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響くアートの愛好家

日曜美術館「井浦新 円空への旅」北海道・始まりの地

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北海道は円空が始めて旅をして仏像を残した土地です。現存している円空仏は全国でおよそ5千体。1632年岐阜に生まれた円空は仏像を彫り始めて間もない35歳の時、縁もゆかりもない北海道に渡りました。それは何故だったのでしょうか。

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訪ねたのは津軽半島に面した木古内町。今も円空仏をとても大切にしている町です。円空がここを訪れた当時は小さな漁村だったと言います。円空仏は寺ではなく神社にまつられていました。
年に一度のお祭りの日、白装束の男性が大事に抱いているのが円空仏。ご神体です。この日、男がさらしに巻いた円空仏を抱いて町内を練り歩きます。祭りが始まったのは江戸時代の終わりのことです。当時不漁不作が続き人々は困窮にあえいでいたと言います。祭りのクライマックスです。

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円空仏を先頭に砂浜に現れた4体のご神体は、極寒の海の中に運び込まれます。円空仏は人々に福をもたらす象徴なのです。

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円空がなぜ全国各地に仏像を彫ったのか、その秘密が隠されていると聞き、伊達市善光寺を訪ねました。円空が仏像を彫り始めて間もない頃の貴重な像です。

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地元のイチイガシの木から彫り出された観音菩薩像。

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40代の頃の円空仏は荒々しい彫りの中に穏やかなほほえみを浮かべています。しかし、この寺に残された観音菩薩像は瞑想しているようにも見えます。
「台座の上に座って両手を組んでますよね。そしてよく見ると眼は下を見て瞑想している半眼です。全国にある円空仏の中では珍しい。祈っている。この地域を助けたいという思いがあるのかなと思うのです」

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「像の背面に文字が書かれています。寛文6年7月28日始めて有珠山にと書かれていますので、私は有珠山大噴火とかなり密接な関係があるのではないかと思います」
円空が北海道に来る三年前、有珠山が記録に残る中で最大の噴火を起こしました。降り積もった堆積物で一体は砂漠のように荒れ果てたと言います。円空はそのことを知って北海道を訪れ、観音像を彫ったと考えられます。このこ日本は繰り返し災害に襲われました。近江大地震、日向佐土原地震、陸中地震・・・そして有珠山大噴火。数年おきに飢饉が発生し、地方には困窮した人が大勢いました。そうした時代に円空美濃国(現在の岐阜県)に生まれ、32歳の時から仏像を彫り始めました。円空自身も幼い頃長良川の氾濫で母親を亡くしました。その母の菩提を弔うために仏門に入ったと言われます。若き円空は寺の住職になる道を選ばず、諸国を行脚し12万体をめざして木の仏を彫り続けました。

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災害で肉親を失う悲しみを知っていたからこそ、円空ははるばる北海道の地を踏んだのです。