チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

日曜美術館「私は世界でもっとも傲慢な男 ―フランス・写実主義の父 クールベ」

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理想化された美ではなく、一般庶民の葬式や自らのアトリエを巨大なカンバスに描き、19世紀フランス画壇を騒がせたクールベ

写実主義を唱え、故郷の自然や海をありのままに描き、モネなど印象派の画家たちに多大な影響を与えた。

その人生は波瀾万丈!権力への反抗、売れっ子の名声、政治活動による投獄、そして亡命の悲劇――しかし画家は一貫して「目に見えるもの」を描き続け、「生きた芸術を生み出す」ことを追求した。 

 

 

 

日曜美術館「私は世界でもっとも傲慢な男 ―フランス・写実主義の父 クールベ

放送日

2021年5月2日

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髪をかきあげ正面を見据える男。

絶望と題した画家24歳の自画像です。

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ギュスターヴ・クールベ

19世紀のフランスで写実主義を宣言。

美術史を塗り替えた男。

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ヌード。

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風景画や狩猟画。

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自らの目に映るものをありのままに描き、後の印象派への道を開きました。

しかし時代の先を行く表現は次々にスキャンダルを巻き起こします。

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《オルナンの埋葬》

描かれたのは葬儀に集まる村人たち。

庶民の美とは理想的な人は正反対で醜すぎると酷評されました。

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そして反体制的だと非難の嵐にさらされた《画家のアトリエ》

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絵の中央には自信満々に筆を執るクールベ自身の姿が描かれています。

画家はこの絵に対する世間の批判に毅然として答えました。

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私は目に見えるものしか描かない。

自ら世界で最も傲慢な男と名乗ったギュスターヴ・クールベ

その画家人生を紐解きます。

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日曜美術館です。今日は19世紀のフランスの画家・ギュスターヴ・クールベを取り上げます。

フランス文学をやっとりますという19世紀に必ず出てくる名前であると思いますが、あんまりよく知らないんです。

クールベについて一緒に見てくださるゲストをご紹介しましょう

西洋美術史がご専門の三浦篤さんです。よろしくお願いいたします。

大学の学生さんたちのゼミでもクールベを取り上げたこともあると伺ってます。

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クールベはとても重要な画家ですから時々ゼミで取り上げることもあります。ただ印象派と比べと日本ではあまり知られていないかもしれません。しかし自他とも認める傲慢の男ということで、大変な自信家で傲岸不遜と疎まれても致し方ないような言動が非常に特徴的な画家です」

今日はその人生と作品をじっくりと見て行こうと思います。スタジオに代表作《画家のアトリエ》があります。

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すごく大きいですね。

「大きなサイズで縦が3.6メートル横が6メートルということで、こんな巨大サイズは当時も非常に珍しい。真ん中はクールベです。19世紀フランス絵画においても歴史画であるならばこれぐらいの大きさはありえるんですけれどもちょっと例外的な作品。神話や宗教といった主題であるならばこれぐらいの大きさはまあり得ますけど、クールベと様々な現実の人物が登場しますから、これでこの大きさというのは法外ですね」

当時は非常に受け止められにくかった作品なんですか。

「当時はなかなか難しかったと思います。何故この主題でこれでこんな大きなサイズで描くのだろうかというのがまず理解不能ですし、じゃ何が描かれてるか、というのもよく分からない。問題作だっていうこと認識はあったと思います。決して簡単に受け入れられた絵ではありません」

何故当時はこの作品が問題作と受け止められたのか。

時代背景とともに見ていきます。

 

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フランス東部スイス国境に近い小都市オルナン。

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1819年。クールベは裕福な農場主の家に生まれました。

幼い頃から絵が好きでデッサンに明け暮れる日々を送ったと言います。

二十歳になると父の強い希望により法律家になるためパリへ。

しかし幼い頃からの夢を忘れられず、ほどなく画家の道を志します。

正式に美術学校には通わず、独学でドラクロワレンブラントなど巨匠たちの模写を繰り返しました。

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24歳の自画像《絶望》

3年連続でサロン会の落選が続く中、描かれました。

まだ何者でもなかった若き日の姿。

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この頃、夜毎通いつめたのが知識人のたまり場だったビアホール。

ボードレールやプルートンなど自然や哲学者たちと熱い議論を交わす中、この混沌とした現実そのものを描きたいとの思いが芽生えます。

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そして誕生した世紀の問題作《オルナンの埋葬》

故郷の村で葬儀に集う無名の人々。

実在する人物のスケッチをもとに等身大のサイズで描かれています。

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副題には「これが歴史画である」と示されました。

歴史画とは神や英雄を理想化して描くジャンルでした。

しかしクールベは今を生きる普通の人々こそが歴史画にふさわしいと主張したのです。

この絵は伝統的な美を重んじるサロンへの反発とも捉えられ、酷評の嵐にさらされました。

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私は誰のことも気にならない。人は私をうぬぼれだと非難する。実際私は世界で一番傲慢な人間である。

《オルナンの埋葬》の発表直後。

 

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フランス社会に激震が走ります。

1852年。ナポレオン3世が皇帝に即位。

市民中心の体制が終わりを告げます。

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こうした中、クールベはまたしてもスキャンダル必至の作品をサロンに送り込みます。

伝統的な美しさとは対極の肉付きの良い裸体画。

サロンに現れたナポレオン3世はこの会を鞭で打ったと伝えられています。

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そして2年後。舞台は皇帝の威信を示す第1回パリ万国博覧会

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クールベはここにまたもや問題作を準備します。

画家のアトリエ中央に画家自らの姿を描いた大作です。

画面右側はクールベいわく、生きている世界。

彼を支持する仲間が描かれています。

左側は死んでいる世界。

強欲な商人や貧しい人々などフランス社会の現実を暗に描きました。

この作品は万博への出展を拒否されてしまいます。

クールベは引き下がりませんでした。

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万博会場のすぐ近くに小屋を建て、個展を開きます。

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そしてこの自己の芸術論を宣言。

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これが写実主義レアリスムの始まりでした。

私は目に見えるものしか描かない。

生きた芸術を生み出すことが私の理想なのだ。

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という大作ですが、どんなふうに見られましたか。

万国博覧会美術展の向こうを張って個展を開いたということなんですけれども、これは画家が行った本格的な個展の最初の例です。しかも昭和の万博会場を一フラン入場料取ったんだけども、クールベも一フラン入場料設定しまして、あまりの自分のことに人が入ってくれないということで値下げしたんですけど、それでも入らなくて結局興行的に失敗したってわけですよね」

でも万博会場の隣に作っちゃうんですから大変な強気ですよね。

今沢山の人間が書かれてます。

「こちら側がクールベの理解者や支援者ですよね。友人で美術評価のシャンフルリーがいたり、

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ボードレールがいたり。自分を理解してくれる支援者。友人を右側に置いてます。こういった人たちに支えられて自分が制作活動を続けていることだと思いますね。左側。後こちらの絵は友人に宛てた手紙の中で説明しておりまして、

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例えば一番左側にはユダヤ人がいるとかですね、一人右側には司祭というようにですね、漁師とか道化役者とか労働者とか、貧乏人と金持ちがいるとか。搾取されるものとした搾取する者がいるとかそういう言い方もしていまして、悲惨な現実社会をも表してるという風に言ってます」

そうするとどういうイメージで書いてる。

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「そのヒントになるのは、この画家のアトリエという作品の副題だと思います。副題は"私の芸術生活の7年間にわたる一時期を定義する現実的寓意"と長いですね。芸術的寓意7年間ってどういうことか言いますと、1848年からこの作品が描かれた1855年までの7年間を表している。48年2月革命というですね。市民革命が起こるんです。それによっては民衆が主人公の共和制の社会が成立すると思っていた。ところがあの有名なナポレオンの甥にあたる人物が大統領となりその後クーデター起こして第二帝政という新しい制裁で作ってしまう。専制的な圧政的な政治が復活するわけですよね。そういった第2帝政の社会に対するクールベなりのアンチテーゼっていますか、決して幸せな世界ではないということですよね。二月革命以前に前衛的な芸術家たちと付き合いもあったし、社会主義思想にも共感してましたから、そういったものがクールベの思想的な基盤を形作った」

帝政によって社会の中でも格差が広がり現れたその現実を描くと

「そうですね自分はその現実をしっかり描いていくのが彼のミッションだったわけですよね。特にこの7年間というのは一番はある意味で闘争的だった時代いいんじゃないでしょうか」

搾取する代表者みたいな人は描かれているんですか。

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「いろんな説があるんですけれども、特にこの一番目立つ座っている人物です。この人この人はあの当時から実は猟師なんですけど、密猟者という風にも言われてまして皇帝ナポレオン3世その人を表してるのではないかという説があります。これどういうことかと言いますと、ナポレオン三世はクーデター起こしてですね第二共和政を乗っ取ってしまう簒奪者だということですよね。そうしますとこれは悲惨な第二帝政の社会を作った責任者中心人物ことになりますよね。ただ重要なのはそれを明確に分かる形で描いたのではないです。明確に書いてしまえばこれはクールベの身に危険が及びますからそういうことはできない。でも見る人が見ればあーそうなんだなと分かるような暗示と言うかほのめかしというか。そういった意味においてこれは寓意的性格あるんだと思います。挑発的ですね。これはナポレオン3世はこの上を見たら、私を批判してるのかなって思った可能性は十分あります」

しかも中心にいるのはクールベ本人ですね。

「世界の中心にいるのは自分自身でクールベで、政治の世界では中心はナポレオン三世。でも芸術の世界、絵画の世界では私が主人公。まさに権力者と拮抗する存在として自分を描き込んだのです。何かこう教え諭していてそれをうなだれて聞いてるかのような構図になってまして、そのあたりももしかしたらクールベの意図にあったのかもしれない。自分を堂々とした人物。まあ非常に挑発的な作品ですよね」

でもその絵をちゃんと購入してくれる人達もいたってこと。

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「南仏モンペリエ銀行家のアルフレッド・ブリュイヤスです。お金があってドラクロアとかクールベとか認められない画家の作品を集めるのが好きだった人で、仲良かったですねで実際にあの南仏にの自宅に招かれてます。

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《出会い》という有名な絵がありまして、今日はクールべさんともいわれてますけれども、まさにクールベを出迎えたパトロンと向き合って立っている方なんですけれども。その時帽子を取っているのはパトロンのブリュイヤスの方。本来は芸術家の方が後に対してはへりくだるというのがそれまでの常識だったんですけど、クールベは堂々と、私は自立してる画家でなんだですね、パトロンに対してへりくだるところはないって言うのがそれまでの常識だったのですが、クールベは「私は自立している画家」で、パトロンに対してへりくだるところはないっていう気概が表れているんだと思います」

既存の価値に異議申し立てするっていうか。

「自信があり、それだけの作品を残したということ言えますよね」

実力が伴っているって言う

「そうですね。口だけではないって」

絵もうまかったら上手に世渡りする方法もあったと思うんですが、何故そこまでファイティングポーズを取り続けたんですか。

「自分の信念を曲げなかったってことと思いますね。民衆のためのレアリスム絵画を世に向けてさせてみせるって言う野心がありましたから、それを実現するために妥協するんじゃなくて、へりくだる権力者におもねるのではなくて、自分の信念を曲げないでそれを実現したいという強い意志があったんだと思います」

実力があるからできるって事ですよね。周りを納得させるって言うか有無を言わせない。

「味方になる人が出てくるわけですから、支援、サポートしようという人が出てくるところはやっぱりクールベの力でしょうね」

そんなクールベですけれども実は後半戦になり新しいテーマと出会うことになります。

 

ありのままの現実を描く。

クールベの眼差しは様々な対象に注がれていきます。

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荒々しい野生の動物を狩猟画その一つ。

毎年、秋になるとふるさとに帰って狩りをしていたクールベ

地元に伝わる獲物を木に吊るしその肉をを猟犬と分かち合うという儀式を描きました。

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雪の中。

一頭のメスを巡って争う2頭の牡鹿。

「実際にあった出来事をもとに、わずかな理想もなく数学のように正確に描いた」と自ら語っています。

厳しい野生に対するクールベの敬意が伺ええます。

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40歳でクールベは新たなテーマと出会います。

鉄道の開通によって始まった観光ブーム。

海辺の家ノルマンディーは中産階級のリゾート地として大人気になっていました。

多くの画家たちもこの流行の地に出かけ次々と新しい絵を生み出します。

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クールベと同時代の人気画家ウジェーヌ・ブーダンが描いた《浜辺にて》

日傘や帽子、華やかな衣服を纏った女性たち。

当時の浜辺は社交の場でもありました。

人気を博した華やかな海の絵。

しかしクールベが描く海の絵は全く違っていました。

どんな絵なのか小野さんが訪ねました。 

 

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海の絵ばっかしですね。たくさんあるんだ。

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例えばこちらの作品はいとしては非常に革新的な描かれ方になっています。

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純粋に海そのものを見たままによく描いていました」

生涯、100点あまりの海の風景画を描いたクールベ

そのうちの40点が波そのものをクローズアップして描いた作品です。

「波の崩れ落ちる瞬間の白いところ。実は絵筆ではなくって、パレットナイフに白い絵の具を続けて、直接盛り上がるように表現しているというのは非常に革新的な技法であったと思います」

なぜクールベは波ばかりを描いたのか。

その手がかりは彼が描いた故郷の風景画にあるといいます。

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クールベが生まれ育ったオルナンで見れる岩山を主題とした作品です」

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故郷オルナン。

ここでクールベは複雑で野性味あふれる風景を繰り返し描いています。

当時クールベの絵を好んだのは地方の収集家でした。

クールベの描く自然は単に美しいだけでなく、時に人間を圧倒するような厳しさも持っていました。

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「岩肌のゴツゴツとした表現ですね。絵筆だけではなくてパレットナイフで少し盛り上がるように描いている」

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ありのままの姿を写し取ることにこだわったクールベのまなざし。

海の連作はサロンからの絶賛を受けます。

時代がクールベに追いつこうとしていました。

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ノルマンディーの海はその後の美術史を動かす舞台にもなっていました。

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喧騒を離れて海を描き続けていたクールベ

ある人物と出会います。

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19歳のクロードモネです。

二十歳あまりの歳の差を超えて意気投合した二人。

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二人で何度も通ったのが象の鼻の形をした奇岩で知られるエトルタ海岸でした。

サロンに出品され大成功を収めた一枚。

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クールベは季節や天候によって姿を変えるこの海岸を繰り返し描きました。

あるがままの自然に目を凝らしたクールベ

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印象派の巨匠モネがこの場所で連作を描いたのはその20年後のことでした

 

「若きモネと出会ってた。先輩画家ですから、ノルマンディーの浜辺でモネと出会った時は、それなりに面倒を見たんじゃないかなと思いますね。モネは当時ブータンっていう画家の教えをうけてまして、クールベブーダンと一緒にノルマンディーの浜辺で戸外制作も試みてます」

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本物の海を前に何時間も時間を費やして後ずっと観察してきた。ありのままが波の絵に描かれてるっていう事なんですか。

「そうだと思います。これまでは人との関係で描いていた。船を描いたりとか。崇高の理念をそこに入れたりとか、色々な形で人間というフィルタかかって言ったんですけど、本当に純粋な自然とダイレクトに向き合う。海を前にして波と自分しかない世界ですよね。これはちょっとそれまでの風景画にはなかったのかなと思います。それがクールベリアリズムだと思うんですけれども、本当にダイレクトに自然と向き合って、私は自然と同一化しようとしてるんじゃないかっていうぐらい距離の近さを感じますよね。ですからあの波も視覚的にとらえたというより、パレットナイフを使ったということはありましたけども、物質的な存在として描いてる感じありますよね。よく知ってる物質的な存在としての波を繰り返し描く。自然というのは根源的なもので、人間にとってそこから力とかエネルギーをクールベなりに充填していたんじゃないかな」

自分と世界。

「私はどこまで行っても、クールベはいい意味で自分と世界じゃないかなと思いますね」

自分の目に映った今目の前で見える波を書き続けるって言うようなスタンス。

自分の目に自分の目に映ったものを描くっていうところでは、今近代的な芸術家っていうのはご自身の個性を発揮して作品を作るっていうようなものだと思ってますけど、クールベ近代的な芸術家っていうものは原型というところにあるんでしょうか。

「その端緒の位置にあるんじゃないかなと私は思いますね。ここまでエゴセントリック等で自己中心的な。そういうスタンスで海外に向かい合って絵を描いていた画家ってそれ以前にちょっといないんじゃないかなと思うんですね。それまで決まりきった定型的な主題もあるし描きかたもあるし、そういうのに従って描いていたところに、"俺は俺のやり方で描くんだよ"ということを堂々と自由に大胆に行ってしまったら、これはスキャンダルもなるでしょうし、それ味方も敵も作りますよね。近代芸術家の最初の所にいた一人ではないかなと思います」

クールベの姿を後に続く若い人たちは見て、ついて行った。

「そうですね。クールベが突破口を開いて、その後マネとか印象派が続いたって言う人がついていったところがあるんじゃないかと思います。例えば海の上でも印象派の絵とどういう風につながるのかっていうことなんですが、おそらく基本的に直接的にはつながっていかないと思うんですけれども、自分の感覚で自然を見て、自由に描いていいんだということクールベが示したわけですよね。そういう先例を示した。若い画家たちはそうやって自由に自然を描いていいのだと思いますから、そういった意味においては印象派につながる道もあるのかなと思います」

みんなが疑問に思っていなかったことが全然自然なことじゃないんだよって言う違う見方もあるんだよってことを常に提示してるって言うんですね。

「新しい見方もあるし、新しい描き方もあるんだということを突きつけていったのがクールベじゃないでしょうか」

そんなクールベが後半生その力が認められるようになった頃にはこんな風刺画で描かれるようになるんです。

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これ有名な風刺画ですね。

1860年代以降のクールベはそれなりに売れる画家になってしまいましたので、お金もある程度できるし人気も出た。そうすると元々美食家でお酒が好きでフランス東部出身ですからビールですよね。こういった風刺画もたくさんあります」

本人に良かったですかね。

「普通に考えるとこんな風刺画を描かれるのは良くないんじゃないか。ですけど本人はどちらかと言うとちゃん喜んでた節もある。というのは宣伝になりました。自分のイメージが広がりますから。炎上商法みたいな感じですよね。どんどん宣伝してくださいって言うんですよね自分のイメージを演出していた画家なのかなっていう風に思います」

現代的な人ですね。

付き合いにくい人だとかもしれないなと思ったりもしましたが、この後クールベの人生には大きな出来事がおこります。

 

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1871年普仏戦争ナポレオン三世が囚われの身となりパリコミューンが設立されるとクールベはこの動きに加わります。

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51歳。

美術館員会議長も務めていた中、ある声明を出しました。

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先立つ政権は芸術を保護し自発性を奪い去ることによって芸術をほとんど破壊した。現現在フランスで起こりつつある革命において、世界を仕切るべき芸術が遅れを取るのは馬鹿げたことである。

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そしてある提案をしました。

 

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パリのシンボルの一つ、ヴァンドーム広場

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そこにたつ記念柱の上にはナポレオンの像が載っていました。

その像を取り外し新たな社会の誕生を知らしめよう。

そこで事件は起きました。

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過激化したパリコミューンの一派が記念柱を引き倒し、破壊してしまったのです。

この事件の首謀者として逮捕されたのがクールベでした。

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実はその10日前。

パリコミューンが崩壊。

記念柱の刷新を提案していたクールベに新しい政府は疑いの目を向けたのです。

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パリコミューンの仲間が次々と処刑される中での逮捕。

無実を争うことはしませんでした。

判決は禁固6ヶ月。

出獄後も記念柱再建のためとして30万フラン。

今の価値で3億円もの賠償金が課せられました。

パリに場所はありませんでした。

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失意の中クールベはスイスに亡命。

レマン湖のほとりで新たな暮らしを始めます。

新政府からは厳しく借金の返済を求められました。

過酷なスケジュールで絵を描き続けなければならなかったクールベ

酒に溺れ、しだいに体調を崩し、4年後58年の生涯に幕を閉じます。

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クールベが残した一枚の自画像があります。

刑務所での姿です。

囚われの身でもパイプをくわえ、画家として自信に満ちたクールベがいます。

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「私が死んだとき人は私のことをこう語るべきでしょう。あの男はいかなる流儀にもいかなる教会にも、いかなる学校にも、いかなるアカデミーにも・・・かつて一度として属したことはなかった」

 

最後の言葉なんていうのもすごく自信に溢れてるっていうか。

「自分は自分以外の何者にも属してなかった。独立独歩の画家としてのクールベを象徴的に表している言葉だと思います」

一方で賠償金のためにもお金のために絵を書かなければならない所に追い込まれてそういうのはクールベにはしんどいことだと。

「これは大変苦難に満ちた境遇だったと思いますね。でも賠償金を払わなければフランスに帰れないということもあり、最終的にはまあ少しずつでも分割払いが認められましたので、払うつもりだったとは思いますけれども、まもなく死んでしまったということで帰国することは叶わなかったということですね」

集団に属したことがないって言ってた人が責任ある位置に立てたというのは。

「ちょっと皮肉な感じしますよね。独立独歩で歩んだ画家がたまたまそういう組織の責任者になったがゆえにこういう運命に陥ったというのは気の毒な感じがしますね。やっぱり自分を貫いて一切関わらなければ、そんなことはなかったはずなんですけれども、ただそこはやはりパリコミューンというかつての2月革命で潰えた夢がもう一度蘇るかのような、民衆の手で新しい社会を作れるんじゃないかといえば夢をもう一度見たからじゃないかと思いますね」

自分の信条みたいなものがずっと心の底にあって重ねていくような部分は変わらなかった。

「この耳画像を見ると苦渋に満ちた表情が伺えます。自分自身に誇りを持ってると言うかそういう自負もあり、そういった苦渋の心境もありということで、何とも言えないあの複雑な表情だなという風に思いますね」

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もう一度あの問題作を一緒に見てみようと思います。

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「まさに1855年万国博覧会の時の自分ですよね。クールベは闘争と自然という二つの重要な要素があるのではないかなと思ってまして、確かにこれは7年間の自分の戦いを集約したいなん絵だけれども、真ん中の絵を見るとまさに自然を描いてるんです。

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風景画なんですよ。(でも心の中心には故郷がある)。そういうことだと思います。やはり心の自然ととても大事だったんだなーっていうことを思います。そしてそれがクールベにエネルギーを与えたし、自分が常に立ち戻るべき場所であったということですよね。そしてこの子供ですよね。完成する前にやはりここに何かを入れたいということで、子供がもう一人実はいるんだけど第二の子供もいるのですが、落書きしています。

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お絵かきをしています。私はこの子供を最後に入れたっていうことが、クールベにとって意味があったんじゃないかな。子供って無垢の存在ですね。そしてお絵かきっていうのは、本当に稚拙かもしれないけど素朴な美しさがある。そう言った子供の持っている無垢とか素朴さとか、そういったものを最後に一つの価値としてこの絵の中に入れたかったんじゃないかな。つまりこれは現在の自分の自分の集約かもしれないんだけれども、未来への希望を最後に埋め込んだような私はそういった印象を持ってます」

「今は悲惨な現実かもしれないけれども、これ以降はより良い社会になって欲しいっていう、クールベ自身の真実とか自然とか無垢とか素朴さとか、そういった彼にとって大事に思っていた価値観が実現される社会になってほしいという、そういう気持ちも込めて最後に子供を絵の中に描いたのかなと思います」

その子供がクールベを見上げて。

「もしかしたら未来の画家になるかもしれないからですよね」

傲慢ってあの言い方をするとキツく聞こえますけどでも、自分が信じたことに向かって突き進みそれでこう決して屈しないっていうかそこのなんか強いもののなんかこう表れではあるんですかね傲慢っていうのは。

「普通の人にはなかなかあの歩めない人生だと増えるけれどもただ何か自分の糧にしたいなと思わせるところがありますよね」

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取材先など

 

放送記録

av98ingram.wpblog.jp

 

 

書籍

クールベ (岩波 世界の美術)

ギュスターヴ・クールベの絵画: 75作品収録

クールベ (新潮美術文庫 23)

ヴィヴァン―新装版・25人の画家 (第5巻) クールベ

クールベ NBS-J

 

 

 

 

展覧会

 

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新美の巨人たち 「龍安寺石庭」

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571年の歴史を誇る古刹「大雲山龍安寺」の世界遺産龍安寺方丈・南庭」(石庭)。実にシンプルな枯山水庭園ですが、白い砂礫と15の石が生み出す奇跡は多くの人々の心に感動を与えます。ところがいつ誰が造ったのか石の配置は何を意味するのか、全てが謎。わからないことだらけなのです。

美術の窓 2021年 1月号

美術の窓 2021年 1月号

  • 発売日: 2020/12/19
  • メディア: 雑誌
 

美の巨人たち 龍安寺石庭

放送:2020年5月1日

 

 

 

書き初めし空に名残の月。

朝6時。

連綿と受け継がれてきた静かな営みです。

ゆっくりと丁寧に慎重に。

白砂と石が織りなす奇跡の庭です。

竜安寺石庭。

世界で最も有名な枯山水

飾り気のない素朴な佇まいが美しい。

重苦しい今だからこそ向き合いたい庭です。

「こんなに晴れ晴れとする庭だとは思わなかったですね」

でも謎多き庭なのです。

いつ作られたのか。

誰が作ったのか。

置かれた石は何を意味するのか。

本日は近藤サトさんが謎多き庭に戸惑います。

その美しさに震えます。

京都市洛西にある衣笠山一帯は金閣寺仁和寺等持院など名刹古刹が佇む寺所。

その中に。

「木立が低いからトンネルのようになってますね。別世界へ誘う感じで」

大雲山龍安寺です。

創建は1450年。

山門をくぐり、木立の向こう。

左手に広がるのが。

「こんなに大きかったんですね。こちらの池」

回遊式庭園、鏡のような水面に写る空と

木々の心現れる景色西堀庫裡へと向かいます。

そこから北条に入ればサーモンを今引いてますね。初めて見ました。

白角にしかれる線。

ご住職が定期的に引いています。

無我の境地で一切の迷いなく。

「寺にとっては日常なのかもしれないですけど静謐なでも静かな作業ですよね」

砂文を引くのにかかるのはおよそ一時間です。

 

今日の作品世界遺産竜安寺方丈庭園。

石庭と呼んだ方が馴染み深いでしょう。

東西25メートル、南北10メートル。

およそ75坪の長方形の枯山水庭です。

「こんなに明るい庭だと思わなかったですね。禅の庭って静かで落ち着いてどっちかって言うとこうあの少し沈んだ印象があったんですけど、大変気持ちが晴れ晴れするお庭ですこの壁のね黄土色っていうのこれもとても日差しに映える」

強度を増すため菜種油を練り込んで作られた油土塀です。

庭を取り囲むことで空間を引き締めての向こう側の木々やしだれ桜との見事な対比を生み出しています。

庭を構成するのは白砂に置かれた石と、その周りに生える苔。

草木の一本もありません。

それでも何故か迫ってくるのです。

無言の石たちの造形が。

ふと語りかけてくるような幻想とも錯覚とも思える奇妙な感覚が。

石は五つのブロックに分かれ配置されています。

東から第一群には五つ。

二軍は竜第さん

軍は三つ二つの第よん軍

最後のご軍には

三つの合わせてじゅーご個の石

ところが石がじゅーよん個しかない

なぜひとつ見えないのか

このじゅーごの石の配置には

途方もない謎が秘められていたのです

 

今日はよろしくお願いいたします

近藤と申しますはいお願いします

はい見事な石庭ですけれども

行ってきたっていうのを教えていただけます

かすみ誰が何のために作った

というのはっきりわかってない

竜安寺の創建は

室町時代中期のせんよんひゃくごじゅー

年管理職にあった

細川勝元によって建てられました

では石庭が作られたのは

いつか創建時の姿を描いた構図です

北条に庭はありますが

真ん中に扉が程遠志を研究する

なんか隆弘さんによれば

門から出入りをしていると思うんですね

そこに庭石があると取れませんね

竜安寺応仁の乱で一度灰燼に帰し

その後再建されています

江戸時代になると

側面から入っていく

ということになりますので

最低の時に入り口が変更されて

尿を作ることが可能なったんではないかと

そうけんじ中央に行った扉は現在

東側に仲先生はせんよんひゃくきゅーじゅーきゅー

年再建された時に扉が映され

石庭が作られた

と考えます

ただし策定に関する記録は

火災によって失われているため

時期は特定できず

その原因は室町から

江戸時代にまで及びます

江戸時代のせんななひゃくきゅーじゅー

きゅー年に刊行された都林泉名勝図会は現在の形の石庭が描かれた最も古い記録です

僕には作者として室町時代将軍家に仕えた石草編みの名が記されています

他に挙げられたのは建立者である細川勝元江戸時代の茶人小堀遠州

しかしながらそのどれもが決定打とはならず作庭家重森ちさおさんは面白いエピソード

遺跡だけ裏側に名前が彫ってあるんですね

特別に入らせてもらった時にその子を見て

本当にびっくりしたんですけれども

自分の意思に小太郎清次郎の名が刻まれているのが発見されました

確定者ではと言われたのですが室町時代のその時代に活躍してた

いわしたろうっていうの考えられてるんですがでもそれがイコールじゃあのあそこの作者があってさそれも一概に言えないし

それから禅寺の場合ですとそこの住職が作られるっていうのは

すごく多いので当時の竜安寺の住職が作った可能性も高いねば

すべてことになってるって

言うところの面白さっていうのがある

策定時期も作者も分からない

それでもこの庭が私達を惹きつけてやまないのはなぜか

豚と座ってる子もあるしたらちょっと動いてるような石もあります

こちらに語りかけてくるような石丸

一個一個の碁石を見ていると庭と会話をするようなその中でいろんなことを考える

見る人が魅力を引き出すにはではないかと

確かにじゅーごの意思こそが庭の最大の魅力でありだぞその配置に一体どんな意味があるのでしょう。

一番右がですねりさにお石の向こうに一つあるんですね

25あるんですけど

まだ14しか見えないの設定は工場のどこに座っても全ての石が同時に見えないと言われています。

東側から見るとごふんの一つが見えません

中央からでは西側から見ると自分の一つが隠れています。

なぜこんな凝った配置にしたのか

未完成な動物

何で一度にじゅーご組の神様仏様は地上ではなくてもありますんで

まあ中国見る十五夜満月というように、15は投票では完全を表す数です

不完全な者にとって見えない子は心の目で見よと

心の耳を石に重ねてみれば禅宗の寺院にはしばしばかたどった池が作られました

言葉ではなく心で伝えることを教えてくれる庭であると

近藤さんは自ら石庭をこしらえてみることにさ

もう先に行きましょう初めてですよ。あーちょっと深くやりすぎた。思った以上に

頭を使う作業石を置いていきましょう

おは難しい石が多すぎるんですよ

じゅーごもの石のバランスがいかに難しいか実感させられますね

はいこれでほぼ両端て同じ配置にしていました

何かが見えてきましたか

私は星だと思うんですよね

宇宙を師匠に見ているとなんかちょっとロマンティックになってきた

今日は秘密ではありますが

アルファベットのWを形作っています

俺が夜空に輝くカシオペア座は、日本では船を切る錨に似ていることから錨星と呼ばれていました。

家を写し撮った壮大な庭である

75坪の長方形に仕掛けられた美のつぐみ石は

形大きさがこれ以上ないほどのバランスで配置されています。

木も草もなく庭として成立するギリギリまで削ぎ落としてんをするときに

構成要素を最小限までを絞って行ってどう表現するのかってのは一番難しいんですけど

相当意識の高い西とじゃないとあれは作れないだろうなと思いますね

その認識こそ設定に隠された見えない比率にあるのかもしれません

二つの面に分けると神秘の私立が

 

レベルはちじゅーごこの石

その謎多き配置に数学という概念で挑んだ方もいるのです

サイエンスナビゲーターの桜井進さんは黄金比が作る長方形を黄金長方形

白銀比が作る長方形白銀長方形と正方形ですね。これがうまい具合に見つかるんですね

黄金比とは1対1.618で表される比率です。

西洋では最も美しいとされ、優れた美術作品にはこの黄金比が含まれていると言われています。

白銀比は1対1.418。

傑作見返り美人図の中にいくつもの白銀

日本人が最も美しいと感じる比率です。

石亭にこの二つが隠されているというのです。

ます全体のこの価格で見つけられるのが正方形と白銀比です。

ほぼぴたり価格が埋まる引き取りに白銀比を当てはめると正方形と白銀長方形がぴったり収まります。

さらに左から二番目の大きな石のところでに分割をした場合、その分割線でできる大きな長方形が黄金長方形になります。

第二軍の大きな石を通る線で分割すれば黄金長方形が現れます。

それだけではありません。

残ったところに派遣長方形を入れてみると一番左側の石野君のところにちょうど入れることができます。

第一軍の意思に沿った線上に縦にした白銀長方形がはまるのです。

設定を見ているとバランス調和に満ちている

キリスト教はと繋がるわけですけども、今日は落ち着かせるクイズのような形になってる。

ここにこんなバランスが隠れているというのを見つけた時の喜びで

白い馬空港デザインされている。

これまで唱えられた雪は50以上。

それこそがたった75坪の庭の奇跡。

京都の美容室続けてきた人がいます。

写真家水野克比古さんにとっても石庭は特別なものです

ルワンジュのお祝いにカメラを向けた回数として

またひゃく回と効かないと思うんですよね

今まで撮った中で道の駅に入ってるのがあるんですよね

薄曇りの朝に有限のある石庭です。

もっと聞いた写真を撮るともっと見せてないんですよ

朝早くか昼間か夕方か兄は夜かね

しかも雨が降ってるとか

曇ってる時か日が出てる時か

それをつけとき

にシャッターを押すことによって

いろんな作品が出来上がるんですよね。

まだ未知なものかなとも思います。

何か一つの干渉物

美術品とか骨董品とかそういうイメージだったものが綺麗になくなりました

誰が何のために作ったのかが分からないからこそその時代の人々がその時代に合わせた意味づけをしてきて育てあげてきたまさに生きる庭

店っていうのを実感しましたね。

そして最新の研究成果が2002年イギリスの科学雑誌natureに設定に関する新たな論文が掲載されました。

京都大学名誉教授の江島義道さんです。

この研究は認知科学的にやったものでございまして、中心軸形態解析法でしょうかね

中心軸形態解析法等は彼等の重要な情報は輪郭とするから

骨格にございます

竜安寺も骨格は見ませんけども

人間の骨格と同じように置くことでしょうかいうことを計算すると

木の枝に乗っかってるような形の輪郭は実は見えるぞ

石庭の骨格とは何かそれぞれの石の群を分けるように線を引くと

その輪郭を北条まで伸ばしてみると

まるで一本の木が現れます

さらにその道は

かつて仏像があった場所を貫いていたので

非常に安定感を与えるような顧客である

対称性の中心にいるって言うことは

思考にとっては非常に良い形ではないだろう

君はが見せた新たなる形

石庭の石は工場から座ってみると14個しか見えません。

あと一箇所だけ

全部見える場所があるのです。

15個確認できます。

近藤さん一体どこ。

 

最後にそっとお教えしましょう。

見えるポイントが今見えたこのポイントが15個確認できます。

北条の西側に立って見ると座ってみた時には隠れてしまう

第一軍の医師これが堺市から見ることで現れ

15個全てを見ることができるのです

ほら15個名たから

これでパーフェクトだっていう風に喜んではいけないとかけていることによって

自分の足りない部分を補うと

ただやっぱりね見たくなっちゃうのよ

じゅーごあるって言われるとはい

正直も作者も分かりません

でも確かに存在しているのです

白砂とじゅーごの石の奇跡

世界遺産龍安寺石庭黙して語らず

幽玄なるななじゅーご坪の世界

 


 

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「コシノヒロコ展 HIROKO KOSHINO EX・VISION TO THE FUTURE 未来へ」【アートシーン】

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コシノヒロコ展 HIROKO KOSHINO EX・VISION TO THE FUTURE 未来へ

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日本を代表するデザイナーコシノヒロコ
60年以上にわたり第一線で活躍しています。

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神戸市にある兵庫県立美術館
今創作活動の集大成となる大規模な展覧会が開催されています。
展示テーマは部屋ごとに全部で14。

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こちらはチカチカ。

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タイツのインスタレーションはニョキニョキ。

テーマをオノマトペで表現したいというコシノさんの遊び心です。

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こちらはワクワクドキドキ。

二千点を越える歴代コレクションの中からコシノさん自身が厳選した106点の作品が並んでいます。

 

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この服の中心にいるのがトレードマークのお団子ヘアーのヒロコマネキンです。
なぜ指揮をしているんでしょうか。
ご本人に伺いましょう。
コシノヒロコさんよろしくお願いします。

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「この部屋はオーケストラの部屋。楽器の奏者が入って周りが合唱なんで、そういうシチュエーションで構想を練ったんですね」

今回の展覧会を回顧展にしたくなかったというコシノさん。
今の時代にも通用するかどうかを基準に直前まで作品の選考を重ねました。

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「これはちゃんちゃんこ。京都で染めたものなんですね。それにこういった非常に大胆なブルゾンを着せて、感じの刺しゅうがある」

コシノさんは1982年からパリコレクションに参加するなど、世界を舞台に活躍しています。
作品のモチーフやアイディアの源は着物や歌舞伎。

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幼い頃から親しんできた日本の伝統的な美意識です。

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「結んでいるのは帯です。後ろから見ますと帯の結びが入ってます。背中が全部丸出しなっていて、金と銀の帯がぶら下がって

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こよりでも細い紙の糸で、水引みたいな水色イメージで」

半世紀を越える長い時間デザインして来られているわけですけどそのコンセプトみたいなものは今も変わらないんですか。
「意識してやるんじゃなくて、何が好きか嫌いか。こういうのは私は嫌い。では好きってどっからくるのって言うと、子供の時から築かれたものがあるわけ。そういった中からどんどんどんどん時代によって変わっていくんですけれども、どんなに変わってもそこに流れてる自分のペーストっていうのは変わらないと思う」

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ファッションと並ぶ大切な創作活動となっているのが絵画です。
会場にはおよそ200点の作品が洋服とともに展示されています。

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こちらは2020年。春夏コレクションの一角。

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楽器をテーマに描いた絵をモチーフにしています。

 

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「ここがアトリエこんなところで描いているんです」

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普段、東京ベースに活動しているコシノさんですが、毎週必ずアトリエに戻って絵を描くのだと言います。

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「ここに来るとなんか突然モヤモヤって、自分で絵を表現したくなっちゃう。ちょっと汚れすぎやな。これつけないとね。この辺が汚れちゃう。やっぱり洋服屋だから、洋服が汚いのは嫌だからね。でも絵を描いてる時も、変な洋服は着たくないし。途中だからまだもうちょっと」

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テーマはもちろん画材や手法もその時々に思いつくまま。
求めるのは心に浮かぶ一瞬のひらめきです。

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自分に正直に感じたままを表現すること。
それがコシノさんのスタイルです。
コシノさんがお描きけになってる時ってもう夢中。

「何も考えてないんです。この世界に何かぼーっとしていて、私がこの中で入ってたここに何が欲しいかなとか。なんかこんなようなのが欲しいかなって、いつもそんなことばかり考えて。自由奔放で別に誰からなんだダサいとかなんとか言われてもないして仕方がない。それは私なんだからって感じ」

 

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大阪岸和田の洋装店に三姉妹の長女として育ったコシノさん。

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幼い頃から絵が大好きで、画家を夢見ながらもファッションの世界に。
常に新たな流行を追うファッション業界。
その第一線に身を置きながら、絵に向き合う時間を大切にしてきました。

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「誰でもやれるようなあいな事やっていて絶対誰もいいって言わない。でもやっぱり何かが違う。人とこれが違う。でも誰でも理解できる。そこが一番難しいんだよね。ファッションっていうのある意味ビジネスです。だけれど私はファッションというものが単なるビジネスに終わっちゃだめだと思う。やはり人々の感性をくすぐるような、感覚的な部分とか、ここが何か違うんだこれがあったからすごくかっこいいんだって言う何か作り出すためには普通の人以上に違う形で努力しないと作れない」

その原点がこの時間にあるのかもしれないですね。

「そうです。その鍵がここにあると思う。だからおそらく私が絵を描かないでただ洋服だけをやってたらあんな洋服作ってられないんじゃないかな。形にはまっちゃって、こんなん作ったらこの人文句いうだろうなとか、嫌いだろうなとか、そんなこと考えるんじゃなくて私が着れるんだらあんたは着なさいよみたいな。誰が着たってかっこよく見える服作ってそれぐらいの気持ちね」

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去年春、コシノさんは不思議な生き物の絵を描きました。
外出する事もままならず、アトリエにこもる日々。
思い出したのは幼い頃に夢中になった童話の世界でした。

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展覧会ではこの絵を元にしたアニメーションが上映されています。

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制作したのは関西で活躍する若いクリエイター。
小さな鳥たちが不思議な生き物の住むコシノさんの世界を旅するストーリーです。

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こちらも若いアーティストとのコラボレーション作品。
折り紙をモチーフにしたコシノさんのペーパードレスにプロジェクションマッピングを投影しています。

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ファッションからアートへ。
若い才能との出会いがコシノさんの創作活動の幅を広げています。

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最後に案内されたのはこちらの展示室。
「これは何だと思いますか」

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どうしてケースにみんな入ってるんですか。
「もちろんお洋服だからマネキンに着せればいいんですけど。立体を平面で見せてはどうかなと。洋服を絵画のような見せ方ってあるんじゃないかなって思って作った」
コシノさんが客員教授を務める大学の学生たちが作りました。
過去のコレクションやアクセサリーなどを学生たちに託して自由にアクリルケースの中にコラージュしてもらったのです。

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「これなんかねそうなんですけど、でこれ一枚のねふわふわしたワンピースなんです。この子は唇の形にねなんかで作れない。なんだかが唇ランですね。だからもっとの洋服の形は全然ないですないですけど、あそこは2度性がありますね。よく見たらねこれやっぱりちゃんと作ってます。
恐れ多くもコシノヒロコの服を星ににするという学生さんはドキドキしたでしょうけどね。怒られるやつでもそういうことは全く関係なく自分の世界を作ればいいわけだから、すごくいいとこにおそらくこれをやった時っていうのは洋服に対する考え方とか物の考え方とかっていうものがなかって転がっていくんじゃないかなって、そういう事を仕掛けていくことが私たちの仕事じゃない」
展覧会の会場を出ると可愛らしいが並んでいます。
幼稚園の子供たちが思い思いに描いた笑顔にコシノさんが色をつけました。
創造する喜びやときめきをこれからの時代を担う子供達へ伝えたい
希望あふれる未来へコシノさんからのバトンです。

 

会場 兵庫県立美術館

会期 2021年4月8日~6月20日

日曜美術館「美人画の神髄〜歌麿の技の錦絵〜」

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“UTAMARO”として世界でも名高い浮世絵美人画の巨匠、喜多川歌麿

歌麿は“青楼(=吉原)の画家”とも呼ばれ、上級の花魁ををはじめ吉原の遊女たちのさまざまな姿を描き出した。

また美人で評判の町娘をブロマイドのように売り出し大ヒットを飛ばした。

他の絵師を“木っ端絵師”と呼び、自分こそ“美人画の神髄”を捉えていると自負した。

美人画の可能性に挑み続けた歌麿の錦絵の魅力を伝える。

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喜多川歌麿 (新潮日本美術文庫)

喜多川歌麿 (新潮日本美術文庫)

  • 発売日: 1997/08/01
  • メディア: 単行本
 

 

日曜美術館美人画の神髄〜歌麿の技の錦絵〜」

放送日

2021年4月25日

 

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眉を落とした既婚の女性が頬杖をついてぼんやりと物思いにふけっています。

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果たして誰のことをやっているのでしょうか。

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はだけた胸を気にするでもなく口に楊枝を加えた遊女。

どこかふてぶてしさも漂う顔つきです。

喜多川歌麿は女性たちの心の内面まで描き出しました。

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「まるで歌麿と一緒に暮らしてるのかなっていうぐらい、その女性の本当に魅力が描かれてるんですね。どこで見たのかなって思うぐらい」

歌麿は江戸の女性たちの美を余すところなく描きだしました。

 

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美人で名高い町の娘たちをブロマイドのように描き、大ヒットを飛ばしました。

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歌麿は青楼の画家とも呼ばれます。

青楼とは吉原のこと。

これは寝間着姿の遊女が夜中に起き出して厠に行く時の姿。

遊女たちの素顔まで描いたのです。

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歌麿は第一人者だった。でもそれを歌麿は維持するために死ぬまで頑張って新しい作品先をつくるってことをがんばった」

歌麿は時に大胆な試みをしました。

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浮世絵版画の命とも言える輪郭線をなくしたのです。

白い打掛の下に華やかな着物を着た女性が後ろを振り向いています。

着物には輪郭線はありません。

歌麿が自らこう記しています。

「近頃、木っ端絵師達が下手な絵で異国にまで恥を晒している。私が美人画の真髄を見せてやろう」

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美人画の新たな可能性に挑み続けた歌麿の錦絵の魅力に迫ります。

 

 

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歌麿が一躍人気を博したきっかけとなったのが浮世絵の美人画で初めて大首絵を描いたことです。

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大首絵とは上半身をクローズアップにした絵のことです。

歌麿はそれまでの型にはまった女性の顔に微妙な表情を描き込んだのです。

その美人大首絵をご覧ください。

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熱心に手紙を読んでいる。

きっと恋文だ。

この女性。

眉を剃っている。

そして少し開いた口からお歯黒が覗いている。

それで結婚した女性とわかる。

それにしても手紙を握りしめ、目を近づけて読んでいるからきっととても大切なことが書かれているんだ。

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こちらの女性は手鏡を見て口を突き出しているように見える。

お歯黒の付き具合を確かめている姿なのだ。

普段人前では見せないそんな女性の表情を盗み見て、歌麿は面白いと思って絵にした。

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湯上りで暑いのか浴衣の胸をはだけているこの女性。

肩にかけた手ぬぐいで手を拭いている。

「浮気之相」というタイトルだけど、江戸時代の浮気というのは陽気で派手好きな恋多き女性のことも言ったらしい。

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振り返っているのは男の方を見ているのか。

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美しく髷を結い眉を剃っている。

既婚の女性。

気だるそうに頬杖をついて、虚ろな目でどこか遠くを見やるように物思いにふけっている。

一体何を思っているのか。

昔の恋の思い出か、それとも今の恋人のことなのか。

 

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宮崎遊さんは日本画を独学で学び美人画に打ち込んできました。

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これは宮崎さんの木版画作品。

3年前自らの作品が版画化されたことで、改めて歌麿に魅せられています。

歌麿は細部のこだわりがあったからこそ、一枚一枚の作品の女性の魅力を最大限に引き出すことができたんじゃないかなという風に感じます。この時代の既婚女性は眉毛を剃って描かれてんですけども、実は人物画は眉毛ってとっても重要なんですね。最後目がキリッと決まるぐらい。この絵はもうこの目だけで本当に物思いにふけっているのを見事に表現できているところがこの限られた線だけで、本当にすごいと思います。目尻が丸く描かれてるんですね。ちょっと丸みを。そうすることでキツイ印象ではなく、もし切れ長になるとちょっと不機嫌なのかなとか、思われそうな表情になったかもしれないんですけども。この口角が下がってるんですけども、もしこの口角が上がってたり口が開いていたら、また全然違う表情だったと思うんですね。ほんとこの目とこの口のバランスでこの表情が絶妙なバランスで、成り立っていると思います」

歌麿が美人大首絵を描くのに大きな役割を果たしたのが版元の蔦屋重三郎です。

歌麿は優れた企画力を持つ蔦屋との二人三脚で浮世絵界に頭角を現してきました。

蔦屋と歌麿のゴールデンコンビが生み出した大首絵。

新企画として美人で評判の町娘を売り出します。

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当時江戸の町で評判だった三人の美人。

いずれあやめかかきつばた。

三人ともとても美しすぎて、ちょっと見ただけでは違いがわからない。

中央が浄瑠璃富本節の名取、豊ひな。

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つぶらな瞳に通った鼻すじ。

話しかけるような表情。

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右は今の喫茶店にあたる水茶屋難波屋のおきた。

豊ひなに比べると鼻が高くて目が切れ長。

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左は評判娘、高しまひさ。

ややほっそりとした顔にすっきりとした目鼻。

一見同じように見えて実は特徴を微妙に描き分けている。

 

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もちろんブロマイドのような単独の絵もある。

こちらはおひさ。

団扇を手にして振り向くポーズ。

この頃まだ数えで17歳だったそうだ。

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おきたの方は水茶屋の娘らしく、お茶を持ち運んで振り向くポーズ。

歌麿の絵のおかげでおひさも、おきたも評判を呼び目当ての客で水茶屋は大繁盛した。

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歌麿美人画むにようにしようという試みをした。これ結構画期的ですよね。多分江戸の人は驚いたと思います。今見て同じように見えるじゃないかっていう人もいらっしゃいますけども微妙に違います。そのおきさのおきさの個性とで、例えばおきたがおきゃんな個性で、おきたがすごくおとなしいけど控え目で、というようなそういう個性までは描き分けられてはいないんです。それは歌麿自身が自分の考えを書いてるんですけども、似ていればいいもんいってもんじゃないと。そのことをねと理解すべきだというふうに堂々と書いてます。美しくなきゃいけないということです。哲学です。歌麿の」

江戸で唯一幕府公認の遊郭だった吉原。

1日に千両の金が落ちるほど賑わったと言います。

歌麿は足しげく吉原に通い、数多くの遊女たちを描きました。

そのため吉原を意味する青楼という言葉を取って

青楼の画家とも呼ばれるほどです。

歌麿が独特なのは遊女たちの表の顔だけではなく、日々の暮らしの中で見せる素顔を描き出したことです。

 

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午後二時頃、まだお客も少ないのでくつろいでいる遊女たち。

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真ん中の子は若くて位の低い遊女で、振袖新造と言う。

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右にいる見習いの少女禿の手相を見ているところ。

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上級の遊女・花魁は何をしているかと言うと、画面の外にいる易者に占いもらっている。

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よく見ると占いに使う竹の棒「筮竹」とお礼のおひねりがある。

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午後八時頃、店先で客を待つ花魁。

緋毛氈の上に座り、長い手紙をしたためている。

隣にいる見習いの少女禿に何やら耳打ちしている。

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膝立ちした姿勢で小首をかしげていいつけを聞く表情が可愛らしい。

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真夜中の午前二時頃。

お客が寝入った床を立って、寝間着姿の遊女が厠に用足しに行くところ。

さすがに顔はちょっと眠そう。

手に持っているのは懐紙と行灯の灯をこよりに移したあかり。

これで足元の草履を探している。

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夜明け前の午前四時頃。

床を抜け出した二人の遊女が何やら話し込んでいる。

火鉢の火を紙で煽っているこちらは客のものらしき男物の羽織をまとっいてる。

客の噂話でもしているのか。

聞いているほうもくつろいだ表情。

懐手をして煙管を手に持っている。

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「その時間時間に現出する吉原内部の日々の姿を描き分けた。これはまあそれまでと違う画期的なシリーズだと。これは午前二時。屏風の陰に床が敷かれていて、そこには男性客がいるということが想定されてますよね。ちょっとうつむき加減にして半分寝ぼけているのかもしれませんが、なんとなくこの物悲しい雰囲気が漂うじゃないですか。立ち姿全身像なのにこの遊女の気持ちが読み取れるような気分になると、そういうのはあのすごいなと思いますよね。歌麿ぐらいになると吉原に客じゃなくてもOKというような状況はあった推定されるので、そういう状況で観察はしてますよね。観察してないとこういう絵はかけない」

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歌麿は憧れの存在である吉原の花魁だけでなく、普通美人画には描かれないような道端で客を引く遊女まで独特の表情を描き出しています。

夜な夜な街の辻に立って客を引く夜鷹という最下層の遊女。

黒い着物を着て手ぬぐいをかぶって端をくわえている。

本当はそんな境遇のはずだけど、歌麿が描くととてもそんなふうには見えない。

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でもこの遊女はちょっと凄みがある。

吉原でも堀沿いの小さな店の下級の遊女。

胸をはだけつま楊枝をくわえる顔つきはどこかふてぶてしさがある。

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「こういう姿を作品にしようっていう作家さんが今までいたんだろうかって思うぐらいちょっとびっくりした作品なんですけども、めちゃめちゃたくましく見えますよね。か弱さとか儚さとかそういうものはもう感じないね。たくましさは、眉にあると思います。この眉毛をもしもちょっと隠してしまうと少し優しい表現が気じゃないですか。表情というかちょっと丸くなる感じなんですけども、この眉で強さたくましさがより強調されているなという。本当にこの目元から強い生命力を感じてると言うか、その強さがあるからこそ、つま楊枝を使って口に入れててももう平気みたいな堂々とした感じですよね。どん底の環境の中でたくましく生きている女性もいると思いますし、そういういろんな環境の当時を生きる女性の魅力を全部引き出して作品にしたいっていう気概がこの作品からも伝わってきますね」

 

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歌麿美人画の第一任者として人気を博したのは寛政の時代。

幕府では老中の松平定信が中心になって寛政の改革を推し進めました。

倹約が励行され、華美な風俗の取り締まりや出版の統制が行われました。

そして美人大首絵も町娘などの名前を入れることが禁止されます。

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すると歌麿はその禁止をかいくぐる工夫を凝らします。

湯から上がったばかり。

手ぬぐいで汗を抑えているんだろうか。

どこか色っぽい感じだけど髪の結い方から後家さんだとわかる。

さて歌麿が工夫したのはこのタイトルの横にある図。

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これは判じ絵というもの。

この中に名前が隠されている。

上にあるのはまさに太陽が昇ってくるところで朝日。

その下には碁盤があって碁。

その下には髪の毛があって毛。

すなわち朝日屋後家と読める。

歌麿は名前が書けないという規制を逆手にとって、図を読み解きながら美人画を楽しめるようにした。

 

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合わせ鏡を使って襟足の辺りを見ているのは美人で評判の水茶屋の娘・高島おひさ。

これも判じ絵がある。

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一番上には田。

鹿島踊りを踊っているので鹿島。

その横で火が燃えているのでひ

そして徳利の横に杯でさ。

蛇は巳年のみ。

その蛇の口から出ている舌がくの字をしていて、したく。

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これを読み解くと高島ひさの身支度となる。

この歌麿の工夫に対し幕府は今度は判じ絵で名前を書くことも禁止しました。

歌麿はその禁止と前後するようにして新たな画題を手がけます。

市井の女性達が働く姿を描くようになったのです。

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かまどの周りで家事をする女性達。

子供をあやしながら漆のお椀を拭いているかと思えば、その前では包丁で茄子の皮をむいている。

こちらは火吹竹を吹いてかまどの火を起こしている。

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湯をくもうとした女性が煙に顔をしかめている。

それぞれ仕草も表情も色々な女性達。

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こちらは機織りに勤しむ女性。

両手を器用に動かして一生懸命に織っている。

手縫いを姉さんかぶりにして、いかにも働く女性。

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鮑採りを終えて岩場で休む半裸の海女たちの姿。

今取ってきたばかりの大きな鮑をかごに入れるところ。

海女は赤い腰巻の水を絞り、口にはまだ道具をくわえている。

こちらの海女は濡れた黒髪をくしで透きながら赤ん坊に乳を吸わせている。

片足を水につけながら座る海女。

上半身をあらわにして白い肌を見せている。

後ろの海女が魚の方を指さしている。

結構大胆なヌードだけど、歌麿は何か言われたら海女だから裸になるのは当たり前だというつもりだったのだろう。

 

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「幕府の統制をかいくぐりながら作品を作ってかなきゃいけない方ですよね。そういう点で今まで描いてないようなジャンルとか姿勢とか所に活路を見出させるえないっていうところがあって、仕事している女性、日常の女性、子供をあやしてる女性を描いても私は女性の魅力を最大限描くことはできるんだ。描いてやるぞみたいな、自分を追いやるんだったらそれに適応して、今までに負けないものを描いてやるみたいな気概、反骨真は少なくてもあったと思います」

歌麿美人画を描くときに様々な工夫を凝らしました。

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その一つがすだれやかややなどを通して女性を透かし見る趣向です。

二人の女性が何か食い入るように熱心に見ている。

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手前の女性は御殿女中らしくて、髪飾りも質素なのに対して御簾の奥に透けて見える女性は何とも豪華な髪飾り。

高貴な武家の姫君らしい。

御簾ごしだとどこか上品で奥ゆかしく見えるような気がする。

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衝立にもたれて娘を見やる若者。

娘の方は若者の薄い羽織を顔にかざして見あげている。

こんな風に戯れていかにも仲良さそうな感じだけど、娘の顔が半分だけ水玉模様の羽織を透かして見える仕掛けになっている。

最後は蚊帳。

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画面にいっぱいに蚊帳が吊られているが、蚊帳の外と内とでは描き方が違っている。

寝巻きに着替えている女性がくっきりとしているのに対して、蚊帳の中でかんざしを抜いて寝ようとしている女性はちょうどベールがかかったようだ。

こちらでは蚊帳を吊っている女性が振り向いてうちわを仰ぐ女性と話をしている風情だけど、本当にうっすらと顔に線が出ていて、蚊帳の中にいる感じになっている。

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浮世絵の復刻を手掛けている。

アダチ版画研究所です。

歌麿がこだわった透かし見る趣向。

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摺師の京増与志夫さんに摺ってもらいました。

復刻するのは三枚つづりの婦人泊まり客の左の一枚。

蚊帳を吊る女性と中でうちわを仰ぐ女性の図です。

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まず最初は全体の輪郭線と黒髪を墨で摺ります。

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続いて色ごとに摺り重ねていきます。

いよいよ透かし見る蚊帳の部分です。

まず蚊帳のベースを草の色で摺ります。

ただ女性の顔や体にはこのベースの色は乗せません。

続いて蚊帳の網目を少し暗い草の色で摺ります。

まずは横の線。

線は顔にもかかっています。

続いて縦の線。

白い顔にも蚊帳の網目が入りました。

離れて見ると顔や体もかすかに緑っぽく見え、蚊帳の中にいる感じが出ています。

そして最後。

蚊帳の外に立つ女性の髪の毛に墨を摺り重ねます。

これだけで外にいる女性がクリアーな感じになり、蚊帳の中の女性との対比が鮮やかになります。

歌麿の透かし見る趣向にはスリの細やかな配慮がなされているのです。

 

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「女性の肌の上にこの模様がかかってきたりするっていうのが本当に私には怖くて出来ないんですけども、この蚊帳のつけたところの涼しさというものを表現しようとしてたのかなと。こういう光景だよねって蚊帳の中に入ると人物がおぼろになるっていう、すりガラスみたいなイメージですよね蚊帳の中って。ぼんやりした中でちょっと美女が浮かび上がってくるところに美しさを感じてたのかもしれないですね。これ女性の顔の真ん中にこの黒いドットが入っている。間違えるとブラックジャックみたい。それでも魅力的に見えてしまうのは歌麿の見せる表現力のすごいところだなと思います。こんなに面白いんじゃないかなっていう風に技術って頭の中で膨らんで行くんですけども、本当に色んな事を一つできるようになったら次こういうことも試してみようかっていう風に挑戦していた。歌麿ならではの表現じゃないかなと思いました」

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歌麿は時に極めて大胆な趣向に挑みました。

浮世絵の命ともいえる輪郭線をほとんどなくすような試みをしているのです。

華やかな衣装を見せようとするかのように、花魁が身を反らして後ろを向いている。

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顔にこそ輪郭線が引かれているけど、この衣装を見て。

上に着ている白い打掛は衣文線が見えずに薄く陰影がついているし、よく見ると打掛だけじゃなくて模様も付いた着物にも黒い輪郭線がない。

輪郭線がなくなることで何か不思議な雰囲気が醸し出されるような気がする。

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湯上りの二人の女性。

座って手ぬぐいを絞っているそのその白い腕が浴衣から透けて見える。

輪郭線がないから透明感が出てる気がする。

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それだけじゃなくてぬか袋をくわえている顔を見て。

頬のところに輪郭線がない。

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もう一人。

手ぬぐいで耳の辺りを拭いている女性の顔の線がない。

でもそのせいか頬がふっくらしている感じもする。

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「人物の肌の輪郭線が、多くの美人画家さんがそうなんですけども、できるだけ細く薄く表現されてるんですね。線をなくしてしまうっていう大胆な表現方法だと思うんですが、肌の白さや柔らかさを最大限に表現しようとしたのかなと思いました。肌もより潤って柔らかいようなすごく白いだろうなってのが伝わってきますね。反発される危険もあったと思うんですけどもそれよりも本当によりリアルな自分の見たものを美しいものを表現したいっていう欲求の方が強かったんじゃないかなと思いました」

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手紙を読み終えてどこか放心したようにも見えるこの女性。

この女性の着物も衣文線を省き陰影を施すようにしています。

歌麿が当時美人画の浮世絵師としていかに自信を持っていたかこの絵の中にこんな思いを綴っています。

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「近頃、蟻のように湧出した木っ端絵師どもがただ色彩を頼りに下手くそな絵を描き、異国にまで恥をさらしているのが嘆かわしい。私が美人画の真髄を見せてやる」

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「絵の中に堂々とそういうこと書いても世間が許す。版元が許す。買う人が許すような環境になったということですよね。強烈なプライドを大事にし意識ってのありますけどでもそれを維持するために死ぬまで頑張って新しい作品を作るってこと神速頑張ったそう見てると思ってね大事にしたっていうことをキープするためにそれで努力してるわけです」

 

歌麿の美人大首絵を始めて世に出してから一年ほど経った寛政12年。

ついに美人大首絵が禁止されます。

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しかし歌麿はそれでも美人大首絵を描き続けています。

女性が提灯の光を覗き込んでいる姿。

その顔を浮かび上がらせるように光があたり、影の部分とのコントラストが鮮やかです。

タイトルの横にはこんな文章が添えられています。

この相は穏やかで上品で誠実。心美しく誰にも愛される。

こうした文章は品行方正な女性であることを強調し、幕府を刺激しないようにしたのではないかとも言われます。

文化元年。1804年。

歌麿は突然奉行所に呼び出され取り調べを受けます。

禁令に触れたのは美人画ではなく、絵本太閤記に題材をとった武者絵でした。

結局、歌麿は手鎖50日の刑罰を言い渡されました。

手錠をはめたまま50日間謹慎したのです。

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歌麿の最晩年に出された本があります。

青楼の画家と呼ばれた歌麿にふさわしく、吉原の遊女の様々な様子が描かれています。

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絵の最後に歌麿は自画像ではないかと思われる絵師の姿を描いています。

遊女たちが熱心に見つめる中、大きく羽を広げる巨大な鳳凰の像を描く絵師。

歌麿が亡くなったのは刑罰を受けた2年後の1806年でした。

 

 

取材先など

 

放送記録

av98ingram.wpblog.jp

 

 

書籍

歌麿「艶本 葉男婦舞喜」 (定本・浮世絵春画名品集成)

絹本 江戸時代・絵師 歌麿 浮世絵 春画掛軸 コレクション

歌満くら―大判錦絵秘画帖 (浮世絵春画名品コレクション 1)

江戸春画 浮世絵師列伝 歌麿から北斎まで

■激レア喜多川歌麿春画『しなさだめ・全12図』カラー彩色江戸時代艶本枕絵卍遊女遊郭絵本春本和本浮世絵古文書木版写本唐本古書古地図■

浮世絵秘蔵名集 全4冊揃 8 葛飾北斎 喜多川歌麿 鳥居清長 勝川春章 学研 6821550 解説書付 春画

おとなの愉しみシリーズ2 英語と現代文でたのしむ春画 喜多川歌麿「願ひの糸ぐち」

7.春画 浮世絵 艶本 枕絵 春宮図 木版画 秘画 裸婦 男根 美人画 検 国芳 北斎 芳年 広重 英泉 歌麿 国貞

喜多川歌麿 春画 ポスター インテリア グッズ 雑貨 美術 アート 絵画

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展覧会

 

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新美の巨人たち 「大隈記念講堂」

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時計台、3階建ての大講堂と、地下1階の小講堂などで構成された、昭和2年(1927年)竣工の『大隈記念講堂』は、創設者・大隈重信の邸宅だった大隈庭園に隣接して建っています。ヨーロッパの古い教会に多いゴシック様式で、クラシカルな3つのアーチ状の入口もその特徴。時計台の高さは37mあり、10階建てのビルに相当します。講堂を包む柔らかなベージュ色は、コンクリートに日本の伝統的な信楽焼のタイルを貼り付けたもの。手作りの風合いを醸し出しています。ロビーでは、レトロな雰囲気の照明が暖色系の光で優しく照らします。その他にも約100年前の細やかな配慮や美しいデザインを、講堂のさまざまなところで見ることが出来ます。
総席数1123席の大講堂の舞台を囲む曲線の額縁線は、プロセニアムアーチと呼ばれる視線を集中させるための装飾。日本で初めて本格的に取り入れられました。その中心にある太陽のモニュメントには、早稲田の大切な精神が…。
よく見ると講堂が斜めに造られています。そこには大隈重信の思いを引き継ごうとした、ある教授の強い思いがありました。さらに1000人相手にマイクを使わず話すことができるという、徹底的にこだわった音響の驚くべき秘密とは?
今回は大の建物好きだという内田有紀さんが番組初登場。数々の歴史的な舞台にもなってきた『大隈記念講堂』を訪問し、早稲田建学の歴史をひも解きます。また素晴らしい音響設計を体感するべく、舞台で『リア王』を朗読するひと幕も。

美術の窓 2021年 1月号

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  • 発売日: 2020/12/19
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美の巨人たち 大隈記念講堂

放送:2020年4月24日

 

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ここは東京新宿区。

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日本を代表する私学の雄・早稲田大学があります。

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そのシンボルが大隈記念講堂。

百年の歴史を数える早稲田の街の誇りです。

この美しい建物には驚くべき仕掛けがいくつも秘められていました。

では時代を超えて若者たちを育ててきた麗しき学舎の秘密を解き明かしていきましょう。

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そのキャンパスを訪ねるのは俳優の内田有紀さん。

「仕事の合間に歴史的建造物を見に行くのが私の癒しなんです」

今日内田さんは大の建物好き。

お気に入りは明治から昭和初期までの建築だとか。

「歩いて行く先がどういう建物があるのかな。これからどんな出会いがあるのかなっていうのが一番至福の時」

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新宿区戸塚町一丁目104番地。

早稲田大学大隈記念講堂。

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昭和二年に竣工しました。

大学の正門を出てすぐ。

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創設者大隈重信の邸宅だった緑豊かな大隈庭園に隣接しています。

「教会みたいな作りになってますよね。味があっていい」

大隈講堂はヨーロッパの古い教会に多いゴシックの様式。

三つのアーチ状の入り口もその特徴なんです。

時計台の高さはおよそ38メートル。

10階建てのビルに相当します。

ここは誰でも入れるエリア。

「タイルの色合いとでこぼこした打感で味わいがあるから。ツルツルだとちょっとまた雰囲気が違うし」

講堂を包み込む柔らかなベージュの色。

コンクリートに19万枚ものスクラッチタイルを貼り付けています。

レンガのように見える素材は日本伝統の信楽焼

手作りの風合いを醸し出しているんです

「じゃちょっと入ってみます」

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大隈講堂は時計台三階建ての大講堂。

地下一階の小講堂などで構成されます。

中は特別な許可を得て可愛くやだまずこのライトに趣のあるライトを支えるなるって

本当レトロなキャンドルスタンドをモチーフにした照明暖色系の光でロビーを優しく照らします。

扉からの日差しを和らげているのか床の細かいモザイクタイル。

百年前の心配りがいたるところにそれでは大隈講堂の中心となる空間へは可愛い

ここが大講堂です。

総座席数1123席。

入学式や卒業式でどれ程の前途有望な若者達がこのヒヤリと澄んだ空気を胸に吸い込んだことでしょう。

でもメルヘンな感じですかね。

少し柔らかくて怖くない行動っていう感じがします。

舞台の周りには曲線の木枠と膜を組み合わせたプロセニアムアーチと呼ばれる装飾。

大隈講堂が日本で初めて取り入れた視線を集中させるための工夫です。

あの天井の天窓に天井に穿たれた大きな天窓。

よく見ると何かある太陽の形してますね。

真ん中ソー中心に太陽のモニュメント。

そして周りには月と星が配されています。

このデザインには建学の精神が込められていると早稲田大学の中川先生は語ります。

これはこのとって非常に重要なものになります。早稲田大学何を目指すのか。連絡や学問ってな宇宙を目指すって言ってさりげなく気づいた時にはこれ宇宙何だってこの数にはどうしたらいいかということをしたんだと思うよ

大学や学問は外の世界に開かれたものでなくてはならない。

早稲田の大切な精神を広大な宇宙をイメージする天井で表現したんです。

美しいデザインは行動の至る所にこれだった私も

青ぐらい梅の花をイメージした柔らかな最高

まだ建物に沿ってめぐらされた回廊は荘厳なロマネスク様式の神殿風です。

ここで内田さんは一旦講堂の外。

実は大隈講堂のすごい仕掛けがある場所から見るとよく分かると言う。それは一体。

 

 

大学の創設者、大隈重信を讃える銅像

大隈講堂を見据えるように立っています。

ここから見た景色に実は不思議なところが。

このようには

大久保講堂はちょっと声が正面に向いてないんですが

非常に重要なところで

これが東京大学と比較すると非常にこの特徴がよく分かんです。

東京大学の縁コード

これは正面から入ると正面にこれがあるんですよ

大隈講堂より二年早く完成した東大の安田講堂は正門から真っ直ぐの所に正面を向いて立っています。

一方大隈講堂は正門に対してほらかなり斜めを向いています。

大学のシンボルとして建てられたのに一体なぜなのでしょう。

それは早稲田見学の歴史を紐解けば見えてくるといいます。

早稲田大学は日本で初めての私立大学です。

当時東大などの帝国大学はお国のための人材を育成していましたが、大熊は民衆のために働く若者を育てようと考えます。

政治家で待って大隈は校内で度々演説小渕自らの声で若者たちを導きました。

大隈亡き後その想いを受け継ぐ建物のコンペが開かれました。

大学のシンボルとして人々を集め声を届けるその名も大隈記念講堂。

著名な建築家たちから多くのプランが寄せられました。

イーデザインが集まりましたね。

今さんに最先端を合わせたの講堂としてぴったりですよ

コンペの責任者は早稲田大学建築科を立ち上げた佐藤浩市

大隈の精神を引き継ぐにはどんな建物が良いか考えていました。

果たして調和するから応募作は甲乙つけがたいモダンなデザインばかり。

佐藤はそれに違和感を覚えていました。

実は佐藤には二年間ほどヨーロッパで数々の建築を視察した経験がその時

街の風景に溶け込み人々に愛される名もなき教会のたたずまいにひかれていました。

コンペからしばらくして私たちで設計しよう

私たちで本気ですか教授大久保の精神を受け継ぎ

町屋てんとも優しく調和する行動

私達で食べるんだよ

早稲田らしい行動を目指し佐藤と弟子たちは設計に取り掛かります。

多額の建設資金は全て卒業生だの寄付金で賄われ、着工からわずか一年で完成したのです。

建設にあたりこだわったのが

建物のいちぜろに対し

斜めに立てたのは佐藤の考えです。

もし大隈講堂が正門と真っ正面に向かい合っていたらどうですか

角度がついていない場合、緊張感を与えると言うか素敵なんだけど

ちょっと近寄りがたい気がします。

角度が斜めにちょっとところで柔らかい優しさで包んでくれてるような気がするのでやはりなるべきだったんだなって改めて思いました。

年や人々のさまざまな思いを1階広場で受けて大学の中へ取り込んで

そういう風にして良しとしの中の建築として成り立ってるんだって

ことをこの配置によって表してる

大学は世界に開かれ街に溶け込み人々に身近な存在であってほしい。

佐藤は建学の理念を見事に表現してみせたんです。

開かれたキャンバスの象徴である大隈講堂は芸術家たちの作品発表の場にも使われました。

2007年に公演されたのが歌舞伎十八番勧進帳

そして芸術にまつわる早稲田ならではの出来事も起こりました。

学生運動の真っ只中1969年大隈講堂から学生たちが持ち出したのはグランドピアノです。

待ち受けていたのはジャズピアニスト山下洋輔

山下洋輔学生同士が対立するヒリヒリした現場でなんと演奏会を開いたので

どのいっときだけ争いが治ったと言う伝説のコンサートでした。

そんな早稲田ですから敷地の通り抜けは自由です。

そこに多くの歴史的な建造物がまずは大正の末期に建てられた早稲田で最も古い建物買って図書館として使われていました。

メインエントランスの扉には八芒星の美しい透かし彫りが続いては

大隈講堂の翌年に竣工した演劇博物館建物正面には中世ヨーロッパの野外劇場もしたステージが設けられています。

今でもイベントでは舞台として使われることがあるんです。

では再び大隈記念講堂へ。

行動の舞台に立たせていただくなんて

このステージに建物のもうひとつの凄さが隠れています。

 

早稲田大学のシンボル大隈記念講堂。

建学の父・大隈重信の理念が美しく実を結んだ建物です。

ここでは世界を動かす多くの著名人による明幸園のインドのネルー首相。

アメリカの司法長官だったロバート・ケネディビル・クリントン大統領、そして日本を代表する文化人たちも

シーズンごからすると付き合ってまだ生きてるのは私ぐらいだと思います。

私が行った公演の中でも大隈講堂が完成した年早稲田の名物教授が行った

有名な最終講義がベストセラー小説神髄を書いた第人気作家、坪内逍遥です。

坪内は研究していたシェイクスピアリア王を熱弁

残念ながら声は残されていませんが千人を相手にマイクを使わず話しているのがわかります。

そんな芸当ができたのは大隈講堂のある秘密のおかげでした。

それを解き明かすために内田さんは坪内逍遥が最終講義を行った舞台であることを体験します。

講義の題材となったシェイクスピアリア王の朗読です。

では94年前に戻ったつもりで開幕。

あなたは私を産んで可愛がってくださいましたから

その俺に正当な子であるものの今だけは尽くします。

法政を守ります。

小山駅私はアニメ型のように結婚は致しません。

強かったね隅々まで柔らかく音が届いて行く感じがして不思議ですけど、ここは空間全てが柔らかい秘密とは声の通りの予算

大隈講堂は日本で初めて音響設計を取り入れたホールでもあるんです。

音響を手がけたのはプロジェクトを率いた佐藤浩市の教え子佐藤武夫でした。

どうやったら音が最後まで伝わるかっていうそこで設計されてるんですが、当時はまだその影響的なものの実験ってそんなに精密のことはできなかったんです。

では講堂の模型を水につけて波紋を音に見立て構造物と音の関係を確認したい

タバコの煙で満たした模型に光を通して音の直進性などを調べたと言います。

その効果とは、2007年初めて最新機器を使った音響測定が行われました。

中央のスピーカーから出る音を隅々で計測すると最新のホールに匹敵するほど音がます伝わっていることが判明したんです。

音の反響を獲物と行動としての役割を両立させたという意味でも画期的なものです。

佐藤浩市と佐藤武夫のコンビは後に東京の日比谷公会堂も出かけました。

そのホールを絶賛したのが昭和の大オペラ歌手藤原義江

世界中のステージで歌ってきた藤原はこう語っています。

日比谷公会堂と大隈講堂。

この二つが日本で一番気持ちよく歌える舞台だった。

内田さんはとある場所へ。

この時計台に更に素敵な音の物語が。

 

 

 

大隈講堂を象徴するおよそ38メートルの時計台。

今回特別に登らせてもらいました。

一階のホールから120段続く階段の先にはガラス窓に囲まれた時計室があります。

外から見るとこの部分さらに上には気持ちいいですね

町を一望できる鐘楼です。

何か届いてもまずこの金の大きさですよね

行動を設計した佐藤浩市がイギリス王室の戴冠式などで有名なウエストミンスター寺院の鐘の音に魅せられ同じものを取り寄せました。

鐘が鳴ると人々は鐘楼に目を向け建てた人の面影や

目指した理想に思いを馳せるだろ

佐藤は大隈講堂が街に寄り添う

永遠の存在になることを

願ったのかもしれません。

今の大隈さんいらっしゃらないけれど、確実にこの行動があの石を引き継いでみんなであのこの建物守ってきたっていうなんかその歴史を感じて当時のやっぱり強い必死っていうものをさりげなく優しくるっていう

そのなんか懐の深さに今日はおどろきっぱなしでした。

喜びや怒り悲しみや苦しみがこだました

特別な空間で開かれたてん階を通して名言の数々が今も世界へ。

大隈記念講堂。

未来の夢を育むやさしき物は。

 

 

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「篠田桃紅展 とどめ得ぬもの 墨のいろ 心のかたち」【アートシーン】

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篠田桃紅展 とどめ得ぬもの 墨のいろ 心のかたち

今年3月。

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107歳で亡くなった美術家・篠田桃紅。
墨と向き合い、独自のスタイルを追求した生涯に迫ります。

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桃紅の雅号は桃紅李白薔薇紫という漢詩から取って付けました。
銀嶺の細い線がすももの白い花。
朱の面は桃の赤い花。
春の風は一様に吹くが花の色はそれぞれの姿です。
自分の美学を貫き通し、水墨を深めてきた桃紅の生き方を示す作品です。

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「桃紅の作風はやはりベースに朱というものがあると思います。書家であった頃に培った筆の運び、

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あるいは筆致といったものを絵画表現の中に融合させて表現している。

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そこが非常に特徴的ですし、書と絵画の世界を融合させて新しい表現スタイルを構築していたというところが桃紅の作品の大きな特徴になります」

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1913年。
中国の大連に生まれた篠田桃紅。
翌年に帰国し、五歳の頃から父に書の手ほどきを受けます。

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その後桃紅は独学で学び、既存の書の枠にとらわれない表現を模索します。

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その特徴は文字の意味にとらわれず、視覚による美を追求していくことでした。

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1956年。
桃紅は抽象表現主義が主流となっていたアメリカに渡ります。
滞在中の2年間で書から墨による抽象造形に転換して行きます。
重なりやにじみといった墨の特性を生かして、表情が異なる淡い線を表現しました。
そこに濃い墨で力強く鋭い線が引かれています。
抽象造形の挑戦は新しい絵画を生み出しました。

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1970年代に入ると、日本の伝統文化にある叙情的な美を作品の中に昇華していきます。

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その代表的な作品《月読み》
画面を二分し光と影の世界を表現しています。
二つの世界の間を行き来している月はうつりゆく時間そのもの。
抽象的な画面の中に、日本の伝統文化の奥深い味わいを感じさせます。

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桃紅が百歳を前にして描き上げた作品。
金地に勢いよく上伸びる白い線。
桃紅が捜索する一瞬一瞬の形です。
昨日よりは今日と、歩みを止めることはありませんでした。f:id:tanazashi:20210421175418p:plain

「無意識ですよ。描くときは。ここでこの手法を使うなんてそんな意識的にやってませんよ。作っているんじゃなく、できた絵なんです。みんな。どうなるか分かんないですよ。一寸先は。人生と同じよ」

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神奈川県横浜市のそごう美術館で5月9日まで。

 

会場:そごう美術館

会期:2021年4月3日~5月9日

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「与謝蕪村 『ぎこちない』を芸術にした画家」【アートシーン】

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与謝蕪村 『ぎこちない』を芸術にした画家

どこかぎこちない画き方にこだわり続けた与謝蕪村の展覧会です。

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江戸時代中期。
日本各地を旅しながら俳人として活躍した蕪村。
画家としても山水画や人物画などを描きました。

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一見ぶっきらぼう
しかし親しみやすい画風は人気を集めました。

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中国の山水画に習った梅林の風景。
赤い点が可愛らしい梅の木々は、濃淡によって霞むような奥行きを表現。

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そこに描き込まれた建物と人物はふわりと丸みを帯びた面白さを見せています。
うまいのに、どこかぎこちない。
蕪村はそんな味わいを加えて自身の芸術を確立しました。

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東京の府中市美術館で5月9日まで。

 

会場:府中市美術館

会期:2021年3月13日~5月9日

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