チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

日曜美術館「Walk on the Wild Side~北海道・謎の美術館~」

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造形作家の大西重成さん(通称シゲチャン)が北海道に私設美術館=シゲチャンランドを開いて20周年。東京で人気イラストレーターだったが、50歳で故郷に帰り牧場跡地に14棟からなる独自のアート空間を作り上げた。作品の素材は「拾いもの」。流木や獣の骨、自動車の部品や空き缶などからポップで呪術的なオブジェを生み出す。飄々と独自の道を切り開き、過疎の町に活力を与えるアートを見つめる。

【司会】小野正嗣,柴田祐規子

 

 

 

日曜美術館「Walk on the Wild Side~北海道・謎の美術館~」

放送日

2020年10月18日

 

取材先など

 

放送記録

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書籍

 

芸術新潮 2020年 01月号 東京のミュージアム100

芸術新潮 2020年 01月号 東京のミュージアム100

  • 作者: 
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2019/12/25
  • メディア: 雑誌
 

 

展覧会

 

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日曜美術館「そばにいつも絵があった 妻が語る画家・神田日勝」

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朝ドラ「なつぞら」に登場した山田天陽。そのモデルとなった夭折の画家、神田日勝。32歳で亡くなった夫を支えた妻のミサ子さん。わずか8年半の夫婦生活。北の大地での開拓、子育て、牛馬との暮らし、そして絵。地方から最先端の絵を知ろうと必死にもがく姿。目まぐるしく画風を変えながら、やがて独自の絵を生む。牛馬への思い、ベニヤ板に刻んだ絶筆「未完 半身の馬」に込めたもの、そして50年目の夫婦のズボンの意味とは?

【司会】小野正嗣,柴田祐規子

 

 

 

日曜美術館「そばにいつも絵があった 妻が語る画家・神田日勝

放送日

2020年10月11日

 

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新聞を張り巡らせた部屋に一人膝を抱えて座り込む男。

描いたのは北海道で開拓農民として生きた画家・神田日勝

男は日勝自身とも言われます。

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絶筆とされる作品。

ベニヤ板に馬の半身が描かれたまま残されています。

顔から胴体へと描いていた時、日勝は32歳の若さでその生涯を終えました。

日勝が絵を書いている姿を間近で見ていた人がいます。

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妻の神田ミサ子さん。

わずか8年半の結婚生活でした。

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家族の姿を描いた貴重な一枚。

妻のミサ子さんは日勝と交わした言葉を、亡くなって50年経った今も鮮明に覚えています。

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「僕は世間と生きるつもりはないから。君がいてくれれば何もいらないって。水に浮かんでる一滴の油のような感じを受けたんですよ。常にみんなと一緒に行動したりするけれども絶対交わらない」

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今回撮影中に日勝の心の内が分かるものが見つかりました。

画家としてどう生きようとしたのか。

模索する姿が浮かび上がります。

共に生きた妻ミサ子さん。

没後50年を経て語られる、神田日勝の世界をたどります。

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去年の連続テレビ小説なつぞら

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主人公に夢を与える山田天陽のモデルとなったのが神田日勝でした。

「俺も単純に好きな絵を描きたいと思ってるだけだよなっちゃん。だけどそれは世の中で一番難しいことかもしれない」

脚本家の大森寿美男さんは20代の頃。

日勝の新聞を張り巡らせた男の絵に衝撃を受けました。

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「真ん中にいる男の人が、非常に何か苦悩を抱えてるようでいてそれも含めて非常に精神が自由に解放されてるように僕には見えて、開拓者という厳しい生き方の中で生きる力を得るエネルギーとして創作の力もきっとあったと思うし、生きる力と創作する力が全く同じという存在として山田天陽という存在を描きたかった。それが神田日勝さんに対する自分のイメージだったりするんですけども」

 

 

 

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神田日勝はどんな画家だったのか。

日勝が暮らした北海道十勝の鹿追町訪ねました。

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今年は日勝が亡くなって51年。

その足跡をたどる主要な作品が一堂に集められました。

わずか15年に満たない画業の中で残した作品は180点あまり。

その画風はめまぐるしく変化します。

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小野さんが一枚の絵に注目しました。

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「なんかちょっと怖いですよね。見ようによっては。銃殺刑にされる人が壁を背景にして立ってるような。なんか決定的なことが起こる直前の風景のようにも見えなくない」

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壁の前に顔だけが描かれた《一人》。

執拗なまでに書き込んだ石壁。

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その壁に張り付くように描かれた男。

擦れ剥がれ落ちた石壁とまるで同化するように同じタッチで描かれた男の表情。

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日勝の自画像とも言われています。

 

 

 

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神田日勝

昭和12年東京練馬で生まれます。

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日勝が7歳の時、一家は北海道十勝に入植します。

畑仕事を手伝いながら子どもの頃からひたすら絵を描いていました。

日勝が北海道に入植したのには理由がありました。

東京大空襲で一家全員が焼け出され、父親が開拓団に応募したのです。

しかし約束されていた国からの援助はなく、農業の経験もないまま荒れた原野を切り開くしかありませんでした。

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日勝も大切な働き手でした。

唯一の楽しみが油絵を描くことでした。

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二十歳の頃の作品。

《馬》

一家が初めて手に入れた農耕馬を描きました。

しかし馬は買って程なく死んでしまいます。

商人に騙されたのです。

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日勝は痩せ衰えた馬の肋骨を克明に描写しています。

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空の餌箱に顔を突っ込み力なく食べようとする物悲しい目。

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しかしなぜか足だけはごつく太く描かれています。

働きづめの農耕馬の姿に開拓農家の厳しさを重ねたのでしょうか。

 

 

 

この鹿追町に日勝の妻が今も暮らしています。

「おはようございます」

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神田ミサ子さんです。

二人が出会ったきっかけは地域の農村青年団でした。

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ミサ子さんは祖父の代から続く農家の生まれ。

日勝の家より前に入植し、子どもの頃から畑仕事を手伝っていました。

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日勝の存在を意識し始めたのは親睦を兼ねた野球大会でのことでした。

「当事男の人みんな結構お洒落してたんですよ。背広着て革靴履いて野球やるとかね。そんな感じの頭リーゼントでおしゃれにしていて、そしてそんな中で日勝は野球をやらないで応援席の方に座ってたんですよ。まったく異常な感じがしたんですよ。他の人はちゃんとした靴履いてるのに彼だけ下駄履きだったんですよ。変わった雰囲気だったんですね。ランニングシャツ一枚ですよ。あどけなさって言うか、正直さと言うか。自分にかっこつけてるって事は何もないと言うかそんなように私は受け取ってましたね」

当時、美佐子さんは深い悲しみを抱えていました。

中学生の時に相次いで弟と妹、姪をなくした辛い記憶がずっと言えることなく続いていたのです。

「なんでだろうって。そんなみんな自分より若いね子どもが死んでいく。じゃ自分が何のために活きてるんだろうって。その頃から私の悩みが始まった。常に何なんだろうどうしてだろう。そんなことばっかり考えて生きていた」

そんな悩みを抱えていたミサ子さんが日勝の家に遊びに行った時、一枚の絵を目にします。

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初めて見た日勝の絵でした。

それまで美しい風景や花などが絵画だと思っていたミサ子さんにとって、その絵は強烈な印象を放っていました。

「これはびっくりしました。結婚する前に神田の家に、日勝の妹と友達だったから、行った時に茶の間に置いてあってね。ものすごい臭いを感じたんですよ。なんでこんなもの茶の間に置いてあるのって。私にすれば一番強かったのドラム缶から出てくるの石油のような匂いですね。昔缶で石油とか使ってたりしましたから。あと革靴なんかも疲れて腐ったにおいとか。本当に臭いするって事は描いたものじゃなくて本物だって言うんだから生きてるって感じしましたね。私もそれだけ自分の好きなこと持ってる人ってのはものすごくうらやましいというか幸せというか、自分自体が何しに生きてるんだろう。私は何したらいいんだろうってそれが悩みの種だった中で日勝が好きな物を持ってるってそういうことがやっぱり。それなら協力してやろう。そうそう思いましたね」

ミサ子さんが初めてこの絵を見てから1年後。

二人は結婚します。 

 

 

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「畑はこの辺。行ったりしてちょっと行ったとこその電柱あたりですか」

しかし日勝との生活は重労働の連続でした。

神田家の畑は、先に入植した人が開拓を諦めた劣悪な場所だったからです。

「仕事するには非常にやりづらい土地だったんですよ。根っこ掘りなんかやったしね。畑にある大きな切り株百個ぐらいありましたから。8年半の間でなんとかなくなりましたけど」

その後その畑では何を作られたんですか

「デントコーンだとか芋だとかビートだとか」

収穫が見込めない年もありました。

結婚して3年目は冷害でほとんど現金収入がなかったといいます。

「豆狩り。秋になったら枯れるんだけど、これくらいしか伸びてないから。鎌で豆狩りできなかった時ありました。それは昭和39年です。だからその時の家の収穫は息子だけ」

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この年に描いた作品。

子どもが生まれて一家団欒の様子が描かれています。

テーブルの上にあるのはビール。

日勝は酒を飲まなかったと言います。

グラスを手にしているのは妻のミサ子さん。

しかしこの絵は日勝が想像して描いたものだとミサ子さんは言います。

「こんな雰囲気のことはほとんどないですね。仕事終わって家入ってきたら、当時で記憶に残ってるのは八時ぐらいですからね。あの搾乳やら何やら全部終わって家に帰ってきたらそれからご飯食べてお風呂入って、子どもたちの事したらもう11時か12時になっちゃう。のんびりする時間は全くなかったですね。

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だから、こういうことがあったらいいなと思って日勝は作品にしたんじゃないのかなと私がそう思ってます」

 

朝から晩まで農作業に明け暮れる毎日。

1日の仕事が終わってからがようやく絵と向き合える時間。

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日勝はペインティングナイフを使って深夜まで絵を描きました。

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その頃の日勝をよく知る人を訪ねました。

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画家の徳丸滋さんです。

いつも日勝の家を訪ねては絵のことを語り合っていたという徳丸さん。

お互い描いた絵を交換しあうほどの中でした。

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これは日勝が家の周りを描いた風景画。

ペインティングナイフを使った強いタッチが気に入って、本人からもらいました。

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「これベニヤ板なんですね。これによってこすると音するんですよね。なんかこういう音に魅せられて描いててもあるんじゃないかと思うよね。削ってくるように描いてたと思うんですよね。なんか感じるでしょう。僕も独学だからねなんとなく共通点はあるのかなと思うけど、やっぱり自分で確かめながらやってくしかないんですよね。絵を描きながらね。だから人より、他の絵描きよりもすごい自分が思うことできるまでに時間がかかってくるんじゃないかと思いますよ。試行錯誤であーでもないこーでもないと画面を通してやってくしかないですよね。だから今になってみれば命を刻んでたのかなと思いますよね」

 

農家を続けながら、独学で自らの表現を見出そうとしていた日勝。

その足跡がたどれる貴重なものが残されています。

「これが日勝が使っていたスクラップブックです」

日勝お手製の作品図版。

ゴッホセザンヌなどの絵葉書、雑誌の切り抜きは、本物を見る時間もお金も無かった日勝にとって表現を模索する唯一の手がかりでした。

「日勝は独学の作家ですので、どういう絵を描くべきかっていうところで自分を導いてくれるような存在が欲しかったのかもしれない」

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初期の画風に大きな影響を与えたのが在日朝鮮人の画家、チョ・ヤンギュです。

資本主義社会の労働者の現実を描く社会派リアリストとして当時注目を集めていた画家です。

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《密閉せる倉庫》

倉庫番をしていた時の情景を描いたとされています。

チョ・ヤンギュ自身、政治運動に関わって警察に追われ、日本に密航。

誇りも尊厳も奪われ、ただ生きるためにだけ働かざるを得ない現実に目を向けていました。

図版の切り抜きだけを見て描いた日勝。

チョ・ヤンギュの描いたテーマに影響受け、自身の表現を獲得しようとします。

「チョ・ヤンギュの作品というのは社会の周辺に置き去りにされたものだとか、捨てられて忘れ去られていくようなそういう存在に目を向けてそれを克明に描いているので日勝自身もおそらく社会に対する自分の立ち位置としての疎外感ですとか、孤独のようなものを感じていて、その描き方についてチョ・ヤンギュのスタイルを真似することによって自分自身の置かれた現実、状況を絵に描こうとしていたんだと思います」

当時は高度成長期。

都市と農村の格差が広がり、鹿追でも離農が相次いでいました。

そうした中、日勝は鹿追に止まり、自分にしか描けない農家の現実を絵にしようとします。

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「細い迫力ですね。お腹裂かれているから。亡くなって死んでいる牛だと思うんですけど、内臓がまだ暖かさが感じられるってすかね、生身の生き物の持っているそのぬくもりっていうか、その顎を伝ってくるような絵ですよね」

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ともに働いてくれた存在の死。

肌触りまで感じられる毛並み。

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そして鮮やかな赤を使って描いた切り裂かれた腹。

家畜が死ぬと溜まったガスを抜くために腹を裂きます。

かけがえのない牛に訪れた死という現実をとらえた日勝の眼差しです。

2年後。

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「急に画風が変化して前衛的になっている感じですよね。それでもすごい絵の具ですね。こうなるともう中の一人の芸術家が新しいことに挑戦してみたいって言うな感じがしますよね」

色鮮やかな絵の具を縦横無尽に走らせ、ほとばしるような命を描いた新たな表現。

当時日本の美術界を席巻したフランスの抽象表現の影響が色濃く表れています。

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絵の具をコテですくい、そのまま腕を振って画面にぶつけた激しいまでのタッチ。

牛の死に対して鮮やかな色彩で表した命のエネルギー。

絵とは何かを問い続ける日勝の探求です。

勢い余って同じ部屋に置いてあった、あの家族の絵にも飛び散るほどでした。

 

 

この頃から農作業は牛や馬からトラクターに変わります。

日勝の絵も売れ始め、その収入でトラクターを持っている農家に畑仕事を頼むようになりました。

「いっぱい描かなきゃならないこと、時間が増えてきて、夜自分で描きながらその自分の畑その友人に頼んで起こしてもらったりとか、そういう時俺は農業失格だなーってことは言ってました。開拓してきたんだっていう、この土地は俺が耕したんだ。男の意地みたいなものはあったと思いますよ。そこ原生林を自分の手で互いをしてきた。そのその葛藤みたいなものがあったんじゃないかなって」

自らを農業失格と語った日勝。

そんな夫を支えていこうとミサ子さんが決心した二人の会話がありました。

「絵描きたいってどんな気持ちって本当に馬鹿な質問ですけどね。そしたらちょっと一瞬間を置いたらね、僕にとって描きたいのは排泄行為だ。その時言ったんですよ。排泄行為だって。そしてどんな大人だってね、我慢に我慢して我慢しきれなくなったらね、誰だっておしっこ漏らすだろうって。どんな大人だってね。それと同じだって。排泄行為だって言われたらもう我慢させるわけにはいかないって」

日勝には芸術論を交わす仲間がいました。

帯広の画家たちです。

彼らに悩みを漏らすこともありました。

自分は農業失格だと思っているのに世間からは農民画家と言われ、もてはやされることに割り切れない気持ちを募らせていました。

「番組に出演する時でもさ、農民画家なんて言われてさ、それをまとめで言われることが一番辛くて、農家をやって厳しい中で、特別扱いしなきゃならないのか。そういう赤裸々というか」

絵を交換していた画家の徳丸滋さんにも日勝は心境を吐露していました。

「手紙が出てきた」

50年以上前日勝が徳丸さんに宛てた直筆の手紙です。

「手紙には日勝の生き方みたいなのがわかりますね」

手紙には芸術とは無縁の地で農民として生きながらたどり着いた自身の有り様が綴られていました。

充実した生活などというのは絵描きにってとっては芸術的堕落

絵描きはある程度の社会的敗北者。孤立者で閉鎖的な世界を持つ必要があるのではなかろうか。

くよくよネチネチと悩み考え、クタクタに疲れげっそりと痩せてしまうといった不健康な状態が表現者にとっては最も良いコンディションだとは言えないでしょうか。

原色を自由奔放に使って徹底したレアリズムを表現するのが現在の僕の最大の目標です。

日勝が亡くなる年に描いていた作品があります。

《馬》(絶筆・未完)

馬は日勝が北海道に入植して以来、ずっと描き続けてきたモチーフです。

頭から描き始め腹のあたりまで毛並みが緻密に描かれていますが、描きかけのまま終わっています。

後ろ足はむき出しのベニヤ板に鉛筆の輪郭線が残ったまま。

今回改めて調査してわかったことがありました。

「この馬は今まで描いてきた馬とは描き方を微妙に変えているところがすごく面白いところで原色の色彩を使っている。今までとは違うやり方

開けてもらえるこう

アルファとも実写動画ちか

まるくんだ本当だ本当だよく見れば

つながっているわけですね。自身の画業が。

 

独自の画風が刻み込まれた馬。

それはミサ子さんにとって忘れられないものとなります。

日勝がこの絵を書いていた時、ミサ子さんは子どもの頃可愛がっていた2頭の馬の記憶が鮮明に蘇ってきたというのです。

「学校から帰ってきた時に、馬が一頭死んでいたんですよ。二頭しかいない。そして死んだ馬を生きてる馬にそれを引かせていたんですよ。それでその時の私の馬がかわいそうでどうしようもなかったです。馬だってものすごい力はあるけれども、毎日一緒に隣の所にいる馬が死んで、それを引っ張らされたら、馬にもそれなりの感情があると思ったんですよね」

これを見た時に過去の記憶が蘇ってきたんですか

「何頭か馬描いているけど、この馬の目だけは特別な感じがしてどうしようもないですよ。この前にくると本当にその目がいつも何か語りかけてくる感じがする」

この作品を描きかけたまま、何故か日勝は別の作品に取り掛かります。

《室内風景》

日勝最後の完成作です。

裸電球がぶら下がる奇妙な空間の中に浮遊しているかのように存在する一人の男。

男の周りに散らばっているのは日勝の身の回りにあったものと言われています。

狭い部屋の壁を埋め尽くしているのは新聞。

当時のニュースから、流行りの商品の広告まで、細かくリアルに描かれています。

同時激しさを増していたベトナム戦争

動き出した原子力発電。そして地方の農漁村の話題まで。

高度経済成長の時代、その姿を急激に変えていった地方の農村の現実。

男は溢れる情報に取り囲まれ押しつぶされそうにも見えます。

何を見つめているのでしょうか。

「これは一瞬身をすくめてるような風にも見えるますよね。でもまあそういう姿勢だから。

すごい座り方がだけどなんかやっぱりふぉー

目の前に僕じゃなくて

もっと遠くを見てるするってのは世界に

囲まれてなんかすごいと遠い地平を眺めてる

そこにやっぱりなんか粉ミルクを容易に

その内面に入って来た

できないってのは僕の感じ方ですか。そういう風に思います。真ん中に座ってるこの男性は日勝さんなんですかね

自画像って言っても

心理的時間心理的なことは

全くなかったしてる時自体は

たまに鼻歌歌ってることもあったから楽しかったんでしょうね。よく歌ってたのが有楽町で逢いましょうという歌が流行った頃なんですよ。あれを鼻歌で歌いながら。夜中が多いですよね。起きて頼みたいことがあるからって。何かなと思ったら、モデルになってくれとか。

ラーメン作ってくれた

これこれじゃないです

ミサ子さんが

なんでこうしたかったと聞いたらズボンのシワが見たかったからって。本当に面白い人でしたよ。悲しくは見えない。なんかいろんなものを含んでるんでしょ。悲しみも喜びも何もかも入ってるんじゃないのかな。だから相手なっちゃうかなあいう顔にしたんじゃないかなと思って

日勝の絵に若い頃出あった脚本家の大森寿美男さん。

室内風景はその後の創作の原点になりました。

その真ん中にいる男の人が

非常に何か苦悩を抱えてるようで言って

それも含めて

あの以上に精神が

自由に解放されてるように

ゴーヤ見えて

その基本にあるのは生きることがその基本だと

その自分が生きていく上で問題となっていることが

あのー創作の源になっていて

生きる力が創作の源だ。才能よりも生きる力なんだって

それこそ神田日勝さんのように

粉土を耕すことの厳しい季節の中でその

喜びや苦しみを感じるっていう

そのことが捜索と直結してると言うか

結びついて生きているって言う事の方が

創作者としては基本的な姿だと僕は思うんですよね」

室内風景を完成させた後、日勝は描きかけだった半身の馬に再び取り掛かろうとします。。

しかしその矢先突然病に倒れます。

10日後ミサ子さんは医者から助からないと告げられます。

「救急車の中で血圧測ってくれたんですけど、最高血圧が60度。もうダメだって言われて。万が一助かったら目が見えなくなるとそう言われて、その時に私自身が日勝自身が農家だってことは頭から消えてました。これだけ絵が好きな人が見えなくなって苦しんで生きるんだったら楽になって頂戴って、本当に心でそう思いました。後のことはどんなことでも私は引き受けるから」

ミサ子さんが大切にしているものを見せてくれました。

日勝が室内風景を描いている時に頼まれてはいたズボン。

「これなんです。あのズボンが。50年以上たったら腐っちゃうかも知らんけど」

日勝の絵の具の跡は50年経った今も消えあせることはありません。

 

取材先など

 

放送記録

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書籍

 

芸術新潮 2020年 01月号 東京のミュージアム100

芸術新潮 2020年 01月号 東京のミュージアム100

  • 作者: 
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  • 発売日: 2019/12/25
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展覧会

 

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「近現代日本絵画展」【アートシーン】

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現代日本絵画展

 

明治から令和へ。日本絵画の歩みをたどる展覧会です。

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近代絵画の父と呼ばれる黒田清輝

フランスに学び西洋画を日本に根付かせようと格闘を続けました。

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明治から昭和まで美人画を描き続けた上村松園

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浮世絵の一ジャンルだった美人顔肉筆に近代的な日本画として定着させました。

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こちらは令和に描かれた美人画

機械と少女というイメージはまさに現代を象徴しています。

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富山県砺波市美術館で10月21日までです。

 

 

会場:砺波市美術館

会期:2020年9月5日~10月21日

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日曜美術館「田島征三 いのちのグリグリを描く」

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絵本作家・田島征三(たしませいぞう)、80歳。年を重ねた今も、絵本を年に5冊のペースで制作。数万の木の実で作るアート作品や、廃校を利用した巨大立体“絵本”など、創作意欲は衰えを知らない。今、こん身の力で向き合うのが幼少期の体験。自然の中で、暴れる河魚を素手でつかんだ感触だ。今も手のひらに残る命のひびきをどう形にするのか。新型コロナの影響で家にこもるしかなくなった中、自らと向き合う田島に密着する。

【出演】田島征三、北川フラム、松本猛【司会】小野正嗣,柴田祐規子

 

 

生命の記憶―田島征三作品集1990‐2010

生命の記憶―田島征三作品集1990‐2010

  • 作者:田島 征三
  • 発売日: 2011/02/01
  • メディア: 大型本
 
しばてん (田島征三)

しばてん (田島征三)

  • 作者:田島 征三
  • 発売日: 1971/04/01
  • メディア: 単行本
 

 

 

日曜美術館田島征三 いのちのグリグリを描く」

放送日

2020年10月4日

 

「この作品と一体化してて、結構いいところに止まってくれてるよね」

田島征三と言います絵本作家として一番こう名前が通ってる。まあそれ以外にも出かけて行って作品を作る。今描いている絵も、信州の森の中で描いた絵なんです」

「こびりついた絵の具がもったいなくて、全部使い切ってしまおうという魂胆です。何描いてんのかわかんない」

「上手になってはおしまいだよっていうことは常にね、自分に言い聞かせて。上手さが持っているものってのは大事な物を置き忘れていくっていうことなんです。僕の褒められていいところはヘタのまま、上手じゃないまま、垢抜けないまま、60年近くやってる

ということがすごいですよね我ながら」

 

 

「明日葉。明日葉ってのは今日採ったら明日新しいのが出てくる」

僕なんかイタブって言って、これぐらいになるとも食べれるんだけどね。イチジクの原種でしょうね。成ってるものは取らない。落ちているものだけ拾うというスローガンを立ててるんだけど、そのこと言うと何て言うのは優しい木の実おじさんみたいな。いやだけど、なんかできないんですよねそういうこと」

 

ある日山犬は大声で吠えたくなった。

山犬は力いっぱい吠えた。

ガオー。

山犬の元気は体から全部飛び出してしまった。

 

「小さいころから遊んでた人だと思いますね。あんなになんでもうまく使った絵とか作ってちょっと天才ですよ。土から生えてるものは何でも材料だと思ってるんでしょうね。だから当たり前に絵の具とかさ、そういうものと一緒のように持ってきてやれるって不思議な感覚ですね」

 

「僕は田島征三の絵本の原点はやっぱり高知の田舎に5歳ぐらいからだったかな。あの子供時代にちょっと水の中で暴れまわって怪我をしながらそうやって彼自身がこう肌で感じたものが全部の作品のベースになってるような気がしますね。

そこで待ったなんて大好きな金ですけれども

あのこのエネルギーのエネルギーは

おそらく手の中で暴れまわっただ

と思うんですよ

でカマキリだったり結構やられると痛いんですよね。そういうものを彼は全部わかってるから、あの時のあのバッタの凄さを子供の時の感覚のイメージを使うとその鳥までを突き抜けて飛んでいくようなバット作り

経ってしまって

強いのこんなすごいもんなんだ

よってことを言ってるんだけどね

 

 

バッタは下へ下へと落ちていった

もうダメかと思った時

バッタは夢中で羽をばたつかせた

バッタは飛んだ

高く高く

自分り羽で自分の行きたい方へ

風に乗って飛んでいった

バッタは荒地を越えて

はるかに飛んでいった

 

 

 

「とっくに終わって本になっていなくてはならないものが遅れちゃって」

3月。征三さんは自分にとって特別な体験を絵本にしようとしていました。

ママと一緒の話でね

毎日可愛くていろんな魚をさばいたり

切ったり手づかみにするっていうのがおかしい

鼓動と言うか渦巻きと言うかね

そしてそれが大きいほど

逆に逃げられると言うことになるわけ

ですその時の悔しさとか

喪失感とか来た時にも

心臓裏から裏と思ってからご飯

元気にしてるみたいなやっていう喜びと

また逃げられるかもしんないっていうね

不安感とそれを今でも覚えている

というよりかも

ずっとこの手のひらの中に残って

少年ができないような体

の動きをするもんだから

ズボンが聞いてさらっと言って後で終わってる

何回も公演を重ねるという事

やってないような書き方で絵本を書きたいな

それを目指したんだけど

すでに描き始めていち年近くが経っています

今日の3月

25日の時点のポセイドンさんの中

ではどれ

くらい終わってるっていう感覚

実務的には

ほぼ全然できてない

ということになるわけだけど

何時があり全体的に

見渡せるような感じにはなってきてるね

こんな終わりそう

せいぞうさんの創作は

絵本の中に止まりません

じゅーご年前に廃校となった小学校

ここに物語を体感する作品

名付けて空間絵本を作り出しました

主人公は大好きだった学校に通えなくなった

さん人の子供達空っぽの学校に忍び込み

愉快な音を響かせます

すると学校の中に眠っていた

楽しい思い出が飛び出してきます

廃坑が再び輝きだしました

どんな時でもそうですよ

あの障害を持って

たり体が弱かったり

母親であったり赤ん坊であったり

そういう人たちが

一番の犠牲になりやすいですよね

戦争でもコロナウイルスでも

だからやっぱり自分の装着の音っていうのは

常に犠牲になる人たちの怒りを表現する

というところへ今までもそうだったんだけど

夜中夜中

そんなにあの女

一本絵かきの無双するように

うまくいってないですから

今までも忍者

絵本かとしての原点となる作品があります

昔のにじゅーに歳の時に

手作りで作った絵本です

滋賀県高知から上京し東京の美術大学に進学

在学中に手作りした絵本

縛ってんしばテントは故郷

高知に伝わる力持ちの妖怪

主人公の太郎は

その生まれ変わりだと言われていました

あまりにも力が強いことを気味悪がられ

やがって村を追われます

千葉店を描くきっかけとなった

小学校時代のある出来事

展示という少年がね村に流れてきて

あいつは犯罪者の子供だって言う

んでブラジルで強い敵食べたんですよね

終わる時その学級の本がそれを読んでも

しょうがないから

どこまで飛ぶみたいな感じで

遊んでたんですね

そしたらコーチをやってきてね

こういう悪いことする奴は戦時じゃろ

チェンジに決まってくる先輩なんですよ

打たれちゃって

すごいな小栗栖で住めるんですよ

もう鼻血がいっぱい出てんのに

そんな人みんなでやったこと難波ダイキ

その時いなかったんだから

何言ってん先生ひどいじゃないか

立ち上がって言わなきゃいけないんでしょ

あいつは痛くないんじゃないか

あいつはなくなっても

平気でいられるんじゃない

かみたいなと勝手な言い訳を

自分の勇気のなさに9月ちゃうんですよね

そういうことだが

抵抗するべきだったのはできなかったって

いうのほんと川柳を守れなかった

もうちょっと丁寧にそういうの

いたずらランキングを調べたんだけど

最初に出てくるのは誰か

こっち来ちゃうん

で適してる人がそのレストランの好きで

3年生までは

無意識で物語とかを書いていて

ちょっと4年生意識で書いてやかんの

物語を物語を考えて書いたもんで

ちょっと絵と文が合わなかったり

とかするのがするからでもいいけど

意識しすぎるといけないかも

しんない人の

言うこと気にしなくていい映像と言います

女房の気合です日ノ出町に畑を耕したり

八木や鶏を買って

のんびり暮らしながら絵を書いています

さん冊目の絵本が外国の賞を受賞し

一躍売れっ子作家となっていた

せいぞうさんは都会を抜け出し

東京の郊外に移住します舞い込む仕事

に追われる日々を捨て

自分が描きたいものを描こうとしたのです

動物や自然と共に

生きる暮らしに心惹かれました

東京にもこんな山があるかと思うよね

空気はいいだけどよ負けた負けた今日

私はです当時

よく馬のスケッチをさせてくれた

人を訪ねました宮岡たきおさん

製造さんにとって兄のような存在でした

仕事に役立ててた尿馬方さんっていうのの

もう最後じゃないですかね

良い思い出だね

働けて嬉しい武雄さんの娘のなほこさん

撮影に来たのかと思った

今やってこうやってポーズして

モデルやった記憶がまだ起きてそうだね

移住し

てさん年目のお子さんをモデルに

絵本を書きました

集落に残る人と大地の結びつきがテーマでした

ふきまんぷく見て

ごらん背の高いふきが少し体をゆすった

するとあの上の幼虫は

いくつもの小さな玉になって転がり始め

たんちゃんも滑ってみたい親

お前もふきというの

買えそうよみんなが向くというのあたし

ほっぺたがふっくらしててまんぷくみたいでしょ

ふきまんぶくなら柱の子供だな

いつのまにかふきちゃんは

大きなフキの葉っぱに乗って入れて

フキの茎を滑り落ちて

そのままふきちゃんは

土の中にストンと入った

なんだか眠くなった好きな

服はおやすみ春になったら

仲間たちと出ておいで

それまで土がお前を抱いていてくれるや

温かい土の匂いに包まれて

ゆきちゃんは眠った

結構知り合いも

この本の事知ってて

出してモデル行ったの繋がってる

久しぶりに飽きちゃうからダメ

恋って言葉でごめんね親しく付き合うと

いうような映画でびっくりしてるんだ

落ち着いて土を耕しながら

生き物生活っていうのね

本当にこの人生で一番天下みずみずしくて

いい仕事ができたじゅー年間ですね

1970年からはちじゅー年まで

そんな時代ですよね

そういう手もあるから

4月上旬製造さんの仕事も新型コロナ

ウイルスの感染拡大で

大きな影響を受けていました

本当は今年の7月ぐらいから

できんでねてんだったんだけど

だから今頃はそろそろ駅に行ってできることは

絵本を書くことだけ思いがけず

手に入った時間作りかけの絵本に向き合います

真剣に絵を書かなきゃ人生終わりに近づい

てるのみたいだね

ことが言われてるんじゃないかと思って

成功しなかった

でもうちょっと大胆に使って

こちょこちょまた暖かくなったね

色々作る4日後

担当の編集者に今の悩みを打ち明けました

なんかやっぱりでひっくり返ってると

正確になってくるんですよね

これなんか親指の方

がこんなにこれ書き直したりし始めるとね

どんどん普通の絵になって言って

ちゃんとしたいんだって行くんですよね

もう一つ先へ行くにはどうすればいいか

みたいなことをあんまりやっちゃうとね

それほど前パック

わんG買ってきちゃったりするけど

厳しいところだそうですねいち

まんえんの絵画で表現するとまた違いますね

陽岱鋼の兄若い時に書いた作品ですね

今自分で見ても

やっぱ凄いなあと思ったりしますけど

体力も落ちて精神力も弱まっている今

どうすればあれを

昨日のような力強さが出せかって言う

それやっぱり絵の具とか筆とかの勢いそれ

から空間をこれだけあげれば

それは逆に出せるとかいのちのぐりぐりを捕まえる

八十歳を超え

このテーマに挑むのには理由がありました

よんじゅーきゅー歳の時

移住先の森に

ゴミ処理場を建設する計画が立ち上がります

製造さんは反対運動を始めます

小さな命が脅かされることを

見過ごせませんでした

森の中にもぐら土地を買ってね

そこに遅いように左側があるから

もう巨大処分場できないんですけど

行政としては

9月に修行っていうことがあるわけですから

どんどん周り気を切り始め

ま僕らの家の周りに歩きでね

エゴノキがあったんですがその気

をもうあの朝から頑張れ

あの友達みたいにしていたんだけど

やっぱ喋る手掴んで舎人くってね

もうあのダンプカーに瓦礫と一緒に放り込む

それ見て許せないって

もうこれ以上は僕の友達を乗り切って

ぐちゃぐちゃにするんだったら

俺を無茶苦茶にしてくれていいんだ

と思っては

そういうね馬鹿な本当に馬鹿ですよね

アルファー喋るのここに溢れはったんこれ

困ったやったら僕の両手首切断ですよね

そうやっちゃったね

実情を知ってもらうと全国を回り演説する日々

絵を描く時間はなくなりました

それももうあの一週間に週間じゃなく

もう1年に年っていう

単位で仕事らしい仕事ができなくなる

そりゃオープン仕事をしたい時期でしたからね

そういうイライラとかが

あの家族に四角つけられないから

私もしょっちゅうぶつけてましたけど

例えば今私の子

大事にして物を壊したりとか

めちゃくちゃに壊したりするんですよね

本人の実話でも

壊すんですはち年後

心と体が悲鳴をあげます

彼岸でしたごじゅーなな歳療養のため

30年暮らした森を後にします

新たな地で製造さんを迎えてくれたのは

昨日見でした

木の実との甲斐あって作る後は

僕にとっては

植物達への鎮魂から物言わない

生き物たちの代理人

として僕は植物達と連帯していた

その気持ちが

木の実と僕をより強く結びつけた木の実は

何になりたがっている

探そう探そう失くした夢を探そう探そう忘れた

きっとどこかにあるはずだろくじゅー代

そしてななじゅー台

描けなかった時間を取り戻すように

表現の幅を広げていきまし

た八十歳今ようやく

自分の根っこにあるものと向き合う日々です

あの処分場のこと

ベトナム戦争のことの気持ちがあったから

今この表現が可能になってるんだいうふうに

人生流れてきた先で考えてる自分と

そんな金の真っ只中にいる時の

自分とは違う感覚であったら書きたい

自分も申し込んでね悔しいと思いながらね

この戦いが終わったら桐龍の絵を書くのに

そんなベトナムの廃棄物処分場も関係なく

面白い隠れそういうことを考えながら歩いてた

自分っていうのはやっぱりすごい

今考えると愛おしいし

それがあったから今かけてるって言うの

厳然とあるん

だあのそういうことだったかな

覚えてないってことで連絡ビデオになってる

動いてる4月

全国に緊急事態宣言が出された中で

清掃さんは机に向かい続けていました

同じ場面をもう一週間ぐらい書き続けてるから

これで一冊の本になった時に

これはすごいって覚えるかどう

かっていうなんか

すごい苛まれているこの絵本は

すごいぞ思えるようになってくるっていう

繰り返しよこの半世紀以上やってきたんだけど

今回は出来上がったんだよねけど

そういう気持ちには今はなくて

明日完成した時どうかそんな一瞬です

4月19日絵本は完成しました少年

時代の特別な体験と向き合った一冊です

捕まえた田島征三川の浅瀬に

大きな魚のんびり淀みの中でじっとしている

そっとそっと近づいていったら

足が術真っ逆さまに水の中伸ばした指が

魚に触れた種類と逃げた逃すものか

逃がすもんか中でヌルヌルにグリグリ

命が暴れる捕まえた

僕が捕まえた僕の魚だ

魚を抱いて抱かれる夢を見た目が覚めると

魚はぐったり草の上死んじゃだめだ

死んじゃだめだ

生き返れ魚は生き返った暴れてもがいて

僕の手から逃げ出して川の中

そのまま泳いでいってしまった

あれなんかも良かったじゃねーかっていう音

消して諦め

て自分を慰めてるんじゃなくて

あのやったじゃない一生懸命だったじゃないか

全て俺が夢みたいに消えてもいいじゃないか

頑張ったじゃないかって言うね

そういうあの涙流しながらこう

もう一度元気に立ち上がって行こうって言うね

そういう気持ちっていうのが

いっぱいあったから

僕もこうして生きていくわけで

今回のようにもう集中して

毎日毎日この本の中の絵と向かい合って

っていうのは吐いた時以外

意外かもしんないね

出来上がっても

やっぱ確固たる自信があるっていうなんか

能天気な画像感じてんですけどね

 

取材先など

 

放送記録

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書籍

 

 

わたしの森に

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芸術新潮 2020年 01月号 東京のミュージアム100

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  • 出版社/メーカー: 新潮社
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展覧会

 

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10/4(日)NHK Eテレ「日曜美術館」に、田島征三さんが出演されます | お知らせ - 世界初の絵本美術館|安曇野ちひろ美術館

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新美の巨人たち 内田祥三・東京大学総合図書館

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東大生たちの学ぶ力を培い、学ぶ喜びを支え続けた図書館は、東大総長も務めた建築界の巨人・内田祥三が造り上げました。内田建築の特徴シンメトリーに、内田ゴシックと呼ばれる重厚な造形…「知」の殿堂は「美」の殿堂でもあったのです。そこに込められた内田の思いとは?今回は又吉直樹さんが、テレビ初公開となる『東京大学総合図書館』を訪ねます

 

日経おとなのOFF 2020年 絶対に見逃せない美術展(日経トレンディ2020年1月号増刊)
 

美の巨人たち 内田祥三・東京大学総合図書館

放送:2020年10月3日

 

 

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最難関の大学です。

入学するとしたらですけど。

今はちょっとご遠慮いただいているそうですが、入るだけならどなたでも入ることができます。

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東京大学本郷キャンパス

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そこに息を呑むほどの建物があります。

一歩入れば。

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「これはすごいですね」

まるでハリーポッターの世界のようですが。

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ここが東京大学総合図書館。

百年近い歳月の中で、東大の学生たちの学ぶ力を培い、学ぶ喜びを支え続けた知の殿堂。

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豪華です。しかも美しい。

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本日は又吉直樹さんがテレビ初公開、東大の図書館。知られざる美の世界へ。

驚くのは。

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喋りません。密にもなりません。読書の秋です。

ではお静かに。

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さらに今回は名だたる世界の美しい大学図書館もあわせてご紹介。

 

 

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文京区本郷にある東京大学本郷キャンパス

本郷から上野の不忍池に至るおよそ56ヘクタール。

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東京ドーム12個分という敷地の中に教養学部を除く9つの学部が集まっています。

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江戸時代この広大な土地には加賀藩の江戸上屋敷がありました。

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その名残が赤門です。

この赤門を抜けて数分ほど歩くと噴水のある広場。

又吉さんもちろん訪ねるのは初めて。お目当ての図書館です。

東京大学総合図書館。やっぱり雰囲気ありますね」

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今日の作品。東京大学総合図書館。

高さ31メートル。全長76メートル。中央部分は5階建て。

両側は4階建ての鉄骨鉄筋コンクリート作り。

現在ここにはおよそ130万冊の蔵書があります。

左右対称の揺るぎないシンメトリー。

そのデザインが。

「形面白いですね。本の背表紙が並んでるみたい」

確かに本棚のように見えます。

ベイウィンドウと呼ばれる張り出した窓がさながら背表紙のよう。

入り口には9つのアーチが連続し、それを支えるゴシック様式の太い柱。

重厚にして荘厳な造形です。

なぜ図書館の前に噴水があるのか。

その理由は後ほど。

では中へと参りましょう。

作者は東大総長も務めた建築界の巨人・内田祥三。

東大を作り東大を守り抜いた男。

「いきなり正面にかなり大きい階段が出てきましたね。これはすごいですね」

赤絨毯が鮮やかな、まるで光の大階段。

「簡単には本に出会えないんですね」

大階段を上る前に前に又吉さんは左側へ。

「天井高い」

ここは記念室と呼ばれている学生たちのための閲覧室。

天井の照明は創建当時に使われていたシャンデリアを復元したものです。

畳四枚ほどもある巨大な机が置かれています。

ウッドパネルの壁面には学生たちを見つめる二つの視線。

イギリス国王ジョージ五世から送られた雄鹿の剥製とインドのネルー首相が寄贈した

詩人タゴール肖像画

さて、本はどこにあるのでしょう。

「この階段は気持ちいいですね」

新入生がこの階段を上ると入学した喜びを楽しめるそうですよ。

 

 

 

登りきった三階のホールには。

「壮観ですねこれは。その奥にまた部屋がありますね」

三階で最も大きなスペースを割いているのが。

「本がありますねついに。ここで本が読めるんですね」

大閲覧室です。

東西の長さ70メートル座席数はおよそ300席。

天井や壁に装飾が施された広い空間に4万冊ほどの本が置かれています。

本たちはここでずっと、誰かの手に取られるのを待っています。

「これは読みやすそう。名前のプレートがありますね」

この机も創建当時から、90年前から使ってるものですが、だいぶ古くなっているので、寄付をいただいて今回改修したんですが、その寄付を頂いた方のお名前をプレートで」

「感謝の気持ちを込めて」

「又吉さんも寄付いただけると」

「寄付しようかなー。図書館のためなら」

 

 

 

ではこの図書館の誕生までの物語。

明治10年に東京医学校と東京開成学校が合併し誕生した東京大学

帝国大学と改称した頃にはジョサイアコンドルや、辰野金吾らによって建物や施設が作られ本郷キャンパスが整備されて行きました。

しかし。

大正12年関東大震災でレンガ積みの建物は全壊してしまったのです。

その時びくともしなかったのが東大のシンボル安田講堂です。

当時建設中だった安田講堂は鉄骨鉄筋コンクリート造りだったため被災を免れました。

その設計者こそ、当時建築学科の教授だった内田祥三です。

38歳の内田は震災復興計画を一任され、同僚や教え子たちとともに本郷キャンパスを一から作り上げることに情熱の全てを注ぎ込んで行きます。

「内田さんは全体を考えている。東大を全部内田ゴシックにまとめるって言う強い統一感とデザインがコントロールされてんですけど」

本郷キャンパスには内田が手掛けた校舎が並んでいます。

風格と威厳をたたえて。

内田ゴシックと呼ばれる建物は20棟以上あります。

まさに内田祥三は建築で東大を作ったのです。

何かでも力を入れた総合図書館の建設には潤沢な資金がありました。

ある人物から莫大な寄付金が送られたからです。

三階のロビーの一角にその証が。

「これはお手紙ですか」

「この建物が以前関東大震災で全焼してしまったんですけれども、その時にジョン・ロックフェラージュニア氏から当時のお金で400万円なんですけれども寄付しますよというお手紙のレプリカを記念で飾っております」

アメリカの石油王ジョン・ロックフェラー・ジュニアが東大図書館の被災を知り、400万円、現在のお金でおよそ100億円を贈ってくれたのです。

連なるアーチにはシャンデリア。

その先にはメダリオン風のデザインが施された大時計。

潤沢な資金で内田らは絢爛豪華な空間を作り上げたのです。

又吉さんが向かったのはこの図書館の心臓部ともいえる場所。

「本の香りが。見るからに貴重な本が並んでますね」

創建当時からある保存書庫。

関東大震災後寄贈された希少価値の高いものや、極めて学問的価値の優れたものを中心とした膨大な蔵書です。

「貴重な本とかだと、誰もが触れる環境だと怖かったりもしますけどね」

「本を守るためと、本を利用して欲しいというのはジレンマですね」

「多くの人が本を読めるようにっていう目的とするなら、10年後、20年後のこと考えるとこのスタイルで問題ないんじゃないかなと思いますけどね」

東京大学総合図書館の前にはなぜ噴水があるのか。

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建築家で東大の准教授でもある川添善行さんは。

「前の図書館は関東大震災による火災で焼け落ちてしまいまして、多くの蔵書が焼け落ちてしまいました」

東大は関東大震災で75万冊の蔵書を消失してしまったのです。

その苦い経験から内田は防火設備に力を入れました。

これから増え続けていく蔵書を守るために。

「この新しい図書館ではそうした震災による被害がないように、本がなくならないようにという震災からの復興の願いを兼ねて防火水槽の役割として作られています」

この噴水こそ、内田の考えた防火設備だったのです。

「この中にあるんですか」

いったい何が。

 

 

 

世界には実に美しい大学図書館があります。

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まずはポルトガルコインブラ大学。

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ジョアニナ図書館は世界遺産に登録されている文化と知識の殿堂。

まるで王宮のような絢爛たる書架には30万冊ほどの書物がぎっしりと。

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スペイン最古のサラマンカ大学の図書館に入ってみれば、まるで大聖堂のような趣。

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書物なのか美術品なのか。

思わずため息が出てしまうほど。

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東京大学総合図書館の前にある噴水です。

実はここに意外なものが。

「この噴水の下を覗いてみてもいただいてもいいですか」

「新しい図書館その下に埋まってます」

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2017年総合図書館の別館が噴水広場の真下に誕生しました。

その設計に携わったのが川沿い先生です

円形の空間なんですね

ライブラリープラザは

学生や研究者達がグループ学習

やプレゼンテーションを通じて議論や討論ができる

新しい図書館の空港

これがさっきな噴水のとこですかそうです

ちょうど噴水のマスターになっていて水の揺らめきがそのまま

こうしたいなとしてくるような場所

面白いですね

震災復興の願いを込めた噴水だったので

そのまま新しい図書館のトップライトとして活用してます。

天井を思っているのは天然杉の放射状のルーバー。

このデザインには川添先生の驚きの工夫にひゃく

人が同時に喋っても心地よいざわめきが残るように

音を乱反射させるような設計にしていて

ざわざわしてるんですけどうるさくないそれ

はこの杉の木の配置がはい

そういう役割を持ってるとなり

形さらに地下へと降りていくと

これが自動箇所

地下には巨大書庫46メートル15階建てのマンションに相当する三層構造になっています。

ここにはさんびゃく

まん冊の本を収めることができる

といいますか

すごいなんかチョコ内は無人化され

金の出し入れは全自動で行われます

こんな本棚を見たことないですね

ちょっと今までの常識と違います

仲良しちゃんぜひにと

何冊かリクエストしてみるようで

主に太宰治の作品と

それに関する本を借りてきました

とりわけ読みたかったのが太宰

な帝大生時代に書いた同族という短編

その新聞掲載の紙面と言う読書の秋です

静寂と沈黙の時が流れていきます

お邪魔をしてはいけないので

世界の図書館へ

アイルランドのトリニティカレッジです

歴史と文化に誇りを持った図書館は

実に美しいものですぼくがロングルームと

呼ばれるアイルランドの至宝さて

東京大学を建築で作った男

内田祥三には思わぬ敵が立ちはだかったので

いったいなぜ。

 

 

東京大学総合図書館を設計した内田祥三は戦中から戦後にかけて東大総長を務めました。

終戦間際の昭和20年6月のこと。

日本陸軍が本土決戦の拠点とするために本郷キャンパスをよこせと迫ったのです。

それに対して内田はこの場所こそ我々の死にどころと考えて

毎日の仕事をしている陸軍の要求を敢然と拒絶したのです。

敗戦後に戦ったのが占領軍GHQでした。

GHQをしたい黒の教団が貼り付けたんですけど

自分が東大の歴史を守るっていうそういう決意はちゃんと持ってたんだ

白の揺るぎない決意と覚悟でした

震災からの復興のために

渾身の思いで作り上げた学問の府と家の

伝道を守り抜くため

東京大学総合図書館で秋のひとときを過ごした

又吉さんいかがでした

東京大学の総合図書館見せていただきましたけど

もちろん建築の美しさっていうのは

あると思うんですけど

その建築の美しさみたいなものが

どこから来てるのかっていうのがちゃんと

そこに本が収められる場所で

本を読まれる場所であるって言うことを踏まえた上での建物になってるって言うのを

すごくここで過ごしてみて感じましたね

人の一生を決めることがあります

本当はそういうものです

図書館はその豊かな可能性の場所です。

ここににヶ月ぐらい泊まりたい

沈黙と静寂の中で学問に没頭するために建築ができることは何か。

本と出会い本に親しむ図書館は知性と理性の内田祥三。

東京大学総合図書館。学ぶ喜びを守るため海に浮かぶ重要文化財氷川丸

横浜のシンボルがまとめの人は

 

 

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「北脇昇 一粒の種に宇宙を視る」【アートシーン】

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北脇昇 一粒の種に宇宙を視る

 

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二つ並んだかえでの種は戦闘機。

枯れたひまわりの花は管制塔のようです。

この作品は日中戦争が始まった年に描かれました。

戦争の時代を中心に活躍した北脇昇の展覧会です。

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北脇は1901年生まれ。

京都で活躍しました。

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シュルレアリスムの影響を受けた画家として知られています。

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ユーモラスな顔と思いきや、実は無脊椎動物ヒドラとその断面図です。

今回の展覧会で特に注目しているのは図式を描いた作品群です。

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これは因数分解の公式を絵にしたもの。

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画面左下はAの二乗。

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2掛けるAB。

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右半分はA+Bの二乗を表しています。

北脇は作品についてこう述べています。

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「本来抽象的な概念内容の完成化を試みた。新世界への探検である」

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「前衛美術というと、ヨーロッパから新しいものが入ってきて、その影響のもとに作るって人が多いですけれども北脇昇は自分でいろんなことを考えて、どんどんそれを自分のものにしてしまう。

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そして戦争の時代の中で世の中がこの先どうなっていくかわからないっていう時に、ひょっとしたらそういう分からない時代でも何か法則があるかも知らない。それを絵にすることができたら世の中の役に立つかもしれないっていうふうに考えたらしいんですね。そこが北脇昇のとても面白いところだと思います」

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北脇の発想の背景にはドイツの文豪ゲーテの共感がありました。

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菜の花の影ゲーテの横顔になっています。

データは植物から芽が出花が咲くという変化を観察し、そこにある法則を明らかにしようとしました。

北脇もゲーテと同じ態度で世界を観察すれば何か法則が見つかるかもしれないと考えたと言います。

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北脇の関心は東洋の思想へも向かいます。

この絵では世界を陰と陽で解釈する中国の易の考え方を取り入れています。

上は陽の世界。下は陰の世界。

北脇は陰と陽とが混じり合い穏やかに調和する世界を表現しようとしています。

戦争中の困難な時代によって独創的な試みです。

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東京国立近代美術館で10月25日まで。

 

会場:足立美術館

会期:2020年9月11日~10月25日

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「横山大観の全貌 ―名画100点にみる至高の芸術―」【アートシーン】

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横山大観の全貌 ―名画100点にみる至高の芸術―

 

島根県足立美術館横山大観の名品が公開されています。

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無我。仏教の悟りの境地を無心の童子で表す斬新な発想。

画壇で注目を集めた29歳の頃の作品です。

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流れ落ちる滝。

湿った空気に覆われた岩の上では蓑笠姿の三人の船乗り達が綱を引いています。

空気や光を捉えようと、墨の輪郭線を引かない描きかた。

保守的な人々からは朦朧体と揶揄されました。

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大観円熟期の作品。

たなびく霧にはプラチナの切り箔や砂子をふんだんに用いています。

秋の風景を豪華絢爛に描き出しました。

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この展覧会は10月25日まで。

 

 

会場:足立美術館

会期:2020年9月11日~10月25日

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