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チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

日曜美術館「熱烈!傑作ダンギ 等伯」作品の魅力

日曜美術館

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国宝・楓図の魅力

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京都・智積院安部龍太郎さんには何度も見たくなる傑作があります。

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国宝・楓図。楓の巨樹に秋の草花。目に飛び込んでくるのは赤や白の鮮やかな花に緑の映える葉。一つ一つ繊細なのに不思議な存在感を放っています。

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「画面いっぱいに色が、色とその植物たちが散っているような感じで、最初見たときにびっくりしました。紅葉の木は写実的に描かれているのですが、その周りを取り巻く植物群。それも一つ一つは写実的なんですが、大きさのバランスなんかまったく無視して、非常にデザイン的になっている」

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楓図は天下人・豊臣秀吉の直々の依頼で描いたもの。三歳でなくなった秀吉の息子。その菩提寺を飾る大切な障壁画でした。

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しかし当時、京の絵の世界を独占していたのは狩野派。力強い作風は武将たちに好まれ、秀吉の仕事も請け負っていました。一方等伯はもともと能登からやってきた無名の絵師。天下人の仕事を受けることが出来たのは新しい勢力と結びついたからです。
それは大坂の一大商業都市・堺の商人。なかでも富を蓄えた人たちが等伯の絵を求めたと言います。

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千利休ももともと堺の商人。秀吉のお茶の師匠でもある利休との出会いで、等伯は権力者とのつながりを手に入れ、障壁画を任されたのです。
安部さんは楓図の魅力は秀吉をも虜にした斬新さにあるといいます。

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「群青色の川の流れなんですが、たったこれだけしか描かれていないのに、ずっと奥まで続いているっていうような象徴をしているように、描写の仕方が新しいという感じを受けましたね。狩野派の絵にはこういう表現はないですからね。非常に革新的。当時の人が見たら驚いたと思います」

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狩野永徳の檜図屏風と比べてみると、永徳は手前に樹木と地面。その後ろを流れる川と奥にそびえる山。奥行きを持たせ、力強い画面を作り出しています。

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等伯は決して奥行きを強調してはいません。草花、川の流れ、すべてが楓を包み込むようなやさしい美しさを作り出しています。安部さんが何度見ても驚くという楓図。漫画家のおかざき真理さんも見る者の心の琴線に触れる力があるといいます。

 

等伯の原点・仏涅槃図の魅力

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等伯が生まれ育ったのは能登半島・石川県七尾市。かつてこの地域は海運業で栄え、豊かな文化が花開いた一大城下町でした。等伯は1539年。守護大名に仕える武士の子として生まれます。

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しかし幼い頃、理由は定かではありませんが、代々染物屋を営む長谷川家の養子となります。長谷川家はお寺の求めに応じて仏画を描く絵仏師として地元では有名でした。

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等伯の出発点は仏画でした。石川県七尾美術館には等伯仏画の傑作があります。

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等伯が30歳の時描いた「仏涅槃図」。中央に横たわるのは釈迦です。入滅の場面。色鮮やかな釈迦の衣をよく見ると、細やかな装飾。

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取り囲む弟子たちには濃い陰影を加え、劇的な表情に・・・慟哭が聞こえてきそうです。

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等伯が参考にしたのは養祖父と言われている絵師・無分の「仏涅槃図」です。

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比べてみるとただ絵を学ぶだけではない若き等伯の姿勢が見えてきます。

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下書きの線を見ると、鳥の形が浮かびます。師匠が描いていた翼を広げた鳥を等伯は別の鳥四羽に置き換えたのです。

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釈迦を慕う生き物を増やし、よりドラマチックにしようとしたのかもしれません。

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さらに釈迦の生母のそばにはお付きのの天女を加えました。

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等伯の思いとは・・・京都で30年以上仏画を描いている仏絵師の藤野正観さんに聞きました。

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仏画というのは決まり事がいっぱいありまして、絵が描きたい人にとっては窮屈な絵なのです。自分の好みで手の位置を少し変えたいと思っても、それは仏画ではないと言うことになります。

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ところが等伯さんの若い頃の仏画十二天図を見ると、台座に必要のない龍の絵が描いてあったりして、こんなところで遊んでいると思いました。

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絵描きとしての欲を持ってうまくなりたいと」
仏画からあふれ出す若き等伯の渇望。コシノさんは涅槃図こそ等伯の原点だと言います。

 

いのちある暖かさ・猿猴図屏風の魅力

f:id:tanazashi:20170205180633p:plain2015年等伯の新たな水墨画が見つかり話題になりました。「松竹図屏風」と「猿猴図屏風」です。松竹図屏風は丈の濃淡による奥行きが後の松林図屏風につながる表現として注目されています。さらにもう一つの猿の絵から新たな等伯像がわかりました。

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「猿の毛並みをよく見るとチリチリと縮れているように描かれています。これは他の等伯作品には見られません」

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新発見の絵の猿はごわごわとした毛が飛び跳ね、野性味いっぱい。いっぽう別の作品f:id:tanazashi:20170212200038p:plain「竹林猿猴図屏風」の猿の毛は細い筆で描かれ、ふわっとした感触が伝わってきます。

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等伯は50代。それでも細部に至るまで新しい試みを続けていたのです。
こうした動物たちの姿こそ等伯の神髄を物語っていると考えるのが京都嵯峨芸術大学教授の仲政明さんです。

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授業で使っている古い下絵。その数千枚以上。f:id:tanazashi:20170212200120p:plain

実は仲さんは等伯の子孫。これらは代々長谷川派が描き方の手ほどきを残したものです。

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鳥一羽でもご覧の通り。どこに何の色をどのように用いればいきいきとするか、事細かに描いています。

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等伯の猿を写した絵もあります。動物画からは何が読めるのでしょうか。

「表面的な作品作りではなくて、対象の猿であったとしても花であったとしても本質を描こうとしている。植物にしろ動物にしろ生あるものですよね。そしていずれ滅びる。なくなっていくものの中で、いのちある暖かさという所まで表現していると思うのです」

 

松林図屏風の魅力
等伯の代表作にして、日本美術史上屈指の傑作「松林図屏風」障壁画の煌びやかさも、仏画の緻密さも、動物画の愛らしさもない。この絵で等伯は何を表そうとしたのでしょうか。

 

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