山口ゆかりの雪舟をはじめ、狩野芳崖、小林和作らの作家を中心に、近世から現代に至る約一千点のコレクションが収蔵されています。中でも地元の三隅町に生まれた香月泰男の50点を超える「シベリアシリーズ」はこの美術館を代表する一つの顔になっています。
香月泰男は1943年に召集され、敗戦後はシベリアに抑留されています。47年の復員から亡くなるまで描き続けたのがこのシリーズです。
劇作家・木下順二
「乗客」
俘虜としてトラックに乗せられ、移動していたときの様子をモチーフにした作品です。気温は零下30度。このとき彼は死に神のような素顔をした骸骨が一緒に乗っているような気がしたと書き残しています。画面にはリアルでない象徴的な骸骨が描かれています。その横に描かれた男の顔。この顔がその後のシリーズの中に再三出てくる顔の原型のような気がします。一つの思いが時間を経ることである結果に達する。そのプロセスに共感を覚えます。
「星<有刺鉄線>夏」
シベリアの夏の夜空はあまりに美しかった。それに対して目を下に移すとそこには冷たい有刺鉄線。あまりのギャップに引き裂かれるような思いがしたそうです。普通戦争画は思想的でイデオロギッシュな作品を思い浮かべますが、香月の作品は根底に感性的で肉体的な戦争嫌悪があります。それを自分の心象として完成させるか。長い時間の中で苦悶してきたのでしょう。
「雨<牛>」
「雨<牛>」は戦争を雨で表現しようとした作品です。「帰国してからしばらくの間、私は意識的にかなり色を使っていた。暗い時の終わりを、色を使うことによって自分にもいいきかせていたのかもしれない。」と述べています。香月は21年後「雨」という作品を描きました。
「雨」
香月は「やっと戦場に降る雨を描くことができた」と語っています。兵隊も武器も登場させずにそこが戦場だったことを示し、戦争のむなしさを伝える絵が描きたかったのかもしれません。前作の「雨<牛>」は甘く感傷的なものだったと思い返しています。自分にとっての戦争、俘虜体験、そしてそのときの気持ちが。21年という時間経て圧縮され、一つの心象としてはっきりとしてきたのだろうと思われます。
「青の太陽」
「ホロンバイルで匍匐前進をしているときに、自分の間近に目を落とすと、蟻たちが自分の穿った穴に自由に出入りし、精一杯に生きていた。ああ自分も蟻になって青空だけ見て過ごしたいと思った。暗い穴の底から青空を見上げると真昼でも星が見えるそうだ」この絵を描く動機として香月が語った言葉です。
シベリアシリーズの一連の作品はその描かれた背景を知ると、反戦というよりは、強い戦争嫌悪で貫かれていることがわかります。一つ一つをバラバラに見たのでは、その美しい叙情性に目が行ってしまい、気付かないかもしれません。美術館でシリーズとして見ることで、初めて作品に込められた真意が分かってくるのです。
香月は「銃ではなく絵筆を持って死ぬつもりだ」という言葉を遺しています。生涯を掛けて自分の経験を、心象として画面に定着させた。それは一人の洋画家として見事な生き方だったといえます。
放送:1990年9月23日