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チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

右手を失って自らの言葉を語ることが出来たすずさん

アニメーション

右手を失って自らの言葉を語ることが出来たすずさん。

心に刺さります。自分の言葉で語ることは、簡単なようでいて出来ることではありません。語れないままでいることの苦しさに耐えかね、一歩踏み出すことの意味に思いを巡らすたびに自分が問われる気がします。かけがえのない作品に出会えたことをありがたく思います。

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精神科医の齋藤環さんとの対談で、片渕須直監督が主人公・すずの声を演じたのんさんと役作りにまつわる制作秘話を語っています。(美術手帳2月号)

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片渕 映画では最初「右手」という配役を建てるつもりでした。すずさんは自己表現が苦手な人で、絵を描く右手でしか表現できない心の中のものを持っている。けれど、それを奪われたとき、それまで表に出なかったものを口から表すしかなくなるわけです。だとしたら右手まで喋ってはいけないだろうと。ならば言葉ではなく音楽で表そうと思ったのです。

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この映画には象徴的な記号が相当な量埋め込まれています。何気ない台詞や、見過ごしてしまいそうな花や動物にまで作者のメッセージが込められています。それを読み解くのもこの作品の持つ楽しさだと思います。

一度見終わって強い印象を感じたのが右手の扱いでした。番宣などで使われる広島市街地をエンピツで描こうと手を上げるすずさんの絵が象徴しています。右手の持つ意味を考え続けることが物語の奥深い世界の扉を開ける鍵だったのだと、監督の話を聞いて改めて思いました。

片渕 のんちゃんは、すずさんという人物を一生懸命演じてくれました。(片渕監督と)たくさんの質疑応答を繰り返して、深く理解して、役作りしたいという気持ちをこちらに向けて来ました。最初の頃に「すずさんの心の中に何か疵(きず)のようなものがあるのでしょうか」という質問を受けました。のんちゃんは、一見のどかに見えるすずさんの中にも必ずあるはずのそうした疵を核として演技を作り上げていこうと思ったようです。

こちらからは「すずさんはおそらく自分が空っぽだと思っている。それをさらけ出すことが出来なくて、何かを喋ろうと思ってもうまく話が出来ず、いつもニコニコ笑っている。でも、すずさんの本当の想像力は心の床下にしまい込まれていて、それを専ら右手で絵を描くことで表現している。絵が描ける能力は素晴らしいのに、そのことに気づかず誇ることもない。もしすずさんの心に疵があるとしたら、自分は大したことがない人間だと思い込んでいることだろう」と話しました。

 

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、片渕監督は『この世界』は、曖昧な主体を持つ人の存在の焦点が、だんだん結ばれていく作品だと思う。とも語っています。「自分とは誰なのか、ふつうは大人になることによって、その疑問を感じなっていくわけだが、そうでない人もいる。こうのさんはそんな大人のための読み物を描いてきた」とういう話に、細い針のようなもので心の鍵穴を探り当てられた気がしました。

片渕 すずさんの台詞の半分は「心の声」として発しているモノローグなんですよ。それが絵を描いて表現する手段を失うことで大きく変わっていくんですね。

 ラスト近くですずさんが夫の周作さんに「ありがとう。この世界の片隅にうちを見つけてくれて」と言う台詞について、のんちゃんは、「ここはすずさんの口が動いていて、心の声になっていません。今までのすずさんは、周作さんの前でこういうことを絶対に口にしない人だと思って役作りをして来たんですが」と言って来たんです。確かに、それまでのシーンでは、こうした台詞は心の声としてモノローグで描いてきたんですね。

 

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片渕監督は、原作を読み、これは自分にとって大事な作品なのでアニメにしちゃダメなんだと思いました。と語っています。子どもや若者ではなく大人の反応から広められないかなという監督の思いは、若くはない観客の抱いていた気持ちをすくい上げてくれたように思います。 

 

美術手帖 2017年2月号

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この世界の片隅に 劇場アニメ絵コンテ集

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