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響くアートの愛好家

日曜美術館「“パリジェンヌ”というミューズ」

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日曜美術館「“パリジェンヌ”というミューズ」

女性が憧れるパリジェンヌ。画家たちにとっても創作意欲をかきたてる女神、ミューズでした。“印象派の父”マネなどパリジェンヌを描いた傑作を紹介する。

流行の最先端をいくドレスに官能的な口元と冷めたまなざし。そんなパリジェンヌを多くの画家が描いた。中でもマネはムーランという女性をモデルにヌードを描き、その革新性で物議を醸した。貧しい生まれで酒に溺れていたと言われてきたムーラン。

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その実像が近年、明らかになった。それは彼女も画家だったという事実。女性が絵を学ぶのが難しかった時代に自立するパリジェンヌでもあったのだ。

【ゲスト】世田谷美術館学芸員…塚田美紀,【出演】和田彩花,【司会】井浦新,高橋美鈴

放送日

2018年2月11日

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取材先など

paris2017-18.jp

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フランス・パリ。世界が羨むあこがれの街。
しかし以前はまったく違う姿でした。

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200年ほど前は薄汚れた建物が立ち並び、
細く入り組んだ路地にはゴミや排泄物が散乱していたといいます。

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古く不衛生な街。それがパリだったのです。

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このパリを変えようと19世紀中頃、ナポレオン三世の構想に沿い、

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知事・ジョルジュ・オスマンが実施したのがパリの大改造。

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それはフランス最大の都市整備事業でした。
古びた建物は次々に取り壊され、道路も一新されていきます。
そして生まれたのが今のパリ。

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凱旋門から並木が配された大通りが放射状に伸びる。
パリは開放的で衛生的な街として生まれ変わったのです。

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ヨーロッパの服飾史に詳しい深井晃子さんは、
このパリの大改造がファッショナブルなパリジェンヌを生み出したといいます。

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「世界中から美しいパリを見たいという人が集まってきます。パリはもともとファッションの情報を発信していましたけれど、

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さらにパリにやって来る人に向けて新しいいろいろなものを作り出すようになるわけです」
美しい街にふさわしい華やかな服装が登場します。

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「このドレスは主に上質な絹でできています。レースの部分は綿になります。そしてこの紫は当時とても人気の色でした」

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こうしたドレスは現在の額で数百万円から一千万円したといいます。

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この服をつくったのは当時一番人気だったデザイナー、

シャルル・フレデリック・ウォルト。

彼の服を着て多くのバリジェンヌが街に繰り出しました。

「今までは単なる仕立て屋さんだったのだけれども、服を作る人はそうではなくてクリエイターとして自分が新しいものを発信していくという、今のファッションデザイナーの仕組みと同じなんですけれども、それをめざして超高級な服を作っていくわけです」

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そんな着飾ったパリジェンヌに注目し、いち早く描いたのがエデゥアール・マネです。

モネやルノアールといった人たちに影響を与えたことから印象派の父と呼ばれています。

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マネが描いたパリジェンヌです。
当時女性の間で黒をまとうことが流行していました。
技術革新によりムラのない美しい黒の生地が開発されたのです。
マネはパリジェンヌを通して流行を描きます。

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バルコニーの紳士と淑女。
これも当時ならではの光景。

 

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パリの大改造により、大通にできた建物にはバルコニーがありました。
バルコニー自体が新しい時代の象徴。
しかしそんな光景を描く画家は当時珍しかったのです。

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絵画といえば神話画や歴史画が主流でした。

しかしマネは今の世相。

つまり現代を描いた。

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その後モネやルノアールも現代の風景を描きます。

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そして光あふれる今を描く印象派が誕生しました。

だからこそマネは印象派の父なのです。

マネは新しい街とそこで輝くパリジェンヌを描くことで絵画の新時代を切り開いたのです。 

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東京の世田谷美術館。ここでパリジェンヌを描いた傑作に会えます。

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ほぼ等身大に近いマネの大作「街の歌い手」

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ギターを抱え、酒場から出てきた女性です。

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客からのプレゼントでしょうか。紙包にはさくらんぼ。
ちょうど一房食べようとしているところです。

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モデルの名はビクトリーヌ・ムーラン。

とりたてて美しいというわけではありません。

しかし、マネは頻繁に彼女をモデルに描きました。

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ときに流行のファッションに身を包んで。

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ときにあられもない姿で。

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さまざまな絵に登場するムーラン。

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しかし必ずと行っていいほど正面に視線を向けています。

それはなぜ。
マネは「街の歌い手」を描いた一年ほど後、おおいなる挑戦をします。

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「草上の昼食」
タテ2メートル、ヨコ2メートル半を超える大作。
今ではパリのオルセー美術館が門外不出とするほどの傑作です。
しかし発表当時は酷評の的となったのです。
原因は一糸まとわぬムーランの姿でした。
当時裸を描くことはタブーとされていました。

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許されたのはビーナスなどが登場する神話の世界。
しかしこちらは明らかに違います。

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画面左には彼女が脱ぎ捨てた服まで描かれ、
これが神話ではなく現代の風景であることを明確に示しています。

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発表当時のことを描いた風刺画です。
マネの絵を見て人々はあざ笑い、罵倒したといいます。
下品で俗悪だ。
それでもマネは挑戦します。
今度は挑発的なムーランの裸婦像を発表。

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タイトルのオランピアとは娼婦の通称です。
現代の生々しい官能を描けばスキャンダルは免れないことは覚悟の上だったのでしょう。
マネは強く宣言したかったのです。

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たとえヌードであろうと、今描くべき対象は目の前に広がる現代であると。
絵画の常識を壊してでも現代を描きたい。

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それを後押ししたのが力強いムーランの視線だったのかもしれません。

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ところで、彼女は実際はどんな女性だったのでしょう。

噂では酒と極貧のうちに亡くなったとも言われていました。
しかし近年新発見があったのです。

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パリ近郊の街コロンブ。
ムーランが晩年を過ごしていたという場所です。

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コロンブ市立美術・歴史博物館に展示されていたのが

 

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復活祭で使う小枝を持った少女の絵「復活祭の日曜日」。
描いたのはムーランです。
油彩で写実的に描いています。
赤みを帯びた頬、まっすぐな瞳。
たしかな表現力を感じます。
ムーランは実は画家として活躍していたのです。
自立するパリジェンヌでもありました。

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「ムーランは展覧会にも出品していました。この絵もそうです。60歳の頃には功績を認められフランス芸術家協会の会員にもなっているのです。

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当時女性が絵を学ぶことは難しい時代でした。彼女は貧しい労働者階級出身だったので、よけい困難だったでしょう。それでも筆を執り続け認められたのです。そんなムーランを、

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私たちの街では敬意を込めてモナリザと呼んでいます」
大胆なヌードを披露したと思えば男性社会である画壇に果敢に打って出る。
そんなムーランが私達に投げかける眼差し。

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それは力強く生きていくパリジェンヌの意志の現れだったのです。
絵画に革命を起こしたマネ。その横には自らも挑戦を続けた一人のパリジェンヌがいました。

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彼女はマネの日記の中に出てきます。20世紀の半ばくらいに出た電気の中ではどうもイメージが良くなくて娼婦同然だったのではないかといわれたり、酒浸りだったと言われて利しました。ところが1980年代位の話ですが、とあるアメリカの美術史研究者の女性が疑いを持ち調査のためパリに来ました。彼女が調べたいと思ったきっかけはムーランの眼差しの強さでした。あんなに石を持って魅力的な目をしている女性がそんな悲惨な末路を辿ったというのは本当科。そんなことはあってほしくないと思って調査をすると、実はサロンに出店していたとか、比較的若く死んでしまったのではなく、60代になっても絵を描いていたことがわかりました。2000年代になって先程の絵が発見されたと聞いています。

当時女性は嗜みとして絵を描くことは許されていましたが、
本格的に絵を描こうというと許されない社会でした。

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文学に勤しもうとする女性を描いた風刺画です。
散乱した部屋の中では、水が張られた桶に子どもが顔を突っ込んでいます。
母親は気づかず書物をしています。

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マネが肖像を描いたベルト・モレゾ。

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彼女も印象派の代表的な画家として知られています。

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「器の中の白い花」
エゾギクではないかといわれている白い可憐な花が描かれています。

良家のお嬢様は一人で外を出歩けない時代でしたので、
一人でイーゼルを背負って絵を描くことは考えられませんでした。
したがって必然的に室内画が多くならざるを得なかったのです。

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メアリー・スティーヴンソン・カサット

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「縞模様のソファで読書するダフィー夫人」
19世紀ころから本を読む女性を描く絵が増えてきます。
それは何を意味するかというと、自分でしっかり物を考える人という含みもあって、
女性が社会的なことに関心を持つ姿勢を感じさせるようになる。

 

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真っ赤なベルベットのドレス。
広く空いた胸元からのぞく白い肌。
官能的な唇と涼しげな目元。
気品と艶やかさを併せ持つパリジェンヌ。
しかし、この絵が誕生するまでに画家は大いなる挫折を味わっていました。

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作者のジョン・シンガー・サージェントはマネや印象派の画家が活躍していた19世紀後半にパリにやってきたアメリカ人です。

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野心家でした。肖像画を得意としたサージェントは上流階級のパリジェンヌを描き、名を上げようとしていました。

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テーブルに手をついた黒いベルベットのドレスの女。

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どこか艶めかしいのは、胸元から首筋にかけての青白い肌のせいなのか。

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赤くほてったような耳のせいなのか。

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「マダムX」と第されたこの作品、モデルはフランスの銀行家の妻になり、社交界でも注目を浴びていたピエール・ゴートロー夫人。

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実は彼女もサージェントと同じアメリカ人でした。

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何枚も試作を重ねたサージェント。

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自分と同様パリで活躍するアメリカ人を
サージェントは情熱を込めて描きます。

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誰よりも輝くパリジェンヌとして。
しかし、サロンに出品するとなぜか大きなスキャンダルに。
実はこの絵、描き換えられた部分があるのです。

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サロンに出品された時の写真が残っています。

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意味ありげにずり落ちた肩紐。
人々は言います。「下品だ」と。
サージェントは彼女の官能的な魅力を描きすぎたのです。

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貞節であるはずの夫人をみだらに描いたというスキャンダルはいっきに広まります。
サージェントは逃げるようにパリを離れます。
その後、母国アメリカに戻ったサージェント。
しかし、彼は諦めませんでした。

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それがこの「チャールズEインチズ夫人」。
ここでもサージェントはアメリカ人をパリジェンヌ風に描くのです。

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マダムX同様、ベルベットのドレスをまとい、胸元を大胆に出しています。
しかし、マダムXにある怪しいまでの官能はふしぎとインチズ夫人にはあまり感じられません。
服飾研究科の深井さんはその理由として、サージェントがあるものを参考に描いたのではないかといいます。

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「サージェントが古典を参考にしていることが分かるような気がします。18世紀の肖像画を描いた、ドルーエのモムラ公爵夫人。こういう絵を参照していたと思います」
モデルはルイ15世の寵愛を受けたパリジェンヌです。
作者のドルー絵は滑らかで豊かな色彩によって貴族の気品や優美さを巧みに表現しています。
サージェントは自分より一世紀も前のこうした作品の何を参考にしたのでしょう。

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