ミュシャの謎を探る旅に出るのは女優の多部未華子さん。画家の足跡をたどってパリへ。19世紀末、艶やかな女性のポスターでいかに人気だったかを体感。しかし、ミュシャは50歳で祖国チェコに帰国。大作「スラヴ叙事詩」に挑む。多部さんもプラハで対面。絵の中からこっちを見る不思議な人たちを見つける。何を語りかけてくる?ミュシャがこもった中世の城や驚きの資料から、大作に込められた感動のメッセージが浮かび上がる…。
放送
2017年3月16日(木)
多部未華子さんが訪れたのはパリ郊外の骨董品街。アンティークポスターの専門店です。
店主ニコラ・ムフテさんに案内してもらった2階に100年以上前に印刷されたポスターがありました。
ジョブというタバコの巻紙の広告に描かれた女性。髪型の曲線と煙草の煙の曲線が美しいこの作品にパリ市民の関心が集まりました。
ミュシャは商品そのものを売るのではなく、華麗な夢を売るという新しい手法で広告業界に革命を起こしたのです。
無名だったミュシャはこの劇場で人生を変える運命の女神と出会いました。パリではショービジネスが花開き、毎晩のように舞台が開き、様々な女優が市民の人気をさらいました。34歳のミュシャはこの劇場のトップスターからポスターを描かないかと注文を受けたのです。
チェコから上京したばかりの貧乏絵描きだったミュシャはこのチャンスを逃すまいと一週間で描きました。
主役は当時国民的女優のサラ・ベルナール。ポスターはパリの街中に貼られ、大評判となりました。
サラ・ベルナールは素顔を見せず自らのイメージの中に生きた女優です。そのミステリアスな魅力から「聖なる怪物」と呼ばれました。ミュシャは女優の魅力を最大限に引き上げるため様々な工夫を考えました。
女優をさらに魅力的に見せるため、ミュシャは華麗なイメージを過剰なまでに作り出しました。
ミュシャが心血を注いだのがデッサンです。ミュシャ自身がまとめた図版集に草花のスケッチが残されています。
ミュシャは草花のモチーフをもとにデザインを描き、リズムが生まれるように背景に描くことで、繊細で華麗な表現を目指していたことがわかります。
細部まで根を詰めて描くことで、リアルさを追求するミュシャのやり方は、皮肉なことにミュシャ自身を苦しめることになります。さばききれないほどの注文が押し寄せ疲れ果ててしまったのです。
その時の気持ちをミュシャは謎めいた言葉で残しています。
「真夜中だった。アトリエで、絵やポスターに囲まれてひとりきりでいた。気持ちが高ぶっていた。故郷の人がドブ水で喉の渇きを癒やしているときに、私は貴重な時間をこなんことに費やしていたのだ」
ミュシャは20年暮らしたパリから突然姿を消しました。
そして1910年。50歳のとき、故郷チェコに戻ったのです。
チェコではスメタナが「わが祖国」を発表していました。ミュシャはこの曲を聴いて祖国のことを強く思ったと言われています。
ミュシャの祖国チェコは苦難の道を歩んだ歴史を抱えています。16世紀からハプスブルグ家の強大な力に抑圧されていました。反乱を起こすも鎮圧され弾圧されたのです。チェコの言葉や文化は否定されました。
「チェコに戻ったミュシャはチェコのために絵を描きたいと思うようになった」と孫のプロツコヴァーさんは語ります。
ミプロツコヴァーさんはュシャがチェコで最初に手掛けた作品の中に当時のミュシャの思いが込められているといいます。
プラハ市のシンボルとして建てられた市民会館。ミュシャは部屋全体の装飾を無償で手がけました。
天井の中心に描かれていたのはチェコの名も無き民衆です。チェコの多くは農民です。ミュシャは農民後からを表そうとしたのです。
ミュシャは自ら資金を集め、終生の大作に取り掛かります。
20点からなる「スラブ叙事詩」。チェコの民族を描いた歴史絵巻です。3世紀ころから20世紀まで、時代を象徴する出来事や人々の暮らしが描かれています。
異民族の侵略を受け苦しむスラヴ民族の祖先の姿です。
何枚も描かれたのが戦いの直後の場面。15世紀、チェコで宗教改革が起きるとハプスブルグ家の軍隊が攻撃してきました。大勢の人々が犠牲となりました。
最後の一枚は独立を祝い、未来への希望を描く作品です。
この絵は宗教改革によりハプスブルグ家の支配に抵抗しようとする場面。人々が礼拝堂に集まっていますが、誰が絵の主役なのかわかりません。
ミュシャはほかの作品でも身分の高い人など、主役級の人物をあえて強調していません。皇帝の戴冠式の行列。主役の皇帝は
ここです。どうしてこのような描き方をしたのでしょうか。
スラブ叙事詩に描かれた人物にある特徴が見られます。
怖い目つきをした人物が様々な作品に描かれています。
この目は何を訴えているのでしょうか。スラブ叙事詩を描いたアトリエを訪ねました。プラハから車で1時間。人口産前の小さな村、ズビロフ。
アトリエは16世紀に建てられた城の中にありました。
大きい空間と十分な採光。ミュシャは16年間ここにこもって絵を描き続けました。
ミュシャの創作活動に欠かせなかったのがモデルたちです。スラブ叙事詩の制作にはズビロフの大勢の村人が協力したと言われています。
ミュシャは村人に衣装を着せて写真を撮影し、それをもとに絵を描いたのです。
絵の中に描かれた一人ひとりにモデルがいました。大きさに関係なく、ミュシャは絵に登場した人物全員を大切にしていました。
こちらを見つめる女のモデルとなった絵もありました。村に暮らす主婦です。ここでも細部まで事細かに写し取っています。なぜミュシャは歴史の場面に村人を登場させたのでしょうか。ミュシャは村人の顔つきやポーズを細かく書くことにこだわりました。歴史の中の人物一人ひとりに個性と存在感を出すためです。ミュシャは歴史の物語にリアルな息遣いにを伝えようと心を砕いたのです。
ハプスブルグ家の支配に抵抗しようとする場面も、よく見ると群衆一人ひとりの顔つきが一人ひとり違います。
歴史は皇帝や英雄だけのものではなくそこにいる一人ひとりが作り上げたものである。ミュシャはそう訴えかけているような気がしました。
スラブ叙事詩は静かに語りかけます。
「歴史はひとりひとりの名も無き人たちの営みで作られる」
積み重なる無数の思い。この絵はそのことを今に伝えているのかもしれません。

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