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チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

日曜美術館「果てしなき夢~北斎」晩年の北斎

日曜美術館

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北斎は生涯93回も転居したといわれています。いったいどんな家で暮らしていたのでしょうか。晩年になってからの住まいの様子を弟子が描き起こしています。

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「先日露木氏が室内の様子を描いて私のところに送ってくれた。図の中で炬燵を背にして布団を肩にかけ不でをとって描いているのが北斎で、

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その傍らに座って北斎が描いているのを見ているのが娘の阿栄だ。

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火鉢の傍らには炭の俵、土産物の桜餅の籠、寿司の竹の皮などがとり散らかっていて、物置や掃きだめと変わらない。どんな人に会う時も炬燵を離れなかったし、描くときもそうだった。疲れると傍らの枕を取って眠る。眠りから覚めるとまた筆をとって描いた」

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晩年の北斎は自ら筆で描く肉筆画を数多く残しています。これはその一つ。画帳にまとめられた作品。花鳥画ばかり10の図が収められています。

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透き通るような白い包み。赤い盃がわずかに顔をのぞかせています。その傍らには梨の花。緑の葉と盃の赤の対比が鮮やかな「器と梨の花」です。

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雪の下が生える庭の片隅。土に埋もれた瓦を蛙が乗り越えようとしています。「ゆきのしたと蛙」 こうした画帳が描かれたのは北斎の晩年に起きた天保の飢饉とも関りがありました。

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「国中が飢饉で江戸の街中でも飢えて路上で倒れるものが多かった。錦絵や絵本なとはだれも買うものがいなかったので絵師たちはとても困り苦しんだ。北斎はたちまち一つの策を考えた。神を机の上にうずたかく積んで夜も昼も腕を振るい山水や人物、花鳥など、筆にまかせて描きだし、画帳にして店に出した。飢饉のときだったけれどさすがに購入する人がいて北斎は飢え死にを免れた」

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晩年、飢饉や家事にも見舞われた北斎。80代になってから魔除けや無病息災を願って毎朝描いていたのが獅子の絵です。現在二百数十点が残っています。

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北斎は毎朝小さい紙に獅子の絵をかき、丸めて家の外に捨てた。ある人がたまたまそれを拾って開いてみると、獅子の絵で、その筆さばきが軽やかで快いこと並大抵ではない。北斎殿なぜ毎朝獅子の絵を描いて捨てなさるのか、と問うと、北斎はこういった。これは私の孫である悪魔を払うまじないだ」

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実際晩年の北斎は放蕩息子ならぬ孫の存在に悩まされました。ばくちなどで借金を重ねた孫の後始末に追われたのです。

「去年の春から孫の放蕩でいろいろ尻拭いをしてたびたび勘当も言い渡した。この春は金もなく、着物もなく、食べるだけで精一杯。ひたすらつまらないことで過ごし、一年を棒に振ってしまった。残念でならない・・・北斎が孫を恐れること、あたかも蛇や蠍のようだった」

 

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