「アイアムアヒーロー」制作風景を4日間にわたって密着取材。
ドラマが勝手にアメーバのように動き出したりする方が描いていても面白いですよね。
やっぱり、自分が楽しめないとダメなんですよね。いろいろ蛇行していても、結果的に違うゴールが見えてきても、それはそれでやっぱり面白かったりするのですよね。
白紙の状態から絵が埋まっていく状態ってのは何時間構えにはなかったものなわけだから、できて形になった時に、自分でもある程度「へーっ」てならなければ行けない。僕らが「へーっ」てならないものには読者も「へーっ」てならないのね、きっと。
絵に対するアプローチが、僕と「真逆」ぐらいなイメージがある。が、「真逆」なのがめっぽう面白いのが悔しいですよね。
作品のヒロイン「ひろみ」を描きます。(Gペン)
きゅっきゅって進めるでしょ。「すいーっ」と持って行く人と「きゅっきゅっ」と作っていく人と、ストロークが長い短いってありますよね。本当にそっとやりますよね。
びくびくしながらやっている感じなんですよね。「この線で正しいのかな」ってのが常にあって。
睫毛とか、眉毛とか目の中とか、こういうのをやっていくと表情が深くなっていくんでていう感じですよね。
髪の毛のミリペンは何ミリを使っているのですか?
これは0.05ですね。
これがあれだよね、本当にマジックのように髪の毛になるよね。
「手癖」じゃないものが出てきたときの喜びってあるじゃない。
それはありますね。
大友さんの「AKIRA」の髪の艶が、まずキューティクルを残しておいてあとは下手を塗ってもらって、あとは最終的に「キュキュキュキュキュッ」と入れると髪の毛の流れが
できるっていう。
「ああ、このやり方か」って「しわ」とかそうなんですよ。
花沢さんの作品で僕いつも気にしていた「しわ」が、ここに「キュッ」てはいるやつ。(笑)普通眉間のしわってここに入れるんですよ。だけど花沢さんってここに入れるんですよ。「ああそれはアイデアだな」って思って。
彫りがしっかりしていないと。実は日本人ってここにしっかり入っていないんですよ。そうすると結果的にはここにくぼみができる。
リアルリアルに人間を描かないと、ゾンビになった時に「ウアーッ」という風にならないということなのかなあっと思ったのですよ。ここまで人間の造形をきっちりする。
とりあえず、日常を描きたかったんですよね。そこから始まってそれが崩れていくっていうところでの大っきなうそが始まっていくんで・・・。
徹底的に日常の風景を描いて入っていかないと「日常の壊れっぷり」っていうのは表現できないということなんだろうなっていう・・・。
ネームを元に、先にネームありきでネームのイメージの写真を撮るんですか?
そうですね。基本はそのパターンです。作品自体がゾンビって言う大きなウソをつく漫画だったので、絵とかに関してはある程度リアリティを求めたい。それがこの作品には合っているのかなっと。
主に髪の毛の感じが欲しいのかな?
それもありますし、顔と体のバランスですかね。
一時、論争があったじゃないですか。「この描き方はどうなんだ」って。
でもやっぱり自由だって思うんですよね。それこそあらゆる自由な手法があっていい。だからこそ漫画なんで。
できあがった作品が、どういうムードでどう思われているかということであって、そこにおけ手法というのははなんでもいいというのはありますよね。
いろんな自分の中にある自由を持ってきて、漫画がどんどん発展して面白くなってきているので・・・。
ほとんど誰にも魅せないでフェアリーの妖精の裸を描いていましたよね。暗い中学生でした。(笑)当時、それこそ女の子と付き合えていたら、僕はほんと漫画家なんかになっていないですよ。
ハロルド作石さんとか、新井英樹さんとか、あの辺の影響が凄く見えるのですよ。
はい、まさにその通りで、「ゴリラーマン」とか「宮本から君へ」が本当に凄い好きで、それで浦沢先生の「パイナップルARMY」も読んだりとかして・・。ああ「こっちの方が全然自由だな」って思ったんですよ。
「ここまで描いていいんだっ」てみたいなものがあるでしょ。
キャラクターが本当に生きているように描かれて、少年誌とはまったく違う世界だなと思って・・・。
どっちかというと(英雄は)モブキャラ*1だと思っているので、モブキャラがたまたまこの漫画ではちょっとスポットライトを浴びているくらいの感じで・・・。
漫画の基本ルールとして「背景の中でキャラクターが浮き上がるかどうか」みたいなことって・・・。
逆になじませたいって思ってますね。
青木ヶ原の樹海があんなに後ろにあったら見づらいはずなんだけどという状態を僕ずっと思ってたんですけど、逆に「(わざと)やっているんじゃないかな」と・・・。
逆に浮き出ているって事は主役感を出すためにライトを当てていたりとか、そういうことになっちゃいそうなんですよね。だから、そうすると僕にとってのリアリティってのが減っていっちゃうんで、見えないんだったら見えないでいい。そっちの方が僕にとってのリアリティなんですよね。
浦沢って、「漫画的汗を描き入れないよね」って言われたことがある。だけど「クライマックスシーンに雨を降らせて汗の代わりにする」って。そうするとビシャビシャになる。紙の蹴る乱れる。(はーっ)それで、「ああ本当だ」と思って・・・。天候を利用するとかはないんですよね。
ぼくもできないんですよね。
そこも照れちゃうんだね。(ハイ)
雨降ってたらいいシーンになるのに「鈴木英雄くんはピーカンなんだよね」みたいなね。
「このキャラクターは絶対にそんな奇跡は起きないぞ」って思っちゃうんですね。
「気持ち悪い」「不気味」ってなんだろうというのも、突き詰めていくと、手癖で描いた段階で気持ち悪くなくなっちゃうってのも・・
あーそれはすごくわかりますね。「不気味の谷*2」とか、なんか微妙なところですごく違和感を感じるっていう。なんかあそこらへんを突いていきたいって感じなんですよね。
人間に近づけて、ぎりぎりまで近づけていったところのちょっとしたずれが一番気持ち悪い。
だから単純に怪獣にしてしまうと怖くなくなっちゃうんですよね。やっぱ筋肉がどうやってあの巨大なものが支えられているかなって考えると、きちんと理由があって動いていいるというのが欲しい。なんていうのか、怪獣っぽくなっちゃうというのがすごいイヤで。
作為がね。
自分が入ってきちゃうんですよね。ちょっと油断すると。それをなるべくなしで、いかにも自然にできたというものにしていきたいというのが凄く悩むところですね。
嘘を本物っぽく書くというところが漫画の醍醐味というか面白さでもあると思うんで、そこはあまり妥協しちゃうと結果的にリアリティのないものに変わっていっちゃうんで、そういうところで読者が突いていかなくなってしまうんじゃないかと思います。
本当にリアルに突き詰めて描くとルーティーンな表情というのがなくなってくるから、その局面局面で本当に微妙な表情になってくるから、それを捕まえるってのは大変な作業ですよね。花沢さんの作品ってセリフはシンプルにして、あいだの風景感や動作でゆったり絵がくっという感じがする。
「宮本から君へ」でもセリフは巣一切なしで描いていたんで、「はッこんな内面を文字に起こさなくっても漫画として成立するんだ」というのがすごい衝撃を受けて・・・。
僕もモノローグは一応禁止なんですよ。
そうなんでか。
それは表情で描いて演技で知らせる。「なんかつらいわ」っていうふうに言っちゃダメっていう(笑)
特に女の子はとにかくそれこそゾンビよりも理解できないものという感じで、それこそうかつに僕が女の子の「○○君好き」みたいなことを描いちゃったら、それこそ嘘になっちゃうんで、それはやっぱり描けないなと・・。
一回顔の表情から離れてこれなんだよね、あ自分で気づいてなかった。
そこを気づいてなかったですね。
流れで見せないで一回そらしてぱんって正面から見るという手法でうまいなと思ってのです。
そうだったのか。
漫画ってだから不思議でさ。 僕なんかもその意識しないでやっているんですが、あとから見ると「ああそうなっているんだ」というのを自然とやっているんでしょうね。
悲しい顔の方に持って行った方がいいのかなと思ったのですけど、やっぱり自分としては(感情を)理解できていないんだろうなと思って・・・。
「泣いているのか笑っているのかわかんない顔」というものを上手に描きたいなってずっといつも思っているんですよ。感情の押しつけになっちゃうじゃないですか。「もっとなにか幅広いんだよな」みたいなものがある。それこそ書き続けたキャラクターへの思いもあるから、万感があるわけじゃないですか。それを「単純な表情で表現したくないんだよな」というのはありますよね。
やっぱり理解できていないのをうそをつきたくないんですよね。理解しましたみたいな感じで描くのはどうも・・そこをねじ曲げるのはできないなと ・・・。
でも感情は爆発しているよね。
あーそうですよね。
何かの感情がばっと決壊したような顔だよね。
やばいね。
でもこれくらいからようやく筆が乗ってくるんですよね。追い詰められて。
そうなんだ。ここからなんだ。
ここから楽しくなってくるんですよね。 頭がなんか開いたような状態になるというか、ここからアイデアが出てきたりとかするんで・・・。
やっぱりその辺どうかしてるね。(笑)
ああやだ。やだやだ。
(体が動かない・・・眠い・・・)
こんなこと言ってたんだ。
(漫画ならおとなしい自分でも人の心に届く自由な表現を生み出すことができる・・・子どもの頃描いた夢が花沢さんを支えます)
漫画ぐらいなものじゃないですかね。18ページとか個人に与えられて自由に表現していいという空間なんて。この主人公が一巻目で愚痴っていた感じですけど100年残る作品ですかね・・・そういうのが万が一できれば本当にうれしいですね。
とにかく一番へこむ瞬間というかアラが出てしまう。見えてしまうところなんで結構落ち込んでしまいますね。
なんなんでしょうね。たぶん一番見えている瞬間なんだと思うんですよね。
描いているモードで見るのと読者目線で見るのでは違うというのはあるかもしれませんね。
それは本当にありますね。
できあがった漫画がどれだけ皆さんの心をわくわく面白くさせるかということだから「あらゆる手法が自由だ」というのは非常に面白い。それこそ漫画の考え方だろうなって思いましたよね。
この世界には行って技術的に桁違いの人が本当にいるんですよ。それは浦沢先生もそうですし、その差をどうやって埋めていくか。そのために使えるツールはどんどん使っていきたい。あんまり見たくないですよねすごい人は(笑)