チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

アートシーン・没後80年 青柳喜兵衛とその時代

f:id:tanazashi:20181016223431p:plain

 

没後80年 青柳喜兵衛とその時代

北九州市立美術館で青柳喜兵衛の展覧会が開かれています。

f:id:tanazashi:20181016223458p:plain

大正末期から昭和初期にかけて活躍した青柳が描いた我が子の姿。

f:id:tanazashi:20181016223531p:plain

3歳で亡くなった次男が張り子の虎にまたがって駆け抜けていきます。

f:id:tanazashi:20181016223559p:plain

その子が亡くなった時に描かれた作品。紙風船など子供と過ごした記憶の数々が描かれています。一方、詩人としての顔も持っていた青柳。

f:id:tanazashi:20181016223639p:plain

地元九州の文士たちとの交流から生まれた軽妙洒脱な作品も多くあります。

f:id:tanazashi:20181016223711p:plain

展覧会は来月11日まで

f:id:tanazashi:20181016223732p:plain

 

青柳喜兵衛(1904-38)は博多に生まれ、大正末期から昭和初期にかけて活躍した洋画家です。帝展をはじめ槐樹社、旺玄社で作品を発表し、その画風は牧野虎雄、吉村芳松ら官展系作家の影響が見られますが、一方で、玉葱や蓮根などの野菜や郷土玩具などをモチーフにした作品には、軽妙酒脱ともいうべき青柳の個性が早くから表れています。第1回新文展で無鑑査となるなど、若くして高い評価を受けましたが、1938年、34歳で早世しました。
洋画のほか、夢野久作新聞小説『犬神博士』挿絵をはじめ、火野葦平、劉寒吉、原田種夫ら九州の文士たちとの交流から生まれた多くの装丁・挿絵は、青柳の画業の大きな一角を占めています。
代表作《天翔ける神々》(1937年、北九州市立美術館蔵)をはじめ、挿絵なども含む、青柳の多彩な画業の全容が明らかとなるのは本展が初となります。青柳と、彼と交流した作家たちの作品をあわせた約200点から、戦前の九州で芸術、文学を横断して花開いた文化の一端をご紹介します。

kmma.jp

 

会場:北九州市立美術館

会期:2018年9月15日~11月11日

映画、ドラマ、アニメの動画視聴ならU-NEXT<ユーネクスト>。映画やドラマ、アニメの名作はもちろん、最新作も超充実なコンテンツ数が特徴です。その数120000本以上。まずは31日間の無料トライアルを是非お試しください。