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日曜美術館「”暮し”にかけた情熱~花森安治 30年間の表紙画」

世田谷美術館企画展

花森安治の仕事―デザインする手、編集長の眼」

2017年2月11日~4月9日

とと姉ちゃんのモデル・大橋鎭子(しずこ)から「女性のための雑誌を作りたい」という相談を受けて編集長を引き受けたのが花森安治(1911~1978)です。

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日曜美術館「”暮し”にかけた情熱~花森安治 30年間の表紙画」

広告を載せず、実名をあげて商品を評価する「商品テスト」で知られる「暮しの手帖」は1948(昭和23)年9月に創刊されたライフススタイル誌です。

「雑誌作りというのは、どんなに大量生産時代で、情報産業時代で、コンピュータ時代であろうと、所詮は〈手作り〉である、それ以外に作りようがないということ、ぼくはそうおもっています」

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花森は記事執筆から、文字のレタリングや、誌面のレイアウトまで、雑誌づくりのすべての工程に携わりカリスマ編集者と呼ばれました。しかし、表紙絵153冊分のすべても、花森自身が手がけていたことは意外に知られていません。

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花森が描いた表紙の原画は遺族から世田谷美術館に寄贈され、原画やスケッチの調査が進められています。花森が生涯をかけ、戦後日本に問いかけた“暮し”とは何なのでしょうか?番組では、テレビ初公開となる「表紙絵の原画」に花森が託したメッセージを読みといていきます。

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戦後日本の出版界でひときわ異彩を放った家庭雑誌『暮しの手帖』。1948年の創刊から1978年まで、30年にもわたって編集長をつとめながら、装丁家イラストレーター、コピーライター、ジャーナリストなど、多彩な活躍をしたのが花森安治です。編集長としてのこだわりは号数の数え方にも現れています。「100号ごとに初心に立ち返る」という意味から100号ごとに「第n世紀」と区分して出版回数を数えました。創刊〜第2世紀53号 (1948〜1978年) の表紙153枚は花森安治が自ら描いた表紙絵*1で飾られました。

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下地には紙、モノクロ写真、板、キャンバスボードなど、画材には、水彩、ポスターカラー、鉛筆、色鉛筆、インク、オイルパステル(クレヨン)、アクリル、木炭などが使用され、時には、コラージュや描いた上から削る(スクラッチ)技法が行われるなど、毎号毎号いろいろな工夫がされています。

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締め切り間際になると、ひとり別室にこもり、絵筆をとったといわれています。その絵の一枚一枚には、戦争に翻弄された花森が、戦後大きく変わっていく時代の中抱き続けた、理想の新しい“暮し”への思いが凝縮されています。

 

花森には苦い思い出があります。出版の腕を買われ大政翼賛会の広告宣伝に一役買ってしまったという過去です。

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 戦時中、人々を戦場に招集した召集令状は役場の職員によって届けられました。当時のハガキ1枚の値段が一銭五厘の時代のことです。ハガキのような1枚の令状で消耗品のように戦場に送られる人々と、今の生活を生きる庶民を花森は重ね合わせたように思えます。

ぼくらは ぼくらの旗を立てる
ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない…
(中略)
ぼくらの旗は こじき旗だ
ぼろ布端をつなぎ合わせた 暮しの旗だ
ぼくらは 家ごとに その旗を 

物干台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ
ぼくら こんどは後へひかない

花森安治「見よ ぼくら一銭(正しくは金を略した字)五厘の旗」から
暮しの手帖2世紀8号 1970年10月

戦後、花森は「暮らしの手帖」の仕事に取りかかります。そのとき花森のこころを揺さぶったのは人々の暮らしに欠かせない日用品でした。 

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av98ingram.wpblog.jp

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戦後の復興を乗り越え、日本は高度成長の波に乗ります。使い捨ての商品が街にあふれ、人々は暮らしの豊かさを実感した時期でした。

しかし、花森の視線は高度成長を支える人々の生活に注がれます。公害問題や商品のトラブルなど消費者問題が叫ばれ始めたのもこの頃のことでした。

「暮らしの手帖」も世の中の動きに反応します。しかし、誌面に登場したのは、新商品の宣伝記事ではなく、名もない人々が懸命に生きるフォトルポルタージュでした。

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写真を担当した若手編集者は、厳しい口調で仕事に取り組む姿勢をたしなめられたと当時を語ります。 

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「生活者の視点」を編集の柱にすることを花森は変えませんでした。ところが鬼の編集者・花森を心筋梗塞の病が襲います。病室で花森はスケッチブックに自画像を描きながら回復の時を待ちました。回復して編集室に戻った花森は表紙のモチーフを変えます。彼が描いたのは女性の絵でした。

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「生活の豊かさを突き詰めると結果がこういう絵になる」と番組にはありました。女性に象徴される生活者の視点は、世の中の動きをゆっくりと、だがしっかりと変えてゆく力になるのだと、編集者は革新していたに違いありません。

 

本当に庶民のためのものなのか、大きなチカラに抵抗せず流されていないかとの問い。そして、誰かの旗でない庶民の旗を立てる決意。差別や偏見、戦争のない平和な世の中を作るため花森安治自身の決意と願いが絵筆の中からにじんでくるようです。 

 

ディレクター:今井絢

プロデューサー:藤村奈保子/天野静子

制作統括:村山淳/堀川篤志

制作:NHKエデュケーショナル

プロダクション:オフィス天野

株式会社オフィス天野

 

tanazashi.hatenablog.com

 

 

花森安治 「暮しの手帖」表紙画展 | NOEVIR

花森安治の表紙をテーマとした展覧会情報です。 

世田谷美術館企画展 花森安治の仕事―デザインする手、編集長の眼

2017年2月11日~4月9日 

年間スケジュール - 世田谷美術館

 

花森安治の手による翻訳小説はこちら。 

アラバマ物語

アラバマ物語

 

子どもの目を通してアメリカ南部に残る人種差別や社会の矛盾を描いていますが,著者自身がモデルとなっていると思われるスカウトの活発なキャラクターが可愛らしく見事に光っています。

暮しの手帖社 | 会社案内

 

*1:創刊〜第2世紀53号 (1948〜1978年) 花森安治、第2世紀54号〜100号 (1978〜1986年) 藤城清治、第3世紀1号〜第3世紀100号(1986〜2002年) クレール アステックス、第4世紀1号〜25号(2003年〜07年)各号によって写真とイラストがある(イラスト:牧野伊三夫)、第4世紀26号~(2007年~) 仲條正義が担当。