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響くアートの愛好家

美の巨人たち 小林古径「清姫」

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世界遺産熊野古道に古くから伝わる逸話「安珍清姫伝説」。

偶然出会った僧・安珍に一目惚れし、身を焦がすほどの恋に生きた女、清姫の物語。

今回の作品『清姫』は、この悲しくも儚い伝説を8枚に渡って描いた日本画の傑作です。

作者は日本画の巨人・小林古径*1

彼は『清姫』を空想を駆使して描き切り、更に究極の技を詰め込んだのです。

それは一体?さらに最後に描いた驚くべきものとは!?

作品に秘めた画家の思いに迫ります。

美の巨人たち 小林古径清姫

放送:2018年10月27日

プロローグ

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満開の桜です。絢爛と咲いた後の桜の樹の下には激しくも切ない物語が。

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こんな絵になりました。

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一本の線が生まれます。一本の線を頼りにたどりつこうと。

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その画家には極限の線を突き詰めなければ描けない世界があったからです。

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舞台となったのは紀伊半島の南部に残る熊野古道。祈りの道です。本日は、この伝説を描いたとても美しくとても悲しい絵を御覧いただきましょう。

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東京・広尾にある山種美術館に。

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今日の作品。小林古径作「清姫」。

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8つの場面で描かれた絵物語です。

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物語の始まりは奥州から熊野詣に旅立った二人の僧の姿です。

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後ろの若者は安珍という名の絶世の美男子。

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何もない背景と輪郭線のみで描かれたシンプルな描写に嵐の予感。ふたりは熊野の近くで一晩の宿を借りました。

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こちらが二枚目となる寝所の場面。ここから物語が動き出します。

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美しい寝姿の安珍を屏風の影から見つめているのが宿の娘清姫です。淡い桃色の着物の鮮やかさ。ためらいがちにそっと伸びた指先。安珍に一目惚れした清姫は夜這いを掛けて迫ります。

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ところが熊野への祈願を理由に安珍に断られてしまうのです。二人は再会を約束して別れますが物語はあっと驚く衝撃的な展開を見せることになります。それは後ほど。

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作者は小林古径。厳格でありながら気品に満ちた作品を描き続けた日本画の巨人です。

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「考え抜かれた無駄のないように完結な画面になっている。古径芸術の中でも特に品格の高い作品に仕上がっていると思います」

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「古典を勉強した体験をもとにでもそれをそのままじゃなくてモダンでポップと言ってもいいかもしれないような表現を目指して頑張った人ですよね」華麗な色彩と躍動する構図。古径はこの絵に極限の技法を駆使していたのです。

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思わず息を呑むほどの緊張感みなぎるこの一本の線に託して。

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「一見サッと流れるように描いているように見えるんですけど」ゆっくり丁寧。絹糸のように描いています。さらに線だけでなくこの黒い影には伝統の技が。果たしてこれは・・・。

 

安珍清姫伝説

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熊野は神仏が宿る山々として信仰されてきた聖地です。古くから伝わる逸話があります。安珍清姫伝説。激しく狂おしいまでの恋に生きた女、清姫の物語。小林古径はその伝説を8枚の連作に仕立て上げました。

意外に知られていないと思うんですが清姫って実在したらしいんですよ。

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清姫は現在の和歌山県中辺路町真砂辺りに暮らしていました。

色々と清姫にまつわるものが残っているんです。

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こちらが屋敷跡。郷土史家の庄司さんです。

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「この周辺には言い伝えがあります。真砂庄司藤原左衛門尉清成ていう人がお父さん。それからずっと32代まであった。だから僕らはまあ現実にいた人物であると」

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清姫のお墓。石碑にはこんな文言が刻まれています。

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「煩悩の炎も消えて今ここに眠りまします清姫の魂」

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小林古径清姫。3枚目の熊野は人里離れた幽玄なる場面です。

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遥か遠い群青の山々ともやがかかった墨色の木立を背景に柿ぶきの屋根と朱塗りのやしろが佇んでいます。

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その深く染み入るような青の情景から浮かび上がるのは画家の力量と品格。

 

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小林古径明治16年新潟の上越市に生まれています。

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幼い頃から絵が得意だった古径は16歳で東京に出て、

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画家梶田半古の画塾に学びました。

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明治の終わりから昭和の初期にかけて日本画は黄金期とも言える時代を迎えていました。

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古径の先輩には東に横山大観

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西に竹内栖鳳という二人の巨人。

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同世代には前田青邨安田靫彦

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古径とともに院展三羽烏と呼ばれました。  

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少し下には速水御舟村上華岳

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互いに研鑽し高めあっていたのです。当時の日本画には使命がありました。日本古来の古典を受け継ぐことと、西洋の絵画を知り、モダニズムを取り入れることです。

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日本画、洋画っていう二項対立みたいな図式があって日本画を書く人達ってのは常に危機感持ってたと思うんですよね。

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例えば速水御舟なんかは日本画でもここまでリアルな表現ができるんだっていうことに挑戦したりましてますね。

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古径の場合はねそのもリアルに書くっていう方向性に入ってるわけじゃない。むしろですねモダンでポップな日本画っていうのを作り出せないかそういうことを考えた人だと思いますよね」

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代表作「髪」。伝統的な構図の中に肉感的な近代造形の女性。古典とモダニズムの両立。古径の目指した日本画でした。

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では清姫に戻りましょう。奥深い紀州の自然に囲まれた熊野三山の大社は安珍の旅の目的地でした。清姫の村からおよそ70 km 熊野速玉大社は熊野詣でに欠かせない大社の一つ。

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ここで宿願を果たした安珍ですが、清姫の元に戻らなかったのです。最初から逃げるつもりだったのでしょうか。その頃清姫が一向に訪れない安珍を心配し、案じていました。

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しかしこの峠から遠くへに逃げる安珍を発見した時、強い怒りがこみ上げてきたんです。

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その凄まじいまでの怒りは本当に恐ろしく、この大木に・・枝が清姫の怒りでこんなにネジ曲がったらしい。

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安珍は何処へ。

 

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4枚目の場面では追いかける清姫が野山を越えて矢のように飛んでいます。

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着物がはだけ、草履も履いていません。風に吹かれる黒髪の衝撃。「大和絵の伝統を引いている。女性の描き方なんだけれどもでも風になびいてる髪なんて言うのはありえないですよね。古い絵巻なんかではね。その着想が面白いですよね」

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5枚目の川岸では川のほとりを懸命に逃げる安珍の姿が描かれています。

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あたりの木々と葉は安珍の怯えを示すようにザワザワと揺さぶられています。

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画面の左下には一艘の渡し舟。

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日高川紀伊山地から太平洋へ流れる全長127 km の河川です。安珍清姫二人の物語はこの川を隔てることで決定的な悲劇へと向かっていくのです。追いかける女。逃げる男。

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6枚目日高川の場面。清姫は川のほとりでぐいと右手を伸ばしています。渡し船はどこにもありません。目の前には不気味な黒い影影の川面もが横たわっています。

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この画面に描かれた線こそ古径の不断の努力と、確信の思いが生んだ奇跡の線なのです。 絹糸のように繊細に。絹糸のようにしなやかに。少しずつ少しずつゆっくり。果たしてこの線とは一体何か・・・・。

 

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小林古径は寡黙な画家です。静かに描き続けた人でした。絵画に取り組む姿勢は澄んだ独楽のようだと言われました。音もなく全く動いていないように見えて激しく回転することで、まっすぐに立っているのです。

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伝統を模倣するだけではなく。

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奇を衒うわけでもなく。

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伝統を超えた先にある新しい日本画を求めて。そしてこのしなやかな線にどうやってたどり着いたのでしょうか。

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大正11年のことです。古径は前田青邨とともに留学生として渡欧しました。フランスやイタリアをめぐり、世界の美術を肌で感じとったのです。二人にはロンドンで大きな使命がありました。大英博物館に乗り込み、籠もることです。中国古典絵画の最高峰「女史箴図巻」を模写したのです。ある手法を習得するために。その作業は一日十時間。一か月に及びました。

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こちらが小林古径の描いた女史箴図巻の模写。針のように細い均一の線であらゆるものを描写しています。

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高古遊絲描(こうこゆうしびょう)という技法です。まさに遊ぶ糸のような線で描いたのが日高川の場面。

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では高古遊絲描とはどのように描くのか。

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日本画家・並木秀俊さんに見せていただきます。

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使うのは細い面相筆。

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筆先のみをそっと紙に置き、少しずつ少しずつ線を引いていきます。細く均一でありながら生命感のある線が生まれていきます。肘をがっちり固定し、手首のみでただ線を引く。

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これが高古遊絲描。

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その難しさと魅力について並木さんは「一見ですね、さっと流れるように描いているように見えるんですけど、実はものすごくゆっくり丁寧に描いている。

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どこまでも緊張感のある穏やかな線に見える。裏腹なんですけども、そこに古径の線の魅力がある」

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4枚目の清姫と6枚目の日高川に描かれた塩姫の髪の毛を比較してみましょう。

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4枚目のまっすぐな髪に比べ、6枚目の紙はほつれ、乱れています。確かな技術が生み出すわずかな違いで心の変化が表現されているのです。線だけではありません。古径はこの絵に伝統的な手法を施しました。

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川面には清姫の絶望した心を映すように不気味な黒い影が横たわっています。ぼかしと呼ばれる技法です。再び並木さんに再現していただきましょう。

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まずは紙の裏面全体に水を引き、湿らせます。

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さらに。おもて面のぼかしを入れる部分にも。

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ここから束にした連筆を使います。

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湿らせた部分に墨を乗せていくと、十分に水気を含んだ紙は墨をにじませます。

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乾かないうちに刷毛で薄く伸ばして行くのです。迅速で迷いの無い筆運びが要求される技です。

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日本画伝統の技法ぼかし。古径のぼかしの使い方について並木さんは「場所の情景については、この位置にぼかしをもってくることによって、清姫の感情がこの絵の中に反映されているのではないかと思います」通常、ぼかしは大気や空間の表現に使われますが、心情を表すのに使ったのが古径の革新性なのです。

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和歌山県日高郡にある道成寺安珍清姫伝説のクライマックスの舞台。

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逃げる安珍はこの寺に匿われます。恋の狂気に取り憑かれた清姫は。

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7枚目の鐘巻。怒りにくれた清姫が大蛇となって道成寺の鐘に巻きついています。

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中に隠れていた安珍はその炎で焼き殺されてしまうのです。

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ぼかしで描かれた黒い闇は清姫の抑えきれない怒りと悲しみ。

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その後清姫は入水し命を絶ちます。これが安珍清姫。悲しき恋物語の結末。古径はこの作品について

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「私の空想を駆使して過去の絵画のどれにも範を求めたわけではありません」そして悲劇の締めくくりに古径が描いたものとは。

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今日の作品。小林古径清姫

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激しい恋に身を焦がした物語の最後に古径が描いたものは道場寺の境内に咲く満開の入相桜。安珍が非業の死を遂げた鐘のあった場所に桜が咲いています。

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「ドロドロした女性の情念って言ったものを描くんじゃなくて、8面全体を通じて清く美しいストーリーに仕上げているっていうところが古径らしいんじゃないかなって思います」悲劇は空桜舞い散る清寂の中に。それこそが画家の用意した結末でした。

一本の線に情熱を注ぎました。命運を託しました日本画の未来を信じて。その筆は炎に身を焦がすほどの悲劇を美しい物語へと塗り替えました。古典の中に忍ばせた革新によって。小林古径清姫。ポップでモダンな美しき伝説。

 

 

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「【画像】小林古径の《清姫》がそろう、山種美術館の企画展『日本画の挑戦者たち ー大観・春草・古径・御舟ー』開幕レポート」の画像8/13 | SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス

代表作と所蔵美術館

小林古径の絵画作品一覧と所蔵美術館

古径と同時代の画家たち

古径が画家として出発した明治30年代から大正初期は、日本画家が東洋と西洋、写実と装飾、伝統と革新の間[はざま]で揺れ動いた時代でした。その時代にあって古径は、安田靫彦[やすだ ゆきひこ]、今村紫紅[いまむら しこう]、速水御舟[はやみ ぎょしゅう]らとともに研究を重ね、時に西洋美術の影響も受けながら、日本画の進むべき新たな道を模索しました。院展においては、靫彦、前田青邨[まえだ せいそん]とともに「三羽烏」と称されて日本画の水準を高め、横山大観らに続く世代の中心的存在として活躍します。さらに1922(大正11)年のヨーロッパ留学、大英博物館での顧愷之[こがいし]の《女史箴図[じょししんず]》の模写体験は、古径の画業に大きな影響を与えることになりました。帰国後は中国画を基本とする東アジアの線描の美に目覚め、古典を基礎としながらも近代的な感覚をとり入れた新様式を確立し、後進画家たちに多大な影響を与えていきました。

【特別展】小林古径生誕130年記念 古径と土牛 〔過去に開催された展覧会〕 - 山種美術館

 

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*1:大正~昭和期の日本画家。 本名は茂。 1883年、新潟県高田に生まれる。早期に家族を亡くし、16歳の1899年に上京して梶田半古に日本画を学ぶ。39歳の1922年より前田青邨と共に渡欧留学。翌1923年、大英博物館で中国・東晋の名画「女史箴図巻」を模写している