ゴッホが鮮やかな色彩で描いた「ラングロワの橋」。
スケッチも含め何枚も描き、大切なモチーフだったことがわかります。
絵の制作に取り掛かる際、ゴッホは作品の構想をしたためた手紙を弟や友人たちに送っています。
その中にラングロワの橋と同じ構図のスケッチがあります。
そこにはどこにどんな色を塗るかが記されています。
実はこのスケッチをもとにした絵が日本にあります。しかし大部分が失われ、肩を寄せ合って歩く恋人たちの部分だけが残されています。
いったいゴッホはどんな絵を描こうとしていたのか。今回、圀府寺さんの監修で手紙のスケッチをもとに絵を復元する試みが行われました。
復元を担当するのは画家の古賀陽子さん。
これまでゴッホにまつわる映画の制作に関わりゴッホのタッチを学んできました。
まず古賀さんは絵の残された部分の様子を模写しました。そしてゴッホの色彩や筆のタッチが実際どのようなものであったかを徹底的に検証して行きます。
残された絵を細かく見ていくと、エメラルドグリーンとスケッチに書かれた川面には青や白など様々な色彩を混ぜて書き込んでいることがわかります。
さらに圀府寺さんと古賀さんは恋人たちを描く絵筆のタッチにも注目しました。
帽子のつばも筆のタッチで描いています。
「ゴッホは、(私が)何も知らなかったときは、ただただ思いつきで勢いだけで書いていると思っていたのですけど、一つ一つの筆先に魂がこもっていたり、リズムがあってかつ単調ではないという。それはすごいところです」
そしていよいよ絵の復元が始まります。
失われた大部分を模写をもとに再現していくのです。
実はゴッホはこの絵で大胆な色彩の実験を行おうとしていました。ラングロワの橋では普通に青く描かれていた空の色を
なんと黄色にすると書かれていたのです。
ゴッホがめざした黄色一色に染まる空を描いて行きます。
果たしてどんな絵になるのでしょうか。
復元を初めておよそ三週間後。仕上がった絵は圀府寺さんの予想を遥かに超えるものでした。
「跳ね橋を見ている角度からわかるのは完全に北を向いているのです。北を向いているということは太陽は絶対見えないことです。でも、見えないところに太陽を書いてしかもその太陽が真っ黄色の空を描こうとしていたのは、とても革新的なのですね」
構図や色彩。筆さばきに至るまで実験を繰り返す画家ゴッホの新たな一面が見えてきました。
「この時期空を黄色に書こうとしたのはおそらくこれば最初。実験的に空を黄色にするとか、道をバラ色にするとか、浮世絵の版画はニュアンスがあまりつけられないのでこういうベタッとした色の面で全体を構成したというのは明らかに浮世絵から学んだものですね」圀府寺
「ある時期から色彩に目覚めはじめまして、赤と緑の組み合わせで、補色の組み合わせで、人間の恐ろしい情念を表現したいとか、黄色と青の組み合わせで恋人たちの感情を表現したいとか。色自体が感情を伝えるということを気づき始めるのです。それ以前の画家でしたら、例えば絵の中の人たちが悲しそうな顔をしていると感情は伝わりますが、そうでなく色だけで何か感情が伝わる・・・」 圀府寺
(浮世絵の例のように研究熱心です)
「形はきれいに模写していますが、色は自分で強くしています。赤とか黄色を強くしてます。忠実に模写しようとは思っていなくて、模写することで一回自分の中に吸収してまったく違うものを作り出してやろうと、だから芸術家なのですね」圀府寺
「当時パリで前衛画が出てきた。ゴッホは前衛画家でいくかと思ったのでしょうね。前衛画家でいくってものすごい腹のくくり方が必要で、しばらくは飯が食えない。大体その前衛画家がいい作品を作り始めてから、一般に世間に名前を知られて評価が高まるまで25年かかると言われています。ですからゴッホが50代後半まで生きていれば偉くなっていたでしょう」圀府寺
アルル時代弟から資金援助を受けていたゴッホは、文字通り絵に没頭します。暇さえあれば絵の題材を探しに出かけ、次々と作品を生み出して行きます。
変わった題材にも挑んだゴッホ。借りた家の部屋を描いた代表作の一つ「寝室」です。
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