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日曜美術館「孤高の画家 木島櫻谷」漱石と色彩の謎

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東京・上野。明治40年から毎年、多くの画家が入賞を目指した文部省美術展・文展が開かれていました。

 

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この年櫻谷が出品した「若葉の山」は見事入賞。

5年連続受賞の快挙でした。

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従来の”左右一対”となる屏風の構図を逸脱し、洋画的なパノラマ画面。

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色彩豊かな最も西洋的な櫻谷作品でした。

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翌年の大正元年。6回目の文展が開かれました。

初日の入場者数1万1千人という盛況ぶりでした。

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その中に当時朝日新聞の記者をしていた夏目漱石の姿がありました。

漱石文展の批評欄を書くため、239点が並ぶ会場で一つ一つ作品を見て歩いたのです。

 

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足を止めたのはこの年も日本画の部で最高賞を獲得した櫻谷の「寒月」でした。

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下弦の月が妖しく照らす雪原。

日本画の伝統的な技と新しい洋画の技術の融合した新時代の絵画と評価されました。

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さまよい歩く狐の姿は得意とする毛描の技法で描いています。

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余白を活かした竹林。これも日本画特有の様式美を全面に押し出しています。

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いっぽう竹やぶや草むらには深い青が塗り重ねられ、油絵を意識した洋画の技法が用いられています。

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しかし、漱石は生地の中で痛烈に批判したのです。前年の受賞作「若葉の山」までやり玉に上げ酷評。」

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「あの鹿は色といい目つきといい、今思い出しても気持ちの悪くなる鹿である。今年の”寒月”も不愉快な点においては決してあの鹿に劣るまい」

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「屏風に月と竹とそこからキツネだか何だか動物が一匹いる。その月は寒いでしょうと言っている。」

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「竹は夜でしょうといっている」

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「ところが動物は、いえ昼間ですと答えている」

 

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漱石はキツネの瞳の不自然さを指摘したのです。

細く鋭い瞳の形は夜ではなく昼間の形であると。

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「とにかく屏風にするよりも写真屋の背景にしたほうが適当な絵である」

櫻谷は漱石の酷評について生涯語ることはありませんでした。

なぜ漱石は酷評したのでしょうか?

漱石の孫、夏目房之介さん。漱石研究の第一人者でもあります。

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「ひどい言われようなので大変申し訳無いなと。一言ここで謝っておかなければならないかなという気がするくらい、ひどい書かれよう」

夏目さんはこの厳しい言葉の裏には漱石自身の苦悩があるといいます。

「洋画って日本が近代に入って西洋の衝撃を受けてこれではダメだというので自分たちの絵画を作り出そうとしてできた運動の結果なんですね。当然その実験は矛盾を孕むわけです。身悶えして近代の新しいものを作ろうとしている瞬間ですからそこに居心地の悪さとかしっくりこないところは当然あるのです。漱石にとっては自分と同じような、自分が抱えている近代の矛盾の居心地の悪さとか歪みとか同じものを見たのではないかな。自分を鏡で見せられているようなじゃないかなと僕は推測するわけです」

寒月を高く評価するのは日本美術史の研究家、野地耕一郎さんです。

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「多分、写真屋の背景ということを最初に感じたのは、おそらく写実的に描かれている。そこに今で言うインスタ映えするようなものを感じて、止まっちゃったんだと思うのです。でももう一方で、この絵を見目人たちの眼差しは、動物。そして動物がさまよい歩いている雪の面。竹林の向こうの寒月と、どんどん奥行きを広げいていくわけです。そういう視線のドラマというものこの絵の中に見る者を引き込んでいく」

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そして、最近の調査で寒月こそ時代を先取りした作品であることが裏付けられてきました。

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研究者が調べたのが愛用の画材。

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注目したのが数多く残されていた顔料です。

それを少しずつ採取して標本にしてみると。

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その数はなんと500種類を超えるほどになりました。

驚くほど大量に集めていた色もありました。

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カギの付いた箱に大切にしまわれていたのは

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高価な青い群青でした。

 

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「天然の群青を一生で使い切れないくらいお持ちになっていることに驚きました」

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宇野さんは群青こそ櫻谷にとって特別な色だったのではないかと考えています。

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一見黒いシルエットのように見える寒月の藪や竹林。

ここに、とっておきの群青が使われていました。

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研究者たちはどんな群青が使われていたのか分析しました。

葉の部分をデジタル顕微鏡で240倍に拡大してみると。

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無数の粒子が現れました。

それは普通の群青では現れない様相を呈していました。

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「青い色に混ざって黒い粒がたくさんあるのが特徴的なんじゃないかと思いました」

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青い粒子の中に

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たくさんの黒い粒子が混ざっていたのです。

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一般的な群青と比較してみるとその差は歴然。この黒い粒は一体何なのでしょう。

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X線を使ってさらに成分を分析。結果は思わぬものでした。

 

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「スペクトルを見ると銅の大きなピークが会って、銅がたくさん含まれているということで群青が使われていることがわかります」

※伝統的な日本画の顔料である岩群青は、藍銅鉱(らんどうこう、Azurite:アズライト)からつくられ、深く、強い青がかもしだすその美しさから、古来より貴重な顔料として使用されてきました。

なんとあの黒い粒も群青の粒子だったのです。ではなぜ黒くなったのでしょう。

「群青のスペクトルと変わらないので焼いたのかなと考えるのが自然かなと思いました」高林

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鮮やかな群青をわざわざ焼いて使う。そこに櫻谷の斬新な狙いがありました。

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群青を焼くとどんな色合いになるのでしょう。

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火にかけるとみるみるうちに詫た色あいに変わっていきます。

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焼く時間によって様々な濃淡が作り出されます。

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実際にどんな色彩の群青を使っていたのか再現してもらいました。

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寒月の左側の部分中央近くの竹やぶです。

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まず5分焼いて黒くなった群青を膠でときます。

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墨で下地を描いた上に、焼いた黒い群青を塗って行きます。

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次に3分ほど焼いた藍色の群青を使います。

 

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これで葉を描きます。深い青から凍れる寒さが伝わってくるようです。

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黒く塗った竹の幹に藍色の群青を油絵を描くように塗り重ねて行きます。

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寒月の竹林が再現されました。

これまでの調査で焼き時間を変えた二種類の群青が使われたことがわかりました。

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寒月は日本と西洋の融合にとどまらない革新性という、櫻谷のもう一つの顔を映し出した傑作だったのです。

f:id:tanazashi:20171126151927p:plain京都の北西。衣笠山の裾野に櫻谷が暮らした住いがあります。

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寒月制作の翌年、街の喧騒から逃れるように移り住みました。

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大正年に建てられた櫻谷邸。その歴史的な価値が評価され、今年3月京都市の指定文化財となりました。

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生前の櫻谷を写した貴重な映像が残っています。

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当時53歳。庭で孫達と遊びのんびりくつろぐ姿です。

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実はこの頃櫻谷は画壇と距離を置き、敷地内の洋館で引きこもるように暮らしていました。

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ただ、そこは櫻谷。自らこの洋館をデザインし、思うがままに楽しむ工夫をしていました。

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この洋館に注目する建築家の清水重敦さんです。

この家には随所に櫻谷らしい空間が作られているといいます。

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「この家は洋館なのですが、床の間が構えられています」

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「通常立ったらもっと低いところにある床が高くなっています」

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「この床の間はテーブルに座って床の間に掛けられた掛け軸を眺めるためにできている」

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敷地の中も和洋折衷。洋館は数寄屋造りの母屋の隣に佇んでいます。

「画家の家はその画家の人となりがよくあらわれる。そういう意味ではこの家自体も櫻谷さんの作品といえるのではないかと思います」

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画壇の第一線から身を引いた櫻谷でしたが、絵を描くこと早めませんでした。

庭の竹やぶに現れるのは狸。

晩年の櫻谷の題材は威風堂々とした動物ではなく、身近にいる臆病でちょっとおどけた狸たち。

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豊かな冬毛の狸も現れました。

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敷地には深い緑の庭も広がっています。

そこに立つ一本の木。

櫻谷の最後の大作もこの古木から生まれました。

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「角とぐ鹿」。

ビロードをまとったような美しい毛並み。

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鹿の視線が画家の視線と交わります。

まるで描いてくれといわんばかりに。

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櫻谷邸の離れの二階に飾られた作品「画三昧」。

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坊主頭に着物姿。質素な身なりは櫻谷の自画像のようにも見えます。

手に持っているのは木炭。これから何を描こうか思案中の姿です。

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現物台の人物写生は100点以上残っています。探り続けた最後の線がこれだという作品です。

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晩年の境地を描いたとされる「画三昧」。

櫻谷はこんな言葉も残しています。

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