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チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

南庭工房の画家夫婦 谷川晃一と宮迫千鶴

  

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伊豆半島を走る国道135号。伊東市を過ぎて天城山の麓にさしかかった所に谷川晃一さんと故宮迫千鶴さんのギャラリー「南庭工房」があります。アクリル画やパステル画、コラージュやオブジェなど谷川さんと宮迫さんの作品はともに明るい色彩に満ちあふれ訪れた人を和ませてくれます。

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Artists of 南庭工房 

南庭工房(なんていこうぼう)

 静岡県伊東市八幡野
 090-7316-7162
 月・火・水・木休みwww.emj.co.jp

 

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谷川さんと宮迫さんがこの地にアトリエを構えたのは今からおよそ30年前の1988年のことでした。谷川さんはそれまで現代人の孤独を描いていた気鋭の画家、宮迫さんはエッセイスト・評論家として活躍していました。 

世界は闇と光があるけど、どうして闇の方に行きたがる人が多いのかね。闇の方に行ってはいけないよ。だから、自分たちは、迷いなく明るい、楽しい絵を描いてきたんだよ。(谷川晃一)

宮迫千鶴さんが亡くなったのは今から8年前の2008年6月19日のことでした。

2012年4月地元の伊豆新聞に谷川さんは小さな追悼文を寄せています。

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谷川さんにとって宮迫千鶴さんはどういう存在だったのでしょうか。宮迫さんの軌跡を辿ります。

宮迫さんは1947年生。旧軍港・呉の港を見下ろす高台に育ちました。1970年に広島県立女子大の国文学科を卒業し、物書きと画家の二つの道を目指して上京します。1975年に東京で初個展後も精力的に発表を続けました。

パートナーとなる画家谷川晃一に出会い、日本各地及びアメリカで二人展やグループ展を開催します。また、文筆業として'78年には初の美術エッセイ集『海・オブジェ・反機能』(深夜叢書社)を刊行。絵画制作と共に'80年代からは写真・美術評論の他、女性の視点からのさまざまな文化論を展開し、1984年エッセイ集『超少女へ』で注目されました。 

超少女へ (集英社文庫)

超少女へ (集英社文庫)

 

 

宮迫さんは様々なメディアに登場します。上野千鶴子さんとの対談、絵のほかに多くの女性論などのエッセイを刊行しました。  

宮迫千鶴は本質的に詩人でした。彼女の資質が詩人であるのは彼女が好む文学や映画や音楽、そして何よりも美術をみればよくわかります。それが宮迫のロマンチシズムでした。しかし、そうしたロマンチシズムは社会批評では発揮できません。メディアが違いました。畑違いの仕事をしていたのは経済的な理由が大きかったのですが、社会事象に対する強い好奇心がありました。〔谷川晃一 伊豆新聞 宮迫千鶴の軌跡〕

当時宮迫さんは広島と東京を往復しながら仕事を余儀なくされていました。それは父の看病のためでした。ガン宣告をうけた父のため、宮迫さんはガンに関する書籍や民間療法を読みあさり、死後の世界や精神世界に関心を深めて行きました。

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それまでの私は、20年近い東京暮らしの中で、西洋医学一辺倒の合理的な考え方が身についていました。だから「体は体の病気、心は心の病気」と、きっぱり割り切って考えていたのです。その私が、魂の存在だとか霊魂の不滅だとかいう本を読んでいるうちに私の中で科学的、唯物的な考えが音もなく崩れ去り、父が亡くなった時には、すっかり何かが変わってしまったような感じでした。神の波動を感じて生きる 宮迫千鶴

1988年、谷川晃一さんと宮迫千鶴さんは伊豆高原にアトリエを構えることに決めました。

宮迫は伊豆高原で本格的に絵を描く決意をして、仕事のシフトを変えて行きました。冷静な論理展開を旨とする評論と過熱する感覚を求める絵画制作を両立させることは容易ではないからです。下手をすると両方の仕事のボルテージが相殺してしまうのです。〔谷川晃一 伊豆新聞 宮迫千鶴の軌跡〕

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伊豆での生活は宮迫さんの生活を大きく変えました。執筆のテーマも社会批評の視線から日常生活へ移り始めます。

かぼちゃの生活

かぼちゃの生活

 

 

「かぼちゃの生活」を執筆する中で「土の上で「暮らす」ことは楽しい。田舎で知ったこと。それは自分の暮らしを「再自然化」しながらよりナチュラルに、深くシンプルに生きること」と宮迫さんは確信します。  

連れ合いも絵描きなのですが、私が父の死から立ち直り始めた頃、再び絵を描きたいという思いが、強く湧き上がってきました。それまで、自宅二階のアトリエを二人で共用していたのですが、数年前に雑木林に囲まれたこの庭付きの古家を見つけてすぐに気に入り、思い切って購入しました。

幼い頃、家の中は崩壊していたのに、庭だけはとても豊かでした。いまでも父が丹精していたイチゴの真っ赤な色は忘れられません。このアトリエで庭いじりが好きだった父を思い出しながら、見よう見まねで花や野菜を栽培しています。その野菜たちが私に絵のイメージをどんどん与えてくれるのです。

神の波動を感じて生きる 宮迫千鶴

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変わっていった宮迫さんの姿に谷川さんもまた癒やされて行きました。

宮迫は、散歩や畑作りや料理にいそしみ、近所の友人たちとお喋りや水泳を楽しみ、そうした暮らしの中にエッセーのタネを見いだし、絵画のイメージを発酵させていきました。〔谷川晃一 伊豆新聞 宮迫千鶴の軌跡〕

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1992 谷川晃一と2人展 (コペンランド・ラザフォード・ファイン・アーツ、サンタフェ)
1993・97 個展 (ギャラリー新居、大阪)
1994・95・96・97・98・2001 個展 (ギャラリー繭、東京)
1994 個展 (駅ギャラリー、湯布院/ギャラリーwakeup、徳島)
ロマハフティア、谷川晃一と3人展 (サンタフェ)
1995 谷川晃一と2人展 (ギャラリー・ピアザ、サウサリート・USA)
1996 谷川晃一と2人展 (アオイギャラリー、サンタフェ) 個展 (天満屋コミュニティギャラリー、広島) 谷川晃一と2人展 (セルヴィスギャラリー、大阪)
1998  谷川晃一と2人展 (大丸、神戸)
1999・2001・2003 個展 (ギャラリー新居、東京)
1999 個展 (中ノ沢美術館、群馬) 谷川晃一と2人展 (トニー・アベイタギャラリー、サンタフェ)
2000 谷川晃一と2人展 (4CATS、名古屋)

伊豆での生活は二人の描く作品を大きく変えました。身辺雑記やエッセイ、展覧会などが次々と発表されるようになります。

身辺雑記のエッセーは、評論と違って絵画制作と矛盾せずに相乗効果的な豊かさを発揮して水彩画やコラージュが沢山生まれ、エッセー集も次々と出版されました。宮迫の絵画は写実ではなく内的イメージ画で一見すると抽象画に見えますが、亜熱帯的な伊豆高原の雰囲気は良く表現されていました。〔谷川晃一 伊豆新聞 宮迫千鶴の軌跡〕

作品や著作を辿っていくと、伊豆での生活が触媒となって二人の精神が豊かに純化していったように感じとることができます。そして宮迫さんが92年に発表した画文集『緑の午後』(東京書籍)は「世界でもっとも美しい本展」銀賞を受賞しました。 

緑の午後

緑の午後

 

 

宮迫さんと谷川さんはあることに気付きます。それは、伊豆高原の持つ力でした。伊豆高原は単なる観光地ではなく、この地に住む人々が自ら癒やされ、暮らしを楽しむ最高の「保養地」であることでした。

そして1993年二人はある文化活動をはじめます。 住民の文化活動「伊豆高原アートフェスティバル」です。http://izukougen-artfes.com/about-artfestival/

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商業的なイベントではなく、地元で暮らす人の自宅や別荘を会場として、自分たちがつくった絵やオブジェを展示するという手作りの美術展です。10点以上の展示作品があればプロやアマでも参加できます。今でこそ全国各地で行われる催しですが、当時は画期的なものでした。

自然にそって素朴に謙虚に生きている人や動物、樹木や草、石、風のそよぎや空に浮かぶ雲、晴れやかな水平線などを見たり、ふれたりする時、そういった生命や風景の中に神の意味を私は感じます。いま私は、自分のアトリエの庭で花や野菜たちに囲まれて、土のそばにいる時が最高に幸せです。伊豆半島の明るい光を感じながら好きな絵を描いている時に一人で意味もなく笑いだしてしまうくらいに至福そのものなのです。 

美しい庭のように老いる―私の憧れの老女たち

美しい庭のように老いる―私の憧れの老女たち

 

画面一杯に色鮮やかなアクリル絵の具で描かれた明るい色調の絵。のんびりとした緑色の木々、おしゃべりな雑草、あっけらかんとした白い雲、もくもく歩く蟻、そして愛するわが“デブ猫”…。命を見つめ、人生への愛を綴った伊豆高原便り。宮迫さんの新境地が花開きました。 

田舎の猫とおいしい時間

田舎の猫とおいしい時間

 

2008年、宮迫さんは大好きだった伊豆半島の自然や生活、そして地域の人々に見守られながらこの世を去ります。

楽園の歳月―宮迫千鶴遺稿集

楽園の歳月―宮迫千鶴遺稿集

 
人生の午後を生きる

人生の午後を生きる

 

 

 「宮迫は『死後の世界は絶対にある』といっていた。そのせいだろうか、彼女の不在を即(すなわ)ち無、とは思えないのです。だから、寂しくない」と谷川さんは語っています。 

宮迫は大変な読書家でした。上京しては沢山の本を買い宅配便で送ってきます。そしてどんどん読んで行きます。エンターティンメントには興味がなく外国の論文集(シュタイナー、アンドルー・ワイル、エドガー・ケイシー・バーバラ・アン・ブレナン)やガーデニングの本など、夢中で見ていました。ある時、異次元つまり来世に関する仏教関係やニューエイジの本を集中的に読み漁った後、
「過去から現在まで、西洋から東洋、アフリカから南米までの様々な書物がみんな同じことを言っている。ね、ね、あの世はあるのよ、もう信じていいと確信したわ」と語った。(略)このように書くと宗教家のように取られかねませんが、彼女は体得したことを他人に押しつけることは一切ありませんでした。
輪廻転生を信じ、人生を総括して以降、彼女は生きている日々を心から楽しむようになり、(略)あの世に旅立つまで、ワクワクしながら明るい絵を描き続けました。 〔谷川晃一 伊豆新聞 宮迫千鶴の軌跡〕

 

美術館ローズマダー 桑原 宏 作品館 宮迫 千鶴展の続報

記事を辿ると二人の絆の強さをあらためて感じ取ることができます。  

 

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