チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

美の巨人たち プチジャン神父「大浦天主堂」

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今年世界文化遺産に登録された「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」のひとつ『大浦天主堂』は、最も古く最も重要で最も謎に包まれた教会。

実はゴシック様式を見たこともない日本の大工が全く違う工法と素材で造り上げたのです。

長い鎖国の中にあった人々にとって、初めて見る西洋の教会は衝撃的でした。

禁教政策の時代にいかにして精巧に再現したのか?

パリの宣教師プチジャンの願い…その願いが呼んだ“東洋の奇跡”とは?

 

美の巨人たち プチジャン神父「大浦天主堂

放送:2018年10月13日

プロローグ

そこはかつて閉じられた国の中で唯一外へ向けられた窓でした。

異国情緒あふれる長崎。

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今年2018年にはユネスコ世界文化遺産に登録されました。

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長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産。12の資産で構成される文化遺産です。

潜伏キリシタンとは豊臣秀吉に端を発する禁教政策で迫害され、およそ300年もの間密かに信仰を守り続けた人々。

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今日の作品はその中で最も古く最もドラマチックでそして最も有名でいながら最も謎に包まれた教会。 

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長崎駅から電気軌道一号系統で南へ。

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しばらく行くと左手に出島跡。新地中華街で五号系統に乗り換え5分。

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大浦天主堂に到着です。

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石畳の坂道を登ります。暫く行くと突然坂の上に現れる、天を突き刺すかにそびえる白亜の塔。

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今日の作品・国宝にして世界遺産大浦天主堂

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尖塔の上には天に向かって十字架が建っています。

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その下には神を表す天守の文字。

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建てられたのは明治維新の四年前。

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長い鎖国の中にあった多くの人々にとって、初めて見る西洋の天主堂の姿は衝撃的でした。

とはいえ実は屋根は瓦葺き。作ったのは教会建築など見たこともない日本の大工たちでした。f:id:tanazashi:20181020091048p:plain

中へ入ってみましょう。最初に気づくのは高い天井とそれを構成するアーチ。

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こうもりの羽に例えられるリブ・ヴォールトという構造は中世フランスで生まれたゴシック様式の特徴そのものです。

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この光の先を辿って行くと美しく彩られた窓。

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荘厳な光が降り注いでいます。28枚のステンドグラスが織りなす光の芸術。時とともに変化する鮮やかな虹彩が室内の至る所に現れます。

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正面に目をやると十字架にかけられたキリストの大祭壇。

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静寂と清らかな光の中に浮かぶキリスト教芸術がそこにあります。

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大祭壇に向かって右側にあるのは幼いイエスを抱くマリア像の祭壇。

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このマリア像の前で世界を驚愕させる事件が起こるのですが、それは後ほど。

 

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実はこの天主堂には大きな秘密があります。まずゴシック様式とはいえ、それはあくまで見た目だけの物。

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工法も素材も全く違います。

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しかし日本の大工たちはそんなことは微塵も感じさせず、精巧に再現しているのです。たいどうやって。

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そしてもう一つの秘密。幕末とは言えまだ禁教政策が生きているときにこの天主堂は建てられていたのです。

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建てたのはカトリックの東アジアへの選挙を担当していたフランスのパリ外国宣教会の神父たち。

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居留地に住むフランス人のための教会という名目でした。

しかしそれにしては建っている位置が奇妙なのです。

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上空から見てみましょう。大浦天主堂のすみぺにあるグラバー園のある場所はかつて外国人居留地でした。

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しかし大浦天主堂居留地から外れているのです。

でもそのおかげで建築途中から大浦天主堂にはその不思議な美しさと物珍しさに大勢の街の人々が見学にやってきたと言います。

実はこれが狙いでした。そして完成から3ヶ月後、大浦天主堂世界宗教史上奇跡と呼ばれる事件を起こすのです。

 

見た目だけのゴシック

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天に向かって突き出た尖塔。リブ・ヴォールトの天井に、ステンドグラス。

大浦天主堂ゴシック様式の特徴を全て持っています。

しかし実はそれは見た目だけ。そもそもゴシック様式とは石造りの建築のためのもの。

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ただ積みあげると自重で崩れてしまう重い石をアーチの形に積み上げ重力を下に逃がし広い空間を得ようとしたものでした。

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そのおかげで壁への負担を減り、柱と柱の間に大きなステンドグラスを取り付けることも可能になりました。

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つまりゴシック建築最大の特徴であるリブ・ヴォールト。

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そしてステンドグラスも石造りゆえの形だったのです。

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ところが大浦天主堂は木材と土壁で作られています。長年大浦天主堂を研究している林一馬さんは

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「これ元々は石造建築の用途の伝統。それをどう日本の伝統的な工法を用いて石像風に見せるということをやっている」

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困ったのはゴシックなど見たこともない日本の大工たちでした。

中心に向かってなめらかな曲線を描くアーチ。それがどのように作られているのかちょっと天井裏をのぞいてみましょう。

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アーチの曲線の正体を探すとなんと日本伝統の建築素材。

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竹を曲げ、縄で結び作ってあることがわかります。それを土壁で固めて仕上げているのです。

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さらに外壁も。

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「建物全体を漆喰で塗り固めてなまこ状に漆喰を盛り上げて塗って行くということで木造を消していくという風なことやっています」

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これは建設当初の写真。漆喰を盛り上げて格子をデザインして作ったという壁は確かに石造りのように見えます。内装も日本の大工が下絵を基に見よう見まねで行いました。天井はもちろんのこと、椅子も壁の飾りも。

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柱にあしらわれた織物の美しい装飾は木彫り職人の技。見事な出来栄えです。

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見た目には完璧なゴシック様式。そこはまさにパライソ=天国を表していました。

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建築を指導したのはパリから派遣された宣教師プチジャンでした。

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プチジャンはゴシック建築など初めてという日本の大工たちを使い、石造りなら何十年とかかるゴシック教会をなんとわずか1年で作り上げるのです。

なぜそれほど急いだのか。その思いはある人々に向けられていました。

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大浦天主堂の正式名称は日本二十六聖殉教者天主堂と言います。

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日本二十六聖殉教者とは豊臣秀吉が行った禁教政策に逆らい、長崎市西坂で処刑された26人のこと。

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その26人をバチカンローマ教皇ピウス9世が突然聖人の列に加えると宣言したのは大浦天主堂を建設の2年前でした。

まさに今、長崎に注目せよと言わんばかりに。大浦天主堂はある人々を引きつけるためのアドバルーンだったという説があります。

潜伏キリシタンと呼ばれる人々です。キリシタン文化を研究している大橋さんは

「九州はかつてキリシタンがたくさんいたところですから、その末裔がどこかにいるんじゃないかと。それを探すというのも大事な物的だった。考えてみれば在留外国人のための教会堂なのに天主堂と漢字で表記した理由には、キリシタンの末裔に呼びかけるという意味合いもあったかもしれない」

しかし、表に出ては迫害される。彼らは300年の間、何台にも渡って沈黙を守ってきた人々です。そんな彼らが出てくるにはよほどの覚悟と信用が必要。そのためにプチジャンは天主堂をよりパライソのように仕立て上げるのです。そして奇跡が起こります。

 

奇跡の瞬間

300年もの間潜伏していたキリシタンを表に引き出すために大浦天主堂パライソのように仕立て上げる。プチジャン神父は一体何をしたのでしょう。
プチジャンは内部の作りには徹底的にこだわりました。

リブ・ヴォールト風の天井を作り、柱には日本の職人を使って彫刻を施しました。

しかしいくら本物風に作ってもそれだけでは魂の入っていない見せかけの建物に過ぎません。

そこでプチジャンは天主堂に魂を吹き込むため本物の舞台装置を本国フランスから届けさせ、用いることにするのです。

まずはステンドグラス。眩い輝きをもたらすフランス製の鮮やかな色ガラスを使い、日本の大工たちにステンドグラスの窓を作らせました。

そして中央の大祭壇に掲げられた十字架のキリスト像。フランスの歴史ある修道院から寄付されたものです。

さらにこちらのマリア像。フランスの由緒あるものを神父たちがその手で持ち込んだもの。

大浦天主堂の役割の一つとしては潜伏キリシタンが登場する舞台を作ったという風にうことできるかもしれないですね」

プチジャンはあまりに純粋で繊細な潜伏キリシタンと呼ばれる人々を見つけ出すために、パライソのような完璧な教会を用意したのです。そして彼らはマリア像に向かい手を合わせるのです。

1865年3月大浦天主堂完成から3ヶ月後のことでした。見学に来ていた町の人々の中から十数人が天主堂の中へ入ったのです。そこにあったのは天にも届けと曲線を描く天井見たことのない聖堂そして初めて見るキリストの姿。窓べにはステンドグラスから降り注ぐ七色の光。まるで神の世界が目の前に現れたかのよう。その時、祈りを捧げていたプチジャンに一人の女性が声をかけます。

「マリア様の小像はどこ」

金の星をちりばめたガウンに伏し目がちにイエスを両手で抱える聖母マリア。幼子イエスは両手を広げ、まるで信徒たちを迎えているようでした。

そして彼らはマリア様に向かい手を合わせるのです。

300年の暗闇から潜伏キリシタンが姿を現した奇跡の瞬間でした。

感動したプチジャンは彼らの言葉をそのままパリへの手紙に記しています。

「サンタマリア。御ん像はどこ」

迫害の中、密かに信仰を守り続けた人々の発見。それは世界宗教史上例がない事件でした。

その知らせを聞いた教皇ピウス9世は感激のあまり東洋の奇跡と呼び世界中にその驚きを発信します。

大浦天主堂というひとつの建造物が潜伏キリシタンの心を動かし奇跡を呼んだのです。

しかしその2年度大浦天主堂は思わぬ姿となっていました。

台風で両サイドにあった頭は崩れ落ち内部も荒れ果てていたのです。一体何が起こったのか。

奇跡の場所を守れ

明治政府が諸外国の圧力からついにキリスト教を解禁したのは1873年

明治6年のこと。潜伏キリシタン達は次々と現れ、信徒が急激に増えます。

そしてプチジャン神父は荒れ果てていた天主堂の改築に乗り出します。

その時プチジャンは日本ではまだ珍しかったある建築素材を導入するのです。

改築の規模は創建時のおよそ2倍しかも見かけだけにこだわった創建当初と違いレンガ組みで頑丈な天主堂を作り上げました。

変貌を遂げた大浦天主堂。しかしプチジャン神父は大切なものを残していたのです。

それが分かったのは2007年のこと。この年、パリ外国宣教教会本部古文書局の保管庫から林一馬さんが創建当初の設計図を発見。改築後の天主堂と改めて比較してみると柱の位置が一致したのです。

つまり大祭壇のある中央部とマリア像の祭壇が創建当初のままということがわかりました。

プチジャンはあの奇跡の起こった空間をそのまま残し、周囲を広げ、強固なレンガで大切に守るかのように被っていたのです。

「ここで信徒発見の物語が起こるわけですけども、大浦天主堂キリシタンの潜伏期が終わりを告げたとすることがまさにこの場所で起こった。それがそのまま現存してる。これが大事なことじゃないかと思います」

レンガ造りで生まれ変わった大浦天主堂は明治のままの姿を今に止めています。

建物の入り口では信徒発見を記念してフランスから送られたマリア像が訪れる人を迎えてくれます。

この荘厳な建物がなければ日本のキリシタンの歴史は違うものになっていたでしょう。中には今もあの奇跡の時と同じパライソの光が降り注いでいます。

国宝にして世界遺産大浦天主堂。歴史を変えた聖なる建物。
 

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プティジャン神父 Bernard-Thadée Petitjean*1

 

 

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*1:パリ外国宣教会宣教師、フランス オータン神学校卒業、1853年叙階 1860年日本入国に先立って先ず那覇に到着。日本語と日本文化を習得。1862年横浜に上陸、1863年長崎に赴任。大浦の外国人居住区のフランス人居住民の司牧が公の任務、大浦天主堂の建設を前任のフューレ神父から引き継ぎ、1865年に大浦天主堂が完成すると間もなく1865年3月17日ちょうど四旬節の時期に10数名の隠れキリシタンがいまだに祖先から受け継いだキリスト教の信仰を持ち続けていることを発見。それ以後、続々と隠れた信徒が来て秘密裏にミサに与かりその他の指導を受けた。