今年生誕百年を迎え、注目を集めるアメリカの国民的画家、アンドリュー・ワイエス。力強く生きる移民の姿を描き続けた。今ワイエスの絵が問いかけるものとは。
建国以来およそ240年、世界中から多くの移民が渡ってきて活力を生み出してきた国、アメリカ。そうした移民の姿を描いたある画家に今注目が集まっている。アンドリュー・ワイエス。今年生誕100年を迎え、記念切手が発売され、記念展覧会では多くの人を集めている。かつて彼は「アメリカ人にアメリカとは何かを示したかった」と語った。言葉の裏に込められた意味とは?作品から読み解く。
【ゲスト】岐阜県現代陶芸美術館館長…高橋秀治,バイオリニスト…五嶋龍,【司会】井浦新,高橋美鈴
放送日
2017年9月10日
取材先など
アメリカ東部のペンシルバニア州チャッズフォード。建国以前から主にヨーロッパ系の人たちが移住して作り上げてきた町です。
そんな町で1917年ワイエスは移民の血を引く家系に生まれました。
5人兄弟の末っ子として可愛がられて育ちます。
父親は著名な画家で、当時人気を得ていた冒険小説「宝島」などに挿絵を書いていました。
ワイエスの絵の才能にいち早く気づき、自分と同じ挿絵画家に育てようと15歳から絵の手ほどきをします。
1937年に描かれたワイエス20歳の時の作品です。
伸びやかで色鮮やかな水彩画。働く漁師の姿がいきいきと描き出されています。
ワイエスは父親のもとで優れた描写力を開花させていきました。
その教えは厳しく、ときに同じモチーフょ数百枚描かされたこともありました。
しかし、父親から絵を学べば学ぶほど、ワイエスは違和感を感じ始めます。
大衆受けする絵を目指せという父親と、物事を自分の感性で描いてゆきたいワイエス。
ワイエスの心は揺れましした。
そんな中、悲劇が起きます。
1945年、ワイエス28歳の時、父親が踏切事故で命を落とすのです。
父N.C.ワイエスと3歳の甥が乗った車が列車と衝突事故を起こし二人とも死亡してしまいました。
その死後最初に書かれた作品です。
自宅近くの丘から降りてきた少年を見たワイエス。
その少年の姿に、父親を亡くし傷ついた自分の心情を重ねました。
しかしこの絵がワイエスにとって父親の画風から独立する転機となりました。
ワイエスと親交のあった美術館の元館長クリス・クロスマンさんです。
「父親の死後の作品を見るとそれまでのものと決定的に違っています。いろいろな意味で緊張感が高まり、感情が現れているのです」
ワイエスの良き理解者だった孫のビクトリアさんはその時のことをワイエスからこう聞かされていました。
「祖父が話してくれたのは、父親がなくなって私の人生は変わった。ものがはっきり見えるようになり、世の中の苦悩を見ることができたということです」
その後ワイエスは自分が描きたいものを描くようになりました。
その題材は幼少期の出会いにありました。ワイエスは少年時代病弱で内気。周囲の子どもの馴染めず、ほとんど学校に行くことができませんでした。
「家族の中で一番小さな男の子で健康ではなかったので家にいました。午後か全て自分の時間で一人で丘をあるき回りました。お陰で感情豊かになったのです」
ワイエスはその頃から散歩で出会った近所の住民たちと仲良くなり、その人達を描くようになったのです。
ドイツから米国に渡ってきた移民カーナー夫妻の肖像です。
ワイエスの主題はアメリカ後でつましくもたくましく生きる人々の姿だったのです。
さらに学校という社会に馴染めなかったワイエスにとって共感を覚える題材がありました。それがアフリカ系移民の姿。自宅近くにあった”リトルアフリカ”と呼ばれた黒人の居留地です。
当時白人社会から切り離され、白人が踏み入れることすらなかったこの地域にワイエスは頻繁に出入りします。アメリカ社会を移民として底辺で支えてきた彼らの姿にもワイエスが描きたかった米があったのです。
アダム・ジョンソンといわれる男性を描いた作品。彼はリトル・アフリカに墨、白人から草刈りなどの雑役を請け負って日々の生計をたてていました。
くたびれた服を着て複雑な表情を浮かべるアダム。きびしい現実を受け入れながら生きる姿をワイエスは描いています。
「ワイエスは家族や友人が付き合わなかった人々たちに近づいていきました・・
特にアフリカ系アメリカ人の家族です。長い間白人から隔離された地域で貧しい暮らしをしていた人たちで、
奴隷として連れてこられた人々の子孫もいました。ワイエスは環境が違ってもどこか自分と似ている人たちに興味があったようです」
アダムを描いた当時、黒人への差別に講義する公民権運動が激化し人種間の対立はピークに達していました。
アメリカ人にアメリカとは何かを示したかったワイエスです。彼の思いは様々な移民が作り上げたアメリカでは人はみな平等ではないかということだったといいます。
「ワイエスはアメリカを人種の混合体だと考えていました。彼らをおなじ一人の人間として尊重し、作品の題材とした画家は白人アーティストではワイエスが最初だと思います」
クリスティーナの世界は、アンドリュー・ワイエスが1948年に描いたテンペラ画。
樹木の無い殆どが黄褐色の草原に覆われた地面に横たわり、地平線に見える灰色の家や隣接する小さい離れ、納屋を見上げる女性が描かれています。
ワイエスはどんな思いで筆をとったのでしょうか。
放送記録
書籍

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