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チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

明日世界が終わるとしても 「ペン1本 まだ見ぬ頂へ」

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明日世界が終わるとしても「ペン1本 まだ見ぬ頂へ」

番組内容

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「明日世界が終わるとしても 私はリンゴの木を植える」。その言葉のままに、志を貫いて生きる「信念の人」、そんな人たちの姿に迫るドキュメンタリーがこの冬誕生する。新番組1本目は、アメリカで3年がかりの新作に挑む画家の池田学*1さん。細いペン先から生みだされる「超細密画」とも称される作品はみる人を圧倒する。新作のきっかけは、東日本大震災。何を描くことができるのか。ペン1本を手に自問する、最後の日々を見つめる。

放送

2016年12月29日(木)

アメリカ・ウィスコンシン州の美術館。その地下のスタジオで一人の日本人が3年間絵を描き続けています。池田学さん43歳。使うのはペン一本です。
ペン先が生み出すのは緻密かつスケールあふれる世界です。
「細部からアイデアが広がることがほとんどなんです。ルールに縛られないでそこからいかにはみ出すか」
代表作「方舟」
数え切れないほどの建物が大地を埋め尽くします。
いくつもの城が積み重なった作品「興亡史」。
戦国時代の武士たちの横を飛び交うのは電車。
独特な池田さんの作品は世界の人々を魅了しています。
「まったく見たこともないような作品です。すごくユニークで細かい」

池田さんはいま、新たな絵に挑んでいます。たった一枚の絵と向き合い続けた三年間。その政策の最後の日々を見つめました。
「なんで三年間やっていて最後までこうなんでしょうね」

かつてある小説家が記した一つの言葉があります。
「明日世界が終るとしても、私はリンゴの木を植える」
どんな状況でも自分のすべきことを貫く。
これは世界の片隅で信念をもって生きる人たちの物語です。

「ペン一本まだ見ぬ頂へ 驚きの画家・池田学」

池田さんの暮らすマディソンは、大学を中心とした自然豊かな学園都市です。
10月5日
毎朝午前9時に美術館に出勤します。
地下のスタジオが池田さんの作業場。10月私たちが撮影に入ったとき、3年がかりの政策の追い込みに入っていました。一日の始まりはラジオ体操。
「作品を見ながらやると頭がリフレッシュします。残りどこをやろうかというのが、昨日の制作している時より冷静に見れます」
制作に用いるのは一ミリに満たない一本のペン。
このペンが生み出す一本の線だけで絵のすべてを描きあげます。
色を付けるのも線。一本一本引くことで微妙な濃淡をつけていきます。
点描のように線で埋めることで形を浮かび上がらせます。
「ペンとインクだけんなで、いたってシンプルなんですよ。小さい頃から細かく線で描くのが得意だったので、今のところ自分に一番合っている方法だと思います」
池田さんが今制作しているのは高さ3メートル。4枚のパネルにわたる巨大な絵です。
制作中何度も離れて絵の見え方を確認します。
繊細かつダイナミックな絵はこうして生まれます。
「存在」
森の中にたたずむ集落や仏像。離れてみるとそこに現れるのは力強くそびえる一本の巨大な木。2メートルを超える大作です。
自然と文明をテーマに数々の絵を生み出してきました。
独特な世界を作り出す池田さんは日本の現代アートの旗手として、海外でも高く評価されています。
そんな池田さんに注目して、3年前に声をかけたのがチェイゼン美術館です。
スタジオに次々と人が入ってきました。美術館が毎日一時間特別に制作の様子を公開しているのです。見学者は自由に絵を見たり、池田さんに質問をしたりして楽しみます。
「見て、ラクダがいる・・・・」
「どんな人物なのか見ている人に思い思いに想像してほしいからです」
「自分の作品が今ダイレクトに人からこういう風にみられているとか、意見をもらったりすることで刺激をもらってというのが終ったものを飾るのと全然違います。社会の中で描くっていうのは自分には合うというか、合っているなと思います」
池田さんは5年前から海外で創作活動を続けています。
家族は妻と3人の娘たち。今の作品を描き始めてからの3年の間に次女と3女の二人が生まれました。
「上の二人に比べたらお人形みたいだから、すごい楽ですよね。まだまだ」
「最近は土日も休みなく働いているので」
11月7日
締め切りまであと10日。スタジオには長女の手作りカレンダーが登場しました。
3年間描き続けている一枚の絵。これまでで一番長い時間をかけています。
きっかけとなったのは東日本大震災です。2011年3月池田さんがカナダに滞在している時、震災が日本を襲いました。
「あの震災の映像をバンクーバーで観たんですけど、やっぱり自分の国があんなことに巻き込まれるというのは、特に海外にいたということもあってすごく衝撃的で」
遠くから心配することしかできなかった池田さん。日本から思いもよらない連絡がありました。
ある作品の公開が自粛され始めたのです。

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震災の3年前に発表された池田さんの代表作「予兆」です。雪や氷河でできた世界が溶け始め、昔の文明が飛び出してくるイメージで描いたものです。人々はスキーをしたりスポーツをしたりして楽しそうに暮らしています。

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前年に挙げた自分の結婚式の様子など、楽しいシーンが盛り込まれた思い出深い一枚です。しかし、震災以降この絵が見る人に与えた印象は津波に巻き込まれたがれきの街。
描いたときは予想すらしなかった伝わり方でした。

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「自分が好きで描いた世界が人の心に違ったように映っちゃうんだっていう・・・勝手に人の心を傷つけたり、嫌な気持にさせることがあるんだなとか。実際に現実を見た後ではそういうことすべてが不謹慎というか、フィクションだから楽しんでいた部分があって、ほんとにそんなことがおこったら、全然この絵だって楽しくないじゃんと思ったのです。だからしばらくは描くのは嫌でしたし」

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自分の描いた絵に悩む池田さんの背中を押した人がいます。数々の若手画家を世に送り出してきたギャラリーのオーナー三潴末雄*2さんです。池田さんの作品を高く評価しています。震災直後三潴さんは池田さんから相談を受けました。
「このままこんなところで海外にいていいのかということから、日本に帰ってボランティアをやりたいとかいうことを彼が言ったのですが、僕は絵描きというか、アーティストはアーティストなりの役目があるから、日本を元気にするような絵をかけよというようなことをそのとき言ったのですが、」

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人物評

 

ikedamag.exblog.jp

jp.vice.com

 

著書 

 
 
池田学 the Pen

池田学 the Pen

 
池田学画集1

池田学画集1

 
超絶技巧 美術館  (BT BOOKS)

超絶技巧 美術館 (BT BOOKS)

 

音楽 

ナターシャ・クジー  *3

命はいつも生きようとしてる

命はいつも生きようとしてる

 

歌手 バンドゥーラ奏者 / ウクライナの歌姫 ナターシャ・グジー 公式ホームページ!

*1:日本の画家。カラーインクとペンを用いたボリューム感のある緻密描写が特徴的。 アクリル顔料インク、丸ペン、フランス製美術用紙「アルシュ」を使い作品を描く。全体の下絵は描かずイメージしながら緻密に描くため、1日に描けるのは10センチメートル四方ほど

*2:ミヅマアートギャラリー東京、北京、シンガポール ディレクター)は東京生まれ、成城大学文芸学部卒業。 大学在学中は牧田吉明らと新左翼運動を行う。 1969年牧田らとライブスペース「ステーション'70」を設立。日本の『アンダー・グラウンド・ミュージック・シーン』史上において、画期的なライブ空間と評される[1]。 1980年代よりギャラリー活動を開始する。 1994年ミヅマアートギャラリーを青山に開廊(現在は市谷田町)。 2000年からその活動の幅を海外に広げ、アートフェア等に参加。 日本、アジアの若手作家を中心にその育成、発掘、紹介を行っている。2008年に北京にMizuma & One Gallery (2014年閉鎖)、2012年にシンガポールのギルマンバラックスにMizuma Galleryを開廊した

*3:ウクライナ出身の歌手。6歳のとき、1986年4月36日未明に父親が勤務していたチェルノブイリ原発で爆発事故が発生し、原発からわずか3.5キロで被曝した。その後、避難生活で各地を転々とし、キエフ市に移住する。ウクライナの民族楽器バンドゥーラの音色に魅せられ、8歳の頃より音楽学校で専門課程に学ぶ。1996年・98年救援団体の招きで民族音楽団のメンバーとして2度来日し、全国で救援公演を行う。2000年より日本語学校で学びながら日本での本格的な音楽活動を開始。その美しく透明な水晶の歌声と哀愁を帯びたバンドゥーラの可憐な響きは、日本で多くの人々を魅了している。