チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

拝見 建築家の自宅 清家清、石山修武

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プレミアムカフェ「拝見 建築家の自宅(1)清家清 (2)石山修武

BSスペシャル 拝見 建築家の自宅 (1)清家清 進化しつづける”私の家”(初回放送:1999年) 「家は家族の人生劇場を包み込む器」と考え家族の変化に対応した家を唱える建築家のマイホームを徹底探訪! (2)石山修武“鉄の家”ができるまで(初回放送:1999年) 「秋葉原感覚で部品を組み立てた家」の建築に苦闘する石山修武と家族のドキュメント。

【出演】清家清,【語り】西村雅彦,【スタジオゲスト】住宅専門誌編集長…志水りえ,【スタジオキャスター】渡邊あゆみ

放送:2018年5月16日

 

日曜美術館でも特集されました

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「清家清 進化し続ける”私の家”」

プロローグ

自分の家を建てること一生に何度もない大事業です。あなたならどんな家がいいですか。でも理想の家づくりはなかなか難しい。それは家づくりのプロ建築家でも同じこと。こだわりも強ければその分壁も厚い。今宵は建築家の自宅に秘められた人間ドラマをご覧いただきましょう。


東京都大田区この閑静な住宅地の一角に、旧国鉄の貨車が置いてあります。清家智くん6歳。毎日この貨車で遊んでいます。実はここ公園ではなく、智くんの家の敷地なのです。奥には3軒の家が並んでいます。この三元の家の設計者清家清さん80歳。線美術宅建築の基礎を作った建築家です。清家清さんが作り続けてきた家はただの建物ではありません。家族の絆を支えるスイートホームです。「ハウスというものはハードウェアですよ。そしてホームというものはソフトウェアと思っていただいていいと思います。 ハウスではなかなか涙をこぼさないけどね、ホームって言うと皆涙が溢れるって話はあるね。ハウスは火事で焼けることもあるし、地震で壊れることもあるし戦争で壊れることもあるけどね、ホームは壊れなかったらまず一番救われるんじゃないかしら人は」清家さんが家族のために建てた3件のホーム。それは理想の住まいを追求し続けてきた清家さんの実験の歴史を物語る舞台です。家族の暮らしを見守りながら、今日も家作りに思いを馳せる清家さん。齢80にしてなおも続く清家さんのマイホーム作りを追います。

「清家清 進化し続ける”私の家”」

 

清家さんが初めてここに家を建てたのは今から45年前、昭和29年のことでした。「ここが一番最初に建てた所。居間は娘夫婦が住んでいます。真ん中のが族・私の家です。こちらは息子がれが住んでます」清家さんのお宅は3世帯合わせて9人の大家族です。清家さんは子どもの成長に合わせて270坪の敷地に次々と家を建ててきました。庭を囲んで家族がいつも顔を合わせている。そんな住まいを目指したのです。「ここが床の間と思ってください。下の台は化学反応させるための硫酸を作ったりする如雨露の出口みたいなもんなんですけど」無造作に置かれているこの銅鐸。建築学会大賞のトロフィーです。「いい音がするんです」建築家・清家清さんは80才の現在も現役です。50年以上、常に建築界のトップランナーとして活躍し、その間東京工業大学教授、東京芸術大学教授、日本建築学会会長などを歴任してきました。

 


清家さんの小さい頃の夢は画家になることでした。しかし父親に反対され、絵を続けたい一心で美術学校の建築学科に進みました。清家さんが建築家として活動を始めたのは敗戦直後。当時多くの若手建築家が新しい日本の住宅のあり方を模索していました。昭和26年、清家さんが発表した「森博士の家」は建築界に衝撃を与えました。多くの建築家がアメリカ流に個室をいくつも作ることを理想としていた当時、襖を外すだけで間取りが自由に変わる日本家屋のあり方こそむしろ合理的だと主張したのです。「斉藤助教授の家」清家さんが妹さんのために建てた家です。当時始まったばかりのテレビニュースでも取り上げられました。「真ん中には畳の台がありこの台は自由に移動が出来、戸棚一つで仕切られた今は一日中日が当たります。この新設計は海外でも評判になっています」清家さんが建てる家の一貫したテーマは、空間を仕切らず広く使うことでした。この和風の家では窓を大きく取るため製造され始めたばかりのアルミサッシを導入しました。家族のコミュニケーションの場、ダイニングキッチンは大きな吹き抜けになっています。広い居間は応接セットを置いて応接間にも仕事部屋にも使えるようになっています。「朝ごはん食べたあとちゃぶ台を片付ければそこが主婦の作業場になるわけです。それでお裁縫もできてなんかするし、夕ご飯食べた後そこで子供達は子供たち、大人は大人の遊びをそこでやってるって言うのがリビングでしょうね」昭和29年清家さんは両親の家の敷地に初めて自分の家を建てました。名付けて「私の家」。広さ50平方メートル。鉄筋コンクリート製でした。この広さには理由があります。当時始まったばかりの住宅金融公庫の貸付対象面積は67平方メートル。一般の住宅はこの広さまでしか建てられなかったのです。この限られた空間で清家さんが試みたのは並み居る建築家をあっと言わせる大胆な家作りでした。「この家にはどこにもドアがないのです。内側の間仕切りがないんです。トイレと言えども間仕切りがないんです」出来上がったのはドアも柱もなく、居間寝室台所そしてトイレまではひとつの空間に納ったワンルームの家だったのです。これまでの仕事で試みてきた狭い空間を広く使う家づくり。その工夫の集大成がこの家でした。床は石造りです。西洋式に靴を履いたままで生活すれば玄関もいりません。石造りの床は庭まで続いているので、庭と家とが一体となって広く感じられます。もっと庭を活用しようと清家さんが考案したのが移動畳です。畳にゴムタイヤを付けたものですが、庭に出せばひなたぼっこにも夕涼みにも使えます。もちろん家の中では和室のように使えました。元々清家さんはこの「私の家」を両親に住んでもらうために建てました。ドアも段差もなければ年をとっても暮らしやすいだろうと清家さんなりに配慮したつもりでした。しかし「父はこんな変な家は嫌だといって結局私たちが住むことになるんです。ここで子どもたち4人大きくなったんです」。結局この風変わりなワンルームの中に清家さん一家がひしめき合うことになりました。そんな暮らしを子どもたちは印象深く覚えています。「私も最初この台に寝てました。そのうちこの長さにはみ出しちゃうんですね。するとちょっと斜めに寝たりしてそれでも寝られなくなるとこちらの床の方にお布団をひいて寝たりとか」「リビングで寝るような感じでしたからお客さんがお帰りになるまで寝れないとか。そういうのでちょっとそろそろ自分の部屋が欲しいなという風には思いました」「姉弟喧嘩もたくさんしました。仲良くてことじゃないんですけども。いつもその人の良い面も悪い面も見て暮らさなきゃいけないんですからね。そういう意味ではお互い理解し合えるって言うことが簡単だったと思いますね」ドアがないワンルームだからこその親密な家族のふれあい。清家さんは「ワンルームこそ家族の器」という自信を深めていったのです。現在「私の家」には次女の伊勢さん一家が暮らしています。伊勢さんはアメリカ人弁護士のテンプル・ジョーデンさんと結婚しました。家族3人ワンルームでの暮らしはもう10年になります。「杣稲荷のメリットもあり、それほど寒さ感じません。狭いなりのメリットもあって掃除も楽です」とはいってもこの家も少し様子が変わっています。ドアのないトイレは今は物置。テンプルさんは最近ドア付きのバストイレを増設しました。やはり不自由だったのでしょうか。「僕はぜんぜん大丈夫だったんですが、パーティなんかやるとお客さん割と早く帰っちゃう」ところで一見二階建てのように見える私の家。実はこの2階に見える部分は後から乗せたものです。船のコンテナなんです。清家さんは書庫兼物置として私の家の幅にぴったり合ったこのコンテナを購入しました。「子どもが使っていた電動の自動車があります」コンテナには「私の家」で過ごした家族の思い出がびっしり詰まっています。

 

四人の子どもも大きくなり、さすがに手詰まりなってきた昭和45年。清家さんは隣にあった両親の家を建て替えて「続・私の家」を作りました。今度の家の広さは190平方メートル。「私の家」のおよそ4倍です。リビングだけでも18畳あります。天井の高さは3 メートル 。空間をさらに広く感じさせるよう工夫されています。「続・私の家」には清家さん夫妻両親子ども達の8人が暮らしました。広くなった家。出清家さんはどう家族との関係を結んでいたのでしょうか。「続・私の家」の間取りは「私の家」とは大きく変わっています。まず部屋数が増えました。1階はリビングとダイニング。両親のための離れがあり半地下は清家さんの書斎になっています。2階は家族の寝室。まるで普通の住宅です。清家さんは「私の家」で追求したワンルームを諦めたのでしょうか。そうではありません。二階をご覧ください。今は家具で仕切られていますがこの寝室は実は18畳のワンルームでした。「私の家」そのままに低い家具だけで空間を間仕切りし家族みんなが一緒に寝ていたのです。「昔はこの間仕切りは真ん中あたりにあった。私たちはこちらで寝てたかもしんない」子ども達が一人ずつ独立し、家族構成が変わるたび、清家さんは家具の配置を変えてきました。離れの和室は両親の部屋として作りました。中庭に望む大きな窓からは四季の移り変わりが見渡せます。「私の家」を拒否した清家さんの両親もこれには大変喜んだと言います。形は変わってもこの家はワンルームのように繋がっています。階段は家の中央にあります。2階の音はダイニングにいてもわかるようになっています。ダイニングの隣にはキッチンがあります。奥さんのゆきさんが1日の多くを過ごしていた場所です。「ゆきこの身長に合わせてつくったんです。だんだんと背が高くなってきて頭ぶつけたので、札を下げてごまかしているんです」清家さんはこのキッチンのすべてを奥さんの使い勝手を考慮して設計しました。清家さんがこの家の中心に据えて考えていたのは、家事一切を取り仕切っていた奥さんのゆきさんでした。ゆきさんが家中に目配りできるようにというのはこの家のコンセプトだったのです。「家は主婦が大事なんです。主人という言葉があるけど、主婦のほうが。彼女はそこで仕事してたわけです。そこに座って・・・ここがあの軍艦でいうと艦長室ですね」「母もやっぱりあのワンルームみたいなところで子どもたちの様子を見ながら家事をしたりするのは比較的好きだったみたいですね。ですからの晩年までいつも隣の家の食堂の椅子のところに座って家事をしたり書物をしたりとか」「母が悪くなった時には好奇心とすぐ思いっていうのが倍増されたみたいでトイレとかお風呂場とかももう本当にすぐ決めてて直しました」ゆきさんは3年前に亡くなりました。この広い家に今は清家さん一人で暮らしています。「思い出がこもっているわけ。この連れ合いが死んだ跡の穴どうやって補修できるかというとできないね。しょうがないからここ置いてあるわけ。写真とされたら上にお骨があ。安心してるね」八十歳の清家さん今は長女のゆりさんをはじめ家族が交代で身の回りの世話をしています。清家さんの庭の3件目の家。これは長男一家のために設計しました名付けて「倅の家」主は長男の篤さん。経済学者の篤さんは、自分たちは芸術家ではないのだからごく普通の家がいいと要望出しました。夫婦と男の子3人。5人家族のための家。要望通り普通の家になっているでしょうか。家の中心はリビングルーム。庭に向かって大きなガラス窓が全面に広がっています。室内を広く感じさせる清家さん一流のやり方です。「私はガラス戸が大きいので見られるのがちょっと恥ずかしかったんですけども最近はすっかり慣れまして認識はしなくなりました」こちらはキッチン。「続・私の家」では奥さんを中心に考えていた清家さん。ここでも素晴らしいアイデアを思いつきました。床下には60平方メートルの巨大収納スペースが広がっています。床下が丸ごと物置という建築家ならではの大胆な発想。決して普通の家ではありませんが家族には好評です。

 

しかし清家さんの設計全てが家族の生活にマッチしていたわけではありませんでした。子ども部屋になっているこのスペースは建築当初私の家族私の家と同様に壁がないワンルーム空間でした。 「ここは次男の部屋なんですが、向こうの部屋とつながって長男と次男の二人が使っていました。二人とも中学高校生になって、独立した部屋がほしい年頃になったので仕切りまして」篤さんは父清さんの考えには反するけれど、子どもの意見を尊重しようと考えました。そして次男三男には二階。長男には屋根裏に、それぞれ小さな個室を作りました。「子どもが大きくなったら子どものプライバシーとか自分の世界が作れるような世界がほしい。私自身が思ってましたので、子どもの生育過程だと思うんですね、小さいときは必要ないと思いますが大きくなってくれば親から精神的に独立するためにも独立したスペースが必要になってくると思います」「倅の家」が建ってから三年後、びっくりすることが起こりました。二つの家の間に穴を開け、二軒の家をつなげてしまったのです。「その時は確か夏休みに家の家族でどっか遊びに行って帰ってきたら何か工事してるんでどうしたんだろうと思ったなんかちょっと開けられていた」清家さんいいったいどうして息子の了解も得ずに家をつなげようなんて思ったのでしょう。「私の年になるとね、スイカ一個もらってもね、ちょっと二人で食うわけにはいかないわけですね。更に一人になってしまうとね誰だがそれを切ってくれるわけてくれないと一人でスイカを食べるわけにもいかないし・・・」家をつなげたかい会って行き来もすっかり便利になりました。孫にとっては両方の家全部が遊び場です。清家さんは週3回、篤さんの家で夕飯を食べます。孫たちも学校で忙しく一緒に過ごせるのは夕飯の時間くらいです。清家さんはこの団らんのひと時を楽しみにしています。「ハウスというものはハードウェアですよ。そしてホームというものはソフトウェアと思っていただいていいと思います。ソフトウェアとしての家族ってものはあるんじゃないかな。すまいってのは家というのはそういう心がこもっているんじゃないかとこれ私の貧しい宗教的な発想だとすればね、そんな気がしますけどね」今や何世代もが一緒に暮らす家族は少なくなりました。清家さんは家族の息づかいをいつも感じられる空間を大切にしたいと思い続けています。リビングルームの窓に貼られた清家さんお気に入りのレンズ。そこには時の流れとともに成長する家族と家の姿が映し出されています。

清家さんの新たな挑戦

今年四月。清家さんは長年付き合っている工務店の主を呼び寄せました。またまた家を改造しようと思い立ったのです。「孫たちの寄宿舎をつくって」清家さんは「続・私の家」の二階の寝室を自分一人で使うのはもったいない。孫達が自由に使えるスペースにしようと考えました。そのためには「続・私の家」と「倅の家」の二階部分を繋ぐのが良いというのが清家さんの言い分です。工事は篤さん一家を巻き込んで始まりました。いきなりの話に夫婦は少々戸惑い気味です。「芸術家というのはそうなんでしょうけど、自分がやりたくなったら止まらない。どうしてもやっちゃう。私から言うと、勝手に人の家に手を出す。自分の家だけを改造していればいいんですが。人の家に手を出したいんでしょうね」「お父様は槌の音ってんですかとんてんかんてんっていう音が響いてる状態が好きなので。1年ぐらいその音を聞かなくなると何か呼んで改修したくなるんだと思うんですね。ですから今回はちょっと久しぶりだなと思うんですけども、あの周り家の方にはよく清家さんはあの色々手を加えると言われるんですけれどあのそういうことがたぶん好きなんだと思います 」工事が始まった夜。篤さんの家の子ども達が帰ってきました。改造計画は彼らにも全く相談されていませんでした。「えっ。全然知らなかった」なぜ清家さんは間仕切りをなくしたがるのでしょうか。この日清家さんのワンルームに込めた思いを知る教え子がやってきました。建築家の林昌二、雅子夫妻。昭和20年代東京工業大学の清家研究室で建築を学びました。二人は私の家の衝撃をよく覚えています。「2LDKとか間数を問題にする家がおおかった。そうじゃなく、ワンルームの暮らしの中で、だけど間仕切りのないトイレも皆さんにお嬢様奥様方もちゃんとを使ってらっしゃいまして、それはその家族の間でルールはあればちゃんと住めるんだということを先生はその実証なされたかったですね」「ワンルームの家というものはただの四角い部屋一つでは住めないわけですよ。結局その中で多少の視線が遮られるところとか、空間の変化を作ってその微妙な変化で暮らしが成り立つようにしてるということだから、とても高級な設計なんですねワンルームっていうのは。そこが勉強する一番価値のあるところで、間数主義でやってると本当の暮らしが見えてこないんじゃないかと思うんですね」

清家さんの夢

「泡沫の夢かつ消えかつ結びてって、よくできているんですよ。世の中の家はなくなっているんでしょうか。家族もねだんだん老人は消えて若者は育ってくるでしょ。うたかたの夢かつ消えかつ結びてということで進んでいくような変化していくんだと思うんです」清家さんは日替わりで子どもたちの家を回り夕飯をご馳走になっています。火曜と金曜は近所に住んでいる長女の家まで出かけます。子ども達は二人とももう大学生になりました。清家さんはここでのんびりとしたひとときを過ごします。長女のゆりさんの夫・八木浩二さんは建築家です。この家は八木さんが設計したものです。一家は17年間「私の家」で暮らしました。そして八木さんはワンルームの良さを実感したと言います。「畳の文化を庭に出して中と外と一体として使えるんです。そういうのは非常に実際住んでみてよかったです。子ども達を育てるのに強かったんですね」八木さん流のワンルームでは家の中心に中庭の役割をする大広間を設けています。「はっきりしたわんるーむではなくゆるゆると繋がってるというそういう設計です。自分の部屋から出てきたらもう今度は家族の所。あの普通の家の廊下がありますよねこの部屋から出てくると廊下だけ通ってトイレ行ったりお風呂入ったり台所行ったりするから居間を全然通らないで子供部屋と冷蔵庫っていう関係だとかそういうことになっちゃうけど、ここは子供部屋から冷蔵庫へ行こうと思ったら必ずこの空間の端っこを通って行かなきゃいけないって言う」娘夫婦の世代は清家さんのワンルーム趣味に理解を示します。しかし八木家の次男の部屋にはこんな看板が。これは八木家だけではありません。私の家の住人セイくんも現在ドア付きの個室をもらっています。これも世代の違いというものでしょうか。どうやらどこの家の孫達も皆個室の方が良いようです。「おじいちゃんは鍵とか好きじゃないから本当はやってほしくはなかったと思うんですがけっこう構強に自分の部屋がほしいからかってにつくった」 孫たちを個室から引っ張り出したい。この日清家さんはインテリア専門店を訪ね孫が興味を持ちそうな家具を探しました。そして清家さんはうってつけのものを見つけました。パソコンデスクです。デンマーク製の高級品。これなら孫達も興味を持ちに違いありません。思い立ったが吉日。急遽渡り廊下の真ん中にパソコンのスペースを作ることになりました。計画変更のしわ寄せは現場へやってきます。しかし清家先生の頼みとあらばなんとかしなければなりません。工事の半ばで机の奥行きに合わせて通路の幅を拡張しました。営繕工事は大幅に延長ということになりました。工事が続く間、長男の篤さんはリビングルームのソファーで寝ています。「父の道楽で工事してる間は親孝行のつもりです」家をいじらずにはいられない父親の気持ち。篤さんにはよくわかっているのです。「家族が一堂に住んでるって言うことね、中国の言葉では四世同堂という言葉が4世代が同じ家に住んでる住んでる四世同堂っていうのがね幸せな言葉だということもありますからねそういう幸せの中にそういう家族が一緒に住んでるって事もあると思うね」工事開始から1ヶ月。2軒の家が繋がりました。パソコンデスクも設置されます。果たして孫達がパソコン目当てにここにやってくるかどうかはわかりません。でも清家さんの家族に対する思いは確かに伝わったはずです。「今しなくてももうすこし時間がある時にやってくれと思うんですが、出来上がってみるとあの時やっておいてよかったと思うのです。経験しているから許せるって言うから」「改築改築でそのたんびに何かなくなったりしててそれ生活すごい楽しくてなんか台所が外になっちゃってたとかするんだけども」「ちょっと作る前に意見を言った方がよかったかなって思うところもあるんですけれどもあの本当にあの基本的ななにかを愛してるって言うことでは何て言うか辛と伝わるものがあると思います」渡り廊下完成間近のある日曜日。この家で育った子ども達、孫達が集まります。「私の家」の名物移動畳も登場します。「家というのは完成はしないでしょうね。死ぬまで皆それぞれに新しい家族を持ってますしね。ハードウエアとしての家とソフトウェアとしての家族がそこにできていますから。明日死んでもねもう心残りはないね。大変幸せだと思います」清家さんの私の家はこれからも進化していくに違いありません。

 

 

 プレミアムカフェ「拝見 建築家の自宅(2)石山修武

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