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日曜美術館「至宝が伝える 天平の技術」アンチモン塊

正倉院御物の中で異彩を放つ金属の塊があります。隕石の塊?現代アート?スクラップ工場のゴミ?この物体の正体とは何か?

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奈良時代の栄光を物語る東大寺盧舎那仏。およそ500トンもの動を使って作られました。

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仏像を建立した聖武天皇。大仏造営のため全国から動を集めました。この時代各地で仏像が盛んに作られ日本の鋳造技術は急速に発達したのです。華麗な金属の工芸品も正倉院に残っています。

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唐から伝わったとされる鏡です。背面全体に精緻な文様が表されています。当時、唐で盛んに描かれた縁起の良い鳳凰が、反対側には鶴が描かれています。鶴の背中には仙人が乗っています。

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一方「花蟲背鏡」は、日本で作られたと考えられています。仙人を乗せた鶴は、唐から伝わった鏡と同じ絵柄です。日本の金属加工技術の成熟を物語る宝物です。しかし、ここに至るまでの道のりは平坦な者ではありませんでした。

日本は当初功績から金属を取り出す技術がなく大陸から原料を輸入していました。金属の国産化が始まったのは飛鳥時代の頃。記録には金や銅などの金属が各地で生産され朝廷に献上されたと記されています。

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ここで国産化に課題が立ちはだかります。最も使われた銅の強度を増すためにはスズが必要でした。しかしスズの生産地は日本にはありませんでした。その課題を解決し、日本の金属技術を左右したという宝物がこの「アンチモン塊」です。

アンチモン半導体などに市買われる希土類・レアメタルの一つです。

当時、国内で採れたアンチモンがスズの代わりに鋳造に使われていたというのです。鋳造家の小泉武寛さんは14年前、奈良国立文化財研究所からある依頼をうけました。

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日本で最初に発行された貨幣・富本銭の再現です。富本銭は銅とアンチモンで鋳造します。アンチモンは空気が入りやすい性質があることから作りにくいと考えられてきました。

国内の原材料だけで金属がまかなえると古代人は喜んだに違いありません。

しかし、後の時代の貨幣を見るとアンチモンを取り巻く状況が大きく変わっていったことがわかります。

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708年からおよそ50年近くに渡って使われていた「和同開珎」です。当初は多く使われていたアンチモンが年を経るごとに比率が下がり、やがては全く使われなくなりました。溶かすときの毒性が敬遠された。加工がしづらかったなど諸説ありますが詳しくはわかっていません。鈍色の輝きを放つアンチモン塊。金属の国産化という古代の人の悲願が込められているのかもしれません。

 

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