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響くアートの愛好家

日曜美術館「皇室の秘宝」2 プロジェクトの志

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 ではこの棚はどのような人々がつくったのでしょうか?

 

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棚の内側には職人の名が記されていました。

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棚の製作に携わったは総勢十二人。

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うち七人が蒔絵師と呼ばれる職人でした。

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さらに東京美術学校で撮影された皇后の棚を手掛けた職人たちの写真が見つかりました。いずれも江戸時代に活躍した蒔絵師たちをルーツに持つ一流の職人たちです。

御飾棚の蒔絵は一基につき七人ずつの蒔絵師たちが技を結集して作り上げたものでした。

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制作の指揮を執ったのは東京美術学校校長の正木直彦。総理大臣以下、国家公務員たちが出し合った資金を預かりました。そして当時一流の技を持つ人たちを全国から選りすぐったのです。

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このプロジェクトにはもうひとり、正木と並び重要な人物がいました。展覧会を企画した黒川廣子さん。今回プロジェクトの詳細をはじめて調査しました。

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調査で浮かび上がったのが正木のもとで献上品の図案を手掛けた島田佳矣(よしなり)という人物でした。

島田佳矣は、金沢城下、浅野川左岸の田町(現天神町1丁目)に生まれ、幼名は佳太郎といいました。父早太は加賀前田家の人持組(ひともちぐみ)知行1.600石の庄田誠摩の家臣で、庄田家の家臣が住む、今風にいうと家臣団地に住んでいます。幕末は三人扶持に24貫900文を与えられていましたが、明冶3年には切米15俵4斗6升9合だったといいます。加賀藩は5斗が1俵ですから8石弱、藩主から見れば家来の家来、下級陪臣の極めて身分の低い士族(卒族)でした。

百万石工芸復興の父―島田佳矣|市民が見つける金沢再発見

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「島田は今で言えばデザイナー。様々な職人に指示を出し作品の骨格を決める人と言えます」

黒川さんは島田のことを調べる中で御飾棚の図案を見つけることができました。そこには飾棚の柱にされた蒔絵と螺鈿の文様が記されていました。

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さらに金具に施す菊をあしらったデザインもありました。

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島田は伝統的な装飾をモダンなデザインに生まれ変わらせたのです。献上品の制作は正木直彦と島田佳矣を中心に、美術工芸家や職人が総力を結集したプロジェクトでした。

 

しかし、プロジェクトには計画そのものが立ち消えになる危機がありました。

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制作が始まろうとしていた矢先。大正12年9月に発生した関東大震災です。死者行方不明者10万5千人。東京は壊滅的な被害を受けます。

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献上品の自粛ムードが高まります。この時制作の継続を強く訴えたのが正木でした。震災から三ヶ月後、事業の継続が決定しました。

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御飾棚は関東大震災から5年後の昭和3年に完成しました。

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木彫りの置物や七宝焼の飾り皿。

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制作には合わせて135人の美術工芸家が関わりました。

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裁縫箱の日用品まで44件が納められました。

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高さ198センチの二曲御屏風は前面に工芸作品が散りばめられています。

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御飾棚と同じように天皇と皇后に一対が献上されました。

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皇后の屏風。

これらの屏風の制作には正木が全国から選りすぐった50人を超える美術工芸家や職人が当たりました。

扇型や色紙の部分をひとりひとりが作りました。

金工、木工、漆、陶芸など、黒漆で塗り固めた上に伝統の技が結集した美の競演です。

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モチーフはおめでたいものばかり。

竹は成長が早いことから繁栄の象徴とされてきました。

金属に彫刻を施す彫金の作品です。

 

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コウモリは漢字で表すと二文字めが福に通じることから、古くから縁起をかつぐのことに使われてきました。

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金属を叩いてコウモリの形に延ばしています。

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中には、今では再現できないという超絶の技を使った作品もあります。

木彫りのような立体感。

漆を何層にも塗り固めてそれを彫った。いわば漆の彫刻です。

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中央の牡丹から左下の菊まで十段ほど。

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重なりを緻密に計算し、咲き誇る花を生き生きと表しました。

 

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黒い扇面に白い巻柄の山水。描かれているようにしか見えませんが、f:id:tanazashi:20171112135649p:plain

細かい螺鈿がはめ込まれています。

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一見、筆で書いたように見える作品。しかし、描いたものではありません。

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細い葉も木の幹も、実は天然の色を活かした木片です。

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墨の濃淡に見える羽の黒や白、灰色まで、

すべてバラバラの木片をはめ込んでいるのです。

 

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驚愕の技が明らかになったきっかけは、新たに見つかった、作者から制作を指揮した正木への書簡でした。

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そこには材料や技法の説明があったのです。

さらに書簡の最後には、「永遠に変色せざる材料を選ぶ」という作者の思いも綴られていました。

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