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響くアートの愛好家

日曜美術館「深奥へ 速水御舟の挑戦」洛北修学院村

大正のはじめ、京都で一人絵の研鑽をする男がいました。

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電気もない寺の離れを借り修行僧のように絵に打ち込んでいるその男こそ速水御舟(画面左端)。新しい日本画を作ろうと格闘する日々でした。速水御舟は明治27年東京・浅草生まれ。すでに西洋化が進み日本の文化や暮らしは大きく変化していました。

14歳で日本画を学び始めた速水御舟は20歳の時新しい時代の日本画をめざすグループの一員になります。

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同時代の洋画家・岸田劉生の作品「坂道」。見る者に迫るような坂道は、油絵の具の質感とあいまって迫力を感じる作品として注目を集めていました。自分も西洋画に負けない新しい日本画を描きたい。御舟は空間表現に注目しました。

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御舟はその突破口の一つを京都に見つけたと、画家の宮廻正明さんはいいます。

 

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「黄昏」は本格的に京都で研鑽をする前に描いた風景画です。絵の中に空気感と呼ぶべき空間の広がりは感じられません。画面上が円形で、画面下の松林が近景。

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従来の形式に沿った作品です。こうした手法では新しい日本画は生まれない。速水御舟はそれまでにない空間表現に挑戦します。

御舟が暮らしていた寺の離れにほど近い比叡山の麓の村。青々とした木々が生い茂るこの風景を描きます。

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24歳の時に描いた「洛北修学院村」。青と緑の濃淡が、遠い大和近くの村を柔らかにつなぎ、空間の広がりを生み出しています。木々が生い茂る遠い山は濃い緑。そこから次第に緑が増えてゆき、一番近い水田は明るい緑です。さらに御舟は色の濃淡で質感の違いを描き分けています。深い緑が走る松林に対して水田はぼんやりと描かれています。

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人々の暮らしの風景も、ほとんど輪郭線を使わずに、絹地に塗った色の明暗のみで表されています。

いったいどのように描いたのか再現します。使うのは岩絵具。

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濃淡の違う群青と緑青。そして群青を焼いた焼き群青を膠で溶いたものです。これを一つの皿の中で合わせます。日本画の岩絵具は油絵の具のように色は混ざりません。

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皿を傾けると一番上に緑、次に青、そして焼き群青を溶いたものと並びます。刷毛で群青を中心に掬うとかすかに群青が入ります。これで遠い山を塗ると近くの風景との落差が防げます。次に群青を中心に掬うとかすかに群青が入ります。

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これで近くの風景を塗って遠い風景との一体感を生み出します。さらに細い筆で細かい部分にも明暗を付けて行きます。それまでにない空間を描いたこの作品は、新しい日本画を追い求める御舟の出発点となりました。

 

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