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響くアートの愛好家

日曜美術館「漆 ジャパン 一万二千年の物語」

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日曜美術館「漆 ジャパン 一万二千年の物語」

西欧を魅了した漆の美。漆器が「ジャパン」と呼ばれるほどだった。漆文化は日本でどのように育まれたのか?最近考古学の発見が相次いでいる。浮かび上がる意外な歴史とは?

王妃マリー・アントワネットからも愛された日本の漆器。西欧の人々は陶磁器を「china」と呼ぶ一方で漆器を「japan」と呼んで親しんだ。今、漆を巡って、考古学、植物学などの新発見が相次いでいる。そこから解明される漆文化の姿とは?福井では最古の漆の木が発見され一万二千年前のものとわかった。また、京都の遺跡では漆器の意外な製法が明らかに。遥か縄文の昔から続く知られざる漆の物語を名品の数々と共にたどる。

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【出演】国立歴史民俗博物館教授…日高薫,国立歴史民俗博物館准教授…工藤雄一郎,龍谷大学教授…北野信彦,【司会】井浦新,高橋美鈴

 

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放送日

2017年7月31日

 

取材先など

「URUSHIふしぎ物語」展覧会が国立歴史民俗博物館で開催中です。

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漆工芸でつくられた印籠です。

f:id:tanazashi:20170730131833p:plain真ん中の鴨は焼き物の板を貼り付けています。鴨の頭の紺色とか羽の水色が使われています。右上の水草の葉には螺鈿が使われています。下の右には朱漆。鳥の周りに荒目の金粉が撒いてあります。

 

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「ウルシの分野の研究はここ10年の間に大変進展しています。考古学や美術史の研究者、植物学や分析化学の自然科学系の研究者が共同で研究しまして新しいことがわかってきました。その成果がこの展覧会です」

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日本の漆文化の始まりを物語る遺跡があります。福井県の鳥浜貝塚です。

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1962年護岸工事中に川底から見つかった縄文の遺跡。

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土器、斧、丸木舟などが発掘され、縄文のタイムカプセルかといわれました。

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出土品の中に、特に考古学者の目を奪った土器があります。6千年前の漆塗りの土器の破片です。他の土器にはない鮮烈な光沢。赤の顔料を混ぜた漆を塗ったものです。

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はるか縄文の昔から、日本人は漆器を作っていました。

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漆器に塗ったのはこの漆の木から取れる樹液。縄文の人々はこの樹液をいつから利用していたのか。

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2012年。鳥浜貝塚の発掘品の再調査によって驚くべき結果が出ました。調査メンバーの一人工藤雄一郎さんです。

 

f:id:tanazashi:20170730141058p:plain再調査の対象となったのはこの木片。1984年に鳥浜貝塚で出土したものです。漆の木によく似た特徴は持つものの発掘のときには種の同定にまでは至りませんでした。

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実はウルシの仲間には極めてよく似た2つの木があります。ヤマウルシは日本各地に自生しますが樹液はほとんど採れません。樹液がふんだんに取れるのは中国原産のウルシ。日本には中国大陸から持ち込まれたと考えられています。ウルシとヤマウルシは木材の構造が極めて似ていて、発掘当時、僅かな木片から判別することは不可能でした。

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しかし、植物学者たちが日本全国のウルシとヤマウルシを徹底的に調査した結果、発掘から20年経った2004年。ついに判別が可能になりました。

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注目したのは水分を送るために使われる道管という組織。内部の道管の違いを微細に観察すると、ウルシとヤマウルシには決定的な違いがあるというのことがわかったのです。

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「鳥浜貝塚から発掘された漆の断面のプレパラートの写真です。これとヤマウルシ、下段のウルシを比べていただくと明らかなように道管の口径が比較的大きいものが盤材に近いところまで形成されているという特徴がありますので、これはヤマウルシではなくウルシと同じものであるというふうに同定しました」

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さらに2012年、工藤さんたちはこのウルシと判明した木材を最新機器で年代測定に掛けました。

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装置が導き出した数値は1万2600年前。これは従来の説を大きく遡るものでした。

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これまで中国で見つかった最古の漆製品は7400年前のもの。日本に漆が入ったのもそれ以降であるというのが定説でしたが、今回の調査で定説より5千年以上遡る時期にすでに日本にウルシが持ち込まれていた可能性が色濃くなったのです。

ウルシの木には大きな特徴があります。日本の環境では放っておくと他の植物に侵食されて育ちません。今回の調査結果は、1万2千年前の人々が何らかの目的でウルシの木を守り育てていた可能性が強くなりました。当時何のために育てていたかわかっていません。時の修復や道具の接着のために樹液を用いていたのかもしれないと指摘されています。

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その後7千年前にはかなり発達した漆器が日本各地で作られていたことが発掘によって裏付けられています。

 

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現在、国産ウルシのおよそ80%を生産する岩手県浄法寺町

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手入れされたウルシの林です。

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樹液を取る作業は漆掻きと呼ばれる専門の職人の手によって行われています。

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ウルシの樹液は、外の硬い樹皮を削り取った後、その部分に細い傷をつけることで滲み出てきます。

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この道60年の漆掻き。工藤竹夫さんです。

 

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ひたすら樹皮に傷を付けた後、出てきた僅かな樹液を素早くこそげ取る根気のいる作業です。

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縄文時代3700年前の遺跡で見つかったウルシの木材にも同じように樹液を集めた痕跡があります。

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縄文時代から同じやり方ってことは」

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「工場の機械とかには、取って代わることができない技術だと思います。素早く、時間をかけないで採っていくのが質に一番関わると思います」

ウルシは木を育てるのも実に手間がかかるもの。苗を植えてから樹液が取れるまでに10年から15年もかかります。

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一本の木から取れる樹液はわずか200ミリリットル。採れるのは一年だけでウルシを採ったあとの木は切り倒されます。人々はこうした営みを縄文時代以来ずっと繰り返してきました。

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浄法寺町では漆塗りの器も作られています。漆の樹液に赤の顔料で色付けした後、紙で越して不純物を取り除きます。

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そして、それを塗っては乾かし、何度も塗り重ねることで独特の赤が生まれます。

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この漆と赤とのつながりも縄文時代に始まったものでした。

 

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縄文時代前期の漆器。木の器に赤い漆を塗っています。

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取っ手には貝殻が飾られていた痕跡もあります。特別な器として儀式などで用いられていたと考えられています。

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大きさ三センチほどの赤い耳飾り。耳に穴を開け際しなどの重要な場面で身につけていたものと推測されています。

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縄文人にとって特別な意味を持っていた赤。

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実はこの色は縄文文化圏の広がりを知る重要な手がかりでもあります。

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縄文時代、漆に混ぜた赤の顔料は二種類。酸化鉄のベンガラと水銀の功績を精錬した水銀朱です。水銀朱のほうがより鮮やかな赤を示します。

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「その鮮明な朱の色をおそらく縄文人も求めていて使い分けていたのではないか」

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特に貴重だった水銀朱。日本では主に北海道と関西で算出し、関東には産地はありません。

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しかし、発掘の結果関東で水銀朱を用いた漆器が多く作られていたことがわかっています。

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関東から千キロ以上離れた北海道産の水銀朱が用いられたのではないかと専門家たちは分析しています。

「人々が歩いて北海道までいたわけではなく、その集落集落との広域的なネットワークの関係の中でそうした重要な物資というものが人々を通じて安定的に供給されるような関係が、ネットワーク網というものがあったのではないかと考えています。」(工藤)

遠くから運ばれた貴重な顔料まで使って作られていた縄文の漆器。漆の器ははるか縄文の昔から日本人にとって特別な存在でした。

 

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「今までは技術と一緒に木も大陸から伝わってきたのだろうと考えられていたのですがねこんなに古い木が出てきてしまったことによって、漆器の方はそれほど遡れない。では何に使ったのだろうというというのがこれからの研究です」 

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日本では7千年前にはすでに漆器が作られ始め、6千年頃には数多く出土します。独創的な角状の突起を持った櫛。一本の椿の木を削り出し漆を塗った滋養門の最高傑作の一つです。

「日本の漆文化、漆技術に大きな転機が訪れたのは飛鳥・奈良時代です。大陸から新しい技術が入ってきます。それはその時点で日本がやれたことをはるかにしのぐ高度に洗練された技術だったのです」

・・・・・・螺鈿・乾漆・蒔絵の物語に続きます。 

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放送記録

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書籍

 

日本美術のことば案内

日本美術のことば案内

 
海を渡った日本漆器2(18・19世紀) 日本の美術 (No.427)

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異国の表象―近世輸出漆器の創造力

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展覧会

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縄文時代から現代まで、12000年に及ぶ日本列島の漆文化を総合的にとりあげる初めての展覧会です。
平成25年度から27年度にかけて行った、美術史学・考古学・文献史学・民俗学・植物学・分析科学など文理融合の展示型共同研究「学際的研究による漆文化史の新構築」による成果を初めて発表します。
国宝・重要文化財を含む超一級の漆工芸品や、近年の発掘成果による多彩な出土品、民俗資料などを多数展示します。

企画展示|展示のご案内|国立歴史民俗博物館

会期 2017年7月11日~ 9月3日