「ひるまえほっと」2017年12月8日放送の企画はゴッホ展。
東京上野の東京都美術館で開催中なのが、
ゴッホと日本のつながりをたどる展覧会。
日本初公開を含むゴッホの作品およそ40点が展示。
来場者はのべ20万人を超えます。
日本の浮世絵の影響を強く受けたと言われています。
ゴッホが浮世絵に出会ったのは19世紀末。
画家として成功を夢見てオランダからパリに来たときのことでした。
当時のパリは日本の浮世絵ブーム。ゴッホは浮世絵に魅了されました。
ゴッホは浮世絵を模写しながら浮世絵の持つ大胆な構図や色を学び取っていったのです。
「花魁図」はゴッホが浮世絵を模写した作品です。
ゴッホは浮世絵版画を模写した作品は3点あり、そのうちの一点です。
一メートルを越すキャンバスに描かれた打掛姿の花魁。
もとは江戸時代後半に活躍した浮世絵師渓斎英泉の美人画です。
ゴッホはただ写し取るだけでなく独自の工夫をしています。
とても原画とは違った色合いになっています。
背景の竹や葦が茂る水辺には二羽の鶴が描かれています。
足元を見ると二匹のカエルもいます。
ゴッホは渓斎英泉の版画だけではなく
会場にはその元となった浮世絵版画も展示されています。
二羽の鶴は無名の浮世絵師が描いた浮世絵版画から。
二匹のカエルは二代歌川芳丸から。
虫やトカゲを集めた作品からそれぞれ引用して組み合わせています。
ゴッホは雑誌や書籍からも日本の情報を得ていました。
パリでベストセラーとなった小説「お菊さん」
明治時代日本に滞在したフランス人作家が書いたものです。
ゴッホはこうした情報を積極的に集め、日本そのものへのあこがれを深めていったと言われています。
パリに来て二年経った頃、ゴッホは新天地へ旅立ちます。
向かったのは南フランスのアルル。
温暖な気候のこの地方に日本のイメージを重ねたのです。
「雪景色」は到着した日の感動を伝える日本初公開の作品です。
温かい南フランスに行く予定だったのですが、到着すると生憎の雪でした。
しかしゴッホはこの景色を見て「日本人が描いた雪景色のようだ」と言っています。
会場には広重が描いた雪景色も展示されています。
雪解けを迎えたアルルは明るい色に包まれます。
ゴッホは精力的に作品を生み出します。
ゴッホが好んで描いたアイリスの作品。
花や樹木などを細い線で小さく描きこんでいるのは日本の版画の表現を意識しているようです。
さらゴッホは大きな夢をいだきます。
日本の画家のようにひとつ屋根の下で画家たちが切磋琢磨する姿をゴッホは夢見ました。
このころ浮世上の要素を取り入れた代表作ともいえる作品が生まれます。
「寝室」はゴッホがアルルで住んでいたところを描いたものです。
陰影をなくし、壁も家具も浮世絵の版画摺りのようにそれそれれ一色で塗りました。
シンプルが故にそれぞれのモチーフが引き立ちます。
それぞれが無機質な物体ですがね一つ一つ捉えてみるとまねで物が生きているように
浮き上がって見える感じがします。
ゴッホの人生が最も輝いていた時期は突然終りを迎えます。精神を止んだゴッホは病院に収容されます。その頃からゴッホは日本のことを語らなくなりました。
しかし、そうしたなかでも浮世絵の影響を感じさせる作品がありました。
療養所時代に描かれた「蝶とけし」です。
縮緬紙に刷られていた浮世絵。当時外国人向けの安価な土産物として日本で大量生産されていました。
夢破れてもゴッホの中に日本が静かに息づいていたのです。
ゴッホがいかに日本に惹かれてていたのかがよくわかります。
そんなゴッホの日本観に惹かれて、多くの日本人美術家もゴッホのに関心を集めるようになりました。
人物写実画の名手として知られ、1930年33歳という若さで早逝した洋画家前田寛治が遺したゴッホの墓標。弟のテオと並んだ墓石を描いています。
歌人の斎藤茂吉もヨーロッパを旅した日記にゴッホの印象を残しています。