チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

日曜美術館「“聖顔”に込めた魂の救済 ジョルジュ・ルオー」

f:id:tanazashi:20181021122746p:plain



 

日曜美術館「“聖顔”に込めた魂の救済 ジョルジュ・ルオー

キリストの顔「聖顔」を生涯60点以上も描いた20世紀を代表する宗教画家ジョルジュ・ルオー。多くの人をひきつける、ルオーの絵の信仰的側面にスポットを当てる。

「聖顔」以外にも「道化師」、戦争の悲惨さを描いた銅版画「ミセレーレ」、イエスが佇む風景画などさまざまな題材で宗教画に取り組んだルオー。多くの悲しい出来事や挫折を経験したが、それを乗り越え生涯にわたって宗教画を書き続ける原動力となったのは、魂の救済を求め、キリストへの信仰心を持ち続けたことがあった。展覧会が開かれている東京汐留の美術館から、秘蔵映像を交え、ルオーの知られざる人生と作品の魅力を伝える。

【ゲスト】銅版画家…山本容子,汐留ミュージアム学芸員…萩原敦子,【司会】小野正嗣,高橋美鈴

 

放送日

2017年10月28日

内容

f:id:tanazashi:20181103172311p:plain

イエス・キリストの顔を正面から描いた絵。

f:id:tanazashi:20181103172324p:plain

見るものの目を惹きつける離しません。

f:id:tanazashi:20181103172339p:plain

聖なる顔・聖顔と題された絵が今、東京の美術館に並んでいます。

f:id:tanazashi:20181103172423p:plain

 

画家の名はジョルジュ・ルオー

f:id:tanazashi:20181103172711p:plain

20世紀最大の宗教画家と呼ばれています。

f:id:tanazashi:20181103172749p:plain

ルオーは生涯にわたって聖顔を描き続けその数は実に60点以上にものぼります。

なぜ同じテーマの絵を描いたのでしょうか。

f:id:tanazashi:20181103172908p:plain

その手がかりの一端がルオーが持っていた資料の中にありました。

f:id:tanazashi:20181103173142p:plain

キリストの姿が写されたかのような布の写真。

これに大きな衝撃を受けたと考えられています。

f:id:tanazashi:20181103173223p:plain

「かなりのショックを受けたと思います。彼の中で試行錯誤があったと考えられます」

f:id:tanazashi:20181103173347p:plain

ルオーは聖顔以外にも様々な手法で宗教画を描いています。

戦争の悲惨さと、キリストを十字架にかけた人間の愚かさを描いた銅板画。

f:id:tanazashi:20181103173433p:plain

多彩な色使いで描いた人々と触れ合うキリストの姿。

f:id:tanazashi:20181103173520p:plain

穏やかな日常の中に、ある種の理想の社会を思い描いたとされます。晩年には画面が盛り上がるほど絵の具を幾重にも塗り重ねました。

f:id:tanazashi:20181103173612p:plain

何故ルオーは様々な手法で聖なる絵画に挑み続けたのでしょうか。

f:id:tanazashi:20181103173649p:plain

「これでもこれでも試行錯誤毎日毎日何年も続けていくこと。これはほとんど祈り」

絵画を通じて魂の救済を求めたルオー。その生涯に迫ります。

f:id:tanazashi:20181103173756p:plain

 

十字架に描かれたキリストの顔

f:id:tanazashi:20181103174511p:plain

カトリック協会を統括するバチカン市国

ここで2年前ルオーにまつわるある出来事がありました。

ローマ法王フランシスコが8万人以上の若者に祝福を与えたミサ。

f:id:tanazashi:20181103174609p:plain

そこで信徒たちに配られた十字架のペンダント。

今回展覧会ではその時の十字架が展示されています。

十字架にデザインされていたイエスキリストの顔。

f:id:tanazashi:20181103174702p:plain

それはルオーが描いたものでした。

f:id:tanazashi:20181103174742p:plain

21世紀の今、なぜバチカンは信仰の象徴である十字架にルオーの絵を用いたのでしょうか。

法王・フランシスコが述べた内容です。

「中世以来キリスト教をモチーフにした美術が求心力を弱める中。ルオーの絵にはそのメッセージに強い力がある」

その絵を描いたルオーとは一体どんな人物だったのでしょうか。

f:id:tanazashi:20181103180330p:plain

ルオーが生まれたのは1871年

パリで家具職人をしていた敬虔なカトリック教徒の家で育ちました。

やがてルオーは絵に関わる仕事がしたいとステンドグラスの職人を目指します。

f:id:tanazashi:20181103180437p:plain

光によって鮮やかに浮かび上がる色彩に強く魅せられたのです。

f:id:tanazashi:20181103180545p:plainステンドグラスや聖画像・イコンと呼ばれる絵画は民衆に聖書の教えを伝えるための重要な手段でした。

f:id:tanazashi:20181103180620p:plain

中世の時代こうした聖書の逸話をモチーフにした宗教画が盛んに描かれます。

ルネサンス以降にもレオナルドダヴィンチ、ミケランジェロといった名だたる画家たちが宗教画に取り組みました。

 

f:id:tanazashi:20181103180718p:plain

ルオーもそうした画家になることを目指して19歳の時美術学校に入学します。

その美術学校は今もパリに残っています。ここでルオーは運命的な出会いをします。

f:id:tanazashi:20181103181005p:plain

油絵の教授としてやってきた画家ギュスターヴ・モローとの出会いです。

f:id:tanazashi:20181103181039p:plain

ギリシャ神話や聖書を題材に幻想的な作品を描いたことで広く知られていたモロー。

f:id:tanazashi:20181103181116p:plain

19世紀末画家や文学者に大きな影響を与える存在でもありました。

f:id:tanazashi:20181103181146p:plain

ルオーはモローの作品に感銘を受け、彼に教わりながらへの技術を磨いていきます。

f:id:tanazashi:20181103181219p:plain

こちらはルオーの美術学校時代の作品。

f:id:tanazashi:20181103191255p:plain

死せるキリストとその死を悼む聖女たち。イエス・キリストの周りを女性が囲み、そこに視線を集める大胆な構図が取られています。

宗教的題材を象徴的に描く師・モローの影響が強く現れた作品です。   今回来日したルオーの孫、ジャン・イブ・ルオーさん。

ルオーの作品を管理する財団の理事長をしています。モローとルオーの関係を家族から聞いていたと言います。

f:id:tanazashi:20181103191442p:plain

「モローはルオーを自分の息子のように思い高く評価していました。ルオーの手紙の中で「あなたの芸術は素朴ながら力があり宗教的だ」と書いています」

モローから自分の後継者として期待されていたルオー。

しかし悲しい運命に直面します。

師・モローが病気で亡くなったのです。ルオー27歳の時でした。

ルオーはショックのあまり美術学校を辞め、さらには絵も描けなくなってしまいます。

「ルオー自身もモローを父親のように考えていた。モローが死んだ時にルオーは肘用に強いショックを受け心身ともに影響が及ぶ危機を迎えた」

ルオーが絵をかけなくなったのにはもう一つ大きな理由があるといいます。

19世紀末のヨーロッパでは産業の発達とともに人々は娯楽や快楽に価値を見出すようになっていました。

また政治や教育の場から宗教が切り離され、それとともに宗教心が薄れていきました。

美術の場でも印象派という新しい流派が台頭。

市民社会の情景を色彩の視覚効果を中心に描写しました。

宗教画は以前のようには求められなくなっていったのです。

f:id:tanazashi:20181103192001p:plain

ルオーの研究を続ける美術史家の後藤新治さんです。宗教画を描けなくなった理由を分析しています。「はたして自分は宗教的な話題を描き続けていっていいんだろうかという、美術学校でそれなりの評価を得ていたんですけどおそらくルオーの中ではそれだけでは満足できない本当に自分が生きてる19世紀末あるいは20世紀初めの人々の生活の中で、この宗教画いったいどういう意味持ってんのか、ということを考えた時、二重の意味でモローを失ったということとやっぱり今まで自分がある意味モローのオーラを浴びながら描いてきた画題を果たしてそれが自分から自発的に出たものとして描けていけるのかどうかというところで、おそらく描けなくなったんじゃないかという気がします」

そしてルオーは三十歳の時、フランス西部の修道院へ通い救いを求めます。

自分にとって信仰とは何か。キリストとは何か。ルオーは悩み続けました。

f:id:tanazashi:20181103192153p:plain

そんな時、またしてもルオーに運命的な出会いが訪れます。作家のジョリス・カルル・ユイスマンスです。ユイスマンスは荒廃した人々の信仰心を芸術の力によって蘇らせる運動を提唱していました。修道院に通う生活の中でルオーはその理想に励まされます。そして再び絵を描き始めるのです。

修道院に籠もって、ちょうどその時ユイスマンスがそこにいました。芸術的な感動というものが実は宗教的な感情の源泉であったと言ってんですね。だから何よりも芸術的な美って言うかそれこそが実は宗教の根幹にないといけないということ言ってた」

f:id:tanazashi:20181103192327p:plain

芸術を通じて信仰を追い求める。そのためにルオーが描いた題材はなぜかサーカスのピエロ。道化師でした。

f:id:tanazashi:20181103192424p:plain

当時娯楽の一つとして人気を集めていたサーカス。

しかし、移動を続けながらの生活は過酷で、社会的地位も決して高くありませんでした。

f:id:tanazashi:20181103192512p:plain

ルオー自身は彼らをどう見ていたのか。ルオーは友人に宛てた手紙の中にこう書いています。

f:id:tanazashi:20181103192555p:plain

「道化師は私。われわれ。ほとんどわれわれ皆だ。ということがはっきりわかりました」

ルオーは道化師たちを、生きることの悩みや苦しみを抱える自分と同じ存在として捉えたのです。

しかしそのことと信仰はどう関係があるのか。

f:id:tanazashi:20181103192857p:plain

カトリック教徒でもある作家の遠藤周作は、生前出演した日曜美術館の中でルオーにとっての道化師についてこう語っています。

 

f:id:tanazashi:20181103192945p:plain

「道化師は二重の意味があると思います。道化師というのは人からバカにされたり笑われたりする。同時に笑わせることで幸せにしてあげるものですね。ですから道化師はキリストのイメージに変わっていくわけです。我々も道化だけどキリストも道化になったという二つの意味が重なってルオーの心をずいぶん引いたのだろうと私は思います」

f:id:tanazashi:20181103193046p:plain

悩み深き存在の道化師に、ルオーははキリストの姿を重ね合わせていたのではないか。

f:id:tanazashi:20181103193223p:plain

ルオーは道化師を描くことでキリストを描いたというのです。

そして1914年。ルオーの作品に大きな影響を与える出来事が起こります。第一次世界対戦です。

2年前に父親を亡くしたルオーはドイツ軍に侵攻される北部フランスの惨劇を目の当たりにするに及び、新たな作品の制作を思いたちます。その作品も今回展示されています。

f:id:tanazashi:20181103193341p:plain

モノクロの銅版画の連作、ミセレーレです。

f:id:tanazashi:20181103194411p:plain

「神よ我を憐れみたまえ」というラテン語、ミセレーレ。そのタイトルが付けられた連作、最初の作品です。

f:id:tanazashi:20181103194454p:plain

人々に辱められうつむくキリストの姿は、人間や戦争の愚かさを告発するとともにそこからの救済をも暗示しています。

f:id:tanazashi:20181103194544p:plain

「廃墟すら滅びたり」という作品です。

f:id:tanazashi:20181103194612p:plain

兵士の骸骨の上にキリストの顔が現れ鎮魂の祈りとなっています。

f:id:tanazashi:20181103194641p:plain

ミセレーレの連作の中で、組になっている作品があります。

f:id:tanazashi:20181103194735p:plain

作品のタイトルは「生きるとは辛い業」

f:id:tanazashi:20181103194805p:plain

そして「でも愛することができたならなんと楽しいことだろう」

f:id:tanazashi:20181103194839p:plain

人生の苦悩は愛によって救われるということを意味しています。

f:id:tanazashi:20181103195045p:plain

ミセレーレには様々な苦難の中で神への愛と信仰心を持ち続けたルオーの思いが強いメッセージと共に表現されています。

f:id:tanazashi:20181103195003p:plain

描くべきものはなにか

f:id:tanazashi:20181103195215p:plain

ゲストはカトリック教徒で銅版画家の山本陽子さん。今回の展覧会を企画された学芸員の萩原敦子さん。

山本「彫り方が、線で彫っているのに筆で書いているような太い線です。気が遠くなるくらいの技法が入っていて、本物を見ないとわからないけど、ここに着て本物を見ると謎解きができて楽しい。

f:id:tanazashi:20181103195321p:plain

銅板というのは彫ってくぼんだところにインクが入るから、黒いところは皆くぼんでいるんです。で、くぼませ方が大事で、ただ引っ掻いただけだったら引っ掻いた線が現れる。しかしこんな面のような太い線ですか、これは墨で描いただけでは無理なんです。墨で書いたように彫らなくてはならない。線を彫るのには酸を使って腐食するのですが、腐食させるためには描いたところを取らなくてはならない。よく見ると点々と粉がいっぱいかかっているのですが、

f:id:tanazashi:20181103195454p:plain

粉を吹きかけてそれを銅の上に定着させて、点々の塊にして腐食させる」

ルオーがミセレーレを版画にこだわった、黒にこだわった理由とは

山本「頭の部分にパーっと光があたっているように見えますよね。この闇と光をわかりやすく描きたかったと思うのです」

f:id:tanazashi:20181103195604p:plain

辛い人生を愛によって救う、救済のテーマとは

f:id:tanazashi:20181103195645p:plain

荻原「初期の時代にはルオーはかなり社会の矛盾でありますとか、人類の負った罪であるとかに注目して。とても重く暗いテーマで描くことも多かったんですが、このミセレーレの中には、こちらのようなちょっと辛い画題もございますが、必ず光または希望をテーマにする作品も入っている」

なぜ道化師を題材に選んだのか。

山本「モローに師事していたときは歴史画とか、宗教画のようなテーマの高いものだった。ところが先生が亡くなった跡に私ってなにを描いていいのかわからないと自分を問うんです。で、その時社会を見るんですね。その関係が社会と私になるわけで、社会の中になにがあるかと言うとライバルたちがたくさんいるわけです。その時にサーカスが凄い流行ってたんです。19世紀末から町の人たちはもう大好きでした。ルオーは社会の底辺で笑いを売る人の存在に気づいたのです。施しではなく、可愛そうなやつがいるお金を差し上げるというものじゃない」

だからあなたも私もみんな道化だということがわかるというわけですね。

最大のテーマ聖顔に挑む

今回の展覧会の大きな見どころの一つ。聖顔です。

f:id:tanazashi:20181103200011p:plain国内外から10点もの作品が集められました。どれも正面からキリストの顔を描く構図で、圧倒的な存在感があります。

聖顔はキリストにまつわるある逸話がもとになっています。

f:id:tanazashi:20181103200325p:plain

ルオーの作品ベロニカ。

十字架を背負わされ丘を登るキリストの姿を哀れに思い額の汗を拭ったとされる女性です。

f:id:tanazashi:20181103200413p:plain

逸話では彼女が吹いたその布にキリストの顔が浮かび上がったと言われています。

f:id:tanazashi:20181103200451p:plain

ルオーは生涯にわたってこの聖顔のモチーフを描き続け、その数60点以上にものぼります。

f:id:tanazashi:20181103200528p:plain

代表的傑作とされる一枚。背景を省略し線と色彩によってより鮮明に聖顔を浮かび上がらせています。

f:id:tanazashi:20181103200615p:plain

さらに画面いっぱいに大きく絵の具をしっかり塗り込んだこちらはゆるぎない存在感を放っています。

なぜルオーはキリストの正面からの顔を何枚も描いたのでしょうか。

f:id:tanazashi:20181103200731p:plain

ルオーが持っていた資料の中にその手がかりの一端がありました。

f:id:tanazashi:20181103200801p:plain

それはトリノの聖骸布という不思議な布に関する書籍です。

その中にあるのはイエスキリストの遺体を包んでいたとされる布にキリストの姿が浮かび上がったかのような写真です。

20世紀になって発表されたこの写真は大きなセンセーションを巻き起こし、真贋論争にまで発展しました。

f:id:tanazashi:20181103200946p:plain

その写真はルオーに大きな衝撃を与え、キリストのイメージが具体的な姿として迫ってきたと考えられます。

f:id:tanazashi:20181103192001p:plain
「この時におそらく見たであろうというのは聖骸布の実際のキリストの顔といわれているイコンですね。それを見てかなりショックを受けたと思います。発見から、彼が聖骸布、あるいは聖顔の作品を作るまでかなりのスパンがあるわけで、これが彼の中で発酵。これが画題として成立しうるかどうか試行錯誤がその間に会ったと考えられる」

友人にあてた手紙の中でルオーはキリスト像についてこう書いています。

f:id:tanazashi:20181103201129p:plain

「芸術にあっては、あなたが信じられぬような、軌跡があります。宗教心が突如として開花することがあるとこの私は信じます」

f:id:tanazashi:20181103201223p:plain

信仰とは何か。キリストとは何か。その問いの答えを聖顔を通じて探し続けたのではないか。それがルオーが同じテーマで描き続けた理由だったのかもしれません。「あなたはどういう絵を描くのと言うと生涯描き続けた聖顔になる、あれはまさにこれが答えだこれ 俺の絵画です。そういう意味で非常に強いメッセージなのかもしれない」

 

f:id:tanazashi:20181103201312p:plain

山本「この絵のサイズは人の顔のサイズと同じです。等身サイズ。神は人を作ったのに、その神様は人と同じでここにいる。まさしくそれを物語ではなくて、ここで教えてもらえる。説明する必要はない。物語は感じる」

言葉を超えているものの力強さや尊さ、力強さに打たれます。

荻原「ルオーは画家でしたのでことばや哲学者のような思索とは違う形で示さざるを得なかった」

山本「これを富士山と例えると富士山を繰り返し描く富士山信仰が生まれてくるもの。信仰というものは同じものを繰り返し描いているうちに生まれてくるものという感じがする」

作ることそのものが祈りという行為

荻原「ルオーにとってキリストがなぜ人間の姿をして現れ、人間のために罪を贖う存在として存在していたのかというとことは、常に彼の研究というか、追求の対象だったとそれを画家としてのルオーとしては研究し満たすためにもそのカンバス、作品に向かってキリストと会話をしていたことがあるではないかなと思います」 

晩年のルオー

ルオーは60代以降、その作風が大きく変化していきました。 

f:id:tanazashi:20181103204742p:plain

特に色彩。銅版画の連作・ミセレーレと違い、明るく鮮やかな色を多く使うようになります。

f:id:tanazashi:20181103204814p:plain

キリストと人々とのふれあいを描いたこの作品。

鮮やかな色彩が聖なるものの存在を身近に感じさせます。

f:id:tanazashi:20181103204853p:plain

そして聖書の風景と称される宗教的な風景画も多く描くようになります。

f:id:tanazashi:20181103204933p:plain

幼少期を過ごしたナザレの街に現れたキリスト。

f:id:tanazashi:20181103205226p:plain

そのまばゆい存在が生み出す平和な時間。

f:id:tanazashi:20181103205257p:plain

温かな夕暮れのひととき。

やがて闇へと変わる1日の終わり。

そこにもキリストが佇みます。

f:id:tanazashi:20181103205343p:plain

ルオーは信仰による神の愛や安らぎを感じさせる理想の世界をこうした風景の中に見ていたのかもしれません。

f:id:tanazashi:20181103205414p:plain

さらにルオーは晩年になって色を何層にも塗り重ねるようになります。

その技法にもルオーの狙いがありました。

それがわかる最晩年の傑作があります。

f:id:tanazashi:20181103205504p:plain

「サラ」旧約聖書に出てくる預言者アブラハムの妻の名です。

f:id:tanazashi:20181103205540p:plain

この作品では様々な色の絵の具が幾重にも塗り重ねられ、画面が盛り上がっています。

f:id:tanazashi:20181103205626p:plain

さらに一旦塗った絵の具を削っていたことも分かっています。

f:id:tanazashi:20181103205703p:plain

削られた青の絵の具の下からオレンジの下地が現れています。

f:id:tanazashi:20181103205749p:plain

絵の向こう側からあたかも光が差してくるようです。

ルオーが若い頃ステンドグラスの職人を目指していたことと関係しているのではと考えられています。

「ルオーが初期にやってたステンドグラスの光にどこか通じている。彼方の光がガラスをつうじて入ってくる。その光のプロセスを何とか普通の絵画で表現できないだろうかと彼は考えておそらくその追求の県境の最後に発見したのがスクレーパーで表面を削っていくという。描いては削って、これでもないこれでもないこれでもないと思う試行錯誤毎日毎日それこそ何年も続けて単純な事やってたこれほとんど祈り」
自分が信じる祈りの世界をどう表現するか。ルオーは最後まで絵を通じて神と対話し続けました。

山本「触覚をすごく大事にされてたんだ。触覚が見えてる。深彫りがいろんな影を産んでて、その動く影とともに私たち見てるから凄く微妙な生気みたいなものを感じられる」

荻原「絵肌と言われたりしますけれども。素材感を支障のモローから受け継いできた画家ですので、絵の具という物質がもつの喚起力、表現力というものを本当に信じていた画家でもありました。晩年になると黄色であるとか、オレンジとかエメラルドグリーンのような色彩を多用するんですけれども、色の輝きを持つといますか、輝度が高いような色になって、光を放っているような色味ですのでルオーが晩年になっても本当に輝くような作品を作ったそれを支えていたのも色彩の力ってのがあったと思います」

荻原「ルオーは聖なる芸術とはどういうものかを自らの言葉で語っているんですけれども、信じる者の芸術である。信仰を持つ者の芸術である。教会に行って祈るから生まれてくるとはまた別のものと考えていたと思います。まるで中世の教会を建てた旨の職人のような形で無償の行為として描き続けることができればそれは全て聖なる芸術なのではないかという風な言葉を残しております。ルオーはあまりアトリエには人をこう入れなかったっていう風に言われてまして、対象と向き合うことで思いを実践していた」

f:id:tanazashi:20181103205903p:plain

1953年。82歳になったルオーはローマ法王から勲章を贈られました。

f:id:tanazashi:20181103205941p:plain

受難のキリストをモチーフにした長年の創作活動が認められたのです。

f:id:tanazashi:20181103210021p:plain

86歳で生涯を終えたルオー。

娘のイザベルはその後バチカンにに父の作品を寄贈しました。

f:id:tanazashi:20181103210105p:plain

それらの一部が今回日本で展示されています。

絵を通じて神との対話を続けたルオーの作品は死後もその輝きを放っています。

 

放送記録

av98ingram.wpblog.jp

av98ingram.wpblog.jp


 

書籍

展覧会