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日曜美術館「利休の志を受け継ぐ」樂家の歴史

 

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赤と黒。樂茶碗には大きく二つの茶碗があります。

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黒茶碗の「大黒」。その名の通り、黒の塊のような茶碗。長次郎の代表作です。
こちらは赤茶碗の「一文字」。茶碗を覗くと見込み(茶碗の内側を見込みと言います。口縁に近い順に茶巾摺、茶筅摺、茶溜と名付られています)には一の文字が。利休の書付と言われています。
長次郎の茶碗は樂家の礎です。
樂家の歴史。それは450年に及びます。歴代はそれぞれの作風を追及してきました。

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三代目道入は、長次郎の黒に光沢を加え、さらに白を浮かべました。このモダンな茶碗の登場に大きな影響を与えた人物がいます。

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江戸時代初期の文化人。本阿弥光悦です。
樂家に残る光悦の手紙。
「ちゃわん四つ分の赤土と白土を届けてください」
還暦を過ぎた光悦がのめりこんだのは茶碗でした。

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赤樂茶碗「乙御前」。お多福顔を彷彿とさせる茶碗は、長次郎の造形を覆しました。
割れてもかまわんとばかりに薄く薄く削られ、茶碗を支える高台もめり込むように低い。光悦のこの遊び心に導入は心底驚いたことでしょう。

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「花のつぼみがすーっと自分におのずから開いてくる、その力みたいなものなのか、手の中から花がふっと開いていく。そういうやさしさですよね。頭ではないのよね。目をつぶっていても触覚として感じていて、見えなくても」
光悦の茶碗はその後の樂歴代の意識を変えます。それは自らと向き合う。何物にもとらわれない姿勢でした。
様々な表情を見せる樂歴代の茶碗は「不連続の連続」と形容されてきました。
十五代吉左衛門。ゆがんだ形。激しい色彩。これまで見たこともない。約束事をひっくり返した茶碗。
「がーんって、これなんか凄いでしょ。いいかどうかわかんないのだけどね。これは切って、棒でぶっ叩いているんです。その時に、土は柔らかいからぐにゃっとゆがんでいて、破たんがずいぶんあると思うんです。茶碗に。すごく破たんがある茶碗なんですけど、でもその破たんというのは紙一重で、破たんがないものってつまんないのですね。なんか力がバッと突き付けていくエネルギーって、生きているということはそういうことですから」
二十代半ばまで家業の茶碗づくりに背を向け逃げていた吉左衛門
この窯と対峙したのは27歳の時。
茶碗について先代の父は一切息子に教えませんでした。
吉左衛門の手は自分の茶碗を求め続けます。
手掛かりをつかんだのは樂家を継いで7年後。初代長次郎の茶碗と向き合った時のことでした。
長次郎の没後400年に開かれた展覧会。一堂に会した茶碗を前に吉左衛門は言葉を失いました。
「長次郎がずらっと並んでいて、みなさんが帰られたら、僕はみなさんが帰られて空っぽになった美術館を点検がてらにガードマンしてたんですね。そうすると数碗のある茶碗のところでピタッと足が止まるんですね。見てるとドーっと鳥肌が立つような感覚に襲われる。それはこの茶碗が利休さんの死まで、死を背負っていると思ったのです」
静かなる茶碗の内なる激しさ。長次郎が極限まで引くことで激しい表現を獲得したのなら、その対極にある激しい色と形の茶碗を作ろう。徹底的に火にさらし、高い温度で焼き貫く。焼貫茶碗という独自の茶碗を吉左衛門は生み出します。時には激しくゆがみ、時には激しく金や銀で彩りました。