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チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

日曜美術館「熱烈!傑作ダンギ 若冲(じゃくちゅう)」

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日曜美術館「熱烈!傑作ダンギ 若冲(じゃくちゅう)」

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動植綵絵」をはじめ、超細密な絵で知られる江戸時代の天才絵師。その意外な魅力を語るのが3人のゲスト。元バービーボーイズで現在はソロで活躍中のシンガー・杏子さん。若冲のどきどき感を愛してやまない。大河ドラマ真田丸」の題字で知られる左官の挾土秀平さんは、ある色に美の秘密を見る。さらに若冲研究の第一人者、辻惟雄さんも交え熱烈談義!

放送日

2016年4月10日

番組内容

【出演】美術史家…辻惟雄,杏子,左官…挾土秀平,【司会】井浦新,伊東敏恵

2016年1月83年ぶりに発見された若冲作品に注目が集まりました。「孔雀鳳凰図」は絵師になって間もない若冲40歳前後の作品と考えられています。 

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若冲が生きたのは江戸時代中期の京都。

京の台所と言われる錦小路の裕福な青物問屋に生まれた若冲は家業を継ぎますが、40歳で隠居し、好きな絵を描いて暮らしました。

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若冲は庭に何十羽もの鶏を飼いそれを観察して描いたのが「軍鶏図」です。

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画面を埋め尽くす鶏一羽一羽の個性を若冲は描き分けています。

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若冲は京都のどの流派にも属さず、独身のまま84歳の生涯を終えました。
その存在が忘れられていた若冲に脚光が集まったのは1970年代のことでした。リアルなのに幻想的な部分に光が当てられ人々の関心を集め始めたのです。2000年には展覧会も開催され、江戸絵画を代表する絵師として再評価されたのです。

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杏子さんの心をわしづかみしたのが、これほどアバンギャルドな屏風は美術史上例がないといわれるのが「鳥獣家木図屏風」です。

f:id:tanazashi:20161222172941p:plain当時日本では見ることが出来なかったはずの虎や手長猿まで70種類以上もの動物がひしめいています。驚くのはその描き方です。

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モザイク状の画面。1センチメートル四方のマス目を一つずつ塗って絵にしています。その数8万6千個。さらにマス目を細かく分割している様は現代のグラフィックアートのようです。

日本画に古さを感じていた現代人の心に響いた」杏子

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直径一ミリの牡丹の花粉まで緻密に描いた若冲。その代表作が「動植綵絵」です。

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匂い立つほど濃密な色。動物や植物、魚や昆虫を色鮮やかに表したタテ140センチヨコ30センチほどの掛け軸全30服です。42歳の時から10年もの歳月を費やして描き上げた大作です。釈迦三尊像とあわせて、当時交流があった京都・相国寺に寄進しました。

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「自然から生み出された光方とかみずみずしさとか、自然の持つ色や美しさをどうやったら限りある色で表すことが出来るか工夫した、純粋な気持ちから生まれた最高の絵だと感じています」

すべての生き物がそれぞれ持つ色彩の美しさ。若冲は様々な手法で再現しようと試みました。

f:id:tanazashi:20161222180002p:plain画面左下に見える深い青をたたえた魚・ルリハタ。プルシアンブルーと呼ばれるヨーロッパから輸入されたばかりの貴重な絵の具を使っていたことが近年の調査で明らかになりました。

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一斉に富んできた雀の群れがめざしているのは豊かに実った粟。

f:id:tanazashi:20161222175957p:plain雀がついばんでいる粟には細かな黄土色の点が無数につけられています。盛り上げた絵の具に肉眼ではわからないほど小さな穴を開け粟の立体感を表現していました。

 

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動植綵絵」の魅力はある色が鍵を握っているというのが挾土秀平さんです。
空港を飾る挾土さんの作品。天然の土や鉱物が持つ色を生かし、職人の常識を打ち破ってきました。

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3年前、貴重な色の地を求めて地中海に浮かぶキプロス島を訪れました。その色とは緑。緑こそ最も生命を感じさせる色だと考えています。

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「雪中錦鶏図」緑の葉に囲まれた緑の鳥。用いたのは緑青と呼ばれる高価な顔料です。若冲は微妙に色の違う緑を何種類も使ったと考えられています。

「どうやっても手に入らない色が緑と青なんです。どうしても自然界で手に入らない色は江戸時代もおなじで、その緑への憧れを感じます。緑をふんだんに使っているところに若冲の緑へのあこがれの強さを感じます」挾土秀平 

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辻さんが選んだのも鮮烈な色が目に飛び込む作品「南天雄鶏図」です。見えを着るような恰好で立つまっころな鶏。その鮮やかな鶏冠。そして南天の実の燃えるような赤。色が放つ圧倒的なエネルギー。シュールな雰囲気すら漂います。

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若冲は鶏を写生しようとして一生懸命描いたのでしょうが、今我々が見ると鶏冠の赤の中の白い点などが表すように、別の存在感を感じさせる絵に仕上がっている。また、この30服の掛け軸も相国寺がお願いして描いてもらったものではなく、若冲が一方的に奉納してきたものだったため、寺側としても”エライものが持ってこられた”とお礼するのに相当難儀したらしい。相手は一介の町人だから菓子折だけで済んでしまった」辻惟雄
若冲の絵には、簫白や等伯のような出世したいという気持ちが感じられませんね。描きたいから描いているというのも面白い」井浦新

 

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若冲とはいったいどんな人物だったのか。その実像はわかっていません。技を磨きたい一心で画室に一人籠もり、中国の名画を千点模写したとも伝えられます。実際には見たこともない虎は毛並みを一本一本書き写しました。その姿を伝えるものは、死後に描かれた肖像画だけです。

 

「旭日鳳凰図」に描かれているのはつがいの鳳凰でしょうか。波打つ水辺の岩に止まっています。家業を弟に譲り絵師の道を歩み始めた頃。「動植綵絵」に挑む直前に描かれた大作です。
「全部を詰め込んである気がする絵です。どれだけ線を描いたのだろうか、あらゆる技が待っている気がします」挾土秀平

 

「池辺群虫図」緑色の草が生える池に、虫や変えるが一斉に集っています。まるで生き物たちの楽園です。辻さんのよるとこの中に若冲の姿があるといいます。

若冲は一人画室に閉じこもって独楽窠(どくらくか)。ひとりたのしむすあなという号を使っているので、この絵がそれだったのかと感じるのです」辻惟雄

 

「果蔬涅槃図(かそうねはんず)」野菜や果物をあるものに見立てた水墨画。トウモロコシの派や蕪の下に大根が捧げられるかのように置かれています。若冲はこれを釈迦の姿になぞらえました。もとになった涅槃図は釈迦が入滅するときを描いた仏教では伝統的な絵です。多くの場合膝下の周りを弟子や動物たちが取り囲んで嘆き悲しむ場面で表されます。大根を釈迦の姿に、芋のような野菜をにじり寄る弟子に見立てています。若冲はこの作品を母の死をきっかけに描いたと言われます。

若冲の自画像というより家族像を感じます」井浦新

「ゆるい部分や描いている対象に愛情を感じます」挾土秀平

若冲は奇をてらう部分がない。ごく自然体で普通の人が描けない絵を描いている希な人です。」辻惟雄