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響くアートの愛好家

池波正太郎のルノワール

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「若いころは、ゴッホとか、ドラクロワが好きでしたね。やはり、年をとってからですね、ルノワールが好きになったのは・・・」 

ルノワールについて、作家・池波正太郎は1981年12月6日に放送された日曜美術館「私とルノワール」の中でこう語っています。

 

「私とルノワール」1981年12月6日

f:id:tanazashi:20170422174231p:plain番組に出演した池波正太郎は58歳。79年秋、80年夏とヨーロッパに旅行したタイミングでの収録でした。池波正太郎ルノワールのどこにひかれていったのでしょうか。 

失われた時代への哀惜

ルノワールといえばヌードの絵が多いわけです。裸婦は、人間の肌がこんなに美しいのか、という色をしています。西洋人は肌が白いですから、血の色がああいうふうにして浮かんでくるんです。いかにも生き生きとし活力のある身体、ああいう身体を持っている女が出てくるという時代は、いまはもう失われていますね」 

大自然が健康であった時代だから、健康な身体をもった女を描けたのでしょう。自然そのものが、人間の体に乗り移っているんですよ」

脈打つ職人気質

ルノワールは晩年持病のリューマチが悪化し大手術を受けるがついに指の関節が動かなくなります。それでもルノワールは手に絵筆をしばりつけて、なお描き続けました)「病気に負けなかったのは、一つにはルノワールの無邪気で明るい性格という者があった。それと若い頃から絵を描く技術というものをたたき込んでいますからね。リューマチが悪化していっても、その技術がものをいったのではないかと思います。職人的な技を持っている人は、人生の苦労は、たいてい仕事で乗り越えてしまうものなのです」

創作の苦しみ

「画家でも小説家でも同じだと思いますが、自分が、ある世界を表現したくなったとき、それに対して、画家なら画風が、小説家なら文章がついていかないときが、一番苦しいんです・・・とにかく、自分の文章ができてくるまでが、つらかった。自分の文章が決まってくると、ある程度描きたいものが書けるようになる。これは画家も同じだと思いますね。ルノワールは、どんどんもう、必ず毎日描いていたと思うんですよ。そこはやはり職人の血が流れているから、自分の技術によって苦悩を解決していったんじゃないかと思いますね」

生き方への共鳴

「生まれたからには、毎日つまらなく日にちを送っているというのは、ほんとうにつまらないと思うんですよ。大勢で仲良くユーモアを飛ばしながら、笑いあってにぎやかに暮らしてゆくというのが、ルノワールの生活方法だったんじゃないんですか。ル之ホールは、家の中に人の声と笑い声が聞こえないとゴキゲンが悪かったという人ですからね」

ルノワールは、こんなことをいっているんです。『わたしにとってタブロー(絵)とは、愛らしく美しいものでなければならない。人生にはうんざりうるものがあまりにも多いから』と。悲劇も見方によっては喜劇になる。ルノワールは、いろいろなものに喜びを感じる描き方で絵を描いていたのではないかとおもいますね。そして、やきものの絵付け職人のころの生活が最後まで崩れなかった。絵の具なんかも少しずつ出して使うわけ。絵具を作ってくれた人がね、一生懸命つくった絵具を固まらせてしまうようには使ってやりたくないって気持ちなんですよ。それは職人に共通した気持ちなんですよ」 

 

 

池波 正太郎は、戦後を代表する時代小説・歴史小説作家。『鬼平犯科帳』『剣客商売』『仕掛人・藤枝梅安』『真田太平記』など、戦国・江戸時代を舞台にした時代小説を次々に発表する傍ら、美食家・映画評論家としても著名であった。  

出展

NHK日曜美術館1976‐2006―美を語る30篇」 NHKエデュケーショナル

NHK日曜美術館1976‐2006―美を語る30篇

NHK日曜美術館1976‐2006―美を語る30篇

 

ピカソとの邂逅を物語る岡本太郎ルノワールの生き方に共感する池波正太郎、夭折の画家関根正二に涙する今東光…。1500本を超える「NHK日曜美術館」から厳選30篇。