チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

日曜美術館・萬鉄五郎の格闘 画家を育んだ風土

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岩手県花巻市東和町土沢。萬が生まれ育った故郷です。美術学校を出て心身画家として活動を始めていた萬は1914年、突然故郷に戻ります。そして、外からの刺激を遮断してひたすら絵の探求に打ち込んだのです。

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f:id:tanazashi:20170708134407p:plain「あらゆる周囲と戦い、いろんな関係を切り離して、ここに自由に製作しうるごく僅かな機関を作った。作画以外に少しの時間もエネルギーも費やしたくない

萬が向き合ったのは自分自身でした。東京で描いた自画像とは全く異なり、全体が茶褐色で覆われています。ぼさぼさの髪をした萬が静かに前を見つめています。以前よりも写実的な描写です。

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萬は次々と自画像を描き重ねていきます。

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顔は次第に写実から遠ざかり、大胆にデフォルメされていきます。

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ここまでくるともはや人の顔とも思われぬ風になります。両目は上下にずれ、片耳は大きく張り出しています。

僕によって野蛮人が歩行を始めた。吾々は全く無知でいい。見えるものを見、きこえるものを聞き、食えるものを食い、歩み眠り描けばいいのである。未来立体派は正しくは文明的産物と見ねばならない。だから浅薄なのである。原人は自然そのものである。吾々は自然を模倣する必要はない。自分の自然を表せば良いのだ。円いものを描いたとすれば、それは円いものを描きたいからなので、他に深い意味も何もない」(「鉄人独語」)

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「萬鉄五郎は小さい頃から神楽好きだったと伝わっています。神楽のお面が何らかの形で残っていて、自画像に現れたのかもしれません」

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ピカソもアフリカの彫刻からヒントを得たといわれていますが、萬の場合も同じ共通項があるのかもしれません」

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キュビズムの出発点になったとも言われるピカソの作品。

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娘達の中にはアフリカ彫刻の仮面のような顔があります。

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「鼻から下に走る表現がピカソアビニヨンの娘たちの表現と似ています。萬はこの時点でピカソをしっていますが、作品を見ているかと言われると疑問です。見ないで同じような表現を違う場所にいる人がすることは歴史的に同時発生ということはよくありますが、萬の作品も同じことが言えるかもしれません」

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故郷で過ごした萬が自画像の他に繰り返し描いたのが風景です。茶色い家々が緑の木々と畑の中に描かれています。写実に近い絵です。

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赤茶色と緑の色合いは変わりませんが、道も畑もデフォルメされていきます。

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デフォルメはさらに進み、ほとんど抽象画になっていきます。

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「僕は悶え苦しみながらゴロゴロ転がりつつあるように感じます。なんたる不幸でしかも幸福なことでしょう。いまだかつてできなかったことをしとげようとするのです。僕にとっては失敗こそ尊いのです」平澤広学芸員

 

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「絵は抽象的になっていきますが、色彩は緑と赤茶色に占められています。そこには故郷土沢の赤土の色が影響しているのかもしれません」

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「岩手の土沢という土着の色彩。萬は一貫して赤と緑を偏愛していた。郷里の土沢は萬だけの世界です。空気感は誰もが知らない世界で、味わいを中に隠し持つ作品を作っていたと思います」

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故郷で孤独な絵の探求に没頭した跡で萬が描き上げた裸婦像。日本で初めてキュビズムを受容した記念碑的な作品だと言われます。

対象を幾何学的に分解し、再構成するキュビズム。萬は自分なりのやり方でキュビズムの手法に挑みました。この持たれて立つ姿勢は、萬が美術学校の頃からこだわってきたポーズでした。

 

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「いろんなポーズのなかで、持たれたときの不安定な、ちょっと不安定な状態のときの体の運動性ですとか、筋肉の動きみたいいなものには興味を持っていたようです。右で持たれると左足の方に支点がいって体重がかかるんですが、右足はぶらぶらしていてもかまわないわけですよね。その力の入り方の構造というのをどうも表したい。それを表すのにキュビズムならば行けるのではないかと考えたのではないか。色に関しては彼の生い立ちなり、家具組んだ風土なり、自分がいちばんしっくりくる色としてこの色が残ったのではないかと。赤って異様な迫力があるというか、西洋のキュビズムの色彩理論だけでは説明できない迫力があります思います」

 

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