チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

美の巨人たち 東山魁夷「山雲濤声」

f:id:tanazashi:20180908233733p:plain

 

独自の風景を探求する旅を続け、懐かしく美しい作品を数多く残した、戦後を代表する画家・東山魁夷

67歳で挑戦したのが、奈良・唐招提寺の鑑真に捧げる山と海の障壁画『山雲濤声(さんうんとうせい)』。

東山はこの絵で、日本で生まれた独自の美をちりばめました。それは一体?また唯一描かれた生き物ホトトギスには盲目の僧に美しき日本の風景を捧げるための仕掛けが!東山がこの作品に込めた狙いと新たなる挑戦に迫ります。

f:id:tanazashi:20180908174513j:plain

美の巨人たち 東山魁夷山雲濤声」

放送:2018年9月8日

f:id:tanazashi:20180908233420p:plain

昭和48年1月。荒波の日本海を描く一人の画家がいました。
その姿は緑燃える初夏の山にも日本の原風景を求めて、本州全土をめぐる旅は8ヶ月にも及びました。
男の名は風景画の巨匠・東山魁夷
旅を終えた東山は、奈良唐招提寺へ壮大な作品に挑むために。

 

f:id:tanazashi:20180908233550p:plain

JR 奈良駅唐招提寺へはここからバスでおよそ20分。唐招提寺で下車します。
バスを降りるとすぐ後ろに見えるのが南大門。唐招提寺の入り口です。
東山の作品が収められているのは境内の北側。

f:id:tanazashi:20180908233622p:plain

奥まった所にある寺の開祖・鑑真和尚を祀る重要文化財の御影堂です。

f:id:tanazashi:20180908233647p:plain

鑑真は聖武天皇の招きで日本にやってきた唐の高僧。
荒波を超える航海は五度も失敗。6度目でようやく日本にたどり着いた時、鑑真の目は光を失っていました。
その鑑真人に捧げられたのが今日の作品。

f:id:tanazashi:20180908233830p:plain

東山魁夷作「山雲濤声」
上段の間の、霧に煙る山雲

f:id:tanazashi:20180908233857p:plain

寝殿の間の波がさざめく濤声からなる障壁画です。
濤声には沖合から迫り来る白波と、その波に抗う岩が描かれています。

f:id:tanazashi:20180908233934p:plain

岩に砕かれた白波は優しい穏やかな波へと姿を変えながら渚にたどり着きます。
しかし変なのです。東山は写生の旅で極寒の日本海を群青で表現していました。
ところが障壁画では穏やかな緑青の世界に変わっているのです。

f:id:tanazashi:20180908234019p:plain

それだけではありません。構図にもある秘密が隠されていました。

f:id:tanazashi:20180909200415p:plain

そこに息づくのは日本伝統の美。

f:id:tanazashi:20180909200433p:plain

渚の襖を開けると

f:id:tanazashi:20180909200507p:plain

そこは上段の間。

f:id:tanazashi:20180909200529p:plain

描かれているのは鑑真が見ることのできなかった日本の山並みです。

f:id:tanazashi:20180909200619p:plain

床の間には雄大な山肌に沸き立つ木々。

f:id:tanazashi:20180909200701p:plain襖には落差のある一筋の滝。

f:id:tanazashi:20180909200755p:plain

ぐるりと見渡すといつのまにか山の頂に立っていることに気がつきます。

f:id:tanazashi:20180909200828p:plain

実は山雲には、唯一の生き物が描かれています。
床の間の横。

f:id:tanazashi:20180909200908p:plain

天袋の部分に一羽のホトトギスが。
そこには盲目の僧に美しき日本の風景を捧げるための仕掛けが 。

 

 

f:id:tanazashi:20180909201019p:plain

戦後の日本を代表する画家・東山魁夷

f:id:tanazashi:20180909201100p:plain

日本の三大風景に見出し心象を絵筆に込めた画家です。

f:id:tanazashi:20180909201120p:plain

どこかで見たことがあるような、不思議で優しく美しい。

f:id:tanazashi:20180909201147p:plain

そんな美しいを数多く残し

f:id:tanazashi:20180909201227p:plain

見るものを虜にしました。

f:id:tanazashi:20180909201313p:plain
青森で出会った風景「道」。
私は今どこにいるのか。そしてどこから来てどこへ行くのか。
一本の道に人生を重ねた名作です。

f:id:tanazashi:20180909201352p:plain

道を描いたのは42歳の時。
今でこそ超がつく有名人ですが、実は遅咲きの苦労人でもあるのです。

 

f:id:tanazashi:20180909201427p:plain

今日の作品は東山が61歳で文化勲章を受賞した翌年、唐招提寺の森本長老から依頼を受けて描かれたもの。

f:id:tanazashi:20180909201459p:plain

現在の西山長老は依頼の理由を聞かされていました。
「長老ががお参りをすると、鑑真和上顔がとても寂しそうやと、何が面白いですね。心の安らぎってんですか。そういうもの持っていただきたい」

f:id:tanazashi:20180909201537p:plain

しかし東山はすぐに返事ができずにいました。
国の重要文化財に現代の作家が障壁画を描くのは戦後初。
既に国民的画家と呼ばれていた東山でも荷の重さを感じていたのです。
背中を押したのは他でもない鑑真でした。
「自信のない私に勇気を与えてくれたのは鑑真和尚の強い精神力への賛合の心からであり、全力を挙げて着実に進めていけば成就するであろうという希望が次第に湧いてくるのを覚えた」

 

鑑真に捧げる障壁画は何を描くべきなのか。
思い悩む東山にヒントを与えたのは森本長老の言葉でした。

f:id:tanazashi:20180909201718p:plain

「長老から鑑真和上の一代のですねドラマを聞くに従ってて、盲目の身となっていましたから、日本の風景がわからないかったじゃないかいう風なことをまおっしゃっていたと思うんですけども」
鑑真が見ることのできなかった日本の美しい風土と苦難の旅路を表現する。
遍歴の画家と呼ばれた東山は、描くべき風景を求める旅に出ます。
昭和48年1月。鑑真をいくどとなく拒んだ荒波を求め、まず向かったのは5巻の日本海でした。
青森龍飛崎から始めた旅は日本海側を南下山口県青海島までおよそ1500 km にも及びました。

f:id:tanazashi:20180909201817p:plain
春を迎えると海から山へ。さらに1500キロの旅を続けトータル3000 km。
東山は日本を写生する旅に没頭したのです。
時は高度経済成長の末期。各地で失われゆく原風景を執念で探し出したのです。

f:id:tanazashi:20180909201854p:plain
山雲の霧深いやまなみは、岐阜・天生峠の風景。
滝は黒部と蔵王から着想を得ました。

f:id:tanazashi:20180909201943p:plain


濤声には日本海の険しさを象徴する山口・青海島の松が生えた切り立つ岩と、石川県輪島の平岩を配置。渚は島根戸田小浜を選びました。
日本各地をひとつにした心象。
風景昭和48年秋。旅から戻った東山は構図作りに取り掛かります。

f:id:tanazashi:20180909202004p:plain

 

なぜ画家は岩の上に松を描いたのか。

f:id:tanazashi:20180909202045p:plain

東山を研究する美術史家・野地耕一郎さんは、
東山魁夷さんは日本美術の中で古典的なものっていうものを深く掘り下げて研究してきた人ですよ。そして桃山時代俵屋宗達の絵画。そこに最も純粋な日本の美意識があるという風に選り分けていくんですね」

f:id:tanazashi:20180909202206p:plain

探求の果てに東山がたどり着いた日本独自の美。
それが琳派創始者の一人俵屋宗達の作品でした。

f:id:tanazashi:20180909202234p:plain
大陸の影響を受けてきた日本の美とは一線を画す独創的な世界に、日本独自の日を見たのです。

f:id:tanazashi:20180909202313p:plain

東山は宗達の代表作「松島図屏風」から、濤声の構図の着想を得ました。
俯瞰した海の景色と、パターン化され連続する波の表情。
そして岩に生えた松。
日本で生まれた独自の日を鑑真に捧げたいと願ったのです。
一方で東山はこの作品で新たな挑戦もしていました。

f:id:tanazashi:20180909202421p:plain

二条城の障壁画保存事業にも携わっている日本画家の大野さんは

f:id:tanazashi:20180909202459p:plain

「戦前の日本画っていうのは、非常に線を大切にされる美しさを大事にした作品っていうのが主流だったんですけど、

f:id:tanazashi:20180909202525p:plain

東山さんの描く絵っていうのは、線がほとんどないんですね。面の美の芸術ですかね」

f:id:tanazashi:20180909202603p:plain

岩絵の具の粒子感を生かして描く洋画的な面。
それが東山芸術の特徴です。

f:id:tanazashi:20180909202640p:plain

ところが濤声の岩をよく見ると、東山ならではの粒子感がありません。
それはなぜなのか。

 

 

f:id:tanazashi:20180909210528p:plain

「障壁画は使用されるものですよね。外したり片付けたりするもんなんですよね。だから厚塗りをしてしまうと剥落してしまう。少しでも自分の作品が鑑真和尚とともに長く保たれるように。できるだけ薄塗りで行きたいことを考えられたんじゃないかなっていう思いますけどね」
薄塗りは重ね塗りによる微調整ができません。そこで東山は入念に準備。

f:id:tanazashi:20180909210639p:plain

20分の一の小下図で色のバランスを決め、1/5の中下図で波や木立などの詳細な形を作り上げていきました。

f:id:tanazashi:20180909210712p:plain
さらにに1/5の施策を作り本がと同じ絵の具と描きかたで薄塗りのシュミレーションまで行なったのです。

f:id:tanazashi:20180909210744p:plain
東山は試行錯誤の末透明感のあるグラデーションを生み出しました。

f:id:tanazashi:20180909210822p:plain
色を塗って水でのばし乾いた筆でなじませる"からばけ"の技法を使って。
そして準備万端で本画に取り掛かったのは昭和49年の春のことでした。

f:id:tanazashi:20180909210856p:plain
1200年の時を超え鑑真に捧げる山雲濤声。
壮大な障壁画が末永く鑑真と共にあるようにと、東山は自らの画風を封じてまで薄塗りに挑んだのです。

 

f:id:tanazashi:20180909211000p:plain

昭和50年6月の鑑真の命日・開山忌に合わせ唐招提寺へ奉納されました。
実はこの開山忌きこそホトトギスの謎を解く鍵でもあるのです。

f:id:tanazashi:20180909211027p:plain

ホトトギスは初夏の訪れを知らせる鳥。

f:id:tanazashi:20180909211058p:plain

その美しい鳴き声で盲目の鑑真に開山忌の季節の到来を伝える役目を託したのです。
それは東山ならではの気遣いでした。

f:id:tanazashi:20180909211150p:plain

「鑑真和上に対する慰撫と鎮魂のために書かれたもの。つまり視力以外の感覚を使って感じることのできるようなモチーフが書かれているわけですよね」
山雲に描かれているだけもまた雄大な自然を音で感じさせるもの。さらに濤声はその名の通り様々な波の音が描き分けられています。
沖合の大きな白波のさざめき。岩礁で波が砕ける轟音なぎさで奏でられる揺蕩いのハーモニー。
東山は目の見えない鑑真のためにモチーフのひとつひとつを選び抜いていたのです。
それは海の色でも。
写生では冷たい群青で表現した冬の海を、温かい初夏の緑青の海に描き変えたのは、開山忌の季節に合わせるためでした。
初夏の柔らかい風景で鑑真を包み込みやすらぎを届けたいそれがが彼の想いだったのです。

 

 

 

書籍等

www.toshodaiji.jp

 

 

blog.kenfru.xyz

 

映画、ドラマ、アニメの動画視聴ならU-NEXT<ユーネクスト>。映画やドラマ、アニメの名作はもちろん、最新作も超充実なコンテンツ数が特徴です。その数120000本以上。まずは31日間の無料トライアルを是非お試しください。