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チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

ETV特集「忘れられた人々の肖像~画家・諏訪敦“満州難民”を描く」

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 諏訪の父は昭和20年、家族とともに旧満州へ渡った。3か月後にソ連軍が侵攻、たどり着いたハルビンの収容所で母と弟を失くす。父は8歳だった。諏訪は17年前に亡くなった父の手記で初めてそれを知る。父の無念と苦しみを受け止め「忘れられた人々」を絵でよみがえらせたい。開拓団にいた人を訪ね、中国の現地を旅した諏訪。死んでいく祖母の姿をカンバスの中で再現しようと格闘を始めた。2か月に渡る創作のプロセスを追う。

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画家・諏訪敦が描いているのは70年前、旧満州で悲惨な死を遂げた祖母。

「彼女は兵士ではないけど、あきらかに本人は望まないところで、国の楯にされた人間なんでしょ」

飢えと感染症に苦しんだ祖母を、画面の中で再び死に追いやる。

「関心がなければ知らない。誰も残そうとしない歴史の中にも、重要だったりするものってのはあるわけで、だからせっかく自分が画家を仕事にしているわけだから、やれることはやろうかな」

忘れられた者の肖像を書くため中国へ。

大地に埋もれた記憶をつかみ取る。

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画家・諏訪敦は古典的な写実絵画の技法を使いながら、常に挑戦的な作品を作り続けてきた。その描写力は写実を超えているとも言われる。

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「恵里子」結婚を前に交通事故で亡くなった女性。両親から娘をよみがえらせて欲しいと依頼を受けて肖像を描くことになった諏訪は、生前の彼女の取材を積み重ねる。

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膨大な遺品や両親の骨格、義手をつくる職人に彼女の手を再現するなどの徹底取材の先に諏訪の作品は生み出される。

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 取材と対話を繰り返すことで蘇った娘の姿。

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「一つのものを描くのにしても、絵に現れない、いろいろな事情を持っていたりするわけですよね。そのモチーフになる人、モデルになる人に関しても。それをすべてを知っておくということは、最終的に絵に現れないにしても、とても重要な情報というか内容を含んでいると思うし、それを一つ一つ知った上で納得した上で、納得して描きたいという要求が強いんだろうと思います」 

記憶に辿りつく絵画~亡き人を描く画家~|NHK 日曜美術館

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諏訪が描き始めたのは終戦直後に中国大陸で死んだ祖母。諏訪が生まれる20年ほど前に死んだ祖母に諏訪はもちろんあったこともない。祖母は亡くなったとき31歳だった。 

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美しい女性の姿が現れてきた。しかしこれはまだ祖母ではなかった。

「最初、普通の健康状態のいい人を描いているわけだけど、これからこの人に、自分の祖母になってもらう。少しずつ殺していくのです。一枚の絵で時間系列を仮想的に」

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平成17年、父親がガンで死亡する前、家族に手記を残した。諏訪の父親は山形で和菓子屋を営んでいた。その一家が大陸に渡る。

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国が推し進めていた満蒙開拓団に参加したのである。そのとき父・豊さんは8歳だった。その目の前で母と5歳の弟が飢えと感染症に苦しみ命を落とした。

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大陸に渡ったのはすでに敗色が濃厚だった昭和20年4月。そんな時期になぜ大陸に渡ったのか。 

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「昭和20年敗戦の年に渡満すると危険なことは政府ではわかっていた事ではなかったのか」「歴史上のこととしてあきらめがつかない現在の自分の思いからもう一度いいたい。責任者でてこいと」手記には父・豊さんの怒りがにじんでいた。いまわの際でなぜ父は手記を託したのか。諏訪さんは父の無念を果たしたいという気持ちがふくれあがっていった。

「画家なりのやり方で一矢報いるということができるのではと考えました」

父と同じような体験をした人がいるはずだ。諏訪は話を聞こうと考えた。

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満蒙開拓団」かつて日本が満州と呼んでいた中国東北部に送り込まれたおよそ27万人の開拓民。五族共和、王道楽土をスローガンとして国策としてすすめられた。日本にはなかった広大な大地。多くの人々が夢を抱いた。終戦間際まで開拓団は続々と送り込まれた。

しかし1945年5月大本営はすでにある決定を下していた。ソビエト軍が侵攻してきた場合、軍は南に後退。つまり開拓村の大部分を放棄するとしていたのである。この決定は開拓民に知らされなかった。

満州に取り残された人々の中に諏訪の家族もいた。 

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ロシアの国境まで300キロ近く。かつてマータイと呼ばれていた村。家族の痕跡を探す。

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満蒙開拓団には広い土地が用意されていた。それは地元の農民からひどく安い値段で買い取ったものが多かった。 

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ソビエト軍が攻めてくると諏訪の家族たちは250キロ離れたハルビンに向かった。避難先の小学校が当時のまま残っていた。  

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「母はそれほど深い知り合いでもなかった人に頭をこすりつけるようにして金を借り、私たちに鮭缶とにぎりめしを買い与えてくれたのであった」(諏訪豊「我が人生途上の記」)

祖母はここでふんばっていた。夫を連れて行かれても一人で子どもたちを守っていた。祖母の目にはどんな世界が見えていたのか。

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絵を描き始めて1ヶ月。キャンバスには横たわる裸婦像が姿を現していた。

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色調は暗いが若く健康的な女性だ。これからこの女性を殺していく。逃避行の末多くの住民は難民収容所に収容された。そして飢えに苦しんだ。豊かな肉付きをそぎ落としてゆく。

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「仮想の人物に経験させる。それは僕が経験することと一緒。祖母といっしょに悩むということ」

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 頭蓋骨を取り出し痩けて浮き立つほほ骨の形を探る。意を決してキャンバスに向き合い顔を塗りつぶす。 

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 ハルビン郊外の収容所があった場所に向かう。 

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13年前に収容所に訪れたことがある元開拓団の鈴木さんが同行してくれた。諏訪一家が暮らしていた収容所跡を訪ねた。

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「元気いっぱいだった弟の具合がどんどん悪くなっていきました。弟は5歳になっていました。弟のそばに寝ていた私は夜中、さわさわという音に目覚めました。冷たくなった弟の身体から近くにいる私の身体に移動するシラミのおとだったのです」(諏訪豊「我が人生途上の記」)

11月、祖母が発疹チフスにかかった。飢餓に苦しめられた身体に抵抗力はなく、三日目に亡くなった。 

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収容所で亡くなった人を埋葬した場所を鈴木さんが覚えていた。

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鈴木さんの母親も冬を越せずこの場所で亡くなった。

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収容所で死んだ人は3,338人を数える。諏訪は埋葬した当時の様子を教えて欲しいとお願いした。

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諏訪は執拗に再現を試み、埋葬の様子を何度も質問し続けた。

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諏訪が描こうとしているのはあの埋葬地に横たわる祖母の姿。

すでに飢えてやせ細った身体。これからこの身体を病気にしていく。祖母の命を奪った発疹チフスとはいったいどんな病気なのか。専門家を訪ねた。

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当時満州の収容所で発疹チフスの致死率は50%を超えていたと言われる。 

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諏訪の絵筆が祖母の命を削り取る。

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すでに衰弱していたからだが容赦なく死病にむしばまれていく。

「事実なので削除できない。感情的には描きたくない。生理的にいいものではない。発疹なんて。ここはやるしかない」

敵国の追跡、略奪、そして飢えと病。祖母は酷い運命に飲み込まれても、常に子どもを守ろうとし、笑っていなさいと言い残して死んだ。 

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諏訪はこれ以上祖母の姿を貶めることにためらいを感じ始めた。せめて黒髪だけは残したいと葛藤していた。 

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諏訪が電話したのは満州まで取材に同行してもらった鈴木さんだった。開拓団の女性たちは全員がハサミで髪の毛を強制的に切らされていたことがわかった。

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「頭の中では結論はでているんですけど」一週間後、諏訪は絵筆を握ってキャンバスの祖母に向かった。

「頭で考えた結論は切らないという方向でしたが、やってみると違いましたね」

「情緒的な部分がなくなってしまったので、かえって子の方向のほうがいいのかという気がします」

結局、諏訪のまなざしは祖母を見つめ続け、絵筆は事実を選び取った。

「努力して思い出したりしない限り、僕とは関係なかった。彼女が死んだ土地に行っても何の情報もでてこない。それは政府でもわれわれでもない。抹消したのは誰なのか。思い出そうとしなかったのでしょ。確実にこの人がいないと僕自身は存在しなかった。召還する機会を永遠に失う」

父の無念を知ってから17年。追い求めた家族の肖像は白くかすむ大地の向こうにいつも消え入りそうになった。

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諏訪が描き出した女性の遺体。

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そこにはその女性がたどってきた過酷な時間が込められた。歳月の中に埋もれようとしていた存在の重さ。それをこの絵は弔い、埋葬したのか。それとも忘れさせまいと掘り起こし蘇らせたのか。

 

ディレクター 中沢一郎

プロデューサー 山下 茂

制作統括 鶴谷邦顕 

制作協力 アジア・コンテンツセンター

 9月17日(土)ETVでアンコール放送されました。 

 

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日曜美術館「記憶に辿りつく絵画 ~亡き人を描く画家・諏訪敦~」

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どうせなにもみえない―諏訪敦絵画作品集

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諏訪敦 絵画作品集〈1995‐2005〉

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