チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

「バーナード・リーチ ー100年の奇跡ー」【アートシーン】

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バーナード・リーチ ー100年の奇跡ー

 

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1920年
イギリス南西部セントアイブスに東洋風の登り窯が作られました。

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日本で焼き物を学びイギリスを代表する陶芸家となったバーナード・リーチの工房です。
それから100年。
今なお続くリーチ工房の奇跡的な活動を紐解く展覧会です。

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最初の奇跡はイギリスの伝統的な焼き物スリップウェアを再考したこと。
スリップという泥状の化粧土を使う独特な技術は当時すたれていました。

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それをリーチは日本の陶芸家の協力を得て蘇らせたのです。

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次は工房を維持するため定番商品スタンダードウェアを開発したこと。

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手作りの美しさを保ちながら規格を統一することで工房の職人が誰でも制作できるようにしました。

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リーチ工房は多くの若者を受け入れその技術を積極的に伝えました。

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工房で学び、後にに大成した作家の作品も見られます。

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今もリーチ工房は若き陶芸家の憧れの地であり続けています。

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この展覧会は栃木県の益子陶芸美術館で8月22日まで。


 

会場:益子陶芸美術館

会期:2021年6月13日~8月22日

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「江戸の天気」【アートシーン】

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江戸の天気

 

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名所江戸百景高輪うしまち。
普段は人や牛車が行き交います。
その賑やかな場所。
広重は雄大な虹と戯れる子犬のいる風景として、雨上がりの静けさに表現しました。
広重はたくみに天気を描き、新しい名所絵を生み出したのです。
描かれた天気に注目することで浮世絵のさらなる魅力を見出す展覧会。

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広重の傑作《東海道五十三次庄野白雨》
白雨とはにわか雨のこと。
激しい雨に傘を窄め、足早に坂を下る人。
遠くの竹やぶは雨に煙り、しなっています。
広重特有の抒情性は天気によっても表現されていました。

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同じ白雨でも北斎が描くと全く違う世界に。
富士の山頂付近は晴天。
一方山麓は真っ黒な雲に覆われ稲妻が走っています。
北斎は自然の雄大さを描き出しました。

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こちらは國貞のうちわ絵。
雪の降る中、頭巾をかぶり、寒そうにしている美人。
暑い夏に手にすれば涼しい風を仰げそう。

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東京原宿の太田記念美術館で8月29日まで。


 

会場:太田記念美術館

会期:2021年6月26日~7月25日、7月30日~8月29日

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「隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則」【アートシーン】

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隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則


現代日本を代表する建築家・隈研吾

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国内外の美術館や競技場、コンサートホールなど公共性の高い施設の設計を数多く手がけてきました。
その中から68の建物を取り上げ、これからの建築のあり方に目を向ける展覧会です。

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「今まで建築家っていうのは、どうしても上から目線での建築を見てる、都市を見てたような気がするんですね。もっと地上に降りて、地面の視点で建築を考えられないか。とりあえず猫はすごく地面に近いところで都市を見てて都市を味わってて、ああいう猫の視点に立って建築をデザインし直したいなーってそういう思いでこのタイトルをつけました」

隈さんは地元の東京神楽坂で二匹の猫をGPSで追跡しました。

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猫は水飲み場や昼寝をする公園など、建物の隙間を移動しながらお気に入りの場所を周回していました。
「孔みたいな狭いスペースとか、粒子っぽくてザラザラしてるもんとか、猫はみんな好きなんですね。でそういう猫が好きなものをもう1回建築にも取り戻していくっていうのが今回の五原則のやり方でで、実際そうやってみると僕の建築はですね猫が好きな要素がいっぱい詰まってるって事が分かりまして」

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その五原則は、孔、粒子、やわらかい、斜め、そして時間。
いくつかご紹介しましょう。

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まずは孔。
スコットランドの博物館の設計では建物の中央にトンネルのような穴をあけました。

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向こう側に流れる川とこちら側に広がる市街地を繋いだのです。

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こちらは新潟県長岡市の市役所。
敷地の真ん中には大きな吹き抜けの空間。
これも孔。

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民家の土間からヒントを得ました。
土間は台所でもあり作業場でもある人がより合う空間。

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孔は市民の交流の場ともなります。

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粒子は細かな木材を集めて使う方法。
高知・梼原の木橋ミュージアムでは木材を組み重ねました。

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地元の木を使い、周囲の自然との調和を図りました。

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国立競技場にも粒子の手法が取り入れられています。
外壁に並ぶいくつもの細長い木材。

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日本建築特有のひさしからイメージされた軒庇。
この木材は47都道府県から調達されました。
日本の多様性を示す杜のスタジアムです。

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柔らかいのは高輪ゲートウェイ駅。

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折り紙をイメージした屋根の形がなだらかな山の稜線のようで、柔らかい。

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屋根そのものもフッ素樹脂の膜なので柔らかい。

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さらにこの膜は自然光を通すので構内は柔らかな光に包まれています。
「コロナ禍の教訓というのは、人間はハコ=建物を出てもっと街を歩かなきゃいけない。ハコに閉じ込められて密の空間に押し込まれてるのはどこも不健康だった、不自然だったってことにみんな気づいてて、もう1回自然の中に戻ってきたいこの僕らの考え方、猫の視点考え方がなんかこう時代にあってきたなって感じはしてるんですね」

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この展覧会は東京国立近代美術館で9月26日まで。


 

会場:東京国立近代美術館

会期:2021年6月18日~9月26日

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日曜美術館「靉光(あいみつ)の眼」

 

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敗戦の翌年の昭和21年、靉光あいみつ)という名の画家が、上海の兵站(たん)病院でひっそりと亡くなった。

日中戦争から太平洋戦争へと続く戦争の時代、多くの画家が戦争画を手掛ける中で、靉光は超現実主義的で幻想的な絵を描き続けた。

その代表作が『眼のある風景』である。

番組では、多くの謎を秘めた靉光の絵を、近年の科学調査や技法再現もまじえて紹介するとともに、最後は悲劇に終わったその人生を描く。

 

 

日曜美術館靉光(あいみつ)の眼」

放送日

2021年7月4日

 

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岩垂紅さんの父は画家でした。

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太平洋戦争中兵士となって中国戦線に赴き、戦後すぐに亡くなりました。

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「形見ですよね。ここここ。石村。本名なんです」

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飯盒を残した画家は本名が石村日郎。

画家としては靉光(あいみつ)という風変わりな名前でした。

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戦前に描いた靉光の代表作がこの絵です。

赤茶けた得体の知れないものは何でしょうか。

土塊なのでしょうか。

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その中に一つの眼がじっとこちらを見つめています。

日本のシュルレアリスムの傑作と評価されてきたこの絵。

一体靉光が何をどのようにして描いたのか。

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11年前に赤外線調査が行われました。

「最初の頃は眼がなかったわけです。もうぐちゃぐちゃ。ドロドロの不思議な塊と何ヶ月も闘っていく。ずっとそれを繰り返しているうちにですね、見つめられているっていう風に思ったと思うんです。それで眼を描いたんじゃないのか」

靉光(あいみつ)の絵が高く評価されるようになったのは戦後しばらくたってからのことでした。

それを知ることもなく靉光は中国の病院で亡くなりました。

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「絶食療法っていう名目で、ほとんど食べ物はもらえなかったと聞きました。日に日に六歩歩けて、四歩歩けて、三歩歩けて、その次の日はパタッと死んだと言う」

戦争のために28歳の若さで亡くなった靉光

その絵と人生に迫ります。

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広島県で生まれ育った靉光は、16歳の頃画家を目指して上京します。

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大正13年

関東大震災の翌年でした。

貧乏暮らしをしながらひたむきに絵に取り組んだ靉光

フランス近代絵画の画家たちの影響を受けながら自分の絵を模索します。

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当時の靉光の絵は現存しないものも多いのですが、これは残された絵の一つ。

木々が茂り、その間から家並みが見える風景。

筆のタッチはいかにもゴッホ風です。

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こちらは人物像。

コミサという名の妹を描いています。

黒い背景の中。

傘に寄りかかって目を閉じる少女。

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疲れ果てているように見えます。

この絵にはルオーの影響が指摘されてきました。

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「黒い太い輪郭線。それを表面的に見てもあのルオー風と言われている。まあでもそれだけに留まらないで、ルオーの作品ってのは非常に精神的な深い心理的な世界を持っているんですね。コミサという作品も非常にはの内面的なドラマ。かわいがっていた妹が遠い満州にお嫁に行ってしまうという思いもこの絵から伝わってくる。靉光が、より深い情動と言いますか、心の内面にまで興味を持っていた。でそれを描きたいという思いを持っていた」

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靉光は26歳の時、聾唖学校の教師をしていたキエと結婚します。

キエはその頃の靉光の様子をこう記しています。

「毎日は絵との死をかけての闘いだった」

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当時、靉光が描いていた絵です。

キエをモデルにしたと言われます。

編み物をする手はデフォルメされ、顔は真っ白です。

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髪はほつれ、目は三角になって怪しく光っています。

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蝋やクレヨンなどを溶かして用いているのでロウ画と言われています。

キエは後にこう回想しています。

「私はたった一度だけ石村の涙を見ました。ある日、部屋の片隅にうずくまって押し黙っているので、どうしたのですかと声をかけた途端、ぼたぼたと大粒の涙を畳の上に落としたのです。嗚咽をこらえ、やせ細った肩を微かに震わせ、低い声で、絵が描けないとかすかにつぶやくのです。自分の絵が正道であるのか邪道であるのか、おそらくわからなかったのだと思います」

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これも同じ頃の作品です。

靉光の自画像です。

まんまるの目や口元のヒゲなど。

そこはかとなくユーモアが漂うこの絵の背後で、靉光は絵との死をかけての闘いをしていたのです。

「ロウ画と言われる小品のシリーズを見ると、彼オリジナルの技法だと思うんですけども、蝋を溶かしてそれを下地にして日本画で使う岩絵の具を使って描いていたという証言もあったりして、自分の可能性もあり自分の方向性を模索していた時期の作品だと思いますね。フランスの近代美術の方向性からどんどん自分が逸脱していく。時代の流れから離れていく。このまま自分が自分の興味の方向性を見誤ってしまうんじゃないかっていう苦しみあったかもしれない」

 

すでに満州事変が勃発し、きな臭さが漂い始めた昭和10年代に入ると、靉光はまた新たな手法の絵を描き始めます。

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やせ衰えた馬が歩いています。

足は折れ曲がり腹は抉られ。

肋骨が浮かびれて首が力なくうなだれています。

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どこか古い壁画を思わせるような絵肌。

絵の具を丹念に塗り重ねたり削り取ったりしながら独特の肌を作り上げています。

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この頃靉光は毎日のように上野の動物園に通い、スケッチに没頭しました。

とりわけ熱心だったのはライオンです。

檻から離れず、おびただしい数のスケッチをしたと言います。

そして靉光はライオンをモチーフにした油彩作品を連作していきます。

今その多くが失われましたが、当時の雑誌に掲載された写真によって絵柄を伺えるものもあります。

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わかりにくいですが、これは仰向けになって足を上げているライオンの姿。

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こちらは横たわって内臓を露出しています。

いずれもライオンの形が分からないほどデフォルメされています。

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ライオンの連作の中で現存する唯一の大作です。

じっと見ていると、うずくまったライオンの姿形が見えてきます。

中央の下に尻尾があり、褐色の盛り上がった体。

そして左端に白っぽく頭が描かれています。

靉光はこうした独特の色合いや柄。

肌をどのようにして作り出したのでしょうか。

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画家の小林俊介さんは靉光の技法を調べてきました。

そしてライオンの絵には当時日本ではあまり使われなかった洋画の古典的技法であるグレーズ技法が使われていると考えています。

グレーズとはどのようなものか。

ライオンの頭の部分でその技法を見せてもらいました。

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まずは薄い絵の具で大まかに明暗をつけて行きます。

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そして油で薄めた透明な茶色の絵の具を画面全体にかけていきます。

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これがグレーズです。

そして拭いたり削ったりして肌に変化を付けます。

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「グレーズした後に、拭いたり削ったりすると、マチエールと言いますか、画面のでこぼこですとかそういった肌が強調されて」

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続いて様々な色を塗り重ね、絵の雰囲気を出していきます。

その上に今度は透明な緑の絵の具でグレーズをかけていきます。

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ミルフィーユのようにって言うんですけれども、不透明な絵の具の塗りとその透明に全体に色をかける。下の色と上にかけた透明な色と相乗効果で深みが独特の色合いが出てくるわけですね」

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さらに絵の具を塗り重ねグレーズを繰り返していく。

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こうして靉光は深みのある色合いで肌を作って行ったと小林さんは考えます。

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靉光の場合はその偶然できたそのくれすることにて偶然できたその肌がいいですね間違いですとかまあそういった雰囲気ですとかまたそういったものから触発されたこともあったと思いますので、それを言うものも活用して、何か得体の知れない存在かみたいないうものに繋がってるのかなあと思いますけど。だからそういう意味ではそのこの獣の後に目のある風景が出てきただってな非常に私はよくわかる」

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靉光がライオンの連作を経て描き出したのが、縦1メートル、横2メートル近い大作《眼のある風景》です。

空を覆う薄い青やグレーの下に何か形の定まらない褐色のものが横たわっています。

そしてその中央には一つの眼があり、じっとこちらを見つめています。

このリアルな目に対して、その周りにある得体の知れないものは一体何なのでしょうか。

これまで専門家の間で様々な解釈が行われてきました。

最も有力視されてきたのがライオン説です。

ライオンを繰り返し描いてきた靉光が、この絵でもライオンを変形させていったというのです。

ライオンの連作との形の類似も指摘されています。

例えば目のある風景の左側にある形は、内臓を露出したライオンの足の部分に似ている。

また、仰向けになったライオンの足や、その下の丸い穴が目のある風景の右側にもあるというのです。

一方で木の根を元に描いたという説があります。

これは友人の日本画家の証言によるものです。

捨てられていた木の根を靉光の部屋に一緒に運んだ。

その時靉光がここに眼を入れたら絵にならないかと言ったと証言。

こんなメモを残しました。

眼のある風景の右側は根っこ。

眼のある風景はどんな風に描かれたのか。

絵を所蔵する東京国立近代美術館東京文化財研究所と共同で赤外線調査を行いました。

眼のある風景の絵の具層の一番下にある姿を捉えたのがこの写真です。

「前の年まで描いていたライオン。そういうもののイメージを最初描こうとしてそれがどんどんどんどん変形して眼のある風景になったんじゃないかっていう説は割と有力だったんですけれども、このイメージを見るとどうやらですね、描き始めにライオンの姿があるようにどうしても見えないんですね。それからもう一つですね、木の根っこがあのモチーフなんじゃないかと言うそういう思いで話もあるんですが、これもまた木の根っこのように見えなくもない部分もある。けれどもこれもなかなか断言はやっぱりできないと思います。私自身はおそらく具体的な何かの描写とはちょっと違うあの手探りで本当に描き始めているんじゃないのかなっていうような気がしております」

赤外線写真には自由に引かれたいろいろな線が見えます。

靉光は何か具体的な形を描こうとしたのではなく、思いのまま線を引いているようです。

こちらは眼のある風景の完成に近い段階の絵の具層を写した赤外線写真です。

ここにも自由な曲線が見られます。

大谷さんは靉光が自由に線を引いては絵の具を塗っていく手探りの作業を続けたと考えます。

というのも靉光は、この頃自由な線をもとにした水墨作品を残しているからです。

最初に薄墨の奔放な線が引かれ、それに触発されるように濃い墨で鳥らしき姿が描かれています。

こうした線からイメージするやり方を、眼のある風景でも行ったのではないかと考えるのです。

靉光はここに絵の具を塗り重ねて、そしてまた一回削り取ったりとか、でまた塗ったりとか。何度も何度も繰り返すことによってこうかたまりのボリュームが表現されていくんですけれども、その存在感とか実在感。もっと手応えのある何とも説明できないけれども、そこに確かにあのあるってその感じですね。それをどうやったら獲得できるかっていうことの手探りでの模索だったと思うのですね」

眼のある風景を描いていた頃、絵に打ち込む靉光の姿をキエは靉光の本名石村の名で回想しています。

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「ただひたすら泣くほどに痩せ衰えるほどに絵を書いている人。部屋の四方に黒い布を張り光を遮断して片隅にうずくまってしきりに何か描いている石村。二階の画室に上がったきり、丸1日顔を見せなかった石村。眼のある風景に行き詰まってなすすべもなく二ヶ月も眺め続けただけの石村。石村の絵と対決する情景が走馬灯のように浮かびます」

この絵には得体の知れない赤褐色の塊と共にもう一つ不思議なものがあります。

リアルに描かれた一つの眼です。

この眼がいったい何を意味するのか。

これまで様々な見方がされてきました。

ファシズムの時代。

自由な表現を抑圧しようとする監視の眼ではないか。

あるいは作者である靉光自身の眼ではないか。

この眼は絵の初めのたを示す赤外線写真では描かれていません

完成に近い状態を表す赤外線写真で初めて登場します。

つまり眼は最後の方で描かれているのです。

「かなり後の方の段階で初めて眼が描かれたっていうことがわかったわけです。非常に意外でした。私自身は絵をずっと見てきてですね。じゃあ絵の眼なんだろうっていうことずっと考えていたんですけれども、私自身はこれは絵の眼じゃないかっていう風に思いました。それどういうことかと言いますと、靉光は絵を描くのにものすごく時間をかけているわけですね。なかなか描き進められないで悩みに悩んで何ヶ月もかかったっていうことだそうなんですけれども、しかも最初の頃は眼がなかっただけです。ぐちゃぐちゃドロドロの不思議な塊と何ヶ月も闘っていく。そうした時にですね、あのご覧いただくと、本当に混沌としてるんですけれども、じっと向き合っていると画面のあちこちに眼じゃないんですけれども、何か丸い形がいくつもあります。これはくぼみのような穴のようなものだったりしますけれども、じっと見ているうちにですねそれがひとつの眼のように見えてきて、この丸い塊を中心としていろんな連想が膨らんでくるんです。たぶん靉光もですね、この眼とずっと向き合っているうちに、その画面があっちこっちでそういう連想を繰り返して、描き進めていくうちにですね割とも最終段階になってから。画面のど真ん中で、きっとですねずっとそれを繰り返しているうちにですね、絵に見つめられているっていう風に思ったと思うんです。自分が今までずっと絵の事を見つめ続けていたはずなのに、いつのまにか絵に見られている。主体であるはずの画家がいつのまにかその主体を脅かされると言うかですね。客体のはずの絵に見られている。そういう風にですね逆転現象が、ある時たぶん靉光自身の頭の中で起きてそれで目を書いたんじゃないのかな。まあそうなるともう一つのなんとかこの絵自体が人格を持ったですね、ちょっとそれぐらいまで突き詰めた闘いを靉光はしていたんじゃないかなっていうふうに思います」

太平洋戦争が間近に迫ってた昭和15年

紀元二千六百年を祝う式典が開かれ、祝賀ムードが東京を覆います。

その一方で、戦時色が強まる中、美術界にも弾圧があり。

やがてシュルレアリスムを推し進めていた画家や美術批評家が逮捕されます。

当時靉光はどのように過ごしていたのでしょうか。

キエの回想です。

「戦時色が日に日に濃くなるにつれ、周囲の動き方に何か自分と違うちぐはぐなものを感じていたようです。例えば戦争画を描くのに、多くは軍人や大砲を描く。石村に言わせればそれが蜂であってもいいじゃないか。素材の違いはあるにしても自分は戦争の絵を描いているのだとよく言っておりました。戦争に入ってからの石村の絵にも蟻、蜂、撮りといった素材がやたらと登場しています」

実際靉光の画質には枯れた草木や石ころ目指しや馬鈴薯などが転がり、天井からは干からびた基準が吊り下げてあったと言います。

いもや果物らしきものが転がる中に魚が大きく口を開けています。

そして茶色の背景の中に巨大な蜂が飛んでいます。

一つ一つは細密にリアルに描かれているように見えますが、どこか幻想的な雰囲気が漂っています。

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これもまた不思議な光景です。中央に鳥が見えます。

下の方は植物の葉が茂り、赤い花が咲いています。

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その花にくちばしを入れるように、死んでいると思われる鳥の頭。

白い羽毛で覆われています。

そしてその横に赤い線が見えます。

植物の蔓でしょうか。

動物の血管なのでしょうか。

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茶褐色に覆われた画面に色々なものが蠢いています。

光を帯びているのは花でしょうか。

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得体の知れないものの中に、アゲハ蝶が鮮やかな姿で飛んでいます。

こうした静物画に打ち込んでいた頃、靉光はキエとこんなやり取りをしています。

「戦争が激しくなるにつれ、絵描きたちが絵の具の買いだめを盛んにしだしました。悠然としている石村を見かねて、あなたはどうして買いだめをしないのですか。困るでしょうにと申しますと、絵描きだからといって絵の具でなきゃ描けないわけじゃない。描こうと思えば泥でだって絵は描けると答えるのでした」

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靉光という人は自分の求める絵画の世界に対して決して嘘をつかないを貫き通した絵描きさんだと思いますね。その目に見える世界をそのまま写し取るということにはあまり興味がない。例えば戦争画。戦意を高揚するような絵を描いたら、これは自分が自分自分の絵に対して嘘をつくということを直感として感じたんじゃないですか。それもう何でもない者が生み出す凝視によって生まれる新しい隠された世界。それを見切り、それを描ききるということに執念を燃やしたところがありますよね。石ころとかじゃがいも、干物だとか、改めてものの属性をはがしてですね、そのものの意味は剥がして、裸形の眼といいいますか、先入観なしにそういったものを見てみると、そのものそのものの新しい側面がどんどん出てくる。なんでもないものが非常に豊かな幻想性を生み出すことを靉光は知っていたんでしょうね。なんでもないものが突如不気味な姿を持って立ち現れて行く。だから逆に見る人には強い説得力をもつ。それが破滅のそのシュルレアリスム。脳膜異性と言いますから独自性と言えると思います」

多くの画家たちが戦意高揚のための戦争画を手掛けるようになったこの時代。

靉光は「わしにゃ戦争画は描けん」と言ったと伝えられています。

戦争の最中の昭和18年

靉光は四ヶ月に渡り中国東北部を旅します。

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戦争の時代にどのような思いで絵を描いていたのか。

旅先からキエに宛てた手紙の中にその一端が伺えます。

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大自然に向かって絵画したい。神経質な近代病にとりつかれないように。がっちりとして全裸の自然に真正面からぶつかっていきたい」

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この頃、靉光は海をモチーフにした連作を描いています。

その中で唯一現存する作品。

中国に旅した時に見た光景が元になったと言います。

うねる海、波の様子が大胆な色使いで描かれています。

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戦争中、妻や子供達と暮らしながら絵を描いた靉光

しかし家族に描くところを見られるのをとても嫌がりました。

「いざ絵を描くということになりますと、決まって家族を自分から遠ざける。自画像を描くときなどはそれが一段とはなはだしく、すぐ郷里へでも行ってこいなどと言っては私達を追い出します」

この頃、靉光は自画像を連作しています。

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これは帽子をかぶった姿。

太い首。

頭は傾き、顎をグイと前方に突き出しています。

唇は歪み、目は片方閉じているように見えます。

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どこか苦悩しているようにも見え、何かに立ち向かっているようにも見えます。

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背景に黒い木々が描き込まれた自画像。

体も頭もやや後ろに反っているように見えます。

風が吹いているのでしょうか。

冬枯れの木々も頭と同じように傾いています。

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顔には眼鏡をかけていますが、目は描かれていません。

目を塗りつぶし自らの内側に視線を向けようとしているのでしょうか。

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そして白い服を着た自画像。

他の二作とは違い、体も顔も傾かず自然な姿勢です。

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小さな二つの目がじっと前方を見つめています。

この戦争の時代を生き抜くことを静かに決意しているように見えます。

この頃、靉光はキエに宛ててこう書いています。

「いい絵を盛んに描こう。いい絵を描いてれば天は助けてくれる。靉光はいい絵を描いてれば良いのだ」

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戦争の最中に靉光はなぜ自画像の連作を描いたのでしょうか。

何も立ち向かうような姿であることから、これまで多くの人が戦争への抵抗の姿勢を読み取ってきました。

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「私のとっても気になるのはあの3点の自画像は何も同じような姿勢で体躯としては堂々としていますけれども、どの作品も目が非常に小さいんですね。遠くを見てるようでもあるし、でもあんまり見てないようにも見えるし、特に自画像の場合は眼鏡の奥の目がもう塗りつぶされちゃって描いてないんですね。あれは非常に重要なことで、あれだけ強い眼を描いていた人が、戦争に行く直前の自分自身の眼はどうしてあんなに小さくあるいは塗りつぶすような描き方をしたのか。その意味がよくよく考えてみる必要があると思うんですね。私自身は靉光はああいう眼の表現をすることで自分の心の内側の方に視線を向けてたんじゃないのかなっていう風に思っています。表向き世間的な建前的には、前を向く、戦中を向くそういう姿勢のを自分自身を描きながら、画家として見つめる先は自分の心の中、あるいはその心の中で思っている本当は自由に絵を描きたいんだけどっていう本音と建前に引き裂かれるような苦悩のようなものがあの画像にあるんじゃないのかなーっていうのが私の解釈」

昭和19年5月。

36歳だった靉光のもとにもついに召集令状が来ます。

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靉光はその心境を義理の兄にこう報告しています。

「絵筆が銃に代わるのですから、ちょっとまごつきましょうが頑張ります。小生一人取り残されたような、ちょっと変な気持ちでおりましたがこれでどうにか戦時下の男になれそうです」

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「背には寄せ書きの日の丸とありったけの絵の具をかき集め、はちきれんばかりの絵の具箱がくくりつけられていました。私は怪訝に思いましたが、石村はいくら戦争でもそのうちちょっとでも描ける時間はあるだろうと、気楽に言うのでした。それは昭和19年5月21日の応召の日の光景でした」キエの手記

画家から兵士となった靉光が赴いたのは中国戦線でした。

「長い暗い戦争も終わりました。どんどん兵隊が帰ってきました。バタバタという軍靴の音が聞こえるたびに帰ってきたかなと思って駆け寄ることも再三のこと。しかし石村はとうとう帰ってきませんでした」キエの手記

靉光

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本名石村日郎が亡くなったのは敗戦の翌年。

昭和21年1月でした。

遺族の元には戦病死の知らせだけが届きました。

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この遺品の飯盒は靉光の死を看取った人が戦後20年近く経ってから届けてくれました。

キエはその人から始めて最後の様子を聞き、子供たちに語り伝えました。

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「絶食療法っていう名目で、ほとんど食べ物はもらえなかったと聞きました。日に日に六歩歩けて、四歩歩けて、三歩歩けて、その次の日はパタッと死んだと言う。これ以上はとってもむごくて聞かせられないと思った。これ以上のことは」

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取材先など

 

書籍

 

 

 

 

展覧会

 

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新美の巨人たち 「手塚治虫『ジャングル大帝』」

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アフリカのジャングルで繰り広げられる白いライオン・レオの物語『ジャングル大帝』。数多のキャラクターを生み出し、世界にマンガを知らしめたマンガの神様・手塚治虫の原点となった作品です。当時の子どもたちを熱中させた裏には、従来のマンガになかった革命が…!なぜ手塚はこの作品を描いたのか?レオに託した思いとは?世界が認めた不朽の名作の魅力と謎を探るべく、シシド・カフカさんが伝説のアパート「トキワ荘」へ。
さらに手塚の熱狂的ファンだったマンガ家・里中満智子さんが語る“線の魅力”も。

美術の窓 2021年 1月号

美術の窓 2021年 1月号

  • 発売日: 2020/12/19
  • メディア: 雑誌
 

美の巨人たち 手塚治虫ジャングル大帝

放送:2020年7月3日

 

神様はいつも時間に追われていました。

でも締め切りギリギリまで考えます。

ギリギリまで線を走らせます。

マンガの神様手塚治虫

彼が生み出したキャラクター達は今も輝き続けています。

十万馬力の科学の子。

男装の美少女心は乙女で剣の達人。

お金はかかるがメスを握れば世界一。

生涯に残した作品がおよそ700タイトル。

15万ページ。

マンガに革命を起こし、マンガ王国を築き上げた不世出の天才です。

原点となった作品こそアフリカのジャングルで繰り広げられる白いライオンの大河ロマンジャングル大帝

健気で愛らしいでよその可愛さの秘密とは

誰が書いてるの少しもうちょっと楽に行けると思った

本日はシシドカフカさんが手塚治虫ジャングル大帝を巡る冒険旅行。

さよならさよなら

マンガの神様はジャングル大帝についてこんな言葉を残しています。

どんな近代科学の発達した社会になっても私はこの夢だけは捨てたくないのです

その夢とは

豊島区南長崎

胸部の宝塚から上京した手塚治虫はこの街で2年ほど暮らしました。

シシドカフカさんは朝からワクワクしていたそうですよ

すごく細かく絵を書き込んでる。なんていうイメージとあとキャラクター一つ一つがとても可愛らしいなっていう印象がありますね

トキワ荘マンガミュージアム

楽しみ

手塚治虫を始め、藤子不二雄石ノ森章太郎赤塚不二夫

日本を代表する漫画家たちが若き日を過ごしたアパートトキワ荘は漫画の聖地。

ここに今日の作品があります。

ジャングル大帝

ミュージアム一階のギャラリーこれが実際のジャングル大帝の原稿です。

このサイズ感で見てもやっぱり細いですよね。線か

今日の作品手塚治虫ジャングル大帝

主人公の女を手漫画は線の芸術です

柔らかくしなやかな線が喜びも悲しみを何より愛らしいレオの姿を作り出している

大人になったで素早い動きが躍動しています

最小限の前だけで大きさ強さたくましさを表現しているのです。

手塚治虫線の魔術ジャングル大帝は昭和25年から29年にかけて雑誌漫画少年に連載されました。

その頃手塚が暮らしていたのが伝説のトキワ荘

漫画文化を次世代に継承する拠点として豊島区が細部までリアルに再現し明和に蘇りました。

宮崎常盤荘へぜひお越しください

9月だしかっこいいさ結構落としますねきしむ

広い廊下の両側には何が形の部屋が強度の炊事場があり当時の生活感が満載です。

ねずみも漫画家たちの友達。

炊事場の斜め向かいが手塚治虫の部屋かり

お嬢さんですね

ジャングル大帝を書いたんです。

 

 

 

ではジャングル大帝の物語を。

ジャングルの守り神として人間から恐れられていたパンジャという白いライオンの王様。

その端が人間に捕らわれてしまうのです。

パンジャは妻を助けようとしますが撃ち殺されてしまう。

人間に捕まった妻は動物園に運ばれる船の中で赤ちゃんを産みました。

患者大手の王子主人公のようです。

お母様のお話をよくお聞きなさい。あなたはねパンジャ王家の王子なのよ。あの雲をごらん。あの入道雲の下にお父様の国があるの。広々としたアフリカという国のよ。お父様の後を継いで立派なライオンにならなければいけないのよ。

母親が人間に捕まってはならぬと思い嫌がるレオを逃がそうとするのです。

さよなら坊やそして令和意味やがて嵐がよく行ったのよ

粉とお母さん死んじゃうの切ないですよね

文京区本郷に漫画少年という雑誌を出版する小さな会社がありました。

昭和25年22歳の青年が訪ねてきました。

手塚治虫です。

医学生の方から

関西で漫画家デビューしていた彼は、新寶島やメトロポリスなど画期的な作品を発表し

その評判は東京にも轟いていました。

この付近で柄が持っていたのがジャングル大帝アラゲインコ

応対した編集長の加藤健一はこうを申し出たのですが

これも家に連載しませんか

その年ジャングル大帝の連載が始まりました。

手塚ジャングル大帝を書く姿を間近で見ていた人がいます

編集長加藤憲一のよん段加藤武夫さんです。

は家族ぐるみで細々と漫画少年っていう雑誌を作ってた

手塚さんが上京すると東京駅からまず我が家に直行してジャングル大帝を書いてた

白い紙に大雑把に丸とか三角を鉛筆で書いてその上からいきなりその点であの精密な絵を書き込んでくっていう感じだったんだね

子供の頃にもその才能がほとばしってるなあというのを実感した

ジャングル大帝の反響は凄まじく手塚は瞬く間に少年漫画界のスターへと上り詰めて行きました。

白いライオンの物語はなぜ子供た熱中させたのか。

それは従来の漫画とは全く違っていたからです。

四コマ漫画家長くても見開きほどの漫画が当たり前だった時代、ジャングル大帝のようにたくさんのキャラクターが登場しいつ終わるともしれない漫画の出現はまさに革命でした。

マンガ評論の第一任者夏目房之介さんは。

「たくさん人物が出てくると何が起こるかって言うとあの顔のアップが増えます。顔のアップがあるって言うのはその人物に主観的に入り込んだ瞬間がやたらと物語でおいってことなんですねアンケートバストショットとか見とるとかっていうものを組み合わせる中で映画の取り方を漫画に取り込もうとしてました。

医師の自己表現として行った手塚は読者の心をつかむために映画のようなクローズアップを巧みに使い

さらには群衆シーンやミュージカルシーンなどを盛り込んだ画面作りを取り入れていったのです。

どんな多忙な時でも年間300本もの映画を見ながら、漫画の表現を追求していきましたがガラガラバリバリ擬音語や擬態語といったオノマトペを取り入れた魁も

手塚治虫映画で使われる効果音を文字に変え迫真の場面を作り出したのです。

無音と沈黙さえトキワ荘の御用達だったラーメン屋さんで、シシドさんはジャングル大帝の続き

人間の世界で育った小さなレオにアフリカのジャングルは見たこともない世界でした。

今飲み会の所が僕の故郷だったのか

ハゲタカが群がるシマウマの死骸に出会った時のこと。

あの骨を見たときなんだか急に飛び出してかじりつきたくなったんだ。

これはどういう理由なんだ僕は野蛮な獣じゃないはずなのに、だけどどうしてこうなったんだろう。

レオは初めて自らの内に潜む安いに気がついたのです。

その驚きと戸惑い豆を間違えた場合

ありがとうございます

これが噂の頂も若木漫画家たちが愛したラーメン

ほっとする感じです。

子供の頃から手塚治虫の熱狂的なファンだった漫画家の里中満智子さん。

一口で言うと丸ですね。あの全部丸でできている。でもこれはね絵の基本って言われるんですけれど、もはそう言われてもね何かよくわからないんですよ。でも手塚キャラを見てるとあぁなるほどもう全部これもあるの組み合わせだなれいながよく分かりますよね

そのキャラクターは基本的に丸を組み合わせて描かれているのです。

複雑な描線の動物でもいくつかの丸が絡み合ってその造形を作り上げています。

里中さんに了解てもらいました

手塚先生のペン達はすごく柔らかで

だから色っぽいんですよね

こうやって書いてみて

改めて気づいたんですけど

やっぱりデフォルメがすごいですね

パッと見るとぬいぐるみみたいに可愛いんですけれども

ちゃんと動きを表現できる形になってるから

凄いですよね

ここまでデフォルメするとこれでライオンに見るだろうかと

なんかドキドキしちゃうんですけれども

手塚先生が動くとライオンにしか見えない

実は電話の顔が連載当時のものと後に単行本化したものとは違って

つまり二つの量が存在する

一体どうして。

 

 

 

手塚治虫はその独特のやわらかい線によって数々の名作を生み出していきました

漫画家にとって千とはいったい何か抽象的な言い方すると

覚悟です

もうここに行くと拘縮ともうそれを決めるのは

自分しかいませんので

これは連載当初のレオの顔です

こちらは多くの人が知っているレオのかをよく知られている方は黒目が大きく

花は小さく人間の子供に近い顔をしています

一方連載の時の物はライオンの子供に近い顔です

なぜ変わったのか。

実話連載当時の生原稿が紛失していたのです。

その事実を知った手塚は僕は我が子のように大事なこのジャングル大帝の原稿を失ったことで声を上げて泣きました。

20代の頃ライフワークとよんで描いたジャングル大帝

手塚は単行本を作るにあたり紛失したその前半を全て新たに書き直したのです

連載の時から15年の月日がていました

しかし長い時間がかかりました。

どうしても以前の絵のような味は出ませんでした

いったいなぜでしょ

長年慣れ慣れているこの筋肉の動きと言うかそのシステム化されたあのあの体の中の反応ってね一度買ったらそう簡単にいませんので

それは手塚さんがいくら50年あたりの線をもう一度書こうと思っても描けないんでしょ

おそらく他の面のことでもそうだと思うんですね

人生行ってくると色々買ってくることがある

すべてその時にしか描けなかったものだと思うんですね

漫画家は線と共に成長し、線と共に人生を歩んでいきます

その歳月の積み重ねが私たちの知っているレオの姿を生み出したので

線の宿命としてトキワ荘マンガミュージアムで宍戸さんが熱心に見ているのは

ジャングル大帝のクライマックスです。

では戦いと挫折を繰り返しながら立派な王者となっていきます

ところが疫病が流行し端のライアンを失くしてしまいます

そして我が子にも秒まで助けてくれたのは人間たちでした

と公約の注射で我が子も仲間も救われたので

ではその恩に報いるため人間たちとともに前人未到の謎の山ムーン山に向かうのです

クライマックスを迎えた時、手塚はチャイコフスキーの悲愴のレコードをボリューム出かけながら描きました。

猛烈な吹雪の中でレオは自分の命と引き換えに人間を助けたのです。

1965年ジャングル大帝はテレビアニメにもなりました。

ではなぜ手塚治虫ジャングル大帝おうかいたのか

そこに漫画の神様の大切な夢が隠されていた。

 

 

 

 

手塚治虫の少年時代は戦時下でした。

九州で多くの人達が死んで行きました。

16歳で戦争が終わった時こう思った。

少年だよこれで漫画が描ける

幼い頃から漫画を友としてきた少年はずっと蓄えてきた力を解放したのです。

帰れま内藤聡と殺戮の時代の中で争いのない世界への夢を白いライオンに託して手塚治虫の人

誰知らない森の奥や山の向こうで動物達がろく人もあり天使のように無邪気に羽回っている世界が一番好きです。

どんな近代科学の発達した社会になっても私はこの夢だけは捨てたくないのです。

恐れ多くも宍戸されを書いてみました

ちょっとしたバランスが崩れるだけで可愛くなくなるんですよね。なのでお顔も当初より大きくしましたし耳も鼻も目も口の顔のパーツを全て大きく書き換えて、やっとちょっとよってきたっていう感じです。

本当に短い祭りでしたけど全部しっかり描かれてたので

最後に書き足したりちょっと愛らしさもしましたね

豊島区立トキワ荘

手塚治虫を開催してこの一作とともに東京に行ってきました

漫画というジャングルへの長い長い旅の始まり

手塚治虫ジャングル大帝

漫画の神様の見果てぬ夢。

 

 

 

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「没後80年 竹内栖鳳 -躍動する生命-」【アートシーン】

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没後80年 竹内栖鳳 -躍動する生命-

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お腹いっぱいになったアヒル

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こちらはまだまだ食べたいみたい。
描いたのは日本画竹内栖鳳
自宅で飼育していたというアヒルがモデルでしょうか。

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一羽一羽表情豊かに現しています。
明治から昭和にかけ京都画壇の中心で活躍した竹内栖鳳
没後80年を記念した展覧会です。

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動物画を得意とした栖鳳。
ふんわりとした毛並みや仕草からは丹念に観察したことが伺えます。

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栖鳳は京都からの伝統を受け継ぎながら、ヨーロッパで学んだ西洋画の写実表現も積極的に取り入れました。

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動物を描けばにおいまで描く。
卓越した描写力は綿密な写生から生まれました。

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こちらは雉を写した写生帖。

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肩や首筋、場所ごとに本物の羽を貼り付け参考にしていたことが伺えます。

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雀を描いた金屏風。
背景には何もなく、28羽のスズメだけ。

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しかし一羽一羽全て仕草や表情が違っています。

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「自然が好きだった栖鳳は何度も何度も観察を重ねる上で、雀が鳴いている時に必ずしも口を大きく開いているわけではないということに気付いたんですね。

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羽を広げて動こうとしてる様子ですとか、飛び跳ねている様子。

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少しだけ口を開けているような雀がいたりですとか、そういった細かな雀の動きを描きとることで、雀がチュンチュンと鳴いているようなそんな光景を思わせる絵が読まれているのではないかと思います」

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何かに気を取られているような鹿たち。

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視線の先には飛び跳ねる鹿。
一瞬の動きと一頭一頭の反応を見事に捉えています。
写実を極めた丹念な写生と日々の観察の賜物です。

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亡くなる2年前に描いたトラの大作。

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一本の線で捉えられた虎の輪郭。

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動物のしなやかな動きや肉付きまで感じられます。
動物画への情熱は生涯衰えませんでした。

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静岡県熱海市のmoa美術館で7月27日まで。

 

会場:MOA美術館

会期:2021年6月11日~7月27日

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「石内都展 見える見えない、写真のゆくえ」【アートシーン】

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石内都展 見える見えない、写真のゆくえ


世界的な評価を受ける写真家・石内都の展覧会。

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独学で始めた写真。
目に見えない、時間を写し込む試みを続けてきました。

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かつて遊郭だった建物。
ざらりとした質感が濃密な気配を醸し出します。

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シリーズ広島は原爆の犠牲者の遺品を撮影する石内のライフワークです。

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遺品を自然光の柔らかな光の下で撮ることで、犠牲者一人一人の確かな存在感を浮かび上がらせています。

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石内の最新作。
2019年台風の被害で川崎市の美術館にあった自身の作品が水没します。

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一面カビとシミに覆われ、元のイメージが分からなくなった写真にカメラを向けることで新たな作品としました。

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兵庫県の西宮市大谷記念美術館で7月25日まで。

 

会場:西宮市大谷記念美術館

会期:2021年4月3日~7月25日

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