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チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

国立新美術館開館10周年 ミュシャ展

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 (スラヴ叙事詩「原故郷のスラヴ民族」)

アール・ヌーボーを代表する画家・アルフォンス・ミュシャ。彼がふるさとに寄せる思いを集大成したのが「スラヴ叙事詩」です。パリで成功を収めたミュシャが、歴史に翻弄された故郷のために渾身の力を込めて描いた絵画は全20点。6メートル×8メートルの巨大なカンバスには、古代から近代に至るスラヴ民族の苦難と栄光の歴史が描かれています。ミュシャを駆り立てたものとはいったいなんだったのでしょうか。

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アルフォンス・ミュシャチェコ語発音ではムハ)は1860年7月24日、オーストリアモラヴィア(現チェコ東部)のイヴァンチツェという町に生まれました。ウイーンやミュンヘンを経て、27歳でパリに渡り絵を学びます。世紀末のパリで挿絵の仕事をしながら下積みの生活を送っていたミュシャに転機が訪れたのは34歳のことでした。

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1895年、たまたま引き受けた芝居大女優・サラ・ベルナール主演の正月公演「ジスモンダ」のために描いたポスターがで世間の注目を集めたのです。(プラハの美術アカデミーを不合格になるなど、挫折も経験したようです)

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19世紀末のフランスは産業革命が進行し繁栄の時期を迎えていました。都市は消費文化が栄えた。デパートのボン・マルシェがオープン。シャ・ノワールムーラン・ルージュなどの娯楽場が相次いでオープンします。女性たちはファッションに興味を持ち、サイクリングやスポーツ、レジャーが普及した時代を追い風に、ミュシャの描いた作品は人気を博し、シェレ、ロートレックグラッセなどと並ぶアール・ヌーヴォーの代表者となりました。

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(四芸術:ダンス、絵画、詩、音楽 1899年) 

成功を収めるにつれ、ミュシャの心の中にはふるさとの思い出が広がるようになります。

f:id:tanazashi:20170303135920j:plain (第5回パリ万国博覧会 1900年4月14日~11月12日)

そんな折、1900年に開かれたパリ万国博でボスニア・ヘルツェゴビナ館の室内装飾を委嘱されます。スラヴ語圏に属するボスニア・ヘルツェゴビナ館での仕事から、ミュシャは外国支配に苦しむ人々への思いをかき立てられるようになります。1904年、同じチェコ出身のスメタナが作曲した交響詩「わが祖国」を聞いたミュシャはスラヴ抒情詩の制作を決意します。ミュシャバルカン半島ブルガリアポーランド、ロシア、ギリシァと取材旅行を続け、多くのスケッチや市井の人々の写真を撮影して行きました。 

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1911年、ミュシャプラハ近郊の城にアトリエを借り、制作に着手します。一日中高い足場に登って絵筆を走らせます。スラヴ民族の神話や歴史をテーマとした作品群は、絵画史上類を見ない壮大なスペクタクルで描かれ、演劇にも似た芸術空間に昇華された作品です。

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1912年、最初の5点が完成し公開されました。しかしそのときすでに旧チェコスロバキアは独立を果たしていました。ミュシャが掲げた「スラヴ民族の連帯」というテーマは色あせたものとなり、若い世代からは右翼・愛国主義的な作品と見なされるようになります。 

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失意のミュシャは健康に衰えを感じるようになります。追い打ちをかけるように、ナチス・ドイツによるチェコスロバキア占領。愛国的言動がゲシュタポの耳に入り尋問で痛めつけられることもありました。

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1934年ミュシャはこの世を去ります。1928年に「スラヴ叙事詩」はプラハ市に寄贈されます。60年代以降はモラヴィアのクルムロフ城で夏季のみ公開されてはいたものの、ほとんど人の目に触れられることはありませんでした。ミュシャ再評価の機運が高まったのは20122年、プラハ国立美術館ヴェレトゥルジェニー宮殿に移され、全作品が公開されるようになってからのことでした。

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写実的な描写と抽象的な表現が巧みに融合し、物語の時空間が幾層にも重なるミュシャの「スラヴ叙事詩」。東京・六本木の国立新美術館では、パリ時代のアール・ヌーボーの作品を紹介しながら、ミュシャが「スラヴ叙事詩」を描くに至るまでの足跡を約100点の作品を通じてたどります。

 

ミュシャ

2017年3月8日(水)-6月5日(月)

www.mucha2017.jp

 

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