日曜美術館「熱烈!傑作ダンギ クリムト」
今年没後百年を迎えるオーストリアの画家・クリムト。あでやかな金を使った表現で知られる。スタジオにクリムト好きの各界の著名人が集結、その魅力を語る。
ファッションデザイナーのコシノヒロコはクリムトの世界観に魅了され、仕事に影響を受けた。華道家の假屋崎省吾は反骨精神で革新的な作品を生み続けるクリムトに勇気をもらった。広島県立美術館館長の千足伸行は、現実の世界にとらわれない妖しい美にひかれるという。生前、自分の作品についてほとんど語ることのなかったクリムト。その真意や魅力を三者三様で選んだ傑作をもとに語り尽くす。
【ゲスト】ファッションデザイナー…コシノヒロコ,華道家…假屋崎省吾,広島県立美術館館長…千足伸行,【司会】井浦新,高橋美鈴
ウィーンの人々の精神状態を男女の愛に置き換えて視覚的に表現したものでもあるといわれる「接吻」
クリムトはファッション・デザイナーのエミーリエのためにドレスをデザインした。
放送日
2018年1月28日
クリムトの生い立ち
19世紀末、史上まれにみる文化の爛熟を示した街・オーストリア=ハンガリー帝国の首都ウィーンです。
1862年、クリムトはオーストリア郊外の金細工職人の家に生まれました。
14歳で工芸学校に入学。
建築装飾などを手がける職人を目指します。
クリムトが若き日に手掛けた壁画装飾がウイーンの美術史美術館に残されています。
正面の中央階段を上がると広いホールの向かい側にアーチ部分が見えます。その上部に描かれた二人の女性像。
美術館が一般公開される1年前(1890年)にクリムトが弟のエルンストや友人のアーティストと描いたものです。全部で11枚の壁画装飾です。
美術館の特徴である古代エジプトから18世紀後期に至る多種多様なコレクション内容を象徴的に描写しています。
向かって右に立つのは赤の衣装をまとったアテネの守護神。「古代ギリシャ」
その描写力の高さで、無名だったクリムトは一躍世に知られます。
ところが、順風満帆だったクリムトはある大スキャンダルを巻き起こします。
1894年。政府からウイーン大学に学問をテーマとした天井画を描いてくれと頼まれます。
ウィーンのリンクシュトラーセ(環状道路)に面してウィーン大学が建っています。クリムトは1894年にマッチュとともに、そこの講堂天井画の依頼を受けます。
この注文に対し、クリムトは型破りな表現で応じました。
クリムトが担当したのは《哲学》《医学》《法学》です。それらは1900年から1903年にかけて分離派展で順次公開され、大論争を引き起こしました。
医学をテーマにした作品では、宙を舞う病的な裸の人間と、死を意味する頭蓋骨を描いたのです。
医学そのものを否定するかのような死を描いた表現はウイーンの中心的画壇から大きな批判を受けます。*1
「検閲はたくさんだ。誰にも隷属するわけにはいかない。私は戦わなければならない」
反骨精神に燃えるクリムトは1897年。芸術家団体「ウイーン分離派*2」を結成。
保守的な画壇からの独立をはかり、新しい画風を追求していきます。
分離派の拠点となった建物にはこんなスローガンが掲げられています。
「時代にはその時代の芸術を、芸術には自由を」
そんな反骨精神の中で生まれたのが「接吻」でした。
花々が咲き乱れる断崖絶壁で、恍惚の表情を浮かべる女性。
彼女を抱きすくめ、頬にキスをする男性。
この作品でクリムトが特にこだわったのが金でした。
男女にまばゆいばかりの金の服をまとわせています。
いったいなぜこのような表現をしたのでしょうか。
色彩が人の心理に働く効果を研究する坂田勝亮さんはこう考えます。
「金というのは光り輝くので私たちの注意を引きつける効果があるのです。光り輝く二人。この二人が愛し合っているということを金を使った表現でより強く我々に訴えかけているように感じられます」
実はこの時代、愛というテーマは神話の一場面として描かれることが多く、人間の性愛を赤裸々に描くことはタブーとされていました。
それを金を使って描こうとしたのがクリムトの「接吻」だといいます。
「自由に好きな相手を決めてその人と結婚するということは誰も考えていなかった時代。クリムトの前に愛し合う二人を描いた作品は全然ない。非常に衝撃的だった作品だと思います」
「今までの美術の世界を打破して新しい描き方で新しい内容を描くというクリムトの革新的な姿勢がよく現れていると思います」
実はクリムトは私生活においても結婚せず型破りな生き方を貫いていました。
アトリエには裸同然なモデルを何人も待機させ、 彼女たちの間に少なくとも14人もの子どもをもうけたのです。
愛や性は隠すべきだという保守的な社会に反抗するかのように行きたクリムト。
そんな彼だからこそ誰も描けなかった愛の表現を生み出せたのかもしれません。
仮屋崎「光を強く感じました。突き刺すような光に衝撃を受けたのです。真ん中のふたりに金を使って男女の愛ですよね。これを象徴的にあらわしていること。それから断崖絶壁のような、足が今にも崩れ落ちる雰囲気のところですが、永遠というものを感じ取ったのです。永遠の愛、それにエロスを封じ込めた傑作と思います」
千足「一つ間違えば奈落の底。だけど美しい花が咲いている。極楽浄土みたいなイメージもある。現実的にありえない。むき身の人間は顔と手と足の部分だけ。来ているところは金で埋め尽くされている」
仮屋崎「束縛されていた時代でしょ。芸術家は自分の表現したい者を自由にあらわすことが大事なのにそれができない世の中に対してのアンチテーゼみたいなものもこの絵から読み取れる気がします。生花の世界では生の花を使うんです。私は枯れた枝なと、流木などに色を塗る。人工的な色と自然の色の対比がダイナミックさも生むし、時間の経過だとかを考えて使うようになったのですが、その当時は色を塗るなんてタブーであるという攻撃もあったわけです。でも自分の信念に基づいてこれか本物であると、良い表現だったんだと」
コシノ「美しいものを発見していくのが我々の仕事なのよ」
仮屋崎「美しいものに古いとか新しいというのは一切ない。これが美しいというものを追求してクリムトもそうだと思います。自分と共通するところが実はあったので、そういうのが魅力の一つなのではないかと思います」
コシノ「性欲も強い。エロティシズムに対して全然興味のない人は絵なんて描けませんよ。そういう情熱をたくさん持っているからこそ自分の中で持っているものを表現したくなっちゃうんです」
仮屋崎「端からだう見られるかを気にしながら生きているのが普通の人生だけど、クリムトは気にしない」
クリムトと金
男女の愛を描いた「接吻」。
この傑作が誕生した裏には日本の伝統工芸に通じる金箔の技が関係しているのではないか。 そう考える人が京都にいます。
金箔や銀箔を装飾する箔屋と呼ばれる店の五代目、野口琢郎さんです。
伝統的な金箔の技法を用いた作品を発表しています。
「箔の使い方が日本の昔からの表現に近い。人物の付近が強く輝くように箔が押してある。キラッと輝くように箔を押す。
それに比べて背景は反射の弱い処理をする。背景と人物の箔の押し方を変えて遠近感を出して、
抱き合ってキスをする二人を強調するために金の表現を変えている。上手だなあと思いました」
野口さんによれば金箔は貼り方によってその輝きに差をつけることができるといいます。
金箔は平面のまま貼ると光が当たった時最も強く輝きます。
一方細かくすればするほどその輝きは弱まります。
粉末状にした金箔・砂子を散らす日本の伝統技法です。
クリムトは手前の人物が際立つように、最も反射の強い貼り方を。
一方背景は砂子を巻くことで輝きを押さえ、霞がかったような遠近感を作ったのではと、野口さんはいいます。
金一色で絵の中に無限の広がりを生み出したクリムト。
そこには日本の伝統技法にも通じる巧みな表現が汲み取れます。
仮屋崎「ミステリアスであり、日本というものを感じました。それか゜金箔の四角い正方形をつなげる手法」
千足「金箔は、そもそも父親が金細工をやっていた。日本の金箔のような薄さのものはできなかったが、もう少し厚みのあるもの。ヨーロッパでは中世などでいろいろなところで使われていた。古い美術は紙とか聖人のような神聖な者を称えるために金を使うわけです。もう一つ重要なのは背景の金。見方次第でずっと奥までつながっている。どこで始まってどこで終わるかわからない宇宙空間みたいなあいまいな空間です」
仮屋崎「二人の愛を象徴させるために他のものをすべて取り除いて金を浮かび上がらせる」
(余白が日本的ですね)
コシノ「色のセンスがすごくいい。ファッションに通じるというか、テクスチャです。やっぱり布としか見えない」
コシノヒロコが選んだ傑作
愛知県豊田市。
真っ直ぐに前を見据える女性の眼差し。
血管が透ける手首。 女性は西洋の伝統的なドレスから開放され、斬新な服に身を包んでいます。
描かれているのは銀行家の妻。
いわば信仰の富裕層。ブルジョアでした。
近代化が進むウィーンで王侯貴族に変わって台頭したブルジョワたち。
新たな時代を築こうと伝統的な文化に対抗。
新進の芸術家を支援していました。
新しい時代の新しい表現を作り出すクリムトのもとには そんなブルジョワたちから妻の肖像画の依頼が寄せられます。
そこでクリムトは斬新なドレスで着飾った女性たちの姿を次々と描いたのです。
クリムトは実際にドレスのデザインもしていたのです。
当時上流階級の女性の多くはウェストを極端に締め、胸とヒップを強調するドレスを着用していました。
そんな中、クリムトは窮屈なドレスから体を開放させ、個性を自由に発揮できる服を考案しました。
そのよきパートナーとなったのがエミーリエ・フレーゲ。
ブティックを経営する、当時としては珍しい女性実業家で、 時代の先端を行くファッションデザイナーでもありました。
1907年1月。彼女とともにクリムトがデザインしたドレス10点が雑誌に掲載。
体の線を強調した従来のものとは一線を画し、体型を覆い隠すようなゆったりとしたものでした。
撮影したのはクリムト自身。
ファツション写真という概念が確立されていない当時としては珍しい写真家でもあったのです。
新しい女性像をファッションの世界からも発信しようとしたクリムト。
そんなデザイナーとしての才能が随所に見られる作品があります。
「アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像Ⅰ」
頬を赤らめた女性。
顔と手首以外はすべて金の衣装に覆い隠されています。
ドレスには日本やエジブトから発想を得たと言われる文様や、
クリムトが習得したデザインが余すところなく描かれています。
その才能に惚れ込んだのがファッションデザイナーのコシノ・ヒロコさん。
10年前にこの作品を目にし、オマージュ作品を描くほどに感銘をうけました。
アデーレで描かれていたドレスの幾何学模様をコシノさんなりの感性で布を貼って表現しました。
「テキスタイル的な図案的なものと、非常に具象のきちっとしたものがミックスして、ぜんぜん違う世界のものをミックスしている。もっともっと違うものを求めたいという気持ちがそのまま表現できているのがクリムトの絵で、だから憧れる」
アデーレの肖像にはデザイナーとして学ぶべきことがたくさん詰まっているとコシノさんは考えています。
コシノ「この絵はファッションデザイナーとして一番魅力のある絵です。構図がまず非常に面白い。これを見た時ショックで、西洋人がこんな絵を描くんだと思った。シルエットが洋服なのに富士山みたいで、山水画のよう。その中にちょこんと上の方に顔がある。着物のように見える」
仮屋崎「打ち掛けのよう。金襴緞子をいっぱい使った意識する」
コシノ「細かいパターンが面白い。バリエーションがすごいのです。エジプトの影響や日本の家紋だとか更紗だとかものすごいバリエーションの図案なんです。工芸をやってきた人の強さみたいなものがここで発揮されていて、工芸というのは普通の芸術、アートから見るとちょっと格が下とか見られがちなんだけど、工芸を完全にアートとして成立させた人だと思う」
千足「この絵の中で生身の人間という感じは顔と手だけ。それ以外は美しい甲冑のような衣で体中を固めたもの。陶磁のオーストリアの批評家はのの絵を見て、
この絵はブロッホというより、プレッヒだと。ブロッホは彼女の名前。プレッヒとはブリキです。つまり金属板。生きた人間を描いているというよりブリキを重ねたような印象があると皮肉ったわけです。ヨーロッパでは職人はちょっと低く見られたようなところがある。工芸もね。日本と違って。画家のほうが偉いみたいな変な偏見があって。ところがクリムトはもともとは工芸的な世界に生きて、学校も工芸学校だし、というような変な偏見はなかったりで」
コシノ「工芸はこう、アートはこう、ファッションはこうと何も分野を分けることはないんです。ファッションがこの中にあったっていいし、テキスタイルがあったっていい。今の時代はいろんな要素を持ちながら自分のものを作ればいい。私は絵を見て、クリムトはその時代にもうやっていたんだ」
(ファッションデザイナーとしてのクリムトについて)
コシノ「夫人たちの肖像を並べてみるとすばらしいスタイルのイラストレーション。ファッションの写真。最初見たときに着物からのイメージが強いて思った。体のきれいな曲線をまともに見せるのではなくて想像させる美しさというか、
そこはかとなく動くときに出る女性の美しさを求める。だからウェストは締めない。完全にストーンとした洋服。
だけど歩くときにきれいなお尻がユラユラユラユラ・・・あー、想像するほうがずっとセクシーじゃないですか。日本の着物そうですよね。全部見せないで襟足だけ美しい。ちょっと裾から出す足がとてもセクシーだ。そういう服が彼の服なんですよね」
仮屋崎「もしかするとクリムトは女性にみんな着せているけど自分も着たかったのじゃないかと思いますね」
コシノ「彼も着てるもの。あれって造形的に動くと面白い形が出てくるんです。動いて面白い服というのは非常にアートです」
千足「革新的なことをやってますよね。その時の実験台役をしたのがエミーリエ・フレーゲなんです。彼女は3人姉妹でしかも三人ともファッションブティック経営で、当時の社会で男に頼らず経済的に自立していた開放された女性の典型だった」
仮屋崎「クリムトの周りには自立心が強く生きていく人が集まってきたようです」
千足「彼はフレーゲと半分同棲していて、夏は避暑地に行くんです。そこにクリムトのガールフレンドから手紙が来る。フレーゲが手紙を読むといけないので彼は一人だけ早く起きてというエピソードがある」
新たな表現に挑んだクリムト
女性たちからの熱烈な支持で一世を風靡したクリムト。
その後はどのような人生を歩んだのでしょうか。 晩年の心境を物語る言葉が残っています。
「若い人たちはもはや私を理解していない」
「彼らは別の方向に進んでいる」
「彼らがそもそも私を評価しているかどうかも分からない」
ヨーロッパではすでに抽象絵画が生まれていた時代。
ピカソやカンディンスキー、マルクなど新進気鋭の画家たちが独創的な作品を発表。 注目を集めていました。
金によって新しい世界を開拓したクリムトもいつの間にか 時代から取り残されたと思い悩むようになったと言われています。
そんなクリムトは50歳に差し掛かる頃から、金に代わる新たな表現を模索し始めます。
その頃描かれた「死と生」。
千足伸行さんが選んだ晩年の傑作です。
花畑のような空間で、幼児から老年に至る人間が群れになってまどろんでいます。
そこに近づくのは十字架の衣服をまとった死神。
背景にはこれまでにない暗い色が使われています。
じつはもともとはクリムトの代名詞でもあった金色で描かれていました。
それをクリムトはあえて塗り替えたのです。
彼が言いたいのは生を描く。
生きていることの素晴らしさを描くということが大事だと思うのです。
周りが金だと「死」の方が強いコントラストを持って現れてくるので、むしろこちらが主役になってしまう。
だから彼が描きたい「生」の方を、周りを黒い色にすることによって、よりいっそう引き立って我々の絵に飛び込んでくる効果があります。
「死」を脇に置くことによってより強調化される強い対比として我々に示されるのです。
我々の背後には常に死があるのだけど、それがあるからこそ我々の生はすばらしい。
死を迎えるまで我々は生を謳歌できるんだということを多分伝えようとしていると思うのです。
クリムトが背景の色を変えたのは1915年。第一次世界大戦のさなかでした。
ブルジョアが台頭した華やかな時代から、混沌とした死と隣り合わせの時代へ。
クリムトはそんなときだからこそ、生きる尊さを描こうとしたのかもしれません。
新たな表現を模索する中、クリムトは急に病に倒れこの世を去ります。 55歳でした。
今、私たちがこの画家の真意を知るすべはありません。
「私のことが知りたいと思う人は、私の絵を丹念に注意深く見てほしい」
「私が何者で何を求めているのか絵から知るように努めてほしい」
「死と生」を読み解く
千足「塗りつぶした背景は黒というよりはダークブルーです。遠い宇宙の空間を暗示するような・・・。独特なのは大勢の人。星雲のようなところにまとめている。無限空間の中を漂っているのは、誰かのマネをしたと言えないようなオリジナリティがある。その宇宙の一角でドラマが生まれている。死神が人々を見ているのは、いずれ死ぬこと、逃れられない宿命ですが、その脇に一人だけ目を開けている女性がいる。彼女に向かって死神がお前さんまだ死んでないんだね、そろそろ目を閉じてご覧よ、すると意外に美しい夢が見られるかもしれないよと、彼女に向かって言っているように」
仮屋崎「クリムトの過去・現在・未来を感じました。55歳近くになっていつ死ぬかわからないな。でも希望みたいなものがこの中に描かれていて、新しい何かを打ち破って生み出したいという葛藤がこの絵から読み取れたのです」
(若い人は自分を理解していない。評価していないんじゃないか)
仮屋崎「一時代を築くとどんどん前に進めばいいが、頂点を維持し続けるのは難しい」
コシノ「世の中から置き去りにされていくという気持ちよりも、むしろ自分のための絵を描きたい。そういう気持ちを「生と死」に感じる。たくさんの客がいて絵を描く。そんなことから逃れて自分の中で今感じている精神をそのまま表現したい。だから金を捨ててもいいじゃないか。流行がどうであれ、自分は自分なんだ」
仮屋崎「クリムトの一抹の寂しさみたいなものも感じますよね」
放送記録
書籍
展覧会
2018年のテーマ展覧会「混沌の時代の美。クリムト.シーレ.ワーグナー. モーザー」 - ウィーン – 今。いつまでも
*1:クリムトは1905年に《哲学》《医学》《法学》の3点を買い戻すことになります。しかし、それらは第二次世界大戦中に疎開先の戦災で焼失してしまい、現在ではモノクロの画像しか残されていません。講堂の天井には現在、所定の場所にモノクロの画像がはめ込まれています。
*2:ウィーン分離派は1897年4月3日にグスタフ・クリムト、コロマン・モーザー、ヨーゼフ・ホフマン、ヨゼフ・マリア・オルブリッヒ、マックス・クルツヴァイル、ヴィルヘルム・ベルナツクをはじめ多数の芸術家によって創設された。のちに参加した芸術家にエゴン・シーレ、オスカー・ココシュカがいる。オットー・ワーグナーはウィーン分離派の重要メンバーとして見なされることがあるが、創設メンバーではない。