幕末に描かれた不思議な屏風が12年ぶりに日本で公開されています。金地の大画面に人の頭ほどの朝顔が宙に伸びていくように乱舞する「朝顔図屏風」です。
見た瞬間「あ、きれいだな」と観客を引きつける反面、その奥底に不気味でぞっとする迫力がにじみ出てくるのは、妙に鮮烈な色づかいにあるのかもしれません。
描いたのは肖像画の1枚も描かれていない絵師・鈴木其一です。
「間違いなく人気が高まる。たとえば若冲だって20年前は誰も知らなかった。しかし、絵そのものに魅力があって今や大人気。何十万人の人が。其一もこれから絵そのものの魅力で多くの人に支持されると思います」
鈴木其一が生まれたのは1796年。台東区根岸のこのあたりで晩年まで暮らしました。隣には師匠の酒井抱一の住居もありました。
酒井抱一は、江戸初期に活躍した俵屋宗達。そして尾形光琳と続いた琳派の後継者です。抱一は琳派の表現に写実的な表現と、物のあわれまで感じさせる趣を加え「江戸琳派」という流派を生み出しました。
「琳派は、狩野派のように血縁や師弟関係ではなく、まあ、いってみれば“勝手にマイブーム”になった人が継承してきたものなんです」(山下裕二さん)
18歳で抱一に弟子入りした其一も江戸琳派を学びます。その証ともいえるのが若き日の其一の作品です。
東京・青山の畠山記念館にある掛け軸。実物大のひまわり。客人に披露して楽しむ仕掛けです。葉が緑から黒く変色する様まで。花は緻密。人がやらないことをする画家でした。
10センチほどの高さの極小の巻物は細見美術館が所蔵する「」男の顔は一センチほどの大きさ。極小の中に雄大な光景が広がります。
「企てをおろそかにしない。クリエィターとして、いかにクライアントを喜ばせ、より楽しい絵画世界へ誘うことを常に考えていたのではないかと思います」
鈴木其一は、早くから頭角をあらわし、誰もが認める抱一の後継者となりました。
展覧会はサントリー美術館で開催中です。細見美術館、太田記念美術館、メトロポリタン美術館などに加え個人所蔵の181点の作品*1が一堂に会し、63歳で没した其一の軌跡を辿ることができます。
展覧会に携わった石田佳也さんは
「江戸琳派なるスタイルを無難にこなすことは、其一にとってはそんなに難しいことではなかったと思うんです。情趣に富む抱一の絵の良さを念頭に置けば、其一はもっと見る者にダイレクトに響くような迫力を絵に込めたいと思っています」 と語ります。
抱一に使えること15年あまり。其一は常に付き従い師匠の代筆を手がけることも多かったと言われます。そんな其一に33歳のとき転機が訪れます。抱一の死です。 其一は工房を離れて独立します。高く評価して貰った酒井家の御用絵師は続けながら、独自の絵を追求します。
「水辺家鴨図屏風」
水辺に集う鳥の群れ。金地を大胆に残し、水の流れも奇抜です。見る者に強烈な印象を残します。
「朝顔図屏風」
こうした其一の感性をつきつめたのが「朝顔図屏風」でした。垣根などにからみついて伸びる朝顔。花と蔓だけで伸びるその様は植物と言うより別の生き物のようです。
其一は自然を描こうとしたのではないと考えているのが、植物を使ったデザインを手がけているグラフィックデザイナーの新村則人*2さんです。
「目をひくのは朝顔の青だったりするんですけど、僕の中では朝顔の花よりも蔓の方に興味がひかれるのです」
新村さんは蔓を画面から消すと絵の魅力がなくなってしまうと言います。
「女性の姿のような妖艶さというものが漂っています。蔓は非常に良い曲線を持っているので曲線自体の中から妖しさみたいなものが漂ってきます」
「朝顔図屏風」が放つ怪しい気配。そのことを裏付ける作品があることが指摘されています。(断定できないけどそう捉えても間違いではないということでしょうか)
其一が描いた「風神雷神図襖(ふすま)」です。
不穏な黒い雲を従えた姿が、朝顔のシルエットに重なります。
「迫ってくる表現は直接風神雷神図を意識していた可能性もあるのではないかと思います」
其一はなぜこういう描き方をしたのでしょうか。そこには時代の空気が色濃く映し出されているのではないかと石田さんは言います。其一が暮らした1831年は大塩平八郎の乱が起きました。其一がこの絵を描いた1853年は黒船来航。時代は不穏な空気が漂い始めます。
「其一の世代になると、明治維新が近づいてきます。幕末に向けての10年、20年であり、それまでの心和む絵を描いているだけでは満足できない時代の雰囲気はあったのではないかと思います」
「琳派という意識は終生持ち続けているんだけど、先生である抱一に対する思いは結構複雑だったかもしれないですね。抱一は大名の姫路の大名の次男で粋な遊び人、まさに当時の“セレブ”でしたからね。其一は抱一の世話役から代筆までするという絶対的な関係になっていました。でも、抱一の没後、それまでは師匠に絶対服従だった其一が自分の絵を描き始めると、解放感からかぞっとするような凄みが出てくるんです。
抱一の死後其一は版からのサラリーを貰う、今で言う公務員のような位置を過ごしたわけなので、はみ出したことができない。鬱屈した思いがこの絵で爆発したようにも思えるのです。密やかに鬱屈したものを超えようとしたようにも感じられます。鬱屈した自己表現を超えようとした密かな企みが意図的につるの中に込められているようにも思えます」(美術史家、美術評論家、明治学院大学教授・山下裕二さん)
東京・青山にある根津美術館。日本人の美意識を裏切る屏風絵があります。「夏秋渓流図」は水流の毒々しい青。苔や葉の湿気を含んだ緑。そこだけリアルな蝉。自然を描いているのにもかかわらず自然らしさを感じさせない奇妙さを持つ屏風です。渓流は極彩色。毒々しい青。ねっとりと生き物のように迫る水流。岩も苔もどこか不気味。
「他の画家にはない、一瞬、なにか世界が凝固・・固まってしまっているんだけれど、底に不思議な、得体の知れないものが蠢いているような不思議な感覚」を感じる絵です。(井浦新)
画面の中に唯一動きを感じるのが水です。滝から落ちた水はアップダウンを繰り返して見る者に迫ります。
目に鮮やかな群青や緑青は当時最も高価な絵の具の一つでした。其一は当時パトロンだったといわれる江戸の大商人・松沢家に書状を送り繰り返し注文した記録が残されています。
なぜこのような鮮やかな色彩で描く必要があったのでしょうか。
「其一よりしばらく前になりますが、京都に円山応挙という水描きの名手が登場して「保津川図屏風」のようなうねるような水流を描きます。そういう作品を其一は先行例として知っていたと思います」(武蔵野美術大教授・玉蟲敏子さん)
比較してみると其一の屏風はよく似ています。其一は応挙の表現を自分流に作り替えていると玉蟲さんはいいます。
「極彩色に塗り替える。断崖から突き落とすように手前に流れる水流。臨場感や鮮烈さをつきつめ、さらに先に進もうとした」
二つの屏風を比べると、応挙の水流が中心に向かって流れるのに対し、其一は見る者に押し寄せるように手前に突き落としています。さらに色使いはオリジナル。誰にも真似できない己の個性とはなにか。其一はこの美容部で求めていまいた。
「人間の力ではどうすることもできない自然の激しさ、厳しさに対する畏怖心みたいなもの。風景と一体化しているのではなく妖しい動きを冷静な目で描いていくという。今まで見てこなかった・・・、今までにはなかった世界を探求する人だった」 (武蔵野美術大教授・玉蟲敏子さん)
「富士千鳥筑波白鷺図屏風」
絵での人々の信仰を集めた二つの山を描いた作品です。筑波山を背景に飛び立つ白鷺や富士の裾野を横切る千鳥の群れが、時間を停止させたように描かれています。
「鳥が飛んでいる姿を完全にデザイン化して画面を構成する要素にしています。シャッタースピードが速いのは其一の特徴の一つです。人間の視覚とは違うんですね。人間の目の見え方とちょっと違うところまで到達してしまったところがあります。其一を琳派の最後の人と捉える見方が一般的でしたが流れの中で見るのではなく、旺盛な表現者として其一を捉えなおしてみると面白い存在です。びびっど、クール、シャープ、ミステリアスという、今の若い人の感性に響くのではないかと思います」(山下裕二さん)
ディレクター:上原一也
制作:NHKエデュケーショナル