バブル景気に沸いた1987年3月30日にロンドンで行われたオークションで、ゴッホの絵画『ひまわり』が53数億円で落札された。
落札したのは安田火災海上(現・損保ジャパン日本興亜)。所有する土地や株式、債券を運用して大きな収益(キャピタルゲイン)を上げる運用方法は、当時を強くイメージさせるが、『ひまわり』の高額購入もこの流れで生まれたニュースのひとつとなりました。
バブルがはじけた後、多くの名画は売り払われたが、この名画は今なお日本に残っています。それから31年、あのオークションの舞台裏を当事者たちが証言します!!
美術をよく知らないまま巨額の買い付けを命じられたサラリーマン、日本企業に売るための戦略をひそかに練っていたオークション責任者、両者に芽生えた不思議な信頼関係とは?
手に汗握るアナザーストーリー。
アナザーストーリーズ▽ゴッホひまわりを落札せよ~バブルの遺産 31年目の真実
放送:2018年9月4日
保険会社のサラリーマンだった阿部肇(あべはじめ)。突然、海外のオークションに参加し、歴史的名画を買ってくるという驚きの任務を担当することになりました。
あの歴史的オークションを切り盛りし、史上最高額を演出した元クリスティーズ社員ジェームズ・ラウンデル。どうやってオークションを盛り上げるか、戦略を練って臨んでいました。
53億円が投じられた歴史的傑作「ひまわり」に持ち上がった、まさかの贋作疑惑。ゴッホ美術館主任学芸員ルイ・ファン・ティルボルフは、その疑惑と戦い、決定的な証拠をつかみました。
皆さんも きっと見た事があるこの絵。実物大です。いかにもゴッホらしい大胆なタッチ 鮮やかな色使い。この歴史的名画。実は数奇な運命の末に日本にやってきたものなのです。
1980年代。日本は空前の好景気に沸いた。金が余り株価も土地の値段もぐんぐん上がる。だが、あのバブルの時代日本企業の行動は世界から数々のバッシングも浴びた。
ハリウッドの大手映画会社を買収。「アメリカの魂を金で買った」と言われた。更に ニューヨークの象徴ロックフェラーセンタービルの買収が火に油を注いだ。節操なく世界を買いあさるジャパンマネー。その典型的な一例があのオークション・・・
と見られがちなのだが、実はこの「ひまわり」バブル崩壊後も日本で大切に守られてきた。その原点となった数奇な"えにし"を探る。
運命の分岐点は、1987年3月30日。ロンドンで行われたオークションで日本企業が 「ひまわり」を競り落とした日です。
第1の視点は、その時オークション会場に派遣された、「ひまわり」を必ず ものにしろと厳命された男の手に汗握るアナザーストーリー。
「ひまわり」を落札した会社はここ新宿にある。旧安田火災海上保険。
1枚の写真が残っている。「ひまわり」が到着した日に撮られた記念写真だ。
あの絵を買おうと思い立ったのは社長の後藤。だが、もちろん会社に美術のプロなどいない。なじみの部下を担当に指名した。
「あっ。こんにちは。 阿部です。よろしくお願いします」
担当した阿部肇。今年 85歳。その指示は 寝耳に水だった。
「まあ 驚きましたよね。私ほとんど美術については門外漢。詳しくはなかったですよ。私のところにお鉢が回ってくるとは予想していなかったですからね。大変驚きましたよ」
そもそもなぜ保険会社があの 「ひまわり」を買おうとしたのか。話はその10年前に遡る。
1970年代 マイカーブームを受けて自動車保険に進出し業績を伸ばしたのが安田火災だ。
そのころ建てられたのが新宿の一等地の本社ビル。
そこに美術館もつくったのは利益を社会に還元するためだ。だが 客足は伸び悩んだ。美術館になにか目玉を・・・切なる希望が 先々代から後藤に伝えられたという。
「この美術館を一人前の美術館になんとかしたい・・という事を再三再四後藤さんに言ったらしい。そのためには目玉がほしい。世界中の誰もがああ、あの絵があるのかという目玉がという事を後藤さんにいろいろ話の中で出てたんでしょうね。
もうすぐ会社は創立100周年。日本中が バブル景気に沸く中。その目は自然海外の有名絵画に向けられた。そんな ある日、阿部は社長の後藤に呼び出された。「ひまわり」の買い付けを頼むという指示。心底驚いた。
入社以来 海外の保険会社との交渉は行ってきた。だが美術などビジネストークのネタ程度にしか知らない。
「君は この前の日曜日はどうしたんだ?というような事はよく聞かれますから。「ルーブルへ行ってきましたよ」と。「あそこの中で感心したのはこういう絵の展示がありまして。私は間近に見たのは初めてだから大変感動しましたよ」とか。そういうような話をしながら相手と仲良くなるというかそういう必要があったもんですからね。私はほとんど美術については門外漢といいますかね詳しくはなかったですよ」
指名された理由は恐らく1つ。実はこの直前。偶然クリスティーズに知り合いができていたのだ。
時計の針を4か月前に戻そう。
イギリスの親しい取引先が来日。彼に弟を紹介された。
聞けば ロンドンのオークション会社クリスティーズに勤めているという。実はこの男こそあの「ひまわり」で史上最高額を演出する事になる。阿部は何の気なく彼を 社長の後藤に紹介した。
「そんときはまだひまわりのひの字も出ていない。社長に私が紹介したような感じだから。変なやつだったら嫌だなと思ってたから。普通の人間だからよかったなと思って そのぐらいのもんですよ」
後藤の名画探しが本格化するのはこの紹介がきっかけだ。
その直後のオークションマネの名画が出品された。だが 価格は予想をはるかに超え、競り落とせなかった。この時 あの男の発したひと言を阿部は覚えている。
マネのオークションのあとで、次には大物があるのは事実である・・・その意味を阿部たちはこの招待状で知った。
次のオークションの出品作をじかに見る下見会。
そこには あの「ひまわり」が出品されると書かれていた。
言わずと知れた印象派の巨匠フィンセント・ファン・ゴッホの代表作。
しかも!ゴッホは 同じ構図の「ひまわり」を7点描いている。
このうち1点は戦争で消失。他の6点は 各地の美術館やコレクターの秘蔵品で売りに出される事は考えられない。だが今回ある所有者が亡くなり、遺産分配のため奇跡的に売りに出された。まさに 千載一遇のチャンス。
「ひまわり」の下見会は東京で開かれた。阿部は社長の後藤と共に出かけた。
「今まで私が見た事がないような迫力を持った絵だなという事でね。ず~っと 最後までね。数十分 立ち尽くして見ておられたと思いますよ」
これこそが求めていた名画。後藤は本格的に落札すべく阿部に担当を命じた。すぐにあの男ラウンデルに連絡を取った。すると落札価格はおよそ 1, 700万ポンド40億円になるだろうという。従来の最高価格の 実に3倍近い。僅か数週間後更に驚愕の連絡が。ニューヨークの下見会で見込みが変わり予想は 2, 000万ポンドに上がったという。
「それは社長にお伝えしましたけどね。すぐ 間髪を入れずお伝えしましたけれども」
安田火災では社長以下による緊急会議が開かれた。そこで下された決断を阿部はこう記している。
安倍が直接オークションに出席してぜひ落札せよ。
2, 000万ポンドを用意する事が決まった。
いよいよロンドンに向かう前夜。阿部のもとに再びあのラウンデルから国際電話が。
なんと、2, 000万ポンドでも落札は難しいかも知れないという。
「すぐ 社長のところに電話をしたんですけれども。今 土曜日の夜でそれは難しいと。できないのでとにかく明日の朝、関係者を読んで相談する。 ロンドンの方に行け。ロンドンのお前に連絡をすると」
そのまま ロンドンに飛んだ阿部。着いたのはオークション当日の早朝だった。間もなく会社からこんな指示が伝えられた。
「その時にちょっとただし書きがついてましてね。2,100万でお願いしたい。けれども社長としてはどうしてもこの絵がほしい。どういうふうに受け取ればいいのか難しいとこだったですよね」
予算の上限を2, 100万ポンドにする。だが・・・。あとは阿部に一任された。阿部はクリスティーズへ向かった。最後にあの男に確認しておきたかったからだ。
ギリギリ2, 100万ポンドを出せば絶対に勝てるだろうか?しかし。
「「それで いけるか?」と言ったら、勝つにはダメかもしれないと」
オーストラリアに強力なライバルが現れ、その予算では危ないとラウンデルは言う。
「彼はクリスティーズの人間で、高く売れるに越したことはないというのはこれは本音だろうと。だから果たしてこのオーストラリアに現れた競争相手は本物かどうかはわからない。だから それに乗っていいのか悪いのかというのが私としては非常に頭の中駆け巡ってたわけだよね」
落札価格の1割がクリスティーズの もうけになる。あの出会いは偶然すぎないか。こんなに予想価格が上がっていくのは普通の事なのか。果たして この男を信じていいのか?
「どうするかなという事でもうさんざん悩んだんだけどね。今ならね 携帯電話があるからねすぐにでも東京に携帯で。当時はそんなものなかったからね。私としてもこんな決断はしたことがなかった」
阿部は決断した。自分の責任であと200万ポンドをのせる。
「そこまで持たせたらば絶対取れるか?絶対取れる彼は回答したわけですね。
その時の、まあ 言ってみればね目の色とか表情とかそんなのを私見ていて、この男は嘘はついていないとだからこの男を信頼すれば勝てると」
会社からの指示が もう一つ。
あまりの高額になるため世間を刺激せぬよう「極秘事項」とする。一切匿名で行動せよ。
阿部は ラウンデルを代理人に立て影から合図を送る事にした。2, 300万ポンドまでは任せる。あとは、私が腕を組んでいる限り勝負。腕を解いたら降りる合図だと。
人生最大の決断をかけ、いざオークション会場へ。
阿部は 前から2列目に。
ラウンデルは その左側。
電話で誰かと話すふりをしながら阿部の動きを見守る。
よる7時25分。ついに「ひまわり」が姿を現した。
「「ひまわり」の あの絵が全体がパッと出てくるわけ。その瞬間に テレビカメラがいっぱい来てましたからそれが 一斉に照明あてるから。みんな どよめきが起きましたね。私も 「わ~!」と思ったもんね。いよいよ出てきたなと思ってね」
オークションが始まった。たちまち1, 000万ポンドを突破。2, 000万ポンドを突破。ライバルは…この 眼鏡の女性。
彼女が オーストラリア人の代理人なのか?
会社が許可した2, 100万ポンド!
ライバルの代理人が 首を振った。
阿部が最後に上乗せした金額で勝負はついた。
「座り直す阿部さんがいて…。座り直したかもしれないね」
「これ… ここら辺だな。ああ これこれ これこれ」
「今座り直してるね。やれやれっていう感じなんじゃない?」
「こうやってたのをさこう 解けたから。やっぱり こういう時ここに力入ってたんだよね。ただ やっぱり。ああ終わった。開放されたという感じ。すぐに要するに指示された50億をオーバーしてしまい。同責任を取ればいいのか、どのような説明をすればいいのか。という事がすぐ次にやってきましたからね。あんまり愉快ではなかったですけどね」
これは 阿部が「ひまわり」と共に帰国する時の写真だ。社長からの おとがめは なし。「よくやった」とねぎらわれたという。
まさに 清水の舞台から飛び降りる覚悟で「ひまわり」を落札した阿部。
しかし その裏にはバブル景気に沸く日本企業に目を付けたオークション会社のしたたかな戦略がありました。
第2の視点は クリスティーズのジェームス・ラウンデル。
元の所有者から「ひまわり」を入手し史上最高額にまで引き上げた男です。
同じオークションに立ち会いながらも買い手の阿部と売り手のラウンデルは違う風景を見ていました。
史上最高額での落札。その裏側で交錯したアナザーストーリー。
その男は今クリスティーズを離れ ロンドンで美術商として働いている。
ジェームス・ラウンデル。今も 「あの『ひまわり』を売った男」という肩書が彼の名刺代わりだ。
「これを見ると 思い出しますね。拍手がすごかった。みんな驚いていました。落札の世界最高記録がいきなり3倍に塗り替えられたのですから」
あの顛末 果たしてラウンデルにはどう映っていたのか?
クリスティーズにその驚きの情報がもたらされたのはあのオークションの半年ほど前の事らしい。
かつて ナショナル・ギャラリーに展示されていた「ひまわり」の所有者が亡くなった。
遺族の遺産分配のために絵の売却が検討されているというのだ。
その情報に会社がどれほど色めき立ったか。
それはあのオークションで会長自らが ハンマーを握った事からも容易に想像できる。
当時 クリスティーズは近代絵画部門で宿命のライバル サザビーズに後れを取っていると言われていた。それを逆転する 絶好のチャンス。
会長の チャールス・オルソップが託した切り札があの男だった。
ジェームス・ラウンデル。35歳の若さだが版画部門の責任者として前例にとらわれない手法でめきめき実績を上げていた。
「あのミッションには身震いしましたね。版画部門から印象派部門の部長に抜擢され、しかもこれまでのオークションの記録を塗り替えるほどの高額な案件を任されたわけですから。
それを立案し 取りしきる事はすごいプレッシャーでしたが、またとないチャンスでもありました。人生が変わるだろうなと」
ラウンデルの動きは早かった。
これは 彼が遺族に示した売却の提案書。周到なプランで遺族の信用を勝ち取った。そして これまでの最高記録を塗り替えるべく独自の手法でオークションへの準備を始めた。
その作戦の一つが実物を見せて購買意欲をくすぐる下見会。今でこそ 一般的だが。
部下の ジェニングスは こう語る。
「あれは 私たちが最初に始めた事ですよ。「ワールドツアー」と呼んでニューヨーク、スイスそして日本を回ったんです」
ラウンデルは下見会を世界3か所で開催している。
最初は東京。次いでニューヨーク。そしてチューリッヒ。カギは その最初を東京にした事。これこそラウンデルの秘策だった。
空前の好景気に沸く東京で最初の下見会を行い落札予想価格を一気に引き上げる。
オークション1か月前部下のジェニングスが「ひまわり」を東京に運んだ。
「ひまわりはファーストクラスで運びました。厳重に箱に収めたうえ絵のために席を確保して。隣には 屈強の警備員が座りました。手錠でつなぐまではしませんでしたが、いっときも絵から目を離す事はありませんでしたね」
そして ラウンデルは買い手へのアプローチを開始する。その戦略は?
「私は日本の企業に狙いを定めていました。前の年にやったマネのオークションで次にひまわりを買う可能性がある会社を探ったのです。しかし 今回は特別です。落札価格が 世界最高記録を更新する事は間違いありませんでしたから。それでも「ひまわり」を買えるほどのディープポケット。つまり 並外れた資金力のある顧客を見つける必要がありました」
この時 、ラウンデルが真っ先に思い浮かべていたのがあの 安田火災だった。
数か月前 マネの絵を買えなかった時の落胆ぶりを覚えていたからだ。
「安田火災には高額入札をする準備がある事を私は既に知っていました。マネのオークションでも日本の購入予定者リストのトップは安田火災でしたからね。後藤さんと阿部さんが美術館の目玉になる傑作が欲しいとおっしゃっていたのを覚えています」
そしてラウンデルはもう一つ 手を打った。このカタログだ。
当時 これほど詳細なカタログは異例。
あるねらいが 隠されていた。
「ひまわり」の過去の所有者の中に日本人の名前が。
「これは あまり知られていないかもしれません。私たちは 「ひまわり」について徹底的に調べました。すると七枚描かれたひまわりのうちの一枚がかつて日本にあったという事実が分かったのです」
山本 顧彌太(やまもと こやた、1886年1月19日 - 1963年11月25日)は、昭和の日本の実業家。1886年大阪生まれ。高校を卒業後、大阪で綿織物を扱う会社を設立し財を成した。武者小路実篤に傾倒し、白樺派のパトロン的存在となった。武者小路から白樺派美術館建設構想に協力してもらいたいとの依頼により、1919年にゴッホのひまわりを購入した。当時の金額で7万フラン(現在の価格に換算すると約2億円)であったという。この作品は空襲により焼失した。1963年11月25日に死去。
ゴッホが描いた7枚の「ひまわり」のうち1枚は戦前 神戸に渡っていた。
戦争で失われたが今回は 「ひまわり」を日本に取り返すチャンスだと暗示した。
「私たちは 日本人の購買意欲をかきたてるのにこれは重要な要素だと思いました。そしてひまわりをもう一度日本に取り戻すというストーリーをつくったのです」
ラウンデルの作戦は見事に的中する。東京の下見会で早くも購入希望が続出。間違いなく 記録的な値段になる手応えを得た。ニューヨーク、チューリヒを回り予想価格は更に跳ね上がった。
「当初は700万から1,000万ポンドを想定していました。ですが 各地で下見会を重ね多くの顧客の目に触れる度にどんどん価格が高騰していったのです」
いよいよ本番。この時 ラウンデルが抱えていた最大の不安。
それは大本命の安田火災が本当に最後まで持ちこたえられるかどうかだった。
(※仮にオーストラリア側が高値落札しても仲介業者は儲かるように思うのだが)
ラウンデルは何にかけたのか?
「初めて阿部さんに会った時私は 一目で人間として好きになりました。彼と話し 東京の下見会で後藤さんに絵を見て頂き「ひまわりを絶対に落札したい」という強い信念を感じました。「ひまわり」を美術館の中心的存在にしたい。その役割が果たせるのは「ひまわり」以外にないという思いも。ですから私は安田火災なら他のライバルに負けることはないと信じたのです」
ラウンデルは信頼したからこそ阿部に伝え続けた。
勝つためにはその予算では足りないと。
「本当に そういう感情が信頼感というものにまで高まったのは極端にいえば 当日ですよね。当日の午前中の打ち合わせの場ですね」
運命のオークション。午後7時25分開始。
会場の脇で 社員が それぞれ顧客の代理人を務める。
「この時は スタッフ全員がディナージャケットや蝶ネクタイを着用しなくてはいけませんでした。とても特別な場だったからです。興奮が高まってきていました。皆大変重要な出来事を目撃する事になると予感していました」
いよいよ ラウンデルが約束を果たす時。
阿部と約束した2, 300万ポンド以下で絶対に競り落とす。
「競りが始まったときはとても緊張していました。数か月に及んだ準備の事。オークション史上最高の落札額への期待。クリスティーズの歴史と私の人生においてとても重要な瞬間で偉大な成功を収める事ができるかがかかっていましたから」
2, 000万ポンドを超えたところでライバルのコールが遅くなった。
「電話でこう手を覆ってるから何を話したかは定かではないんだけれども。うわあ 大丈夫かな。で 向こうは また すごくこれは弱ってるなという感覚は持ってましたよね」
それでも。
ラウンデルは一呼吸置いて ビット。これが 決め手だった。
「興奮しましたね。安倍さんとの約束が果たせた。世界最高額を更新できた」
落札直後の記者会見。ポーカーフェースを通してきたラウンデルの 満面の笑顔がある。
「あの時、自分の人生が大きく変わりました。私は 「『ひまわり』を売った男」として知られこれは ものすごい経歴となり評判にもなりました。30年以上たった今も「ひまわり」のオークションを人々は話題にします。私のキャリアの中で最も桁外れな出来事です」
「ひまわり」落札の影響を受けてバブル期の日本企業は…次々に名画を買いあさりました。ルノワールの 「ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会」は「ひまわり」を大きく超える119億円。
ゴッホの 「医師ガシェの肖像」は更に上回り124億5千万円。
しかし 間もなくバブルは 跡形もなくはじけ散ります。その結果せっかく手に入れた名画ははるかに安い値段で売り払われていきました。
「ひまわり」は日本に残りましたがそこにヨーロッパからある風評が。
「日本に買われた『ひまわり』は偽物だ」。…という 贋作疑惑です。
第3の視点は この論争から「ひまわり」を救った男。
オランダ・ゴッホ美術館の学芸員・ルイ・ファン・ティルボルフ。
彼は どのようにして本物と偽物を見分けたのか。
ゴッホ研究の第一人者が語るミステリーのようなアナザーストーリー。
「ひまわり」の落札劇はそのあまりの金額からバッシングの対象となった。
「そんな金があるなら保険料を下げろ」という声。
大蔵省からも 無用に海外の感情を刺激するなと異例の発表。
それに対して 社長の後藤はこう説明している。
53億円を契約者の数で割ると一人400円。それを還元するより日本で世界の一級品にふれることのほうが無限の価値がある。
結局一般公開されるや批判などどこ吹く風。空前のゴッホブームが起きた。
「ひまわり」落札を取材した勅使河原 純はその様子を鮮烈に覚えている。
「ゴッホの 「ひまわり」を獲得した瞬間から年間の入場者数が20万人ぐらい上がっていくわけですからね。実際ね ゴッホが落札されてからね。それで近くのお店がねみんな お客さんでいっぱいになったんで。商店街は感謝状を出したんです。こんな話は今日まで聞いた事がありませんね」
それから 10年。ゴッホ人気はとどまるところを知らず海外の美術館はもとよりフランスにあるゴッホの墓までが日本人で あふれた。
そんなころだ イギリスでこんなドキュメンタリーが放映されたのは。
日本のブームを揶揄するナレーション。
更に、茎が折れていて変だ。葉を茎が貫通するなどありえない。など、日本が買った 「ひまわり」は偽物だと主張した。
贋作疑惑はやっかいだ。明確な証拠が見つからないと反論が難しいのだ。
この時にわかに動きだしたのは日本でもイギリスでもなくゴッホの生まれ故郷オランダの人物だった。
ゴッホ研究の世界的権威とされる男
ゴッホ美術館主任学芸員のルイ・ファン・ティルボルフさんです。
覚悟をもって この仕事に臨んだ。
「あの「ひまわり」がニセモノであるはずがない。それが 最初の直感でした。しかし すぐには立証できませんでした。なぜなら あの作品はいまだかつて鑑定されたことがなかったからです」
長年 ナショナル・ギャラリーで展示されてきたあまりにも有名な作品のため本格的な鑑定は行われてこなかった。
偽物だという風評は世界中に飛び火。
その中で ティルボルフの調査はスタートする。
「日本の 「ひまわり」の偽物疑惑が出ると、すぐに我々の意見を聞かれました。私たちは 絵が偽物だとは思っていませんでしたが、この際徹底的に調べ上げて白黒つけようということになりました」
ティルボルフは安田火災の協力を得て「ひまわり」の徹底調査を開始した。
「美術館のスタッフが額縁を外し絵の具が塗られたカンバスまでしっかりと見せてくれました。おかげで多くのデータが得られました。それから日本の「ひまわり」と他の「ひまわり」を徹底的に比較し分析しました。描かれた時期はいつか。技術的な特徴は。スタイルの変化はないかなどそういった事をつぶさに調べたのです」
折れた茎への言いがかりは瞬く間に払拭された。
「日本の「ひまわり」と「ひまわり」以外のゴッホ作品を比較するとすぐに答えが出ました。ご覧のように 折れた茎の表現が随所に登場します」
「これはゴッホの個性であり偽物の証拠ではありません」
そしてティルボルフは4年をかけて、ついに決定的な証拠をつかむ。
「ひまわり」のカンバスのX線画像分析だ。
縦糸と横糸の密度を調べた結果驚くべき事実が分かったのだ。
なんと「ひまわり」のカンバスの布が、ある大物画家が描いた絵のカンバスと一致した。
ゴッホとは 一時期南フランスで同じ家に住み共同作業を行っていた事が知られている。絵の布が同じという事は2人が布を分け合った証拠。
「彼らは20メート目の麻布を買って切り分けました。二本の「ひまわり」もその布に描かれた一枚だったのです。これは本物であることの決定的な証拠です。
これこそ ゴッホの真作の証しだとティルボルフは断じた。
「これは 本物である事の決定的証拠です。そして これまでは知られていなかったゴッホとゴーギャンの親密な関係が明らかになったのです。そしてこれまで明らかになっていなかったゴッホとゴーギャンの関係が明らかになったのです」
ティルボルフが一組の絵を見せてくれた。
「これは ゴーギャンが描いたひまわりを描くゴッホ。この時ゴッホが制作していた絵こそ二本の「ひまわり」です」
ティルボルフは 「ひまわり」が日本の企業に落札された事を好意的に受け止めている。
「あの「ひまわり」はゴッホの全盛期の傑作ですが、明るい色やくっきりした形は日本の浮世絵の影響を受けているんです。
ゴッホが日本人のように描きたくて試行錯誤した中で最も良く描けた作品でしょう。ゴッホは日本が好きでしたから、作品が今日本にあることを喜んでいると思います」
「人々の努力の結果「ひまわり」が日本に来たのは日本人にとっても幸せな事でした。お金に変えられない素晴らしさです」
日本企業に買い取られ今も日本で見る事ができるゴッホの 「ひまわり」。
落札に投じられた お金 53億円。
これは果たして 高すぎたのか?それとも 値段に見合う価値ある買い物だったのか?
どんな名画も その値打ちは見る人しだいだと言いますが、さて、あなたにとってはいかがですか?
「ひまわり」以降 名画の落札価格は上がり続けている。
そして去年史上最高額が出た。
53億円の 「ひまわり」が今では安く感じられるほどになった。
でも その絵が日本にある事は意外に知られていない。
(取材者)どこの国が持ってるかって…。
「いや分かんないっすね」「フランス? 違うかな」「イタリア」「今ですか?ルーブルとかじゃないんですか?」「全然知らないです」「どこの美術館とか そういう事ですよね」
一応 新宿にあるんですよ。すぐ そこの美術館らしいんですけど。
「ああ 損保の。死ぬまでには一回。やっぱりゴッホっていえば有名なので一度は見てみたい気はしますね」
「ひまわり」は今も日本で咲いている。
「花瓶に挿された向日葵をモチーフとした油彩の絵画」の所有者
最初の作品 個人蔵(アメリカ)
2番目の作品 山本顧彌太(日本)第二次大戦で焼失し現存せず
3番目の作品 ノイエ・ピナコテーク美術館(ミュンヘン)
4番目の作品 ナショナルギャラリー(ロンドン)
5番目の作品 損保ジャパン東郷青児美術館(東京)
6番目の作品 ゴッホ美術館(アムステルダム)
最後の作品 フィラデルフィア美術館(アメリカ)
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資料など
*1:二種類あるのでご注意