チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

日曜美術館「木版画 未踏の頂へ~吉田博の挑戦~」

30年前、日本を訪れ人々を熱狂させたイギリスのダイアナ妃。

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ダイアナ妃には愛してやまなかった日本の作品がありました。

f:id:tanazashi:20170129110749p:plain自ら購入して執務室に飾っていた大正時代の木版画です。

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日が傾く頃の瀬戸内海。絶妙なグラデーションで表された海のきらめき。

f:id:tanazashi:20170806104925p:plain水面に揺れる舟の影まで驚くほど繊細に刻まれています。

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作者は明治生まれの吉田博(1876~1950)。日本より海外で広く名前が知られています。西洋画の技法を学び見たこともない作品をいくつも生み出しました。一人目指した木版画の頂点。知られざる吉田博の魅力を紐解きます。

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※吉田博。創作の舞台裏は別記事にまとめまています。

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吉田裕の人柄を物語るものが東京・三鷹に残されています。 

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博の孫、吉田亜世美さん。博の遺品を大切にしてきました。

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博士がいかに生涯風景を探し求めたのか。その執念を語るものがありました。

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「これは博が球種を旅行したときのスケッチブックです。そのうちのこれは2冊です」亜世美さんは生前の博に会ったことはありません。博が見た風景を通して祖父を知ろうとしてきました。

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「すごく空気を感じますね。奥の方の山に向かって空気がちょっとひんやりした感じ。湿気を帯びたような空気を感じます」

 

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亜世美さんが驚いたのは水の流れ。このスケッチブックから亜世美さんはどこまでも自然を愛し、一途に絵を追い求めた博を感じるといいます。

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「自分もどこかの一つの岩に座っているのでしょうけど、もう岩と一体化している感じですね。よくここまでスケッチに書きますね。すべてのページにおいて。めくってもめくっても全部が細部に渡ってまで鉛筆で描かれている」

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明治9年1876年に福岡県久留米市*1で生まれた吉田博は山を登り絵を描いて遊ぶ子どもでした。18歳で上京します*2

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当時西洋画を学べる国の学校はなく民間の私塾に入ります。*3日課は野外でのスケッチ。

 

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博は誰も行かないような奥深い山中に足を運び腕を磨きました。

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21歳のときの油彩画「雲叡深秋」。

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冬を前にした渓谷に漂うひんやりとした空気が匠に表されています。博は新色以外のすべてを絵に捧げました。

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塾で突いた異名は"絵の鬼"。

明治の後半日本の西洋化は急速に進んでいました。しかし、洋画家の未知はまだまだ狭く。本場フランスへの留学が必要とされました。

 

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貧乏な学生だった博には留学は叶わぬ夢でした。そんな時幸運が舞い込みます。

博の作品は当時アジアの美術品を収集していたデトロイトの実業家・チャールズ・フリーアの目に留まります。紹介状を書いてくれたのです。

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石にかじりついてもガラスふきをやってもとにかく自分の身体を日本の外へ出してしまえ。

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片道だけの渡航費で、博は画塾の仲間と明治32年に渡米します。23歳のときでした。最初に訪れたのはアメリカ北部の町デトロイト自動車産業の黎明期。活気にあふれていました。

 

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美術館に書き溜めた水彩画を持ち込みました。すると予期せぬ反応が。

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翌日の新聞に博たちの水彩画を絶賛する館長の談話が掲載されたのです。

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絵はこの上ないほど魅惑的だった。伝統的な日本美術と違い遠近法を用い、大胆なタッチがあった。詩的な色の魅力にもあふれていた。

伝統的な日本の美術品を見慣れていたデトロイトの人々の関心を集めます。

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このころの画風を伺わせる水彩画です。抑えた色で描かれた農家の風景。

 

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画面手前をおおう水辺と空を覆う濃い霧。湿った空気がこちらにも伝わってきそうです。

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館長の肝いりで急遽特別展が開かれました。博士は水彩画92点を出品。多くの人が集まり絵を買い求めました。

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博士の絵はどのように評価されたのか。明治以降の日本の美術を研究するケンダル・ブラウンさんです。

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吉田博は優れた水彩画の技術で日本の風景を捉えただけでなく、繊細で詩的な感性によって自然を描きとても話題になりました。

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博士の作品は、日本や東アジア独特の「音の残響」のような自然の気配まで表現されていると高く評価されました。自然に対する深い哲学があるとされたのです。

 

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続いて訪れたのは歴史と文化の町ボストン。全米有数の規模を誇るボストン美ジユ掴んでも特別展が開かれました。

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二度の展覧会で水彩画の殆どが売れ、合計2919ドル。当時の日本人の年収の数十倍を手にします。

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一躍アメリカで名を馳せた後、博は念願のヨーロッパへと渡りました。

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各地の風景を油彩画で描き、技量を磨きます。

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しかし、ヨーロッパの観光化された風景は博の目にどこか物足りなく映りました。結局世界各地を7年間に渡って旅しました。そして終生のテーマを確信します。帰国直後の言葉です。

 

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画家は、自然と人間の間に立って、それをみることが出来ない人のために自然の美を表してみせるのが天職である。

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博は日本の山に登ります。油絵の道具一式とテントや食料を背負って。ときには数ヶ月も山にこもりました。

f:id:tanazashi:20170806104613p:plain目指したのはスケール感溢れる風景。その場所でしか感じられない光や空気までをも表そうとしました。しかしアメリカで評判だった風景画も日本ではあまり注目されませんでした。

f:id:tanazashi:20170806104617p:plain日本画壇の中心は黒田清輝の率いる白馬会によって占められていたからです。

f:id:tanazashi:20170806104626p:plain淡い色彩を特色とする明るい外光派は「新派」と呼ばれました。

f:id:tanazashi:20170806104631p:plain博の色彩は濃淡の差があることから官僚的な色彩を持つ「旧派」と呼ばれる明治美術会の仲間として扱われたのです。

 

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苦境の中一人の男が新たな道を博に示しました。版画の版元渡邉庄三郎です。

作品に光を当てたのは版画というメディアでした。大正9年(44歳)頃から新版画運動を進めていた渡辺木版画店から引き合いがありました。博は始めての木版画を出版し新境地を開きました。

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これはアメリカで描いたグランドキャニオンの油絵です。

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同じ風景を木版画にした作品。

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木版画では岩場の陰影、はるか地平線まで見渡せる透明な空気を不思議な立体感で表現できました。博はその可能性にかけます。

 

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私財を投じて工房を作りました。

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通常は分業で行う彫りや摺りも自ら手がけるほど没頭します。49歳からの挑戦でした。

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ダイアナ妃が買い求めた「光る海」をはじめ一年間で41作品を作り上げました。

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博は繊細な水彩画の表現を木版画に生かす新しい技法を編み出しました。多くの人は版画だとは信じられなかったほどです。彼は美術の主流から外れていましたがその発明は先駆的で素晴らしいものでした。

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自然の美しさを見ることができない人のために描く。剣岳の山頂朝の一瞬を刻んだ作品は自他ともに認める傑作となりました。

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av98ingram.wpblog.jp

 

ディレクター:井上元

取材:渡邊秀治

制作統括:村山淳/堀川篤志

制作:NHKエデュケーショナル

制作プロダクション オフィスラフト

 

◇生誕140年 吉田博展 

穂高日本アルプス十二題など、雄大な自然の美しさを描いた大回顧展が開催されます。

2017年4月29日(土)~6月18日(日)

生誕140年 吉田博展 | サントミューゼ

 

「吉田博 全木版画集」吉田博 著(阿部出版)

明治期に衰退していった木版画工房の中にあって、自分のためだけの工房を営むことのできた吉田博の木版画集。浮世絵の美質を継ぎつつ、洋画家としての写真絵画を木版画化すべく努力した吉田の全作品をまとめた画集。

吉田博全木版画集第2版 [ 吉田博 ]
価格:6480円(税込、送料無料)


 

 

吉田博 全木版画集

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吉田博 作品集

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山と水の画家吉田博

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吉田博全木版画集

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20世紀の日本芸術 吉田 博 - 作品集 - (フォレストサイド)

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こころにしみるなつかしい日本の風景―近代の浮世絵師・高橋松亭の世界

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www.yamada-shoten.com

 

*1:青木繁は1882年生

*2:東京美術学校は、1887年(明治20年)に開校なので4年の差で入学できなかったことになります

*3:明治から昭和初期に活動していた日本の洋画家・三宅克巳(1874~1954)の水彩画に魅了され洋画の修行をはじめます