チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

日曜美術館「洋画に日本人の魂を~画家・岡田三郎助~」

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日曜美術館「洋画に日本人の魂を~画家・岡田三郎助~」


今年生誕150年となる洋画家・岡田三郎助。

着物姿の女性を洋画の手法で描き、独自の「美人画」を生み出した。

女性のライフスタイルさえ変えたと言われるその画業に迫る。

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今年生誕150年となる佐賀県出身の洋画家・岡田三郎助。

5年間のフランス留学で、洋画の技法を学ぶと同時に、日本美術の良さを再認識した岡田は、帰国後、会得した洋画の技法で着物姿の日本人を描く。

その彫りが深く西洋風の女性像は、多くの女性の心をとらえ、やがて活動的な女性のライフスタイルを生み出すことにつながったと言われる。

「西洋と和の融合」を信条に多くの傑作を残し、大正から昭和をかけぬけた生涯に迫る。

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【ゲスト】アコーディオニスト…coba,佐賀県立美術館館長…松本誠一,【司会】小野正嗣,柴田祐規子

日曜美術館「洋画に日本人の魂を~画家・岡田三郎助~」

放送日

2019年6月30日

プロローグ

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片肌を脱ぎ佇む女性。

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洋画でありながらも日本画のような雰囲気を漂わせる独特の佇まい。

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あやめの衣

日本近代洋画の代表作とも呼ばれるあやめの衣です。

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岡田三郎助

描いたのは佐賀県出身の洋画家岡田三郎助。今年は岡田の生誕150年の節目にあたります。

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フランス・パリ

岡田は29歳の時フランスで5年間洋画を修行しました。

 

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目の当たりにしたのは歴史に名高い名画の数々。圧倒的な技量を前に、とても追いつけないと思い悩みます。

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「日本人である自分がどういう絵を描いて行こうかっていうこと。西洋と日本画を融合しようとした」

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帰国後からは洋画の技法を使って着物姿の女性を描きます。

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流行の髪型や装飾品で着飾った新しい女性のイメージ。

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伝統的な枠組みにとらわれず自由に生きようとする新たな女性の生き方を後押ししていきます。最先端の技法で日本の女性たちを描き、生き方に影響を与えていった岡田の絵。明治大正昭和。激動の時代を生きる女性に寄り添った一人の画家の奇跡に迫ります。 

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日曜美術館「洋画に日本人の魂を~画家・岡田三郎助~」

 

岡田三郎助

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佐賀市

岡田三郎助のふるさと佐賀県佐賀市

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岡田三郎助アトリエ

町の中心にある県立美術館の敷地におととし東京にあった岡田のアトリエが移築されました。

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築111年の木造の洋風建築。岡田は七十歳で亡くなる直前までここで絵を描き続けていました。天窓から差し込む柔らかな光を好んだという岡田。

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佐賀県立美術館

佐賀県立美術館では岡田の作品を定期的に入れ替えながら常設展示をしています。

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清楚(少女)

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花野

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婦人像

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少女読書

美人画の岡田と呼ばれるだけあり、会場には美しい女性を描いた数多くの作品が展示されています。

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裸婦

岡田晩年の傑作裸婦。

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肌のキメ。ひとつひとつを写し取るような色使いです。

 

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ポーラ美術館

岡田の最高傑作といわれる美人画が神奈川県箱根町の美術館に所蔵されています。

 

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あやめの衣

1927年に制作されたあやめの衣。

色を愛しほとんど黒の絵の具を使わなかったという岡田。

青茶黄色。

色を塗り重ね、髪の艶を描きました。まるで手で触れられるかのような存在感。

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桃色に染まる耳たぶは肌をあらわにする女性の心の内の現れでしょうか。

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岡田はこの絵を描くにあたってある西洋の絵から構図を借りています。

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花を摘むフローラ

花を摘むフローラ。火山灰に飲み込まれた古代ローマの都市ポンペイから見つかった有名な壁画です。

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無数の西洋絵画を見てきた岡田は自らの絵画にその豊富な知識をしばしば活かしていました。一方でこの作品には日本的な要素も詰まっています。

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例えば人物の背景は薄い黄土色一色。日本画の金屏風に習い、奥行を徹底的に排しました。1300点に及ぶ着物をコレクションしていた岡田。

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モデルの女性には江戸時代に作られた琳派模様の豪華な一枚を着せました。

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尾形光琳も描いたかきつばたと八つ橋が鮮やかです。

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さらにある特殊な技法を使ってこの絵が放つ独特の佇まいを生み出していました。

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その技法を見るために特別に作品を額から外してもらいました。

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内呂博之

「通常麻布。キャンバスを使ってその上に絵の具をのせるんですけども、

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この作品はキャンバスの上にクラフト紙をかぶせてその上に絵の具をのせているというそういう特徴があります」

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岡田はキャンバスに重ねるようにクラフト紙を貼りその上から絵を書いていました。

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フランス留学中に知ったその技法について岡田はこう記しています。

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「西洋に面白いものがありましたそれは紙に染料を引いてそれをまたはキャンバスに貼ってあるものです。

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それがまた不思議に美しい色を保っています」

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絵の具の油を吸収するクラフト紙。その効果で光沢がなくなり、あたかも日本画のような佇まいです。

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「岡田は和と洋というものを生涯のテーマとしているわけですが、まさに和と洋の融合というものの一つの帰結点であり、日本近代洋画の中の傑作美人画の傑作とも言われるし当然岡田の傑作中の傑作であると思うんですよね」

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あやめの衣。岡田三郎助の手によって西洋と日本が融合した世にも稀な一枚です。

 

スタジオ

では本日のゲストをご紹介しましょう国際的に活動しているアコーディオニストで作曲家のCOBAさん。そして佐賀県立美術館館長で長年岡田三郎助の研究をしてきた松本誠一さんです。

COBA

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洋行で学んだもの 

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1869年。文明開化と共に佐賀の家に生まれた岡田三郎助。実家は鍋島藩に仕えた武士の家系。

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6人兄弟の末っ子として大切に育てられます。その後、父の転勤で上京。そこで運命を大きく変える出会いがありました。

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同郷の外交官、百武兼行。岩倉使節団の一員としてロンドンで政治経済を学ぶ傍ら西洋絵画を学びました。

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臥裸婦

百武の代表作臥裸婦は日本人が初めて描いた裸婦の一つ。

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眩いばかりの光沢や油絵ならではの存在感に岡田はすっかり心を奪われます。

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洋画家を目指し、美術学校などで腕を磨きました。そして29歳の時、大きな転機が訪れます。文部省の第1回の留学生として芸術の都フランスのパリへと渡ることになったのです。芸術を通して西洋を理解することが求められていました。

 

岡田が師事したのは

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ラファエル・コラン


黒田清輝にも油絵を教えたフランス美術界の大物でした。

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西洋婦人像

留学中コランの下で岡田が描いた作品です。降り注ぐ光の下、彫りの深い西洋人の女性を色彩豊かに描いています。

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当時フランスでつけていた日記が佐賀県立美術館に残されています。

「これが手帳です」その中に師匠コランから指示された課題が記されていました。

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ホルバイン、レンブラントボッティチェリの絵を写せ。

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岡田が足繁く通ったというルーブル美術館。世界中から名画が集まるこの場所で岡田は日夜模写に明け暮れました。偉大な画家たちの圧倒的な技術を我が物としたい。しかし歴史も風土も異なる東洋から来た岡田にとって それは到底不可能に思えました。

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カンタベリー大司教ウィリアム・ウォーラム像

当時岡田が模写に挑んだ絵の一つがルネサンス期のドイツを代表する画家ホルバインの肖像画でした。

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キャンバスの大きさを原画に揃え岡田は精緻な描写を試みます。構図や陰影。特に岡田が苦労したのが背景の装飾品。

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光り輝く宝石の質感をいかに表現するか。三年をかけましたが最後まで満足な仕上がりにならなかったと言います。知人に宛てた手紙に苦しい胸の内が綴られています。

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「今は色の手習いだ。教師の絵と比較すると、どうして自分はこんなに不注意に画を描いたろうと気が付いては常にやり直しをやる実に万物を真面目にみうるまでが容易なことではないと思う」

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失意の底にあった岡田を勇気づけたのは師匠のコランでした。

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日本に強い関心を抱いていたコランはアトリエを日本の美術工芸品で飾り付けていました。そしてそれらを自らの会にも積極的に描いていたのです。

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文化の垣根を越えて自分が美しいと感じたものを描く。コランの姿が岡田の胸を打ちました。「日本人である自分がどういう絵を書いていこうか。油絵の技術力の上において当然西洋には太刀打ちできないと言うどっか意識が残ってると思うんですよね。そうした時に自分なり、日本人になりの油絵って物を作っていこう」帰国後、岡だが絵の主題として選んだのは着物姿の日本人女性でした。しかし構図は西洋の伝統的な肖像画。レオナルドダヴィンチのモナリザと同じ、四分の三正面です。着物の柄や質感も欧州で身につけた洋画の技法で丁寧に描き込みました。2年後にはさらに日本的な要素を盛り込んだ作品を発表します。この絵では女性が体と顔の向きを正面からずらしています。日本画の伝統的な構図です。背景には金屏風。琳派模様の立葵が鮮やかです。岡田は洋画を通して日本の美しさをもう一度発見して行きました。折しも時代は日本が日露戦争で大国ロシアに勝利し、一等国を目指して歩み始めていた頃。芸術でも西洋を模倣するだけでなく、日本独自のものを見いだす流れが生まれていました。その中でたどり着いたのが代表作あやめの衣。洋画を通して日本を発見して入った岡田の長い道のりの一つの到達点でした。

スタジオ

結構カルチャーショックっていうかありましたか。
「とんでもないカルチャーショックです。ローマ空港からテルミニ駅についてその駅の構内で口笛が聞こえたんです。ヴィバルディを吹いてね。なんじゃこりゃと。でも彼らは日本でいう民謡とかそういうものと同じように自分たちの祖先の作ったもんだっていう意識でビバルディとか当たり前のように。自分の持ってる楽器と同じものを持ちながら、子供たちがね僕18で行ったんですけど、10歳12歳の子供がとんでもないものを演奏していてのけぞりました」
「技術的、歴史的に圧倒的な力ですね。驚きを超えてるんじゃないかなというくらい」
「見えてくるものがあるんですね。自分は一体何者なんだろうというのは、1万キロ離れたヨーロッパだからこそ日本を俯瞰できるというか、自分の今まで暮らしてた国って何なんだろうね。自分はそこから来たんだけど実際どこから来てどこに行くんだみたいなことをやっぱり真剣に考えるのが留学した時代なんですよね。ものすごくそれは彼を苦しめただろうし、焦燥感の中でもでも確かな行く道と言うか自分の道みたいな鉱脈を与えたんだろうなとは思いますね」
岡田は個人の選択を声て背負っているもの、新しいその芸術文化っていうのを西洋、フランスから日本にもたらすってような使命っていうのもを背負ってたんじゃないかと思ってたのでは。
「その当時の国費の留学生。国から派遣をされるそれは大きな使命に国家を背負ってた。その第一号だから、日本人としてどういう絵を書いていくか油絵を書いていくか、その立ち位置って言うか、そういうものをまずはフランスにいた時から考え始めたと思った」
海外で勉強すると日本が少し前と違った風に見える。自分が出てきた土地が違った風に見える。そうするとでも元々持ってる日本で培ったものがあるから複眼的になるって言うんですかね。向こうで流行ってることをそのまま今度単なるコピーっていうか猿真似みたいになっちゃって、全然人達にとっても響くものにならないっていう課題があると思うんですよね。
「その一回行くじゃないですか。四年くらいね。しかし四年くらいだとかぶれたままなんです。帰ってきてかぶれたままでいるんです。けどでもそれでは若いときはちょうどいい時期。しかししばらくするとまた視点が変わっていって自分の本当の表現というものがだんだん見えてくる。複眼はまさにその通りで、目線が一個増えるような感覚はありますね」

女性の時代へ

西洋の絵画技法を通して日本を再発見していった岡田の絵。図らずもその後の人々の暮らしに大きな影響を与えていくことになります。国内最大の呉服店三越。1902年後需要が低迷する中大胆なビジネスモデルに転換します。多様な商品を陳列して販売するデパートメントストア。その宣伝の仕事が岡田に依頼されます。それは着物の最新トレンドを打ち出すための宣伝ポスターでした。ちなみに従来のポスターは浮世絵風。こうした中で登場した岡田の写実的な描写は絶大な宣伝効果を生み出しました。「従来の表現方法で着物を着た人物を描くよりも、写実的に描かれた女性像の方が本当に身近に感じられると。一般の方も自分もあの着物を着てきたらこういうことができるんじゃないかとか色々想像することができたと思うんですね。一般の方々の購買意欲を高めるというかそういう効果そういう意味があったんじゃないかなと思います」多くの人に知られることになった岡田の美人画。また新たな仕事が舞い込んできます。大手新聞社が企画した日本一の美人を写真で決めるコンテスト。その参加者を募る告知ポスターのメインビジュアルを書いて欲しいと頼まれたのです。岡田はこの絵にこれからの時代を生きる理想の自身のイメージを投影しました。大きく潤んだ瞳。ふっくらとした唇。繊細な色彩感覚に裏打ちされた描写が、まだ見ぬ日本一の美女への妄想を掻き立てます。指にはこのコンテストの優勝商品となるダイヤモンドの指輪が輝きます。岡田は次第に西洋化する社会の変化を感じ取り、新時代の女性のイメージを描きだしました。結局コンテストには7000枚を超える応募が殺到。最終審査の結果見事優勝を勝ち取ったのは大きな瞳とふっくらとした唇。岡田の絵を彷彿とさせる16歳の美少女でした。「新しい表現。目鼻立ちがしっかりしていて真っ暗とした唇をした可愛らしい女性像を描くことで一般の女性達にですね、これからは女性の時代だぞ。これから女性が頑張っていく時代なんだということを暗に示していたんじゃないかなと思います。これからの女性モダンな女性の象徴の作品だと思います」さらに岡田は活躍の場を広げていきます。

 

 

取材先など

 

放送記録

av98ingram.wpblog.jp

 

書籍

新美の巨人たち 「太陽の塔」

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太陽の塔

 

f:id:tanazashi:20190704214014p:plain立ち続けて49年…約70mの高さを誇る『太陽の塔

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1970年、日本万国博覧会のテーマ展示プロデューサーに就任した岡本太郎が創り上げた塔。

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彫刻なのか?建造物なのか?そもそも何のために造られたのか?

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そして半世紀ぶりに蘇った、内部に聳える「生命の樹

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その神々しいまでの美しさに隠された秘密とは?

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芸人・又吉直樹さんが、太郎の発した数々の言葉から『太陽の塔』の真の姿に迫ります。

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美の巨人たち 「太陽の塔

放送:2019年6月29日

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太陽の塔には三つの顔があることが知られています。

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知られざる四つ目の顔とは。

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太陽の塔に住民票があるならばお住まいは大阪府吹田市千里万博公園。かつてここに世界中から人が集まりました。日本万国博覧会。テーマは人類の進歩と調和。海外や企業からのパビリオン総数は116に及びました。あれから49年。高さ日本一の大観覧車に大阪出身の又吉さん。又吉さんにとっては新鮮なアングルです。「車で通りかかった時に、あれなんだろう。何か面白そうやなっていう感覚で見てた記憶がありますね。自分が大人になっていくのと合わせてこういうものだったのかってわかっていくような気がしますね」
今日の作品。太陽の塔。高さおよそ70メートル。基底部の直径およそ20メートル。鉄骨鉄筋コンクリート製の構造物です。大地にどっしりと根を張り、大きく左右に広げた腕はまるで翼のようにも見えます。正面中央には巨大な太陽の顔。又吉さんにはどう見えたのでしょう。「感情が読み取れない。なんか怒ってるようにも見えますよね」しなやかなカーブを描く首筋。その先に黄金の顔。「存在がありすぎて」白移動体を貫く赤いイナズマの閃光。「僕一回だけ芸名つけようと思った時があって、又吉万国博覧。万博ってむちゃくちゃ人集まってくるじゃないですか。その名前だと万博って呼んでもらえるのかなとか。相方の綾部にはモータープールって名前つけてくれって頼んだ。人が集まった時、駐車場にいりますから。でも反対されたんですけど。つけとけばよかったなあ」背後に回ってみましょう。
「黒い顔が出てきました」背面には第3の顔黒い太陽。 作者は岡本太郎。絵画彫刻写真執筆活動。生み出した作品はぼう大にして企画外。芸術家という肩書きだけではとても語れません。本職は何かと聞かれこう答えました。「人間だ」岡本太郎日本万国博覧会のテーマ展示プロデューサーに就任したのは1967年のこと。我が国初の万博が掲げていたテーマは人類の進歩と調和。しかし太郎は一人真っ向から反対したのです。「進歩と調和とは逆だと思うんですよ人間は進歩しないから」岡本太郎はほとばしる言葉の人でもあります。「なんでもいいからやってみる。それだけなんだよ」「芸術はきれいであってはいけないうまくあってはいけない。ここちよくあってはいけない」「全生命が瞬間に開ききること。それが爆発だ」
日本万国博覧会のテーマ館には巨大な大屋根が設置されることが決まっていました。設定は昭和を代表する建築家丹下健三。ところが。「優雅に収まっている大屋根の平面にべらぼうなものを対決させる」技術な象徴である大屋根を突き抜けろとばかりにべらぼうなものを立ち上げたのです。それこそ60分満足する調和なんて卑しい。では岡本太郎はこの太陽の塔で何をしようとしたのか。「太郎は本当の祭りにしなきゃいけないんだと万博をですね単なる技術がお店が明日ではなくて人類の新しい祭りにすべきだ。単なる技術を見せあうとものではないと考えていた」人々の思いが凝縮し、高まり、爆発する。国境も宗教も思想も超えた壮大な祭り。そこに、「祭りであるためには神聖な中核が必要だ。それを会場の中心にどっしり根を張ってすえつける。おおらかなすごみですべての人の存在感をうちひらき、人間の誇りを爆発させる司祭として」つまり太陽の塔は人間の熱狂と興奮を見下ろす司祭なのです。では司祭の体内はどうなっているのでしょう。昨年長らく閉鎖されていた太陽の塔の内部が改修され公開されました。地下に広がる不可思議な空間。その中心に地底の太陽。太陽の塔の外側には三つの顔。そして地底を照らす第四の顔です。実は現在展示されている地底の太陽は復元されたものです。担当したのはフィギュア界の老舗海洋堂です。原型を製作した木下隆さんは復元する過程で奇妙なことに気付いたそうです。「当時の写真ではですね片方の目がすごく歪んでいる風に見えたんですよ。これは円にしたかったのに歪んでしまったんじゃないかっていうことで、正円に近い復元したんですけども」確かに歪んで見えますね。ところが原型を実物大に拡大したところ思わぬ発見があったのです。「拡大したものを見たときに両方ともまん丸だとなんかつまらないなっていう話になりまして、歪めてもらうように修正入れてもらったんですよ。当時その岡本太郎さんがちょっとしたらその表情を豊かに変えるために狙ってわざとそうにしたのかなっていう風にちょっと考えました」そこに天才的な芸術家の勘が働いたのかもしれません。現在地底の太陽はプロジェクションマッピングにより様々な表情を見せています。岡本太郎の世界と精神を受け継いで。
さらにその先には太陽の塔にとって最も不可欠でありながら、長らく失われていたものが。
闇の中に建つ太陽の塔たった一人。その内部に又吉さんが。「これ面白いな。すごい綺麗」高さおよそ41メートル。そびえ立つ巨木です。大きく広げた枝には様々な生き物たちの姿。開催当時の映像です。見たこともない色鮮やかな世界に子供達は目を輝かせたことでしょう。万博閉幕後、内部は長年にわたり半ば廃墟となっていました。色はくすみ展示物は著しく劣化しました。再生を望む声に応え、耐震工事を施し、生き物たちは新たに作り直されたのです。再生した生命の樹。その構成は四つに分けられます。原生生物の時代から幹を伝って生命の進化をたどるので根元に群生するのは単細胞生物たち。岡本太郎が最も力を入れたのがこの原子の生命群でした。古生代の生き物が生れ、命をつなぎ、世代を重ね、やがて陸へと。哺乳類の時代です。頂点に立つのはラスコーの壁画など芸術を生み出したクロマニヨン人。40億年にわたる命の物語。生命の樹太陽の塔にとって絶対に欠かせない存在です。なぜなのか。「見ればわかる。動脈であり静脈だ」エネルギーを隅々まで行き渡らせるように四方に枝を広げ壁一面を覆う波状の鉄板。内部の音響効果を考えてのものですが、太郎はこれを脳のひだ。知のひだであると捉えていました。だから赤い血の色で。太陽の塔は内臓を取り戻し再生しました。いのちの記憶を宿す一個の生命体として。万博のパビリオンは終了後6ヶ月以内に撤去されることが決まっていました。太陽の塔 この時取り壊されるはずだったのです。でも今も立っています。なぜ残ったのか。「太陽がいろんなものに生命を与えるようにこの太陽の塔もいろんな人にパワーを与えるんだっていうことを岡本太郎さんご自身が信じたんでしょうね。それを感覚的に捉えてしまった人は潰したらあかんやつじゃないのっていう皆直感的に感じたんでしょうね。それ僕もすごくわかるような気がしますね」又吉さんの前には吸い込まれそうなトンネルがずっと続いています。何でしょうこれは。生命の樹をめぐる階段を上った先に不思議な空間が。実はここ左右に広げた腕の内部。その色彩も鮮やかに変わります。神秘なトンネルはイマジネーションの翼。科学技術の進歩と輝かしい未来を歌い上げるという万博の使命の中で果たして太陽の塔とは一体何だったのでしょう。「工業社会の進歩感ををベースにした万博がずっと脈々と受け継いできたものに真っ向から違うというメッセージを発しているのはこいつだけです。万博史に残るただ一つの異物です」熱狂と興奮の日々が終わり、大屋根も撤去され太陽の塔はこれから何と対峙するのかと聞かれた太郎は即座にこう答えました。「宇宙だ」「地球上ではないところやっぱり一つ上をいく感覚やなと思いますね。屋根がなくなったから空とかっていうのがまあ普通かなと思うんですけど、宇宙から何かそういう知的生命体みたいなものが来た時にはここに留まりそうですもんね。それやっぱりさすがやなと思いますね」体内に命の記憶を宿すべらぼうの塔です。万博の歴史上ただ一つの異物。岡本太郎太陽の塔。深く静かに今も宇宙と向き合って。

プライス夫妻のコレクション出光美術館が購入。展覧会も

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鳥獣花木図屏風


出光美術館が、伊藤若冲のコレクターとしても知られるエツコ&ジョープライス夫妻のコレクション190点を購入しました。

コレクションの中には伊藤若冲の「鳥獣花木図屏風」や丸山応挙の「虎図」、酒井法一の「三十六歌仙図屏風」などが含まれています。

プライス夫妻は高齢のためいずれはコレクションを日本に戻すことを考えていました。出光美術館では購入した190点の中から80点を紹介する特別展を2020年9月に開催する予定です。

 

マルタ・クロノフスカ 不思議ないきもの【アートシーン】

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マルタ・クロノフスカ 不思議ないきもの

 

マルタ・クロノフスカ
不思議ないきもの

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ガラスで作られた魚。光を通すとみずみずしさが際立ちます。

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イメージしたのが歌川広重の浮世絵です。不思議な生き物たち。ポーランドの作家マルタ・クロノフスカの展覧会です。

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18世紀の版画に描かれた女性と犬。

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足元の犬が吠えています。その犬が真っ赤なガラスに変身しました。

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マルタ・クロノフスカ 不思議ないきもの

富山市ガラス美術館で9月23日までです。

 

会場:富山市ガラス美術館

会期:2019年4月27日~9月23日

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「昭島・昭和の森 武藤順九彫刻園 開園」【アートシーン】

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昭島・昭和の森
武藤順九彫刻園 開園

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様々な命が息づく自然界。その生命力あふれる姿と共存する作品の数々。

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彫刻家画家として活躍する武藤順九さんによるサークルウィンドウのシリーズです。

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東京昭島市にある昭和の森を舞台に、今月オープンした彫刻園で公開されています。

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森の小道を巡ると現れる彫刻。武藤さんが世界各地に設置した作品の1/2モデルなど9点が常設展示されています。

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作者の武藤順九さんです。

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25歳の頃、彫刻の本場イタリアで大理石に魅了され、以来現地で彫り続けています。

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武藤さんの作品は様々な宗教的聖地に永久設置されています。

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バチカンでは抽象の彫刻として初めて設置されました。

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インドではブッダが悟りを開いたという菩提寺を祀る寺院に作品が置かれています。

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さらにはネイティブアメリカンの聖地・デビルスタワー公園にも据えられているのです。彫刻園の1/2モデルはそれぞれの聖地の精神を伝えます。

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バチカンにある作品がもとになっている彫刻。イタリアの大理石ならではの縞模様が鮮やかに浮かび上がります。

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仏教で悟りを表すと言う円。

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仏教の聖地に置かれた作品を紹介しています。

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そしてネイティブアメリカンの聖地に置かれた作品。見る角度によって表情を変え、荒ぶる自然を内包しているかのようです。武藤さんが自作を森の妖精と位置付け自然と共に楽しんでほしいと言います。

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「彫刻が主体でもあるし森が主体でもある。つまり何て言うのかなアートっていうのは文化の一つの雫だと思ってるのね。純粋のしずくでありたい芸術は。その美しい雫を自然の中で堪能してほしいなっていう。日常の生活の中にもこんな素敵な場所があるんだという。そこにアートが一緒に参加してるんだよって言う。僕はそれでいいと思う」

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天候や季節で刻々と変化する自然。大理石彫刻の表情も移り行きます。 

 

会場:昭島・昭和の森 武藤順九彫刻園

会期:2019年6月9日~

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没後30年 市民が愛した北川民次【アートシーン】

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没後30年 市民が愛した北川民次

 

没後30年
市民が愛した北川民次

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瀬戸市立図書館

愛知県瀬戸市にある北川民次が手がけた壁画。

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その原画がこちら。メキシコで活躍した北川民次。没後30年を記念した展覧会です。

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サボテンと家

帰国後過ごした瀬戸市で市民たちが手元にある北側作品を持ち寄りました。

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母子像

北川が好んだモチーフ。母子像。

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内裏ひな

子供の誕生を祝って送られた絵。

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没後30年 市民が愛した北川民次

市民たちの大切な一枚が集まった展覧会は瀬戸市美術館で来月28日まで。

 

会場:瀬戸市美術館

会期:2019年6月1日~7月28日

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開館40周年記念 下瀬信雄展 天地結界【アートシーン】

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下瀬信雄展


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開館40周年記念
下瀬信雄展 天地結界

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山口県立美術館で写真家下瀬信雄の展覧会が開かれています。

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20代から下瀬がファインダー越しに見つめるのは地元萩の光景。

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この地の自然の持つ力強さも30年近く見つめ続けてきました。

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日々の営みの中で発見した風景。

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来月7日までです。

 

会場:山口県立美術館

会期:2019年5月23日~7月7日

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