チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

美の巨人たち 黒田清輝「智・感・情」

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『智・感・情』は大きな3枚の裸婦像。

どれも謎めいた姿で見る者の想像を掻き立てます。

日本近代洋画界のドンと呼ばれる黒田清輝は、フランス留学から帰国後に裸体画を発表。明治はヌード=春画という時代。

それゆえ裸体画論争を巻き起こすことに。

それでも挑んだ『智・感・情』には美しいだけではない画家の野望が!

洋画とは思えない金地の背景、赤い輪郭線、しかも日本人離れしたスタイルの裸体画で世界に挑んだその結末とは?

美の巨人たち 黒田清輝「智・感・情」

放送:2019年1月5日

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フランス・絶対王政の象徴ベルサイユ宮殿。

この宮殿で展覧会を開催し大きな話題となった日本人がいます。

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世界を舞台に活躍する現代アーティスト村上隆

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革新的な作品を次々と発表してきた村上はある日本の洋画家のオマージュ作品を制作したことがあります。それがこちら。

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同じ構図をアニメ風のタッチで書き換えた作品です。

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さて誰のオマージュ作品かわかりますか。

 

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この絵の作者といえばいかがでしょう。湖畔に座るしとやかな女性の姿。

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描いたのは黒田清輝。日本で洋画の礎を築き上げた近代美術界のドンです。

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黒田の裸婦像は近年注目を浴び、村上隆以外にも現代の美術家によってリメイクされています。

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「今の日本人が油絵を描くときに、今でもやっぱり黒田的なものが絶対に出てきちゃうんですよね。なんかそれの謎を解きたいと言うか」。

今なお根強く残る黒田の影響。なぜそれほどの力があるのか。謎を解く鍵は上野の美術館にあります。

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鶯谷駅から行くのがおすすめ。一つ目の角を曲がったその先に徳川家歴代将軍のお墓がある寛永寺があります。かつてこの辺りは上野公園まで寛永寺の敷地だったんです。 寛永寺の角を左に曲がり南へ進みます。右手奥に茶色いレンガ造りの洋館が見えてきました。

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黒田記念館です。

 

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遺産の一部を日本の美術に役立てよ、という画家の遺言を守り、入館料は無料。

お目当ての絵は2階にあります。

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今日の作品、黒田清輝作「知感情」。

縦1メートル80センチ。横1メートルの大きなキャンバスに描かれた3枚の裸婦像です。

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向かって右側が額に手を当て何か思いつめたような様子です。

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中央がどこか冷たく無機質な表情。

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そして一番左側が恥らうような表情としぐさの女性。

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どの裸婦も謎めいた姿で見るものの想像をかきたてます。

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その肌は陰影がつけられ写実的。

ところがまるで標本のようでリアリティが感じられません。

一体なぜでしょうか。

そこにはレオナルド・ダヴィンチにも通じる黒田の挑戦が隠されていたのです。

 

今日の作品は発表当時大論争を巻き起こした問題作でもありました。

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塩谷純さん

「ヌードが公序良俗に反するいかがわしいものではないかという裸体画論争ということが起きたわけですね」。

ヌードが芸術として認められなかった時代に挑戦状を叩きつけるように発表された「知感情」。

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黒田はなぜ裸婦を描かなければならなかったのか。

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そこには壮大なるが彼の野望が。

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鹿児島

明治という新しい時代の幕が開く2年前、黒田清輝・本名きよてるは鹿児島に生まれました。

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黒田清輝

幼い頃叔父である黒田清綱の養子に。

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清綱は西郷隆盛との親交があった維新の獅子。薩摩の名門家族でした。黒田はこの家で上流階級の嗜みとして絵を習い始めます。そして18歳の時、養父の計らいでフランスへ留学。

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黒田清輝

ところが黒田のフランス留学の目的は絵の勉強ではなかったのです。

絵の修業を始めると宣言した翌日。

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ラファエル・コラン「フロレアル

早速黒田はアカデミーの重鎮ラファエル・コランに弟子入りします。

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読書

メキメキと力をつけ25歳でフランス人画家も憧れるサロンで入選。

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朝妝(ちょうしょう)

そしてその2年後朝妝(ちょうしょう)と題した裸体画で再びサロン入選を果たしました。

パリの画壇で実力が認められた黒田は朝妝(ちょうしょう)を携え日本に帰国。

これが大論争を引き起こすのです。

帰国して2年後黒田は京都で開かれた内国勧業博覧会に朝妝(ちょうしょう)を出品。すると。

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大批判の嵐。

醜怪であり淫猥という非難の言葉。それまで日本で裸体画といえば春画のように隠れて見るべきものだったのです。

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当時のフランス人記者がこの大騒動を揶揄した絵が残っています。

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口を開けて驚く者に、見ていられないと顔を隠す者まで。ところが黒田は批判を受けても一歩も引きません。友人へ宛てた手紙の一節です。

「どう考えても裸体画を春画とみなす理屈がどこにある。日本の美術の将来にとっても裸体画の悪いということは決してない。悪いどころか必要なのだ。道理上俺が勝ちだよ」。

そして裸体画論争の2年後、更なる問題作を発表します。

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今日の作品「知感情」です。

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この謎めいたタイトルに対して黒田は、知が理想主義。感が印象主義。情が写実主義を意味していると語っています。

「裸体画を日本に根付かせるというのが第一ステップということであれば、第二のステップとして、絵は一つの思想を語るものであるというそういう狙いがあったと思われます」。

黒田はフランス留学で裸体画が思想を伝える表現手段の一つということを学び、「知感情」を描きました。

ところが当時の日本人には余計何を描いているのかわからないという拒絶反応を植え付けてしまったのです。

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ミロのヴィーナス

ヨーロッパでは古くから裸婦は重要なモチーフであり美の象徴でした。

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ヴィーナスの誕生

ルネサンス期、ボッティチェリは優美な裸婦で幻想的な神話の世界を表現。

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草上の昼食

19世紀半ばにはマネが現実世界を背景に女性のヌードを描き、新たな裸体表現として注目を浴びます。

ところが20世紀を目前にして裸体画を春画とみなし目を塞ぐには黒田は危機感を感じていました。

「裸体画の表現を日本に持っていかないと日本は一等国として認められないという、西洋美術の本流を日本に根づかせようということで躍起になっていた」。

裸体画を芸術だと証明する。それは西洋に遅れをとる日本の洋画界の発展のために不可欠な戦いだったのです。

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東京美術学校

挑戦の舞台となったのは西洋画科が発足した東京美術学校明治29年。黒田は教師として迎えられました。

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黒田の教え子には日本画家を代表する錚々たる画家たちが。

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実は彼らは黒田の挑戦によって作り上げられたある教育法を経て巨匠へと上り詰めていきました。

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画家が教育者として挑んだ新しい教育法とは。

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美術の授業と言うとこんな風景を思い浮かべませんか。これは美術予備校の石膏デッサンの実技風景。ヌードデッサンを行うこともあります。実は石膏やヌードをデッサンする教育法は黒田清輝が西洋から持ち帰ったものでした。

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それまで絵を学ぶ基本はお手本となる作品の模写でしたが、黒田は実際に観察して描くことを重視したのです。

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この黒田の教育法で育った梅津さんは、「物をしっかり見て再現するって言うそれをデッサンという風に固定してしまったのは黒田で、そういう意味のデッサンができなくても作品が作れるんですけど、自分の中にはそれが血肉になっていて」

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100年以上経っても影響を与え続ける黒田の美術教育法。

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実は今日の作品「知感情」もこの教育法によって生まれたものだというのですが。

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絵のモデルとなったのは日本人の女性でした。ところがこの体型ちょっとおかしいのです。明治時代の日本人女性は平均6頭身。

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なのに絵画の女性達は7.5頭身で描かれているのです。石膏やヌードデッサンに励んだ黒田が何故見たままではない裸婦を描いたのでしょうか。

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「黒田はフランス留学中にコランの下でたくさんのヌードデッサンをこなしてきた。かなりポーズで知感情に近いものもあったりしますので、目の前のモデルをそのまんま描いたと言うんではなくそうしたものを参考にしながら西洋の美術の目線で理想的な裸体像を描いたのではないかという風に思われます」。

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これはレオナルドダヴィンチが理想的な人体の比率を描いた1枚です。

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そこに感の女性を重ねてみるとご覧の通り、体のバランスがほぼ一致します。

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それだけではありません平成14年の赤外線調査で黒田の執念が明らかになりました。

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例えば左の乳房の位置を上げバランスを調整。

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情では足の量感を増すように描き換えています。

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黒田は理想のフォルムを作り上げるため発表後も何度も手を加え続けていたのです。

画家にはそこまでしなければならない理由がありました。

壮大なる野望を成し遂げるために。

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実は写実的な裸婦なのになぜか赤い輪郭線で縁取られています。さらに何も描かれない背景。

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智・感・情

現在だいぶ剥落していますがかつて全体は金箔か金泥が施され金色に輝いていました。この背景と輪郭線こそが彼の野望に不可欠なものだったのです。それはいったい。
金一色の背景に赤い輪郭線で縁取られた三人の裸婦。ルーツは意外なところにありましたまずは背景の金地。

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風神雷神図屏風

これは総金地と言って古くから日本の絵画で使われる表現です。そして赤い輪郭線。

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十一面観音像

こちらは仏画に由来しているという説があります。西洋的な体型の裸婦を描きながら日本の伝統的な金地や赤い輪郭線を用いた黒田。一体なぜなのでしょうか。

発表から3年後の明治33年。加筆修正され続けた「知感情」は再び人々の前に姿を現しました。

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パリ万国博覧会。「湖畔」と共に日本の洋画の代表として出品されます。

「知感情」を描いた最大の目的がそこに。

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日本の洋画の水準を世界に認めさせることだったのです。金地の背景や赤い輪郭線など、和の伝統を取り入れた裸体画は日本の洋画初の銀杯を受賞。

「作家って大体自分のことしか考えない人が多くて、俺の表現見てくれとか、黒田の場合そうじゃなくて個の欲望を超えたところで作ったという部分がすごく尊敬すべき部分だなと思っていて、日本の自画像みたいなスケールの大きい作家」。

西洋のスタイル日本に持ち帰り、そこから日本の洋画を作り上げた黒田。

それは全て近代洋画を率いる使命に燃えた画家の揺るぎない挑戦だったのです。

一人の画家が礎を築いた日本の洋画は百年以上たった今も脈々と受け継がれています。それは世界と対峙し、国を背負って闘った男だからこそ残せた足跡でした。
黒田清輝作「知感情」3人の裸婦に託した演題なる美の未来。
 

 

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