チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

美の巨人たち 横山華山「紅花屏風」

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横山華山は、伊藤若冲の後継者とも言われ、夏目漱石「坊ちゃん」にも登場するほど江戸時代に活躍した絵師。

なのに現代では存在すら知られていない。

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『紅花屏風』は6年の歳月を費やし、紅花が染料になるまでを描いた名作。

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220人も登場する紅花産地の人々の表情はリアリティーに溢れ、まるでドキュメンタリー映画を見ているよう。

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なぜこれほどの絵が描けたのか?そんな人気絵師がなぜ忘れ去られたのか?

その人物像にも迫ります。

 

美の巨人たち 横山華山「紅花屏風」

放送:2018年10月6日

消えた謎の天才絵師 

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伊藤若冲。展覧会を開けば常に大行列ができる人気絵師です。緻密にして大胆。秘密にして大胆。そして独創的な作風。しかし20世紀後半までは全く評価されず、その名はほぼ知られていませんでした。

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実は若冲と同じく大きな才能を持ちながら時代の波の中に消えてしまった幻の絵師がいるのです。日本を代表する文豪・夏目漱石の代表作坊ちゃんにその名が見られます。

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名を横山華山といいます。どんな絵師7日。横山華山の調査研究をしている八反さんは

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「18世紀に円山応挙ですとか伊藤若冲が百花繚乱のように活躍しました。その画家たちが亡くなった後に京都で活躍した。伊藤若冲の後継者になり得る絵師だと思います」

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そんな天才が京都の祇園祭を描くとこうなります。

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ご覧ください山鉾を挽く人々の躍動感。乗り手たちの生き生きとした表情。入り乱れる神輿の担ぎ手たち。中には疲れ果てた人もいます。

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祭りの参加者一人一人の息遣いまでを伝える手腕。

 

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幻の絵師横山華山の代表作が山形にあります。山形駅東口を出て左へ線路側の通りをまっすぐ北へ10分ほど歩くと左手に山形城の跡。霞城公園。二の丸東大手門側のすぐそばにある山形美術館でその作品と出会えます。

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京都の絵師の傑作がなぜ山形に。それは絵を見れば分かるはず。

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今日の作品。横山華山作「紅花屏風」

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一見のどかな風景画に見えますが、ぐっと近づいてみるとどうも様子が違います。

 

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種をまく人。

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花を摘み取る人。

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そして摘んだ花を踏み、潰しているのでしょうか。

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どうやらこれは山形の名産紅花が染料になるまでの過程を描いたもののようです。

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目を引くのは膨大な数の人物。

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右隻に109人、左隻に111人。合計220人。

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しかも全て表情が違うのです。

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笑い話に盛り上がる男たち。

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桶に入った紅花を踏む女達も楽しそうです。

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その紅花を丸めた紅餅を運ぶ人はどこか誇らしげ。子供達は水遊びです。

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魚がとれすべそをかいているのか。

 

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おやつのお饅頭登場に笑顔が溢れます。かと思えば大喧嘩。何があったのでしょうか。

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紅花農家で繰り広げられる様々な人間模様はまるでドキュメンタリー映画を見ているようです。

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「これほど丹念にしかも人々の表情に至るまでユーモラスに描いてるって言うのはやはり華山の筆の確かさ技量の高さを」なぜ華山はここまで表情豊かに行くことができたのか。

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それを紐解く鍵が屏風の左右に描かれた紅餅に。大きさが違う。さらにこれほどの大作を残し江戸時代には才能を認められながらなぜ横山火山の名は消え去ってしまったのか。

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数々の謎を秘めた紅花屏風を読み解くと、時代に忘れられた天才絵師の正体が時を超え浮かび上がってくるのです。

 

京都・紅花問屋のコマーシャル

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江戸中期から後期にかけ京都の中心部半径2キロの中には名だたる絵師たちが暮らし、活躍していました。

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京都の夏の風物詩祇園祭

 

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その行事の中に屏風祭りがあります。

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商家が所蔵している屏風などの美術品を一般の人達に披露。

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実は華山の紅花屏風はそこに飾るため描かれました。依頼したのは京都の紅花問屋伊勢屋です。屏風を見た人々に紅花に興味を持ってもらおうと金に糸目をつけず高価な金子などや最上級の原料を使って生産工程を事細かに描かせたのです。

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ではその工程を右隻から見ていきましょう。紅花栽培が始まるのは春。桜が満開になる頃。

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うららかな陽気の中畑を耕す男たち。

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老人は紅花の種をまいています。

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2週間後青々とした芽が出ると、女たちが間引き作業。

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画面下へ目を移すと季節は夏に変わります。

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満開の畑で花摘み。

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さらに下には摘み取られた紅花の集荷場が。

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収穫された花の目方を測っています。川の向こう側では村人総出で紅花の加工。

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摘み取った花からゴミを取り除き水につけて押しつぶし団子中にまとめて乾燥。これが着物のや化粧などの染料となる紅餅です。

紅好きの京都の女性たちの心をつかむという伊勢屋のもくろみは見事に的中。屏風の前には黒山の人だかりができたと言います。しかし人々を惹きつけたのは単に紅の生産工程だけではありませんでした。

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実はこの屏風絵には当時最先端とも言えるいくつもの技法が駆使されていたのです。どんな技法が使われたのか。

横山華山の人生を紐解けば見えてきます。

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横山華山が活躍したのは江戸時代後期。しかし記録は少なく肖像画も残されていません。1784年頃。福井藩医の家に生まれましたがすぐに両親と死別。5歳の頃京都へ移り西陣織のメーカー横山家の分家の養子に。

横山家は曽我蕭白パトロンで多くの絵師が出入りしていました。華山も幼い頃から絵筆を握ります。

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蕭白の蝦蟇仙人図を模写して躍動感に満ちた画風を学び、

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10代半ば中国画風の精密画を得意とした岸駒に弟子入りし、

f:id:tanazashi:20181009210656p:plain細部を緻密に描くための技を磨きます。

f:id:tanazashi:20181009210729p:plainその後円山四条派のリアルな人物群像を研究。

f:id:tanazashi:20181009210804p:plainさらにいち早く西洋画で使われていた陰影によって立体感を生み出す方法も習得します。

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華山はそれらの技法を全て紅花屏風につぎ込みました。

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男たちの激しい動き。そして肉体のリアルな描写は蕭白から得たもの。

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岸駒の緻密さは紅餅を測る道具や商人のそろばんやお金の描写などに生きています。

f:id:tanazashi:20181009212020p:plain群像でありながら一人一人の個性が伝わる人物描写はまさに円山四条派。

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眉を剃りお歯黒をした既婚の女性と若い未婚の女性まで描き分けています。

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そして西洋の陰影法で屏風らしからのモダンな雰囲気を醸し出しているのです。

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曾我蕭白のの良い所。円山応挙の良い所を受け継いで自分のものにして自己流で開拓して行った人だと思います」

ひとつの流派にとどまらず身につけた技を自由奔放に発揮した華山。紅花屏風は様々な技法が融合したかつてない作品だったからこそ多くの人が熱狂し、華山は世に絶賛されたのです。

紅花屏風を描くため、華山が紅花の産地に旅立ったのは1819年のことでした。そして完成したのは1825年。実に6年かかったのです。想像で絵を書くのではなく華山は写生でこの絵を描きました。その場に足を運びその目で見て描く応挙が得意とした手法でした。

伊勢屋の宣伝のためとはいえ何が華山を底まで駆り立てたのでしょうか。

 
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その答えに迫るヒントが右隻と左隻。まったく大きさの違う紅餅。そこに横山華山が本当に描きたかったものが秘められていたのです。

 

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屏風を手がけるためため華山は紅花の産地へと向かいました。

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まず京都から東海道を歩いた華山。道中に描いた絵がそれを示しています。

清水あたりから見た富士山です。

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絵の隅に文政2年の文字が。

東海道を後にした華山は紅花を知るために二つの産地を訪ねたと言われています。それを証明しているのが大きさの異なる紅餅。

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「右隻の方は紅餅が大きいのでさいたま。左隻は山形か東北の方ではないかと言われています」

日照時間の長い埼玉では乾燥が早いため大きい紅餅。一方山形など東北は山間で日照時間が短いため乾燥しやすいよう小さくしていました。

まず華山は現在の埼玉・武州へ、続いて伊勢屋の仕入れ先で紅花の産地として名高い山形最上へ向かったのです。

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それは左隻に描かれた風景からも推測できます。最上川日本海に注いでいます。

そして海には京都へ向かう北前船。当時紅花は山形から船で出荷されていました。

つまり華山は紅花栽培が始まる春先から手荷物を出荷する夏にかけ、二つの産地に幾度も足を運んだのです。全ての工程を記録するために。

それにしても6年という歳月はちょっと長くありませんか。

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「単純にその製造過程だけを描こうとしたんではない。体を清めている紅花商人の背中が描かれてるんですが、その横を見るとスイカ売がいるんですね。おそらく華山自身が会ってお話しすることがあったんじゃないかなっていうことを思わせるような表現。実際に触れ合った人々の生活そのものを記録してるんだっていう気持ちになったんじゃないでしょうかね」

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道を行き交う人の喋りにそっと耳を傾けたり、

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酒を酌み交わし、語り合うこともあったのでしょう。喧嘩の時には思わず仲裁に入ったかもしれません。こうして人々と同じ時を過ごしたのです。

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執拗なまでの観察によって描いた紅花屏風。

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京都でこの屏風を見る人に産地の暮らしそのものを華山は伝えようとしました。村人たちの声が聞こえてきそうではありませんか。

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この屏風によって横山華山は押しも押されもせぬ京都を代表する人気絵師となります。

ところが若冲と同じ幻の絵師となってしまうのです。一体なぜ華山の名は忘れ去られたのか。

 

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明治に入ると華山の多くの作品が海外へ流失。

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欧米の美術家たちがその価値を見抜いたのです。

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当時の日本は西洋画を追い求めていたため、他の貴重な美術品とともに華山の名作も手放してしまいました。

さらに

「美術の流れを考える時にはそういった系譜の中で考えるということが多いです。どの流派にも属さないなかなか顧みられなかった」

独立独歩と自由な芸術を目指した華山。それがゆえ美術の流れからこぼれ落ちてしまった不運。

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京都上京区にある瑞雲院。ここに横山華山が眠っています。

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華山の足跡を示す資料が少ない中、確実に存在したという証がこの墓。54歳で生涯を閉じたと言われています。

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横山華山の作品は東京ステーションギャラリーでご覧いただけます。海外の美術館が所蔵する作品も里帰り。これだけの作品が揃う機会はめったにありません。

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笑い声、鳴き声、喧嘩する声。紅花を踏みしめる音まで聞こえてきそうです。

屏風を見た京都の人々が憧れたの美しい紅花だけではありません。それを作る人々が生き生きと暮らす姿だったのかもしれません。

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横山華山作「紅花屏風」幻の絵師が描き切った人間への溢れる愛情。

 
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