日曜美術館「生き物のいのちを描く~知られざる絵師 小原古邨~」
5年前にある倉庫から偶然出てきた数百枚の木版画。明治生まれの絵師・小原古邨の作品だ。日本では無名だが、海外で人気を誇った。日本画のような写実表現と技に迫る。
透き通るような色彩。生き物が躍動するかのような写実的な描写。小原古邨は知られざる絵師ながら海外では画集が出版されるほどの人気がある。茅ヶ崎市美術館の展覧会では、古邨の木版画230点が展示されている。作品からは、江戸時代の浮世絵の伝統を受け継ぎつつ、明治になって新しいものを取り入れていたことがわかる。そして番組では見つかった版木を基に木版画のすりの再現にも挑戦。生き物を写実的に見せる技の秘密とは?
【ゲスト】イッセー尾形,中外産業 美術担当…小池満紀子,【司会】小野正嗣,高橋美鈴
放送日
2017年10月7日
プロローグ
5年前ある作家の作品が倉庫から偶然大量に見つかりました。
すき通るような色彩。
生き物たちが喜びに躍動する一瞬。
作者は明治生まれの絵師小原古邨。日本では全くと言っていいほど不明の存在です。
しかし海外では広く知られています。2000年以降画集も出版されるほどの人気です。その作品の多くが海外の美術館に収蔵されています。
「西洋では小原古邨の高い技術をとても評価しています。その技術によって版画が実際に描かれた絵のように感じられるのです」
古邨の版画には江戸時代の浮世絵版画研究者も驚きました。
「透き通った透明感のようなものを版の力で表現しているところがこの画家の長所」
浮世絵以来の伝統と明治以降の革新の技で描かれた生き物たちの命溢れる姿。
今回番組独自の取材で木版画の貴重な版木が見つかりました。
それを使って古邨版画の再現にも挑戦しました。
その過程で見えてきたのは生き物をリアルに見せる巧みな技。生き物たちの命を描いた知られざる絵師・小原古邨の世界に迫ります。
発掘された謎の木版画
小原古邨の展覧会が神奈川県の茅ヶ崎市美術館で開催されています。
全230点がなんと国内初公開。摺りの質、保存状態がきわめて良い古邨作品です。
四季折々の花や鳥などを描く花鳥画の世界。
まずは春。厳しい寒さが緩むころ梅の木の枝から顔を出す鳥ジョウビタキです。
かすかに漂う梅の香りを感じて蜜を吸いにやってきたのです。
こちらは渡り鳥のマガモが北方からやってくる秋の風景。つがいで描かれています。
満月の夜に仲良く飛んでいく躍動感が伝わってきます。
さらに古邨の作品は花鳥画らしく縁起がよくおめでたい意味も含んでいます。
生命力が強い竹と厄をついばむという雀を組み合わせた作品です。
ひょっこり出てきた雀の子古邨のユーモアセンスが光ります。
偶然に見つかったという古邨の木版画。一体どこから出てきたのでしょうか。
展覧会に出品された作品を管理する会社の小池満紀子さんです。
元々浮世絵に詳しく会社が所蔵する作品の調査研究を行っています。
5年前別の展覧会の準備中に倉庫の中で長い間放置されていた風呂敷包みを見つけました。
埃をかぶった風呂敷を開くと出てきたのはなんと300枚近くの古邨作品。見ていくうちにすっかり魅了されました。
「驚きました。こんなに多くの作品が日本に残っていたっていうことが驚きですね。こんなに自然て素晴らしかったのかしらっていうような感動を覚えて、こんなに雀て可愛かったかとか。知られざる絵師のままではいけないなと、この作品の一つ一つを見て感じました」
長い眠りから目覚めようやく光を浴びた古邨の花鳥版画。時を超え私たちに何を語りかけるのでしょうか。
小林正さん。主に浮世絵を始めとする江戸時代の絵画を研究してきました。
「黄色い小鳥が止まってるんですけど、カナリアですか。素晴らしい色彩表現だろうと思うんです。近代の感覚がより華やかにより明るくある種透き通った透明感のようなものを版の力で表現しているところがこの画家小原古邨の長所だろうと思いますね」
展覧会場で小林さんが最も心を揺さぶられたという作品がありました。
「小原古邨の版画の中でも最も印象深く美しい版画かなと思うんですね」
蓮と雀。色鮮やかな蓮の花に一羽の雀が舞い降ります。するとその重さでハスの葉に溜まっていた水が流れ落ちる。その様子を描いたものです。
雨上がりの夏の朝。一瞬の情景の中に時間的な移ろいまでもが伝わるような作品です。
「よく無声詩などという絵のことを言うんですね。声のない音のない詩情を表すことができる。けどこれは音も感じさせるあるいは時間も感じさせる。そういう平面的な版画でありながら3次元あるいは四次元の表現が完結してるって言4
点で代表作にしていいものだと思いますね」
専門家をも魅了する作品を書きながら無名の古邨。どんな人物なのでしょうか。
謎の絵師小原古邨
小原古邨は明治10年石川県金沢に生まれました。
鈴木花邨です。
古邨という名は花邨からもらいました。
こちらは師匠の花邨が描いた「猿に蜂」。
対象よりも本物らしく描けと教えていた花邨。生き物の個性や存在感を写実的に描こうとする花鳥画家でした。
その教えを引き継いだ古邨。同じ猿に蜂を描いていました。
22歳頃から展覧会に日本画を出品し始めると古邨はいくどとなく表彰され注目を浴びます。
そんな古邨の才能が海外で通用すると見抜いた人がいます。
日本美術を紹介する活動もしていた彼は、古邨に海外向けの日本画の制作を促しました。
欧米では1878年のパリ万博以降日本画や浮世絵が注目され空前の日本ブームが起きていました。
フェノロサの予想通り、古邨の日本画はアメリカのオークションでひっぱりだこ。
しかし製作が追いつかないという問題が生じます。
そこで古邨は自らの絵の木版画を作ってみることにしました。
版画なら一度に何枚も刷ることができるからです。
原画を元にした古邨の木版画です。
当時の職人技で日本画をそのまま映し取ったような版画が出来上がりました。
澄んだ色彩。木目を生かした背景。木版画ならではの表現が古邨の絵を更に味わい深いものにしていました。
こうして古邨の木版画作品が生み出され、日本ではなく主に海外への輸出用に製作されたのです。
その後古邨の木版画は欧米で人気を博するようになります。
アメリカ全土、十箇所を巡回した展覧会で紹介されると注文が殺到。
ヨーロッパのある展覧会ではこの絵を含め4点が出品され合わせて1000枚近く売れました。
古邨の作品はなぜこれほど海外で人気を集めたのでしょうか。
来日して浮世絵版画を買い付ける仕事をしているオランダ人のクリス・ウレンベックさん。実はクリスさん。古邨作品の研究者でもあり、2001年には画集を出版するほどその魅力にとりつかれています。
「花鳥画は誰にとっても分かりやすい芸術です。誰もが自然や鳥を好きです。また西洋では日本人は自然にとても敏感だというイメージがあります。例えばゴッホも日本人は自然を理解していると言いました。古邨の作品は自然を楽しみ愛でるという日本のイメージとぴったり合い喜ばれたのです」
小原古邨の魅力(スタジオトーク)
俳優のイッセー尾形さんですよろしくお願いします。そして今回長く眠っていたこの作品を見つけて呼び出された小池真紀子さんですよろしくお願いいたします。
イッセーさんは古邨の作品を見ていかがでしたでしょうか。
冒頭から驚きの連続です。可愛いでしょ。まるで現代のは若いお嬢さんが作った作品ですと言われても頷ける。それが明治生まれの意思の強い強そうなおじさん。しかもそれが日本向けというよりはむしろ海外の方に製作したっていう謎に満ちてますね。興味津々です。
小池さんは、夜に出された側としていかがですか
作品そのものがすごく身近な自然をしっかりとを見据えていて、一つ一つが非常に丁寧に制作されていて、生き生きとした命がもうそこにある。それがなんとも愛おしくて、自然に対する敬意とか愛情を感じて生活をしていた日本のそういういいところを花鳥画の中にそのまま残してくれたようなそんな作品でないかなと思いました。 作品には作品名も書かれてませんし、どこの版元さんなのかも書かれていないので、そういったところから調べて行かなきゃならないんですけれど。
花鳥画も尊敬していたけれどもそれほどに足を止めてゆっくり見れなかったんですねだからちょっと本物確かめに行こうと思ったらね、もう平面なんですけれどもあの奥行きがあるんです。幽玄の世界みたいなところからフッと生き物が現れてくるそれがもう一枚がそのびっくりして
原画と木版画になったものを並べてみました。向かって左が原画。右が木版画。
当時肉筆の木版画というような言われ方をするんですが、よく見ると版画の方は版木の木目があります。もし複製にするのなら木目なんかないほういいのにと思うくらい。でも木版でなければできないことがあるんですね、
その木版でなければならない良さを最大限に生かしている。意図的に生かしている。 当時の版画作りというのは分業体制になってた 絵師彫師摺師がいて、版元がこういう作品を作ろうっていうことをプロデュースしていくわけです。製作を決めていく。そうすると絵師を誰にしようよう。では古邨に花鳥画を書かせようと書かせるわけ。そうするとその版元が彫師摺師の所に行って摺り師がそれを刷っていく・・・・
高度な技が隠されているのででもその一つ一つの積み重ねがおっしゃったように奥行きがある。知らず知らずのうちに画面の中にすごい深い奥行きをもたらしてくれているんでしょうね
驚くべき技法
生き物たちの命が躍動するかのような古邨の木版画。
実はそれを生み出す様々な技法が使われていました。
今回の展覧会を企画した月本壽彦さんです。
初めて出会った古邨の作品に惚れ込みその魅力を探ってきました。そして古邨作品には様々だ浮世絵の伝統的技法が使われていることがわかりました。
今回特別に額装を外し普段は見ることができない細部の技法を見せてもらいます。
取り出したのは小さなライト。
光を当てると何が見えるのでしょうか。
黒一色と思われたカラスの羽に、模様が浮かび上がりました。
光沢のある柄が重なることで本物のカラスの羽のようなツヤが生まれます。
伝統的な浮世絵版画の技法・正面摺りです。
正面摺りは和紙の表を上にして版木の上に置きバレンで刷る技法です。
彫ってある模様が擦れて輪郭が浮き、艶となって出てきます。
「正面摺りという技法。古邨のカラスの作品に非常屋に多く使われています。そのことによって済一色。黒一色と思われがちなカラスの羽が実にリアルに再現されます」
もう一つ。この作品には古邨版画に特徴的な技法が隠されています。
木に積もった柔らかい雪。こちらにも光を当ててみます。
雪の部分に影が浮かび上がりました。積もった雪の質感が立体的に表現されています。
紙に凹凸を作る浮世絵版画の技法・きめ出しです。
凹凸をつけたい形を深く彫り、
和紙を乗せて強く押します。ひっくり返すと押した部分が盛り上がり、
凹凸が生まれました。
きめ出しを使うことで雪が立体的になり、作品に奥行きを生み出していたのです。
もう一つ古邨作品で使われている技法をご紹介しましょう。
夏の夕暮れ、風に揺れる柳の木に一匹のアブラゼミが止まっています。
光を当てると蝉の羽がキラキラと輝きます。
雲母の粉をかけて刷る技法・キラ摺りです。
光が揺れるとまるでセミが呼吸をしているかのようです。
古邨版画では江戸時代の浮世絵に使われた様々な技法を駆使し生き物にリアルに迫っていたのです。
さらに明治時代ならではの色彩で植物のリアルにも迫っています。
やまゆりにモンシロチョウと題された作品。
この時代になると産業革命で生まれた合成顔料が輸入されるようになり、従来にはなかった鮮やかな色の表現が可能となったのです。
「やまゆりの鮮やかなピンクの色。これはやはり近代以降の江戸時代の浮世絵には見られなかった大きな革命的変化だったと思います」古邨版画は伝統の技と新しいものを巧みに取り入れ、生き物のみずみずしい命を描き出したのです。
スタジオ
今日はスタジオに本物の古邨作品をお借りしてきました。
この絵に小さなライトを当ててもいいという許可を特別に頂いていますので見てみましょう。
版木発見・再現に挑む
今回番組独自の取材です古邨版画の版木が三点見つかりました。
それは明治時代から続く老舗の版元。特別に許可を得てそのうちの1点をお借り摺りを再現することにしました。
挑むのは摺り師歴40年のベテラン沼辺伸吉さん。多彩な釣りの経験を持つ沼部さんも古邨の版木を見るのは初めてです。
「素晴らしいですね。なんともいえない。昭和12年すごいですね」
この版木は今からおよそ80年戦前に作られたものです。ついに知られざる古邨版画の版木が紐解かれます。
「これ見ただけでも感動ですね。切れるような鋭さというか、緊張感がある。柔らかさを感じないですよね」
版木の図柄は有明月に木菟。
偶然にも今回茅ヶ崎市美術館に展示されている作品でした。
ミミズクが飛び立とうとする一瞬を描いた躍動感あふれる一枚です。
版木の枚数は11枚。裏にも掘られており全部で21もの面がありました。
「やりがいがあるほどの騒ぎではない。新たな作品を生み出す。木版らしさがないと楽しくないじゃないですか」
はじめに沼部さんは出来上がった作品を見て色を準備します。
刷る前に用意した色はおよそ30種類。殆どが墨の色。日本画の筆のタッチを版で表現するためにはこれだけ必要なのです。
まずは輪郭線を刷っていきます。
輪郭線が刷り上がりました。
版に乗せる色を見極め慎重に色を重ねていきます。
その作業を繰り返すことでミミズクに生命感が出てきました。
さらに黄色やオレンジを使い、羽や目に色を入れていきます。
すると最終的に身体全体に光の陰影が生まれ、平面的だったミミズクに立体感が生まれました。
この摺りの過程で沼部さんは古邨版画が持つ光の表現の奥深さに気づきました。
「やっていくうちにその本質がわかってくる。鳥の非常に平面的ですけど、量感を感じられるような光の使い方というか、光の雰囲気を出すために黄色とか赤みとか使ったのかなと思うんですけども」
さらに背景を刷るにあたって沼部さんが気づいたのは。図の左下にある月の存在です。
「もし月が本当の月だったら下から来るのかなと思うんですけど光はね。下に映ってんのは水面かなと思ったりしますけれども」
木の下に位置するおぼろげな月は水面に浮かんだものではないかと沼部さんは考えたのです。
沼部さんはおぼろげな月を表現するために"あてなしぼかし"という技法を用いました。
まず水を含んだ布で版木を湿らせます。色を濃くしたい部分にのみ絵の具を載せぼかし、色の濃淡のグラデーションを作ります。
あてなしぼかしの技法は絵の具や水分の量、はけの動かし方です毎回違った形が生まれます。
長年の経験と勘を頼りに表現したい形を描き出していきます。
最初の摺りでは月の周り全体に色が入ることで月が明るく見え空に浮かぶ印象になってしまいました。
沼部さんは今度は月の下の方に濃いめのぼかしが入るように刷っていきます。
試行錯誤すること数回。
「月の影を作らないほうが水に映ってるって感じに」
最初の摺りは月の周りに均一にぼかしが入り夜空に浮かぶ月のように感じられます。
最後のは月の下に濃いぼかしを入れたため水面に映ったかのような月になりました。
ミミズクを照らす月夜の世界。光と影が調和するみずみずしい作品が生まれました。
全身に月光を受けて今にも飛び立とうとするミミズク。
そして水面に浮かぶ花のような月。現代の摺り師の手により新たな古邨作品が誕生しました。
摺り方ひとつで無限に広がる木版画の世界。絵師古邨とそれを支える彫師摺師との共同作業から生まれた芸術でした。
「第三者の摺り師とか彫師とかが自分の絵を木版画にした時に、作家の方が表現の仕方をたのしんでいたというのもあるのかなと思ったりします」
まとめ
沼津さんの技術は素晴らしいと思って見てました。あれが水面に浮かんだ月だってわからなかったけど、たくさん刷っていろんな作品を見てきた沼部さんには、それが光の加減しかから水に映っている月なんだろうってわかるんだなぁと驚きました。
想像以上に良い世界にまた持ち上げて言ってくれる。それが版元と彫師摺師との分業の中で力を合わせてやってきたっていうことがあるんでしょうか。肉筆画では表現できない世界を構築してるような気がします。
版画というチームワークチームプレーを目指した。それに同じ夢を持つ人たちが集まって小さな謙虚な存在がそこにあった。それが一つ一つの絵版画の絵にあるんですよ。それを生み出す喜びこれはねもう死ぬまでやるでしょと思いました。北斎の話になった時に北斎は望遠鏡の目を持ってるという仮説が出たんですね。で今度はそれで古邨の絵を見ると顕微鏡の目を持っているというような気がしたんです。小さな世界小さな生き物に焦点が合う。
放送記録
書籍
展覧会
開館20周年を迎えた茅ヶ崎市美術館では「版の美」と称し、年間の展覧会を通じて版画の魅力をお伝えしています。
シリーズ2回目となる本展は、実業家・原安三郎旧蔵の小原古邨作品の展覧会です。
小原古邨は海外で高い人気を誇るものの、国内ではあまり知られていませんでした。本展では中外産業株式会社の
ご協力のもと、摺および保存状態が極めて良い原コレクションの古邨作品およそ260点の中から230点を初公開し、
古邨芸術の真骨頂をお伝えします。また、同じく原コレクションの歌川広重や歌川国芳などの貴重な花鳥画も10点
展示するとともに、古邨のご遺族が所蔵する祥邨、豊邨(古邨の変名)の作品も参考出品します(作品はすべて
前期・後期展示替え)。
原安三郎は、現在の茅ヶ崎市美術館が位置する高砂緑地をかつて別荘地として所有していました。彼の南欧風の
「松籟荘」は茅ヶ崎の別荘文化を代表する瀟洒な建物として知られていましたが、老朽化を理由に1984(昭和59)年
解体されました。本展においては松籟荘の建築模型を展示するなど、原安三郎を紹介するコーナーを設けます。