チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

日曜美術館「にほん 美の地図~熊本~」

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日曜美術館「にほん 美の地図~熊本~」

日本各地のアートスポットを訪ねながら、地図を描くようにその土地に根ざす“美”を見つめ直す「にほん美の地図」。

今回は熊本の3つの美術館を司会の小野正嗣が旅する。

熊本市にある島田美術館は剣豪・宮本武蔵のゆかりの品が味わえる美術館。

晩年を熊本で過ごした武蔵の境地が伺える。

県北部の小国町にある坂本善三美術館は、地元出身の洋画家・坂本の作品が味わえる。

抽象画と故郷の知られざる関係とは?

南部のつなぎ美術館は、地元ゆかりの画家もなく、コレクションも乏しい中、無から有を生み出す驚きの取り組みで注目された。

その土地の文化・風土・自然・歴史を美という視点から見つめる。

【司会】小野正嗣,高橋美鈴

放送日

2017年11月25日

 

プロローグ

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小野正嗣さんが旅に出ました。

日本各地のアートスポットを地図を描くように訪ね、その土地の美と出会うためです。

日本美の地図の始まりです。

「美の地図とは、探し求めていた美へと迷いなく到達するためのものではない。わき道に誘われ、出会った人々に導かれるまま美しいとしか言えないものの前に立ち尽くし、偶然が必然に変わるあの奇跡的な瞬間が一人一人の心と体に残していく軌跡、それは私だけのものであり、あなたのものでもある」

小野さんが今回訪れたのは熊本県。 

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剣豪の美術館

九州の中央にする熊本県

北東部には阿蘇山がそびえ西には有明海不知火海が広がる自然豊かな土地です。

熊本城から車で10分ほど。

熊本市内にある美術館です。

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古い屋敷のたたずまいを残した島田美術館。

昭和52年個人の邸宅を改装してオープンした美術館です。

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熊本ゆかりの武具や書画、歴史資料などが展示されています。

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収蔵品のおよそ700点。

中でも見所はあの有名な剣豪にまつわる品々です。

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その剣豪とは江戸時代初期に活躍した宮本武蔵

今の兵庫県に生まれたとされ、その後全国で修行に励みます。

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剣術の勝負では6戦以上戦って生涯無敗。

また関ヶ原の戦い島原の乱など大きな合戦で活躍したと伝わっています。

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この美術館に勤める清川真潮さんです。

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「武蔵が所持していた刀です」

しかし、宮本武蔵ゆかりの美術館がなぜ熊本にあるのでしょうか。

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実は武蔵の名声を聞いた肥後藩主・細川忠利が武蔵を賓客として熊本に招いたのです。

戦いに明け暮れた人生を送ってきた武蔵は晩年のおよそ5年間をこの熊本の地で穏やかに過ごしました。

この美術館では武蔵の様々なイメージを見ることができます。

その一枚がこちら。

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体毛が逆立ちまるで鬼のような顔をした武蔵。

なんと13歳だと言います。

作者の椿椿山が武蔵の死から150年後にこの絵を描きました。

鬼のイメージは13歳で相手を殺した逸話から生まれたといいます。

かと思えば全く違ったイメージで書かれた武蔵像もあります。

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あの有名な佐々木小次郎との巌流島の闘いを描いた歌舞伎絵です。

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こちらの絵では佐々木小次郎が鬼のように。

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そして武蔵は色白の美男子に描かれています。

なぜそのような姿にかかれたのでしょうか。

それは江戸時代歌舞伎や読本の中で宮本武蔵が主人公だったためだと清川さんが言います。

「やっぱりこういう仇討物。勧善懲悪の小説であったり歌舞伎であったり、そういったものの中ではやはりヒーローは美しく色白でそして格好良くなければいけない」

さらにこの美術館では武蔵の晩年の境地に触れられます。

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武蔵が熊本の地で兵法の奥義を極めた五輪の書です。

有名な一節は「万里一空」はるかに遠くまで行っても空はひとつ。

よって目標を見失わず努力し続けよ、という意味です。

さらにもう一つ。武蔵晩年の境地を窺い知ることができる品があります。

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武蔵が描いた水墨画です。

降り立つ場所を探して今にも羽をたたむとする雁。

戦乱の時代の末に安住の地、熊本にやってきた武蔵の心情を伺わせます。

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こちらは「枯木鳴鵙図」と呼ばれる作品。茂みから真っ直ぐに伸びる一本の枯れ木。

その先端に一話の百舌鳥が羽を休める姿が描かれています。

実は武蔵は優れた画人でもありました。

江戸時代の文人画家中林竹洞が、画家たちを格付けした古今画人品評では武蔵はあの応挙や若冲よりも上にランク付けされました。

剣の達人武蔵は美の達人でもあったのです。

五輪書の中に兵法の利に任せて諸芸書能の道と成せば万事において我に師匠なしと武蔵は言い切っているんです」

名作と言われる枯木鳴鵙図はどのような心情で描かれたのか。

「百舌鳥の留まっている枝そして下から立ち上がる枝その全ての空間に絶妙な間合いを感じます。それは兵法家としての観察眼があるのかもしれないなと思ったんです」

この美術館の作品を収集したので明治生まれで昭和52年に亡くなった島田真富さん。

生涯一度も洋服を着たことがないほど日本の和の文化や伝統を大切にした人です。

中でもふるさと熊本に関わりのある宮本武蔵の生き様に惚れこみ、武蔵を研究する団体を主催しゆかりの品を集めました。

そうした意思を受け継いで真富さんが亡くなった年に遺族によってこの美術館が開かれたのです。

抽象画家の美術館

熊本市内から北へ50キロ。

小野さんがやってきたのは熊本のシンボルという山を見渡せる絶好のスポット。

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阿蘇山です。

その裾野に広がる町の美術館を目指します。

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熊本県最北端の小国町。

町の面積の7割以上が杉林で覆われる杉の名産地です。

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杉林に抱かれるようにその美術館はありました。

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1995年に開館した町立の坂本善三美術館です。

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この美術館の学芸山下弘子さんです。

実はこの美術館の建物は築150年になる古民家を再利用しています。

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小国町出身の洋画家坂本善三を讃えて開かれました。

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館内は全国的にも珍しい全館畳敷き。

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玄関に足を踏み込むと、まず出迎えるのが善三の代表作の一つ。

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幾何学的な模様を描いた不思議な作品です。

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坂本善三の絵画は直線や曲線などシンプルな形で描かれる抽象画。

そのほとんどが黒い色がグレーを基調にして描かれています。

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こちらの作品は格子のような模様の向こうに光を感じさせる不思議な絵です。

畳の空間では座ろうが寝そべろうが自由。

好きな角度から絵を見ることができます。

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美術館が収蔵するのはこうした坂本善三がの抽象画を中心におよそ1300点。

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72畳の畳の間には季節ごとにテーマを変えて作品が展示されます。

何度来ても新しい漸増の作品に出会うことができます。

作品と空間の組み合わせを味わうのも楽しみのひとつです。

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坂本善三は明治44年小国町の酒蔵の三男として生まれました。

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12歳で画家を志した善三は地元の中学校を卒業後すぐに東京の美術学校に進学し洋画を学びます。

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後の抽象画に行き着く転機は47歳の頃実現した絵の本場フランスへの留学です。

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ヨーロッパの壮大な建築にひかれた善三は絵もよりシンプルに抽象的な画風に変わっていきました。

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七十歳を目前に初めて国際的な展覧会に出品された善三の作品は世界に大きな衝撃を与えます。

フランスの有力新聞フィガロは善三を沈黙の錬金術師と絶賛。

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さらにグレーの画家という異名も付けられました。

実は善三の抽象画には故郷小国町の風土や自然が密接に関わっていると山下さんは言います。

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絵に描かれたモチーフが多くある場所として案内してくれたのは美術館の隣にある神社です。

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例えば善三が描いたこの絵。神社の御幣にそっくりです。

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境内にある樹齢700年の杉。

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この作品はまるで杉の表皮の質感を絵に再現したようです。

小国の風土が善三の絵に影響していることを伝える言葉が残っています。

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「私の絵の原点は小国にあります。光が薄く差し込む杉林の中で遊んでいると、杉のいただきを森の妖精が飛び回っていた。楽しくもあり怖くもあった」

さらに山下さんは小国の風土が善三の代名詞と言われるグレーの色彩にも影響を与えたと考えています。

「冬は曇ってる日が多い。雪が降ってて霧が出たり暗く曇っていたり。善三のグレーのバリエーションというのはの小国の風景との空気の色なんだと思います。風土が刻みつけて行ったグレーというものが故郷の色として出てきたんじゃないかと思います」

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坂本善三は小国の風土、自然が作り出した画家だったのです。

小国町の人々は街を上げて坂本を応援していました。

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小国町で明治時代から続く醤油屋を営む松崎朗さん。

この家には松崎さんの祖父が善三を応援した証が残されていました。

それは坂本善三の描いた2枚の絵。

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善三が抽象画を描くきっかけになったフランス留学を町の人達は絵を買うことによって支えていたのです。

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この日、美術館の庭ではあるイベントが開かれていました。

定期的に開かれているフリーマーケットです。

町の人々がそれぞれアートと感じるものを持ち寄り売り買いします。

坂本善三美術館は町の人々が集まり、交流する空間にもなっているのです。

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熊本の最北端小国町から南へ120キロ。

不知火海を望む小さな町、津奈木町の町立美術館が最後の目的地です。

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つなぎ美術館学芸員の楠本智郎さんが駅で待っていました。

「駅にも作品があるんです」

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駅の歩道橋のアスファルトに描かれた絵。

実は美術館の屋外展示作品です。

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駅のホームにも横断歩道などで使う白線塗料を焼き付けて描いています。

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作ったのは町の人々。300人以上が参加し、アーティストと共に町で見かける動物や植物、夜空の星などを描きました。

駅を出発し美術館に向かいます。

車窓からは街のいたるところにあるアート作品が見えます。

やってきたのは雑木林。

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林の中に突然黄金に輝く仏像が現れました。

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実はこれも楠本さんたちが仕掛け「達仏」と名付けられたアート作品。

一つとして同じ顔のない仏がこの雑木林の中に33体も彫られています。

しかしなぜこれほどまでいろんな場所にアート作品があるのでしょうか。

そこにはつなぎの地域事情が深く関わっていました。

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昔からつなぎは海と山に囲まれた自然豊かな街でした。

しかし昭和30年代隣町水俣に端を発した公害・水俣病で多くの被害者が出ました。

町民の生業漁業も大打撃を受けたのです。

その後過疎も進み、ピーク時一万人いた人口は半数以下に。

現在町民の4割が65歳以上の高齢者です。

町にあった3つの小学校のうち二つがこの10年で廃校になりました。

この街に活気を取り戻したいという思いから楠本さん達は様々なアートプロジェクトを立ち上げてきたのです。

「町は水俣病の被害地区でもあったので、そういう地域の未来をですね暖かく見守ってくれるような作品を作りたいということでこの場所に達仏を制作させていただきました」

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アートによるまちづくりを目指し、町立美術館がオープンしたのは17年前の平成13年。

しかし郷土出身の画家もいなければ、豊富な美術品のコレクションもありませんでした。

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そこで楠本さん達が考えたのが無から有を生み出すアートプロジェクトでした。

それが話題を呼んだのは5年前、NHK のニュースでも全国に紹介されました。

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プロジェクトの名前は赤崎水曜日郵便局。

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舞台は廃校となった赤崎小学校。

海の上に浮かぶ校舎で有名です。

そこに架空の郵便受けを設置。

水曜日の個人的な出来事を赤崎小学校の住所に送ってもらうことにしました。

手紙を書いた人はランダムに選ばれた別の人の手紙を受け取ることができます。

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こうしたアイディアが面白いとメディアで紹介され、届いた手紙は3年間でなんと9000通。

町の人たちがボランティアで振り分けを手伝うほどの反響でした。

楠本さんが届いた手紙のコピーを取って展覧会を企画。

町民を含めて多くの人が美術館に足を運びました。

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津奈木町にとって美術あるいはアートプロジェクトは外向かって開かれた小さな窓のような役割を担ってると思っています。窓を行き交う様々な人、もの、情報、価値観ですよね。そういうものに触れることによって町の人たちがこの土地であるとか、その暮らしに潜在している魅力と課題に気づくきっかけになるんじゃないかなと思ってるんです」

さらにもう一つ。無から有を生み出す試みがあります。

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美術館のロビーに掲げられた夕日に輝く津奈木を描いた作品。

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実はある画家が津奈木の街に滞在した際見つけたお気に入りの風景を絵にしたもの。

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アーティストインレジデンスと言われる制度で、画家を4ヶ月間町に招き絵を描いてもらいます。

その期間の住まいは町が用意し生活費も支給。

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描き終えた作品は美術館の所蔵品となる仕組みです。

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「郷土ゆかりの作家火星内。津奈木美術館に来ていただいて絵を描いてもらうことを送り返すことによってコレクションを作っていこうと思っています」

今年また新たな画家が津奈木の街にやってきました。

9月上旬、スタッフは何に到着したばかりの画家を訪ねていました。

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アトリエは廃校となった別の小学校です。

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富田直樹さん35歳。茨城県取手市からやって来た異色の経歴の持ち主です。

10代の頃喧嘩が原因で高校を3ヶ月で中退。

グレて暴走族に加わり遊び歩いていました。

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しかしこのままではいけないと通信制の高校を卒業し美大に進学したのは24歳の時。

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富田さんが描くのは生まれ育った都市近郊の風景。

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どこか空虚さを感じさせるモチーフに心惹かれてきました。

富田さんが見ず知らずの田舎に住むのは初めて。

心細い気持ちを和ませてくれたのが津奈木の人たちとのふれあいでした。

隣に住むのは津奈木で商店を営む長浜美根子さんです。

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長浜さんは富田さんのために料理を作り届けようとしているところでした。

グレていたときは近所の人に感謝の言葉を掛けるのでもなかったと富田さんは言います。

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絵のモチーフとなる風景を探しに出かけたのはなぜか真っ暗な夜の街。

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「津奈木って昼間だけじゃないなって思うので、気になるポイントがあって。結構光とか形なんですよね」

富田さんはヒントを掴んだのでしょうか。

あれから二ヶ月。富田さんの絵を見るためにアトリエを訪ねます。

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富田さんが描いていたのはなんと町のホームセンターの駐車場でした。

この街に暮らす人々が日々見ている景色にこそ津奈木らしさがあると富田さんは考えました。

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「津奈木は自然だけじゃない。人間も住んでいて、日常の津奈木の景色を描きたいと思った」

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そしてあの夜の散策がきっかけでできた作品がありました。

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描いたのは国道沿いの夜の津奈木。

未来でも過去でもなく町の人たちが日常を生きる津奈木の今です。

「何もないわけじゃなくて、小さな出来事や変化の上に今というものがあって、そういうものをこの街からも見つけ出したい」

街で営まれる小さな日々の暮らしの尊さ。

それが富田さんが見つけた津奈木の風土でした。

過去の記憶を乗り越え、人々の暮らしの中で紡ぎ出される津奈木のアートプロジェクト。

ここにも地域の歴史や風土が生み出した美がありました。

 

 

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