶ絵画コレクションのなかでも、特に充実しているのが、オールドマスターの作品群です。オールドマスターとは、16世紀ルネサンス時代のティツィアーノクラーナハなどから17世紀バロックレンブラントルーベンス、ヴァン・ダイクなどを経て、18世紀ロココのヴァトー、ブーシェなどに至る巨匠たちを指します。

サンクトペテルブルクの街を建設したピョートル1世(大帝、在位1682-1725)は、オランダ絵画を大量に購入し、その後エカテリーナ2世は、オランダ、フランドルを中心に、ヨーロッパ絵画の流派をほぼ網羅するコレクションを築きました。これらオールドマスターの傑作は、今もエルミタージュの所蔵品の中核をなすものです。

本展は、出展される油彩85点すべてがエルミタージュ美術館の常設展示作品、すなわち美術館の顔ともいうべき作品群です。展覧会では、選び抜かれたこれらの作品を国、地域別に展覧していきます。西洋絵画の王道ともいえる珠玉のコレクションは、まさにエルミタージュ美術館展の決定版といえるでしょう。 

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5「ボストン美術館の至宝展」東京都美術館 2017年7月20日~10月9日

古代エジプトから印象派現代アートまで。ゴッホが数少ない友人だったルーラン夫妻を描いた肖像画や、曽我簫白の「風仙図屏風」などが来日。 

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boston2017-18.jp 

美術の杜 vol.28―BM ボストン美術館日本美術の至宝

美術の杜 vol.28―BM ボストン美術館日本美術の至宝

 

 

6「オルセーのナビ派展:美の預言者たち ―ささやきとざわめき」三菱一号館美術館 2017年2月4日(土)〜2017年5月21日(日)(終了しました)

19世紀末のパリで、前衛的な活動を行った若き芸術家のグループ「ナビ派」。ボナール、ヴュイヤール、ドニ、セリュジエ、ヴァロットンらを中心とするナビ派の画家たちは、ゴーガンから影響を受け、自らを「ナビ(預言者)」と呼んで、新たな芸術表現を模索しました。

近代都市生活の諸相を平坦な色の面で表す装飾性と、目に見えないものを描く内面性――日常と神秘をあわせ持つナビ派の芸術は、一見控えめで洗練された画面のうちに、20世紀美術を予兆する静かな革新性を秘めています。

本展は、近年国際的に評価が高まるナビ派の芸術を、日本で初めて本格的に紹介する展覧会です。

オルセー美術館が誇るナビ派のコレクションから、油彩約60点、素描約10点など合わせておよそ70点が一堂に会します。 

オルセーのナビ派展:美の預言者たち ―ささやきとざわめき|三菱一号館美術館(東京・丸の内)

 

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7「アルチンボルド展」国立西洋美術館 2017年6月20日(火)~2017年9月24日(日)

ジュゼッペ・アルチンボルド(1527-1593年)は、16世紀後半にウィーンとプラハハプスブルク家の宮廷で活躍した、イタリア・ミラノ生まれの画家です。稀代の芸術愛好家として知られるルドルフ2世をはじめとする神聖ローマ皇帝に寵愛されたアルチンボルドは、歴史上でもひときわ異彩を放つ、宮廷の「演出家」でした。

そんな「アルチンボルド」の名は何よりも、果物や野菜、魚や書物といったモティーフを思いがけないかたちで組み合わせた、寓意的な肖像画の数々によって広く記憶されています。奇想と知、驚異と論理とが分かちがたく交錯するそれらの絵画は、暗号のようにして豊かな絵解きを誘い、20世紀のシュルレアリスム以後のアーティストたちにも、大きな刺激を与えました。

本展は、世界各地の主要美術館が所蔵するアルチンボルドの油彩約10点を中心に、この画家のイメージ世界の生成の秘密に迫り、またその継承者たちへの影響も辿ります。日本で初めて、アルチンボルドのユーモアある知略の芸術を本格的にご紹介するこの機会を、どうかご期待ください。 

www.nmwa.go.jp 

アルチンボルド (ニューベーシック) (タッシェン・ニューベーシック・アート・シリーズ)

アルチンボルド (ニューベーシック) (タッシェン・ニューベーシック・アート・シリーズ)

 
アルチンボルド―エキセントリックの肖像

アルチンボルド―エキセントリックの肖像

 

 

8「シャセリオー展 19世紀フランス・ロマン主義の異才」国立西洋美術館 2017年2月28日~5月28日(終了しました)

アングル門下の異端児テオドール・シャセリオーは、11歳で入門を許された早熟の天才ですが、ロマン主義の潮流の中でしだいに師の古典主義を離れ、独特のメランコリックな情熱と抒情を湛えた作品世界を作りあげていきました。1846 年にアルジェリアを旅して彼の地の人々や風物を色彩豊かに描いたシャセリオーはオリエンタリスム(東方趣味)の画家にも数えられます。しかしカリブ海のスペインの旧植民地に生まれ、父親不在の寂しさや師との芸術的葛藤を抱えつつ独自の芸術の道を模索したこの画家自身の内面に異邦的(エキゾティック)なるものがありました。神話文学から身近な人々の肖像まで、いずれの作品にも漂う「エキゾチズム」こそがシャセリオー芸術の本質であり、観る者の心に響きます。

本展では、ルーヴル美術館所蔵品を中心に、絵画、水彩・素描、版画、写真や資料などによってシャセリオーの画業全体を紹介するとともに、師や仲間、そしてこの画家から決定的な影響を受けたギュスターヴ・モローやピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、オディロン・ルドンらの作品もあわせて総数約110点を展示し、ロマン主義から象徴主義への展開、そしてオリエンタリスムの系譜のなかでその芸術の意義を再考します。 

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ドラクロワとシャセリオーの版画 (双書 美術の泉)

ドラクロワとシャセリオーの版画 (双書 美術の泉)

 

 

9「二萬五千頁の王国」兵庫県立美術館 2017年1月11日(水)~2017年2月26日(日)(終了しました)

アウトサイダー・アート*1アール・ブリュットを代表する伝説的芸術家アドルフ・ヴェルフリ(Adolf Wölfli 1864-1930) の日本初となる大規模な個展を開催します。スイスの首都ベルン近郊の貧しい家庭に生まれたヴェルフリは、1895 年にヴァルダウ精神病院に収容され、そのまま66 年の生涯を終えました。しかし、彼はそこで、『揺りかごから墓場まで』、『地理と代数の書』、『葬送行進曲』といった物語の数々をつむぎだしました。そうしたヴェルフリの作品は全45 冊、25,000ページという目もくらむようなボリュームで、ほかに例のない驚異的な表現で描き出される奇想天外な物語はひとびとを圧倒しました。 アドルフ・ヴェルフリ財団の全面的な協力のもと、本展には最上級

のヴェルフリ作品が一堂に会します。シュルレアリスムの画家たちをはじめとする多くの芸術家たちの注目を集め、現在では偉大な芸術家の一人として世界的な評価を得るヴェルフリの作品を“目撃” する絶好の機会です。どうぞお見逃しなく。 

https://web.pref.hyogo.lg.jp/bi01/verufuri.html

 

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【バーゲンブック】 アドルフ・ヴェルフリ

【バーゲンブック】 アドルフ・ヴェルフリ

 
アドルフ・ヴェルフリ: 二萬五千頁の王国

アドルフ・ヴェルフリ: 二萬五千頁の王国

 
アドルフ・ヴェルフリ (ArT RANDOM CLASSICS)

アドルフ・ヴェルフリ (ArT RANDOM CLASSICS)

 

 

 

10「茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術」東京国立近代美術館 2017年3月14日(火)~2017年5月21日(日)(終了しました)

 16世紀後半、樂家の祖長次郎によって始められ、日本の陶芸の中でも他に類例を見ない独特の美的世界を作り上げてきた樂焼。以来450年間にわたり、常に茶の湯との強い結びつきの中で焼き継がれ、日本陶芸史における重要な役割を果たしてきました。その一子相伝により継承されてきた樂焼の歴代作品に17世紀初頭の芸術家・本阿弥光悦等の作品を含め、樂焼の美的精神世界を通観し、その極めて日本的な深い精神文化を紹介します。

茶碗の中の宇宙 樂家一子相伝の芸術 | 東京国立近代美術館

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定本 樂歴代―宗慶・尼焼・光悦・道樂・一元を含む

定本 樂歴代―宗慶・尼焼・光悦・道樂・一元を含む

 
 
 

 

絶対に見逃せない美術展 山田五郎山下裕二 

「日経おとなのOFF」1月号

日経おとなのOFF2017年1月号

日経おとなのOFF2017年1月号

 

東京周辺の展覧会 

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*1:特に芸術の伝統的な訓練を受けておらず、名声を目指すでもなく、既成の芸術の流派や傾向・モードに一切とらわれることなく自然に表現した作品のことをいう

北斎“宇宙”を描く

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北斎ブルーの色鮮やかな大英博物館所蔵『Great Wave』と、

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信州小布施に残された「もうひとつのグレートウェーブ」。

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北斎・晩年の肉筆画『波図』に使われた絵の具の科学分析を行ったところ、鮮やかな色彩の秘密が浮かび上がってきた。そこには、宇宙の成り立ちを描きたいと希求した北斎の熱い思いがあり、

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「もう一人の北斎」こと、娘・お栄の存在も浮き彫りに…。木村佳乃が、北斎が生涯をかけて追求した画境に迫る。
f:id:tanazashi:20171009151511p:plain北斎“宇宙”を描く

放送:2017年10月9日

北斎が捉えた波

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日曜美術館「目指せ!天下一の絵師集団~狩野元信の戦略~」群を抜く経営感覚

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日曜美術館「目指せ!天下一の絵師集団~狩野元信の戦略~」
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京都の路地の一角。この場所にかつて狩野派の工房がありました。

元信はこの地で絵に関わる様々な商品を開発し、経営者としての手腕も磨いていきました。

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その証が今回の展覧会にも展示されています。

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元信が力を入れたものの一つが贈答品として広く人気があった「扇面」。いわゆる扇です。当時扇は専門の扇屋が販売するのが普通。顧客をもっと広げたいと考える元信は積極的にこの分野にも進出しました。

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裕福な顧客用のものでしょうか。金箔の貼られた豪華な扇。

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24枚一組で売られ、その後江戸時代に屏風に貼られたものです。f:id:tanazashi:20171009095307p:plain

経営者としての元信の強かさを示す資料があります。

扇屋の組合が幕府に提出した要望書です。

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ここに元信野の名があります。

いつの間にか組合のナンバー2の座についていたのです。

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そして、扇の製作の権利を持つもの以外は勝手に扇を作るのを幕府が停止するように、ちゃっかり要求を出したのです。

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「狩野はという流派は、そこで製作する作品はすごく質が高い。これは顧客にとっては安心できることですよね。」

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「つまり、今の企業で言えば品質管理が抜群であったというふうに考えていいのではないかと思います。値段も高かったと思います。すごい儲かったと思います。その屋台骨を支えていたのは専門製作だったと言ってもいいのではないかと思います」

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さらにこんな分野にも手を広げました。

大願成就を期して人々が奉納する絵馬です。

これは兵庫県室津賀茂神社に伝来したもので、元信の署名入りです。

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絵馬の発注者は裕福な商人や地方の領主など。

狩野派が顧客を様々な階層にまで広げていたことがわかります。

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静岡県富士山本宮浅間大社に伝わる「富士曼荼羅図」。

人々を参詣に誘うことを目的に描かれました。

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富士信仰が一般大衆の間で高まると、元信はこうして曼荼羅図も作って売りました。

地方の神社にまで狩野派は販路を広げていたのです。

さまざまなジャンルのものづくりに積極的に取り組んだ元信。その秀でた経営手腕によって経営は安定し全国ブランドへと成長して行きました。

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「映画を作り始めると予想に反してお金が余分にかかったりします。そんなときトトロのぬいぐるみががんばってくれたんです」

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「好きだから手を広げた。それがたまさかヒットしてしまった。元信って人はできる人なんですが、たぶんそばに僕みたいな人がいたんじゃないかとか、そんなことも考えるんです」

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「映画をつくりながら考えていたのは、どこかにパトロンがいないか。パトロンさえいれば努力しなくてもいろいろなもの作れるじゃないですか。元信さんという人をずっと見てきて、そしたら僕の想像以上に苦労されている。なんだ、今と変わらないんだと親近感を感じました。偉い人のためにだけ絵を描くっていうんじゃなくて、広く一般に流布するもの。そういうものをやってみたい。その欲求の現れだったのではないかという気がする。元信ってひとはまずもって人に見せるもの。人が喜ぶのを想像する。やっぱそこですよね。絵を描いて人にいいでしょって見せたい。たぶん子供っぽいのです。うらやましいですよね。そういう人は。僕のそばにもいますけどね。ヘヘヘッ」

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元信は絵師としても後世に大きな影響を与える革新的な挑戦をしています。

江戸時代歌舞伎の宣伝用に作られた錦絵にそのヒントがあります。

元信を主人公にした芝居です。

あらすじはある娘との悲恋の物語。

平安時代から続く絵の流派。土佐派の棟梁の娘です。

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事実、土佐家の家系図では、元信が棟梁・土佐光信の娘と結婚したことになっています。そしてそれには理由があったと見られています。

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土佐光信が描いた絵巻です。

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土佐派を主流とする「やまと絵」は、平安時代からの伝統的な絵画様式で、鮮やかな彩色と柔らかな表現が特徴でした。元信はその土佐派にあえて近づこうとしたのです。

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「政略結婚以外の何ものでもない。元信にとっては、いままで自分のところで欠けていたやまと絵のテクニックだとか、図柄を、土佐派はずっと長い年月にわたって”粉本”を持っているわけです。それが狩野派に流れてくるということも期待できたわけです」

狩野派水墨画が得意でしたが、彩色については知識も技術も未熟でした。それゆえ、土佐家の娘をもらってまでその技を手に入れたかったのです。

こうして元信は彩色の技を手に入れ、絵師として大きく飛躍します。f:id:tanazashi:20171009095507p:plain

45歳で描いた代表作「酒伝童子絵巻」。

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やまと絵の鮮やかな彩色と、漢画の美しい線描表現を巧みに組み合わせた和漢融合の作品です。

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この絵では背景の急峻な山々や崖が、漢画風の明快な線で描き、奥行ある幽玄な風景になっています。

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それに対し、敵絵の人物は色彩豊かでやまと絵風です。

こうした和と漢が見事に溶け合う表現によって、元信は狩野派ならではの新しい彩色表現を作り上げたのです。

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北斎インパクト~世界が愛した超絶アート~

世界で最も有名な浮世絵師・葛飾北斎。その作品は、印象派などの西洋美術のみならず、世界のファッションや、音楽、アニメ、さらには社会思想にまで巨大な影響を与えてきた。NHKは、大規模な特別展を今年開催した大英博物館の研究チームと、8K超高精細カメラを使って作品を調査。なぜ江戸の一浮世絵師が、世界にインパクトを与えたのか、解明に挑んだ。女優の貫地谷しほりが、謎と魅力に満ちた北斎の世界に迷い込んでいく。

放送:2017年10月7日

日曜美術館「目指せ!天下一の絵師集団~狩野元信の戦略~」制作集団の秘密

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日曜美術館「目指せ!天下一の絵師集団~狩野元信の戦略~」

四百年続く狩野派の基礎を作った室町時代の絵師・狩野元信。プロデューサー、経営者としての才能も発揮し、狩野派を天下の絵師集団に育てたその手腕に迫る。

元信は集団での制作体制を確立。表現様式を3つの型に分け、絵手本の粉本などを作り、弟子たちの人材育成を図った。更に絵を描いた扇面や絵馬などの商品を制作して販売し、工房の収入を安定させた。本業の絵でも従来のやまと絵の色使いと漢画の線描表現を組み合わせ、和漢融合の傑作を次々と生み出した。アニメ制作会社・スタジオジブリ鈴木敏夫プロデューサーが元信の人生を読み解いていく。

【ゲスト】スタジオジブリプロデューサー…鈴木敏夫,【司会】井浦新,高橋美鈴

放送日

2017年10月8日

 

取材先など 

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東京六本木のサントリー美術館。狩野元信の展覧会が開かれています。f:id:tanazashi:20171008200038p:plain

水墨画や人物画。そして絵前など元信の代表作を集めました。

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元信が若い頃に描いた水墨画の代表作。曲がりくねった木々や垂直に切り立った岩山。

山の麓の小さな庵や、そこに暮らす人々の営みなど、中国の有限な世界を描いています。

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狩野派はもともと中国の南宋、元時代の水墨画に習った漢画を得意とする流派でした。

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狩野派が歴史の舞台に登場したのは、この山水図を描いた元信の父正信の時代でした。

丹精で気品に満ちた画風が時の権力者に気に入られました。

f:id:tanazashi:20171008200819p:plain室町幕府八代将軍・足利義政です。

銀閣寺を作り東山文化を築いた義政が正信を幕府の御用絵師に取り立てたのです。その地位を受け継いだ正信が狩野派をさらなる飛躍に導こうと知恵を絞ります。

 

当時は応仁の乱に始まる戦国の世となっていました。京の町は荒れ果てます。

やがて自社や屋敷などの再建が始まりました。

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それを元信は狩野派のチャンスと捉えます。

当時一般的だった書院造では、ふすまや衝立に絵を各という需要がおおいに見込まれたのです。

そこで元信は絵の制作体制の整備、品質管理、人材育成などいわばプロデューサーとしての才能を発揮します。

大量の絵の注文を受けるためには、多くの優れた絵師を育成しなくてはなりません。そのために元信は様々な方法を考え実践します。

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その一つが”粉本”。絵手本をつくることでした。

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ここには様々な種類の鳥と、その羽根の特徴まで緻密に書かれています。こうした得て本を作り、弟子たちの技量をあげようとしました。

さらに元信は絵を効率的に仕上げるためのある工夫をしました。

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中国の水墨画で学んできた絵を整理して三つの型、

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いわゆる「画体」をつくったのです。元信はそれを「真体」「行体」「草体」と名付けました。

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この「真山水図」は元信が真体として描いたもの。かっちりした明快な輪郭線を描き、細部まで丁寧にリアルに描写しています。

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これは行体による作品です。

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リアルな緻密さではなく、柔らかな筆使いで描いています。

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草体の場合は余白をふんだんに使い、山や岩の表現はなだらかで大気に溶け込むようです。

f:id:tanazashi:20171008201813p:plainこうした三つの画体を確立することで、狩野派は大量の絵の注文にも対応できるようになりました。

 

狩野派研究の第一人者。京都国立博物館の山本英男さんです。

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「戦国時代ですから、生き抜いていかなければならない。そのためには万人受けする画風と豊富なバリエーション。

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それから迅速に対応できるための集団的な作画システムというのが必要だったのです」

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実際、三つの絵の書き方にどういう違いがあるのか、真山水図の木々や岩の部分をそれぞれの画体で再現してもらうことにしました。引き受けてくれたのは画家の大竹卓民*1さんです。長年水墨画を描き、大学でも教えています。

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まず真体画です。木の葉を各ことから始まりました。

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「真体画は、線を描くときスピードを出したり走ったりせず、ゆっくり描きます。岩と石の組み立てるとき、真体画は固まります。筆を腹ばいにして撫ぜるようにして岩の質感を表現します。線と面の組み立てなのです」

 

同じ部分を行体で描くとどうなるでしょうか。

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「やわらかく岩を、丸みを出すように変わっていきます。輪郭線で形を整えていくのではなく、勢いで描きます。

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筆のタッチで物を語る」

そして草体の岩の書き方は更に違ってきます。

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「草体は面で筆を走らせてものを語る

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筆のタッチはからり自由自在。筆に任せている」

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真体は輪郭線できちんとかたちをつくり、岩の質感にもこだわった緻密な表現。

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行体は緻密さより筆の勢いや心の動きを重視しました。

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草体は細かな部分が省略され、自由な筆の動きで描いていました。

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そして狩野派としての大きなチャンスがやってきました。

京都大徳寺大仙院の襖絵の仕事です。

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この時、正信36歳。自分が作り上げた絵師集団の実力が試されました。

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請け負った仕事は寺の4部屋の襖絵40面。f:id:tanazashi:20171009094747p:plain

元信が采配を振り、その襖絵を集団で分担して描いて行きました。

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その中で、元信自身が担当したのが「四季花鳥図」です。

すべて真体表現で描かれています。

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鮮やかな色彩の鳥や草花。

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くねった松と滝が交差するダイナミックな表現。変化に飛んだ構成は、人々を驚かせ、従来の水墨画とは一味違う味わいを演出しました。

この大口受注の仕事を見事にこなしたことで絵師集団狩野派の名声はおおいに高まりました。

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アニメ製作会社スタジオジブリのプロデューサー鈴木敏夫さんです。会社を長年運営するプロデューサーとして狩野元信の仕事に興味があると言います。

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狩野派の歴史について書かれた資料「本朝画史」。

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そこには元信について「天下画工の長」すべての絵師たちの頂点にたったと記されています。狩野母天下にその名を轟かせたのです。

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「一口にアニメーションと言ってもいろいろなやりかたがあります。宮﨑駿の場合でも、今回は漫画っぽく、そして今回はリアルにやろうとする。漫画っぽいのはルパン三世カリオストロ、ちょっとリアルなのが風の谷のナウシカ、中間がとなりのトトロ。だから、毎回方針を決めて集団でやっていくりで、方針を頭のなかに入れ無くてはならない」

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「粉本というのは面白い思ってました。実は、アニメーションの世界では集団でやらなければいけないので必要なのです。これは「風立ちぬ」の資料です。キャラクターがいろいろ出てきます。

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総勢何十人というスタッフが同じキャラクターを描くための元の絵です。これを藻ながら描けばある程度の統一性はとれるので、そこは番組を見ていて面白かった」

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「大仙院の40枚の絵。あれを見ながら思ったのは、本当は一人で書きたいのではないかなという。でも工房作ってみんなでやったということはどういうことだったのか。で、歩セクが思ったのは宮﨑駿と同じ。宮﨑駿だってほんとうは一人で作ることは可能・・。だけど彼はみんなと一緒に集団で作ることが大好きなんです。もしかしたら元信にもそうした側面があったのかもしれない。だから一言で言うと”さみしがり屋”というのですかね。ど同時に好奇心がすごかった。つまり、あれもやりたいこれもやりたい。やってくうちにでっかい工房になった。それはけっこう大変だっただろう」

ープロデューサーとしての能力は?

「人を使うのが上手だったのでしょうね。で、それが楽しかった。それともう一つ雨のは乱世・・・乱れた世の中。」

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そうした中であっちにも目が行き、こっちにも目が行く。実を言うと現代もダブルような気がする。その中で、あれもやりたい、これもやりたい。とつながっていったのではないかと想像しました」

 

経営者としての狩野元信の素顔とは・・・・

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放送記録

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書籍

 

初期狩野派―正信・元信 日本の美術 (No.485)

初期狩野派―正信・元信 日本の美術 (No.485)

 

 

展覧会

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*1:1958年上海市生まれ、武蔵野美術大学造形学部日本画卒業後、 筑波大学大学院芸術研究科修士課程修了。創画展、国内、海外で の個展・グループ展を中心に制作活動を行う。2013年より現職。 中国画の絵画史・実技の指導、博士後期課程学生の学位論文の指導および審査を担当 敦煌研究院美術研究所客席研究員、創画会会友

仏像ミステリー 運慶とは何者か?

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今、国宝級の仏像が、最新の科学技術で次々に調査されている。目的は800年前の天才仏師・運慶の謎の解明。なぜリアルな仏像を造ったか?どんな人物だったか?謎に包まれているからだ。アンドロイド研究の第一人者・石黒浩さんは、“人間らしさ”を追求した運慶の技に独自のアプローチで迫る!女優・檀れいさんは、物体の内部を映すCTスキャン調査に密着。仏像体内に黄金の空間が広がっていた!全国から運慶の傑作が集合!

仏像ミステリー 運慶とは何者か?

放送:2017年10月7日

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運慶展に集結した仏像たち

運慶作といわれた仏像は全国で31体あります。

そのうちの22体が一同に会した展覧会が東京で開かれています。

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会場に凛と並び立つ二体の仏像。無著菩薩立像と世親菩薩立像。

800年前に作られました。

無著と世親は古代インドに実在した兄弟の僧侶です。

二人の姿を徹底してリアルにに彫り上げた革命的な仏像です。

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兄、無著の潤んだような瞳は慈しみ深さとも悲しみとも受け取れ。少しうつむいた表情からは経験を積んだ老人の思慮深い人柄まで伝わってきます。

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一方で、弟世親は胸を張り、若く肉付きの良い顔を上げています。

現実を鋭く見つめるような眼差しからは強い意志や理想に燃える思いまで伝わるようです。

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1300年の歴史を誇る興福寺。2つの仏像はここで守り伝えられてきました。

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北円堂。本来無著・世親像はこの中に安置されています。

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本尊は弥勒如来坐像。弥勒は遠い未来に地上に現れ、人々を救うとされる仏です。

その両脇に立つのが無著と世親です。

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ふたりは弥勒の教えを大成させた兄弟の僧侶です。

右に立つのが兄の無著。

雲慶は古代インドの僧を日本人のような姿にすることで、訪れた人が受け止めやすくしたのです。

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左に立つ弟の世親。

両手に動きをつけ、指を深く曲げ、確固たる意志で悟りを求めています。

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仏の教えを大切にする心。雲慶は2つの仏像の形を借りて語りかけてきます。

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雲慶が生まれたのは平安時代末期の奈良。興福寺を拠点とする仏師集団のあととりとして注文に応じて工房で仏像を制作していました。

雲慶が30代の頃、平氏と奈良の僧侶たちが衝突。平氏興福寺東大寺に火を着けて焼き尽くしたのです。いわゆる「南都焼討」です。

雲慶たち仏師は立ち直ろうと興福寺の復興に乗り出します。

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まず手掛けたのは本尊・釈迦如来像。

雲慶がリーダーとなって作ったと記録されています。

一部しか残っていない頭部は高さ一メートル。巨大な仏像だったことが推測されます。

それから30年近くかけて行われた興福寺の復興事業で、最後に作られたのが北円堂でした。

運慶研究最前線

復興の事業を任された雲慶はここで数々の仏像を作りました。

現存する運慶作の仏像は全国に31体とされています。

雲慶が作った仏像はほかにもあったのではないか。

研究者たちが関心を持ったのは

運慶の父・康慶(こうけい)の作と考えられていた四天王像でした。

作風などから、運慶の工房が、無著・世親像とともに北円堂に納めたのではないかとも推定されています。

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 雲慶はどのような技を使って仏像をつくったのでしょうか。

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特別展「運慶」に合わせ、東京国立博物館東博)は四天王像と無著・世親像の調査を行いました。

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文化財専用に開発された世界最大のCTスキャンで無著の内部を透視します。

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仏像の内部はどうなっているのでしょうか。

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まず確認できたのは仏像の内部がくり抜いたような空洞になっていることでした。

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平安時代の後期になると中をすごく薄くして軽くしますけど、中を空洞にするのは割れを防ぐとか火災のときに助け出すとかという理由があるのかもしれません」(東博・浅見龍介・企画課長)

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仏像の目の部分を玉眼と言います。

水晶の裏に瞳を描きはめ込む技法です。

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雲慶は瞳の色や形を巧みに使い分け仏像の様々な表情を生み出していました。

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雲慶は玉眼を裏から木で固定していることが調査の結果わかりました。

仏像の素材は桂の木。押さえ木の材質が違うことがわかります。

本体と玉眼の木を変えるケースはあまりありません。

「樹種は不明ですが年もしかしたら杉のような木で抑えているのかもしれません」

雲慶は玉眼に特別な思いを抱いていた可能性も出てきました。

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さらに無著は、いくつかの木をあわせた寄木造りであることも確認できました。

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調査にあたった東博の浅見龍介・企画課長は意外なことに気がつきました。

木の芯の部分が使われていたのです。芯の部分は固く割れやすい性質があります。

木の仏像は一般的に硬い芯のある部分を避けます。芯材の多用は異例です。

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「もしかすると興福寺さんに当時建築のための柱の材がたくさんあってそれを使うように言われたとかいうことも考えられます」

当時、興福寺は南都焼討からの復興事業のさなかで木材が大量に必要で、一本の木もムダにできなかった。雲慶は大切な木材を使って仏像づくりに挑んだのかもしれません。

人間らしさの秘密

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人間らしい運慶の仏像。その秘密を知ることができるのが金剛峯寺の八大童子立像です。

仏教の教えに人々を強く導く仏、不動明王に仕える子どもたちです。

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運慶はそれぞれに子どもらしさを出すための工夫をしていました。

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上の歯で舌唇を噛んでいる仏像。

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背丈が低くてお腹の部分がぷっくりした体型の仏像。

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当時の色がそのまま残っています。

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ふっくらした頬や太く下がった眉が幼さを感じさせます。

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性格も姿も粗暴とされているのが烏倶婆誐童子。

「秘要法品」には性格と姿は暴悪であると説かれ、最も忿怒の表情を露(あら)わに表現するよう指示されている童子です。童子像を見ると髪が逆立ち、裳裾(もすそ)と共に風にひるがえっています。

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少し忿怒の表情を示すのが恵光童子。他の童子に比べて目つきが鋭いように感じます。赤みがかった玉眼(ぎょくがん)の表現が他と異なっているためでしょう。

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不動明王は忿怒相を使って言うことを聞かない子どもを諭します。それと近い表情はおさえ気味に表現するのに効果的であるといえます。

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右手に持つのは密教の宝具。武器です。

f:id:tanazashi:20171009173954p:plain左手に月輪(がちりん)といって月を象徴するものです。武器は迷いの心を打ち砕く。月は澄み切った悟りを暗示しているようです。

こうした生き生きとした仏像を運慶はなぜ作ったのでしょうか

 

デビュー作に刻まれた人物像

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1200年前に建立された奈良の円成寺

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1176年平安時代末期に作られた大日如来座像。

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大日如来は最も位の高い仏の一つで絶対的な存在として崇められています。

この仏像は南都焼討の4年前、まだ若い運慶がはじめて作ったと言われています。

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背筋が修行したそうのようにすっくと伸びています。

運慶の大日如来は従来の様式にとらわれていません。

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これが運慶の大日如来の足です。

まるで若者の体のようにみずみずしくリアルに表現していました。

運慶はこの仏像を11ヶ月の長い月日をかけ一人で作ったと言われています。

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台座の裏に運慶の人間性が垣間見られる手がかりが残されていました。

直筆の署名です。

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仏師が仏像に自らの名前を残すのはそれまで例のないことでした。

平安時代末期仏像を新たに発注するのは京都の裕福な貴族ばかり。

仏像づくりは京都の仏師たちがほぼ独占していました。

興福寺を拠点とする運慶たちは仏像の修理が主な仕事になっていたといいます。

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阿修羅像に代表される奈良時代の何処か人間らしさを感じる仏像。

それらを日々眺め技を研究しながら運慶はいつか世に打って出る日を待ち続けていました。

そんなとき、父のもとに来た依頼が円成寺大日如来

本来集団で作るはずの仏像を運慶はほかの仏師を寄せ付けず、一人で作り上げたのです。

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「自意識つよいでしょうね。親のところに来た仕事に自分の名前書いているわけですから。俺は親よりすごいんだと言わんばかりですよね。芸術家なんです。アーチストです。独立したアーチストになりたかった。自分が表現したいものが非常に明確にあった人ではないですか」

日本で初めて仏像に自分の署名を残した運慶。

自己顕示欲が強い芸術家肌の一面が見えてきました。

しかし10年後運慶は変わります。

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静岡県伊豆半島にある願成就院鎌倉幕府を開いた源頼朝の義理の父が建立した寺です。

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5体の仏像はすべて運慶作の国宝です。

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本尊。阿弥陀如来坐像。

極楽浄土へと人を導く仏です。

はちきれんばかりの肉体。丸く張った頬。運慶は重量感溢れる印象を作り出しました。

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向かって右側に立つのは阿弥陀如来を守る毘沙門天立像。

堂々とした肉体。精巧な鎧。前身に力がみなぎっています。

手荷物細長い某は戟とよばれる武器。

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照り平に乗せているのは宝塔。釈迦の遺骨を収めるものです。

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「人間らしいものを作りたかったのか。人間の躍動感というものをどう表現するか挑戦している気がします」

 

 

阿弥陀如来を挟んで反対側立つのは不動明王と二童子立像。

不動明王は怒りの義様相で向かってくる悪や仏教の教を信じない者を威嚇します。

 

手にけん索と呼ばれる道具を持ち。それを掲げることで上半身のたくましさを強調しています。

 

二体の童子のうち、躍動感ある動きを表すのが制吒迦童子。

 

強情そうな顔つきをしています。

 

それに対し、静かに遠くを見つめ佇むのが矜羯羅(こんがら)童子。

 

運慶はどの仏像にも人間らしさを全面に出し、静と動を使い分けながら、それぞれの魅力を生き生きと描きました。

 

運慶は玉眼の達人と言われます。

ひとつとして同じ目を作りませんでした。

目の色はもちろん、まぶたの開き方や大きさなどを巧みに使い分け、全く異なる表情を生み出しています。

なぜこれほどまでに個性豊かで人間味を感じさせる仏像を作ったのでしょうか。

 

本郷和人さんは、運慶の仏像の変化には新たな担い手の登場が深く関わっていると考えています。