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日曜美術館「目指せ!天下一の絵師集団~狩野元信の戦略~」群を抜く経営感覚

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日曜美術館「目指せ!天下一の絵師集団~狩野元信の戦略~」
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京都の路地の一角。この場所にかつて狩野派の工房がありました。

元信はこの地で絵に関わる様々な商品を開発し、経営者としての手腕も磨いていきました。

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その証が今回の展覧会にも展示されています。

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元信が力を入れたものの一つが贈答品として広く人気があった「扇面」。いわゆる扇です。当時扇は専門の扇屋が販売するのが普通。顧客をもっと広げたいと考える元信は積極的にこの分野にも進出しました。

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裕福な顧客用のものでしょうか。金箔の貼られた豪華な扇。

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24枚一組で売られ、その後江戸時代に屏風に貼られたものです。f:id:tanazashi:20171009095307p:plain

経営者としての元信の強かさを示す資料があります。

扇屋の組合が幕府に提出した要望書です。

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ここに元信野の名があります。

いつの間にか組合のナンバー2の座についていたのです。

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そして、扇の製作の権利を持つもの以外は勝手に扇を作るのを幕府が停止するように、ちゃっかり要求を出したのです。

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「狩野はという流派は、そこで製作する作品はすごく質が高い。これは顧客にとっては安心できることですよね。」

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「つまり、今の企業で言えば品質管理が抜群であったというふうに考えていいのではないかと思います。値段も高かったと思います。すごい儲かったと思います。その屋台骨を支えていたのは専門製作だったと言ってもいいのではないかと思います」

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さらにこんな分野にも手を広げました。

大願成就を期して人々が奉納する絵馬です。

これは兵庫県室津賀茂神社に伝来したもので、元信の署名入りです。

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絵馬の発注者は裕福な商人や地方の領主など。

狩野派が顧客を様々な階層にまで広げていたことがわかります。

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静岡県富士山本宮浅間大社に伝わる「富士曼荼羅図」。

人々を参詣に誘うことを目的に描かれました。

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富士信仰が一般大衆の間で高まると、元信はこうして曼荼羅図も作って売りました。

地方の神社にまで狩野派は販路を広げていたのです。

さまざまなジャンルのものづくりに積極的に取り組んだ元信。その秀でた経営手腕によって経営は安定し全国ブランドへと成長して行きました。

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「映画を作り始めると予想に反してお金が余分にかかったりします。そんなときトトロのぬいぐるみががんばってくれたんです」

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「好きだから手を広げた。それがたまさかヒットしてしまった。元信って人はできる人なんですが、たぶんそばに僕みたいな人がいたんじゃないかとか、そんなことも考えるんです」

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「映画をつくりながら考えていたのは、どこかにパトロンがいないか。パトロンさえいれば努力しなくてもいろいろなもの作れるじゃないですか。元信さんという人をずっと見てきて、そしたら僕の想像以上に苦労されている。なんだ、今と変わらないんだと親近感を感じました。偉い人のためにだけ絵を描くっていうんじゃなくて、広く一般に流布するもの。そういうものをやってみたい。その欲求の現れだったのではないかという気がする。元信ってひとはまずもって人に見せるもの。人が喜ぶのを想像する。やっぱそこですよね。絵を描いて人にいいでしょって見せたい。たぶん子供っぽいのです。うらやましいですよね。そういう人は。僕のそばにもいますけどね。ヘヘヘッ」

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元信は絵師としても後世に大きな影響を与える革新的な挑戦をしています。

江戸時代歌舞伎の宣伝用に作られた錦絵にそのヒントがあります。

元信を主人公にした芝居です。

あらすじはある娘との悲恋の物語。

平安時代から続く絵の流派。土佐派の棟梁の娘です。

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事実、土佐家の家系図では、元信が棟梁・土佐光信の娘と結婚したことになっています。そしてそれには理由があったと見られています。

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土佐光信が描いた絵巻です。

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土佐派を主流とする「やまと絵」は、平安時代からの伝統的な絵画様式で、鮮やかな彩色と柔らかな表現が特徴でした。元信はその土佐派にあえて近づこうとしたのです。

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「政略結婚以外の何ものでもない。元信にとっては、いままで自分のところで欠けていたやまと絵のテクニックだとか、図柄を、土佐派はずっと長い年月にわたって”粉本”を持っているわけです。それが狩野派に流れてくるということも期待できたわけです」

狩野派水墨画が得意でしたが、彩色については知識も技術も未熟でした。それゆえ、土佐家の娘をもらってまでその技を手に入れたかったのです。

こうして元信は彩色の技を手に入れ、絵師として大きく飛躍します。f:id:tanazashi:20171009095507p:plain

45歳で描いた代表作「酒伝童子絵巻」。

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やまと絵の鮮やかな彩色と、漢画の美しい線描表現を巧みに組み合わせた和漢融合の作品です。

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この絵では背景の急峻な山々や崖が、漢画風の明快な線で描き、奥行ある幽玄な風景になっています。

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それに対し、敵絵の人物は色彩豊かでやまと絵風です。

こうした和と漢が見事に溶け合う表現によって、元信は狩野派ならではの新しい彩色表現を作り上げたのです。

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