チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

日曜美術館アートシーン11月26日

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「あこがれの明清絵画
~日本が愛した中国絵画の名品たち~」

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会場:静嘉堂文庫美術館

会期:2017年10月28日~12月17日 

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「パリ♥グラフィック
ロートレックとアートになった版画・ポスター展」

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会場:三菱一号館美術館

会期:2017年10月18日~2018年1月8日 

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「岡本神草の時代展」

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会場:京都国立近代美術館

会期:2017年11月1日~12月10日

2018/1/4-2/12 笠岡市立竹喬美術館(岡山)
2018/5/30-7/8 千葉市美術館(千葉) 

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「現れよ。森羅の生命―
木彫家 藤戸竹喜の世界」

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会場:札幌芸術の森美術館

会期:2017年10月14日~12月17日


 

 

「大名茶人の系譜
古田織部小堀遠州片桐石州

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会場:サンリツ服部美術館

会期:2017年10月9日~12月14日

「オットー・ネーベル展」

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会場:Bunkamura ザ・ミュージアム

会期:2017年10月7日~12月17日 

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「霜月 秋たけなわ 軒に干し柿」

食欲の秋。奈良・音羽山観音寺では、きのこの収穫、干し柿作りに里芋掘り…と旬の味覚が盛りだくさん!来年の春の大法要に向けた「散華(さんげ)」作りもにぎやかに。

11月は食欲の秋!奈良・音羽山観音寺では、春に菌付けしたきのこの収穫が始まる。きのこを甘辛く煮て、紅葉した柿の葉で包んだ“柿の葉ずし”が秋の定番。里からの贈り物は、たくさんの渋柿。ブランデーに漬けて作る“干し柿”もこの時期ならではの楽しみ。食欲がみたされたら、芸術の秋!?みんなでハスの花をかたどった「散華(さんげ)」に絵を描きためるのは、来年春の大法要の準備のため。食欲と芸術の秋を堪能します。

【出演】音羽山観音寺 住職…後藤密榮,副住職…佐々木慈瞳,【声】柄本佑

 

やまと尼寺 精進日記「霜月 秋たけなわ 軒に干し柿

放送:2017年11月26日

幻のコレクション 100年前 夢の美術館 後編

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幻のコレクション 100年前 夢の美術館

放送:2017年11月23日

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松方幸次郎*1

www.nhk.or.jp

コレクター松方の軌跡

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ヨーロッパ各地で絵を買うようになった松方幸次郎だが、時に失敗することもありました。この作品は額装の裏面に内容証明にあたる証紙が貼られています。

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ドイツで購入したこの作品。額の裏にはレンブラントの文字が見えます。

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美術史を学んだことがある人が見ると贋作であることがわかります。

f:id:tanazashi:20171203201724p:plain松方幸次郎は偽物を掴まされないように指南役を求めました。

f:id:tanazashi:20171203201728p:plainブラングィンが教えてくれたのがロダン美術館のレオンス・ベネディットだった。

f:id:tanazashi:20171203201733p:plainベネディットの紹介で松方はパリの画廊とつながりを持ちます。国立西洋美術館館長の馬渕さんは画廊の所在地を確認して回りました。

f:id:tanazashi:20171203201738p:plainこの画廊で松方はルノワールの初期の傑作「アルジェリア風のパリの女たち」を購入。

f:id:tanazashi:20171203201741p:plainこの画廊で手に入れたのは、

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ゴッホの「アルルの寝室」でした。

更に最近の研究で松方幸次郎がロダンのアトリエ跡も訪ねたことがわかっています。

パリに行ったとき、ロダンは既に亡くなっていましたが、アトリエはそのまま残されていました。

ここでロダンは石膏の彫刻を作っていました。

40歳の頃からなくなる頃まで37年掛けて作り続けた大作「地獄の門

地獄に落ちる人々の苦悩が表されています。

松方が見たときにはこのような石膏の形でしか存在していませんでした。

ロダンが作るような彫刻は石膏をもとに職人がブロンズを鋳造して初めて完成します。

パリの郊外にはロダンの時代から続く工房が今も残っています。

鋳造には莫大な費用がかかります。

ロダン地獄の門を鋳造する費用を出そうと決めました。

現在の金額にして3億5千万円。

2体鋳造し、1つはロダン美術館にもう1つは国立西洋美術館に展示されたのです。

 

夢を支えていた思い

神戸は松方幸次郎が日本で拠点にした街です。

第一次世界大戦後は神戸とヨーロッパを往復し、美術品を集めていました。

初代社長を勤めていた川崎重工業が今も操業を続けている。

神戸の街は1902年に松方幸次郎が船のドッグを作ったことから大きく発展しました。

1920年代の神戸の人口はおよそ65万人。

その三分の一が松方幸次郎の造船所と関連する企業の関係者だったと言います。

松方幸次郎は神戸新聞社の創設者でもありました。

報道局長を勤めた林芳樹さん。1980年台に3人で取材班を組み、ルポにまとめました。

林さんが松方幸次郎を取材しようとしたきっかけは、一人の新聞記者が反社会的だと警察に逮捕されたときの松方幸次郎の毅然とした態度でした。

「一人の新聞記者が地元の警察に検挙された。その時松方は怒って行っているのです。松方は『ジャーナリズムの弾圧は文化の破壊だ。やめてくれ』と警察に抗議しているのです。大正時代に言えるセリフではなく、価値観を持っていないと言えないセリフです。根っこのところできちんとしている」

松方幸次郎はヨーロッパから帰国後、当時としては画期的な働き方改革に取り組みます。

8時間労働制の導入です。

労働者を大切にし産業の基盤を整えることが欧米と肩を並べることにつながると考えたのです。

「当時イギリスが世界のトップシェアをもっていた。現場に行ったときに感じてのは、技術の次にソフトがある。そのことを理解する文化の土壌があってこそで、厚みも含まないと日本は太刀打ちできない感じていた」

この時代、造船は世界でも最先端のハイテク産業でした。

松方幸次郎は日本で初めての潜水艦・飛行機の製造に乗り出す一方、社員の教育に一段と力を注ぎました。

奨学金を出して学校に通わせ、幹部を次々と欧米に送り出します。

日本人の文化の底上げをはからねばならない。その思いの結晶こそが共楽美術館の建設だったのです。

松方の挫折

しかし、松方の夢を打ち砕いた暗雲。

1923年、9月1日に関東大震災が発生。政府は復興の財源を確保するため、輸入する贅沢品に100%の関税をかける決定をしました。

松方幸次郎がヨーロッパから持ち込む美術品も関税の対象となりました。

松方幸次郎はやむなく、コレクションをイギリスとフランスに留めおくことにしました。

そこに未曾有の金融恐慌が襲います。多くの企業で労働者の首切りが相次ぎました。

松方の会社も窮地に追い込まれて行きます。

そして1927年、松方幸次郎は会社を残すために労働者の五分の一。3,000人を解雇し、自ら責任をとって社長を辞任。

会社を残すことと引き換えに松方幸次郎は財産を差し押さえられました。絵画や彫刻は競売にかけられ散り散りに。61歳だった松方は家を失い、知人宅を転々とするようになりました。

署名を求められると松方は財界ルンペンと書き、誇りをユーモアに包み込んで生きようとしたのです。

流転する松方コレクション

2,000点の松方幸次郎コレクションのうち1300点は人手に渡りました。

イギリスに保管されていた作品は倉庫の火事で焼け、残ったのはフランスに置いた絵画・彫刻400点でした。

破産する前から松方幸次郎はフランスの美術品の管理を一人の男に託していました。

かつての部下、日置釭三郎(こうざぶろう)に託していました。

元海軍パイロットで誠実な人柄を見込んだのです。

日置釭三郎は松方幸次郎が購入した作品をリストに整理しました。

ロダン美術館で見つかったあのパリ・リストです。

しかし、1940年に第二次世界大戦が勃発。パリにナチス・ドイツ軍が迫り、パリ中の美術館が作品を地方へと避難しはじめます。

日置も託されたコレクションを隠すことにします。たったひとりで運んだ先はアボンダン村。美術品を木箱に詰め家の納屋に隠していたと言われています。

日置に可愛がってもらった村人がいます。

日置は家政婦さんと呼ばれた女性と暮らしていました。

日置の家は道路に面した側に窓がなく、絵画の存在を知られないようにひっそりと暮らしていました。

暗い室内に日置は10枚だけ絵画を飾っていたといいます。お気に入りは赤い服を着たドアボーイ。

貧しかった画家スーチンがパリで黙々と働く労働者を描いた作品です。

松方は破産する直前に買った松方幸次郎コレクション最後の絵画です。

日置は終戦までの20年間、松方幸次郎の信頼を裏切らず、コレクションを守り抜きました。

しかし日本の敗戦により、コレクションは敵国の財産としてフランス政府に接収されます。

松方幸次郎コレクションが日本に戻ってきたのは14年後の1959年。

開館した国立西洋美術館には連日の行列。

松方が望んだ美術館は人々に熱い思いで迎えられたのです。

ができていた。

フランスから届いた絵画の中にはひどく傷んだものもありました。

ビーナスの誕生。作者は19世紀の巨匠。ギュスターブ・モローと考えられますが断定できない状態です。

激動の時代に作品を守ることの過酷さを物語っています。

エピローグ

日本に戻らなかった作品もありました。

ゴッホのアルルの寝室。

日置の愛したドアボーイもありました。

アルジェリア風のパリの女たちはフランス政府との交渉の末、日本にもたらされました。今も世界中の美術館から貸し出してほしいという人気ぶりです。

松方幸次郎は美術館開館の9年前、84歳でその生涯を終えました。

日本人にゴッホやモネ、ルノアールを見せたい。その夢の美術館を見ることはできませんでした。

 

今年10月、国立西洋美術館に松方幸次郎の子孫から連絡が入りました。

松方清彦さん。松方家に一点だけ残る絵を寄贈したいというのです。

ブラングィンによる松方幸次郎の肖像画

1916年。二人が出会った年に描かれたものです。

「コレクションは日本のため。日本人のためだ」と言い続けた幸次郎。

孫の松方清彦さんは松方幸次郎の思いを受け継ぐことにしたのです。

松方幸次郎がはじめて絵を買って100年。彼が夢見た文化の厚みは日本にあるのか。

幻のコレクションは時を越えて語り続けています。

 

フランス政府の条件

1951年のサンフランシスコ講和条約により松方コレクションは、正式にフランスの国有財産になりました。日本政府は「所有権は日本人」のものであることなどを理由に変換要求を申し入れました。1959年フランス政府はコレクションの返還に応じましたが、条件を三つ付けていました。

1)これらの美術品を収蔵し、展示公開する組織として、国立の美術館を新たに作ること。

2)サンフランシスコ講和条約に基づく敵国財産として、フランスの国有財産となったものなので、「返還」ではなくて、フランス政府から日本国民への「寄贈」であることを明確にすること。

3)ゴッホ、ゴーキャン、セザンヌクールベ、マネ、ロートレックピカソ等の作品17点は、どうしても国外流出は避けたい作品なので、「寄贈」対象から除外すること。

ゴッホのアルルの寝室。日置の愛したドアボーイは日本にもたらされませんでした。

「日本側は松方幸次郎が所有していた美術品の『返還』と認識していましたが、フランス側は『寄贈』であるという考えを変えることはありませんでした。ですから、一般には『寄贈返還』という言葉を使うのです。」 西洋美術館館長 公式カタログより

松方コレクション情報

www.art-annual.jp

*1:慶応元年(1865年)12月1日、松方正義の三男として鹿児島に生まれた。 明治14年1881年東京大学予備門(現東京大学)を中退、明治17年から22年までアメリカのラトガーズ大学、エール大学、フランスのパリ大学などに留学した。 明治24年5月、父正義が第一次松方内閣を組閣した際首相秘書官に任官、明治25年8月に正義が首相を辞任して以後、日本火災保険副社長、灘商業銀行監査役、高野鉄道取締役などを歴任し、明治29年10月、川崎造船所初代社長に就任した。以来32年間にわたってその座にあり、当社をわが国有数の重工業会社に育て上げた。

幻のコレクション 100年前 夢の美術館

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国立西洋美術館の創立の礎となった一大コレクションがある。実業家松方幸次郎が資材を投じて買い求めたもの、世界恐慌など20世紀の激動の歴史の中で散逸した「幻のコレクション」だ。

一万点といわれるコレクションにはどんな名画があったのか?

昨年3月、「追跡不可能」だと思われていたロンドン焼失作品リストが発見され、松方のコレクションはマネやクールベの名作を含む一流のコレクションだったと判明しました。

番組では、国立西洋美術館で現在進行中のプロジェクトを手がかりに、コレクションの全貌と流転の歴史に迫ります。

幻のコレクション 100年前 夢の美術館

放送:2017年11月23日

https://www.khi.co.jp/rs/company/history/images/since_1896_ph002.jpg

松方幸次郎*1

www.nhk.or.jp

 

「日本の皆さんが、この松方さんのおかげで今、西洋のすばらしい名画が間近に見られるんだということを知っていただきたいです。」

「私欲のためではなく、日本国民のために私財を投じ、日本の美術史に大きな役割を果たした松方の生きざまに感動した。」

「学生時代に何度も行った西洋美術館、松方コレクションの説明を現地で読んでいたから概要は知っていたけど、日置さんの話は知らなかった。戦時中すごい苦労をして作品を守っていたんですね。」

「私たちは、美術を愛し、守った松方さんや日置さん、そして素晴らしい松方コレクションに相応しい国民なのか。」

「当時の格差社会で出てきた超人という面はあるのだろうけど、すごいな。晩年の破産は余りに気の毒だったが、部下がパリ保管分のコレクションを守り抜いたのも感動的。こういう人を大河ドラマに取り上げれば良いのでは。」 

単なる美術愛好家の枠を超えた松方幸次郎。経営者として手に入れた資産の使いみちや、考え方の柱となった生き様をたどると、私たちの想像を超えた人物像が見えてきます。

火輪の海―松方幸次郎とその時代

火輪の海―松方幸次郎とその時代

 
幻の美術館―甦る松方コレクション (丸善ライブラリー)

幻の美術館―甦る松方コレクション (丸善ライブラリー)

 
松方コレクション (1955年)

松方コレクション (1955年)

 
企業家活動からみた日本のものづくり経営史 (法政大学イノベーション・マネジメント研究センター叢書)
 

 

プロローグ

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番組の主人公はムッシュM。

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松方幸次郎は明治維新の直前に生まれ、日本産業の近代化を進めた財界人です。

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国立西洋美術館に収蔵されている作品のほとんどは松方幸次郎のコレクションです。

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携わった造船業でヨーロッパを舞台に大儲けし、美術品を2,000点買い集めました。

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しかし、現在美術館に残されているのは5分の1足らずです。

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最近になってコレクションの全貌解明に繋がる資料がヨーロッパで次々と見つかっています。

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パリ・リストには、オルセー美術館の至宝となっているゴッホの作品も含まれていました。

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ロンドンの美術館の地下倉庫。

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ここに保存されている当時の画商がつくったリストからは、360点もの作品が火事で失われていたことがわかりました。

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百年前日本人に西洋の名画を見せようとした松方幸次郎。その夢の美術館とは。

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「幻のコレクション 100年前 夢の美術館
放送:2017年11月23日

松方コレクションとは何か

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東京上野の森に建つ国立西洋美術館世界文化遺産としても知られています。

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今年8月、国立西洋美術館の修復室に一枚の絵が運び込まれました。長い間行方がわからなかった絵画です。

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かつて松方幸次郎が購入し、大正時代に日本に持ち込んだ作品です。

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百年前のフランスの画家、レルミットが20世紀最初の「パリ万博」のために描いた作品「収穫する人々」。

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松方が破産してから人手に渡りその後90年間行き届いた管理がされませんでした。

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国立西洋美術館では松方幸次郎コレクションの全貌を探ろうとプロジェクトを立ち上げ、行方不明の作品を探してきました。f:id:tanazashi:20171203174514p:plain

国立西洋美術館は松方幸次郎のコレクションを展示するために1959年に作られました。第二次世界大戦後、フランスから日本に返還された380点のもとに誕生した美術館だが、松方幸次郎コレクションにはそれ以外に1500点の西洋の名品があったはずなのです。

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幻のコレクションはどのようなものだったのか?
手がかりを探し、国立西洋美術館館長の馬渕明子さんはパリのロダン美術館を訪れました。

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このロダン美術館に松方幸次郎は手に入れた作品の一部を預けていたと言われています。

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ライブラリーには松方幸次郎に関連する資料も保管されています。馬渕さんが今回閲覧を依頼したのは火災保険の証書でした。1937年の段階でロダン美術館に預けられていた松方コレクション。

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彫刻65点、絵画285点。合計360点の作品リストが添えられていました。

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「他の美術館に行ってしまったものもあるし、行方のわからないものもある。そういったものを知ることができる非常に興味深い」

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馬渕明子は22点ものモネの作品を持っていたことに注目しました。

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国立西洋美術館にはモネだけを集めた展示室があります。

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その中心にあるスイレンは最も優れた作品の一つです。

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松方はモネと交流がありました。「あなたの絵を買いたい」松方が言うと、モネは不思議そうに「どうして自分の絵なんか買う必要があるのか。日本には偉大な芸術出品があるじゃないか。私なんかそれを手本に勉強したくらいだ」と語りました。

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モネは特に気に入った絵をアトリエに留め、誰にも売りませんでした。そんな秘蔵の作品を松方のためなら手放すと言ったのです。

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モネを決心させたのは美術館の設計図でした。

日本には美術館がない。政府にはカネがない。だから松方自身が作るのだと決めたのです。

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名前は共楽美術館。皆が楽しめる美術館。

日本に美術館を作るという志にモネは共感したのです。

名画との出会い

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日本で造船所を興した松方幸次郎は1916年、ロンドンに渡ります。この街で初めて美術品を買ったのがコレクションの始まりでした。しかし、どんな絵をどれぐらい買ったのかは長い間謎でした。なぜなら松方が美術品を預けていた倉庫が火事に会い作品ともども失われてしまったからです。

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国立西洋美術館の調査チームはロンドンの美術館や博物館のライブラリーを丹念に回ってはコレクションについて手がかりがないか調べてきました。

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2016年、テート美術館のライブラリーで松方幸次郎に関連しそうな資料をすべて取り出したとき、

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火事で焼けたものと手書きで添えられた15ページに渡るリストが出てきました。

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焼けてしまった作品は全てで316件。最高額はマネ。しかし最も多かったのはブラングィンという日本ではあまり知られていない画家の作品。その数70。

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実はこのブラングィンこそ、松方に共楽美術館という夢を抱かせた男だったのです。Frank Brangwyn.jpgサー・フランク・ウィリアム・ブラングィン*2

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第一次世界大戦時、松方幸次郎は注文を受けないまま、需要を見込んで貨物船を量産しました。これが大儲けに繋がったのです。

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ロンドンに社長室をうつし、高級アパートで一人暮らしを始めた松方幸次郎は街に貼られたブラングィンの絵画を食い入るように見つめる人々の姿を目の当たりにします。

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戦争への協力を絵画で呼びかけています。松方は船の絵を初めて購入しました。

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「戦争の絵だけではなく、自分が描いた絵を見てくれ」

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魅せられたのは造船所やそこで働く労働者たちの姿でした。

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ブラングィンは、それまでの画家が描かなかった労働の現場をつぶさに見つめていました。

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f:id:tanazashi:20171203194534p:plain松方が最初に買ったのは、国立西洋美術館にある「時化の日」だと言われています。

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新たに発見されたリストをブラングィン研究者のリビーさんと、孫のデイビッドさんに見てもらいました。

f:id:tanazashi:20171203194913p:plainブラングィンと付き合い、何度も語り合ううちに松方幸次郎の絵画への関心は深まっていったのです。f:id:tanazashi:20171203195059p:plain

ロイヤル・アカデミーにはブラングィンのスケッチブックが保管されています。

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そこには松方幸次郎のポートレートが描かれ、隣のページには美術館の初期のアイデァとも思われるスケッチが描かれていました。f:id:tanazashi:20171203195346p:plain

 

後編に続く

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*1:慶応元年(1865年)12月1日、松方正義の三男として鹿児島に生まれた。 明治14年1881年東京大学予備門(現東京大学)を中退、明治17年から22年までアメリカのラトガーズ大学、エール大学、フランスのパリ大学などに留学した。 明治24年5月、父正義が第一次松方内閣を組閣した際首相秘書官に任官、明治25年8月に正義が首相を辞任して以後、日本火災保険副社長、灘商業銀行監査役、高野鉄道取締役などを歴任し、明治29年10月、川崎造船所初代社長に就任した。以来32年間にわたってその座にあり、当社をわが国有数の重工業会社に育て上げた。

*2: (Sir Frank William Brangwyn、1867年5月12日 - 1956年6月11日)イギリス・ウェールズの芸術家。創作領域は幅広く、油絵、水彩画、デッサンだけでなく、版画、彫刻、イラスト、家具・食器・カーペット・ステンドグラス等のデザイン、建物や内装の設計などにも及んだ。東京・上野の国立西洋美術館の中核となった松方コレクションの形成に深く関わった人物としても知られている。

鏨の華 ―光村コレクションの刀装具―

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「鏨の華 ―光村コレクションの刀装具―」

刀剣外装のための金具は、江戸時代以降に装飾性が増し、金属とは思えないほどのきらびやかで細密な作品が残されました。光村利藻(みつむら としも・1877-1955)はそんな刀装具を中心に一大コレクションを築き、名著『鏨廼花』(たがねのはな)を刊行した明治時代の実業家です。一方で断絶の危機にあった装剣金工の技術継承にも心を配りました。単に作品の美を称えるだけではない利藻の幅広い活動により、刀装具への理解は深められ、作り手も護られました。
現在根津美術館には利藻のコレクション約1200件が伝わっています。本展覧会では、この根津美術館のコレクションを中心とした約130件の刀装具に刀剣や絵画資料も加え、光村利藻が魅せられた金属美を、紹介いたします。

会場:根津美術館(東京)

会期:前期 11月3日~11月26日 後期 11月28日~12月17日

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www.nezu-muse.or.jp

ディエゴ・リベラの時代 メキシコの夢とともに

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ディエゴ・リベラの時代 メキシコの夢とともに」

メキシコの美術は革命後の1920‐30年代に独自の展開を遂げて隆盛を極め、世界の注目を集めました。その歴史を語る上で欠かせない画家が、ディエゴ・リベラ(1886-1957)です。画才に恵まれたリベラは10歳の頃から美術学校に通い始め、1907年にヨーロッパに留学すると、キュビスムなどの最先端の画風を試み、ピカソとも交流しました。

 1921年に帰国すると、メキシコの社会の動きに眼を向け、公共空間に絵画を描く「メキシコ壁画運動」に積極的に携わります。また、メキシコ固有の題材を採り入れた風俗画や肖像画においても、優れた作品を数多く残しました。

 メキシコ国立芸術院(INBA)との共同企画によるこの展覧会では、初期から晩年にいたるリベラの画業を油彩画、素描、版画など約30点の作品でたどります。また、リベラの師でありメキシコ近代絵画を拓いたべラスコ、同時代のメキシコの様々な美術動向、リベラと関わりのあったレオナール・フジタ北川民次ら日本人画家も紹介し、メキシコの近代美術が掲げた夢を振り返ります。

 

会場:埼玉県立近代美術館(埼玉)

会期:2017年10月21日~12月10日

 

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www.pref.spec.ed.jp