郷里へ帰り「日本におけるキュビズムの記念碑」といわれる「もたれて立つ人」などを描いた萬は、その後一年半で再び上京します。「疲労の極度に達しながら、あらゆる精力を集中してどこまでも画きつづけ」ようとしたのです。
萬は1919年(大正8年)3月、神奈川県茅ヶ崎に転居します。神経衰弱気味になった上、肺結核も患い、その療養のためでした。
茅ヶ崎に移り住んでから萬が本格的に始めたことがあります。墨で描く南画です。多くの南画を見ることで南画研究にうちこむようになったのは大正10年になってからのことでした。
小山が連なる砂丘の向こうに海が見える風景です。荒い波のリズミカルな線。柔らかにうねる砂の畝。
自然の中に暮らす人の営みも小さく描きこまれています。
分かれ道の光景です。家の屋根は濃く太い線で無造作に引かれています。
流れるような薄い線で描かれた道を漁師が天秤棒を担いで歩いています。
木々が生い茂っています。尖った線が重なる木。尖った点を丸めた木。萬は「南画は筆のリズムが肝心だ」といいます。
「筆のリズム、墨のリズム、むろんそれは人のリズムである」
日本人が培ってきた南画のリズムを活かしながら絵を描く。海辺の明るい風物のなかで、次第に自然と素直に対話をするような水彩や南画を描くようになって行きました。
「筆は人です。海の水は一滴でも味がわかるように、一つの筆触は、すなわち全人であることを知らなければなりません」
これは萬が体験した関東大震災の揺れを絵にしたものです。