チャンスはピンチだ。

響くアートの愛好家

美の巨人たち 「ミラノ大聖堂」

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ミラノ大聖堂』は世界最大規模のゴシック建築の教会。

今回はめったに許されない内部の撮影が許されました。

並木道のように連なる柱、艶やかな光を生むステンドグラスの窓…

荘厳で厳粛な空間は無数の芸術家たちと職人たちの手仕事によって、約600年という歳月をかけて造り上げられたのです。

なぜそれだけの時間を要したのか?どうやってこの壮大な大聖堂を造ったのか?

完成の背景にはあのダ・ヴィンチ、ナポレオンの思いが…。

美の巨人たち 「ミラノ大聖堂

放送:2019年1月12日

 

プロローグ

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この大聖堂には4万人が収容できるという。

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圧倒的な美の魂に囲まれるように。

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精緻を極めた彫刻の数々。

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柱の森りは天へとそびえる。

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ステンドグラスの聖なる光に包まれ。

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「大聖堂に入ったり、かかわったりした人は衝撃を覚えます」

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「大聖堂は今も鼓動するミラノの心臓であり聖なる魂なのです」。

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こちらが今日の作品。北イタリア最大の都市ミラノの街の中心。ドーモ広場。

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ミラノ大聖堂

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マリア・ナシェンティ。生れんとする聖母に捧げられた教会です。

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敷地面積12000平方メートル。

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幅94 m 。奥行158.5 m。 高さは108.5 m にも及びます。

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屋根には天に向かって伸びる135本もの尖塔。

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1386年に建設が始まり完成は1965年。日本で言えば室町時代足利義満将軍の頃から昭和に入り東京オリンピックの翌年までおよそ600年の歳月がかかったことになります。

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離れてみるとレース編みのような繊細な佇まいはふわりと天に浮かび上がるような浮遊感。

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でも近づいてみると外壁を埋め尽くす彫刻やレリーフの重厚さに圧倒されるのです。

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気まぐれな菓子職人のデコレーションケーキと揶揄されるほどの装飾は、

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外回りの彫刻の数だけでも2245体。

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大聖堂そのものが芸術品の塊なのです。

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正面には五つの青銅の扉。

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1908年に完成した中央の大扉は彫刻家・ポリアーギの作品。主題は聖母マリアの生涯です。

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一枚の扉にも全身全霊をかけて打ち込んだ芸術家の仕事が施されているのです。

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では滅多に撮影が許されない内部へ参りましょう。暗闇に目が慣れるまで少し時間が必要かもしれません。

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大聖堂の内部とは

大理石の柱が巨木のように天井へと伸びています。人間と比較すればこの太さ、大きさ。52本もの柱が並木道のように連なっています。この大聖堂には55のステンドグラスの窓があります。その鮮やかで厳粛な光が神の国の聖なる世界を作り上げています。身廊と呼ばれる中央の通路。色違いの大理石の象嵌タイルの床を進んでいくと、やがてその全容が現れてきます。はるか前方に見えるのが内陣です。内陣の中央に鎮座するのは丸いドームを頂く黄金の主祭壇。背後のステンドグラスに描かれているのは世界の終末とキリストの復活を物語る黙示録。丸いバラ窓には輝く太陽の光。この荘厳で厳粛な空間を無数の芸術家たちと職人たちは手仕事によって途方もない歳月をかけて作り上げたのです。では始めましょうか。ミラノ大聖堂建設の物語を。

建設秘話

大聖堂の入り口近くに1388年の着工を記念した石のプレートがはめ込まれています。その時から完成までにおよわそ600年。どうしてそんなに時間がかかったのでしょうか。大聖堂の建設が決まったころ、ミラノ君主となったのがジャン・ガレアッツオヴィスコンティでした。ミラノをドイツやフランスと並ぶ巨大な王国にしたいと考えていた彼は、自らの権威をアピールするために新たなる大聖堂の建設を利用したのです。そのために採用されたのはアルプス以北のフランスなどで主流だったゴシック様式でした。そして前代未聞の巨大な大聖堂を作ろうとしたのです。ヴィスコンティはそのために最高の材料を用意しました。ミラノから北に100 km ほど離れたカンドリアという村で採れる大理石です。この村の大理石はピンクから白まで多彩な美しさを誇っていました。その採掘の独占権を大聖堂の建設のために与えたのです。さらにミラノまで運ぶための水路も整備しました。川と運河を通り大聖堂の敷地から400 M ほど離れた船着場に大理石は運ばれたのです。ところが困った事が起きました。
ミラノ大聖堂に隣接するかつての王宮の中にドゥオーモ博物館があります。大聖堂に飾られていた古い時代の彫刻やステンドグラスの貴重なオリジナルが保存されています。ここに16セスキに作られた大聖堂の巨大な模型があります。材料は菩提樹クルミの木。22分の1の大きさで極めて精巧に作られています。今のようにコンピューターによるモデリングができなかった時代。模型を使って建設計画を練り上げていたのです。ところが建築初期段階である論争が巻き起こりました。建物の底辺の長さに対して高さをどう決めるかが問題となったのです。「ゴシック建築ではファサードの幅と高さが等しい正方形の比率が用いられていました。しかしミラノ大聖堂に正方形の比率を用いるとファサードの幅はすでに決まっていたため、高さは61メートルということになります。当時最も高い建物が48 M だったので、これは無謀な計画と思われたのです」。そこでイタリア人の数学者ストルナロコが提案したのが正三角形を基準にして高さをおよそ52メートルにするという方法でした。正三角形か正方形かどちらを採用するのか10年ほど議論が続いたのです。「ドイツやフランスの建築家は正方形の比率に慣れていたので、その方向で計画を進めようとしました。一方でイタリア人は合理的に考えたとも言えますが、三角形の比率を採用したかったのです。結局最終的には三角形の比率が選ばれました」。ではどうやってこの壮大な大聖堂を作ったのか。参考になるのが当時の絵画です。こちらは13世紀の建設現場の様子。もちろん全てが人力です。石工が石を削りもう一人は大きさを測る。梯子を登って人夫が石を運ぶ。もう一人は頭の上にモルタルをのせています。重い石をあげるのは踏車式の人力クレーンです。この気の遠くなるような重労働を繰り返しながら大聖堂は建設されていったのです。

大聖堂の建設が始まってからおよそ100年後。フィレンツェから一人の芸術家がミラノにやってきました。レオナルドダ・ヴィンチです。天才芸術家は夢と希望大聖堂に託していました。ところが夢破れてしまうのです。一体どうして。

ミラノ大聖堂は屋上に上がることができます。入り口は大聖堂の裏手。エレベーターもありますが19世紀に出来た階段で登ってみましょう。158段の階段を上ると目に飛び込んでくるのは大聖堂の壁を支える堅固な梁。フライング・バットレスの造形。そして大理石のレース編みと呼ばれる彫刻の数々。中には職人さんの個性が発揮されたこんなモチーフも。さらに階段をのぼれば。ミラノ大聖堂の屋上に到着です。そこには偉人たちの肖像をいただく135本の尖塔がそびえています。最も高いものが大聖堂のシンボル。マドンニーナと呼ばれる黄金の聖母マリア像。大聖堂の建築には多くの芸術家たちも夢をかけていました。例えばこの方、レオナルドも。ミラノ大聖堂は多くの芸術家たちが互いに腕を競い行った場所です。大聖堂の翼廊で目を奪われるのは皮を剥がれて殉教した聖バルトロメオの像。16世紀の彫刻家マルコ・ダグラーテの作品です。信仰への激しさが圧倒的な肉体表現と共に迫ってきます。大聖堂のステンドグラスの中にミラノ生まれの画家の作品があります。ウィーンで宮廷画家となり、動植物を組み合わせて肖像画などを描いた奇想の画家、ジュゼッペ・アルチンボルドです。若くして殉教したアレクサンドリアの聖カタリナを描いたこのステンドグラスはアルチンボルドが23歳の時に下絵を描いたデビュー作と言われています。1482年にフレンチからやってきたのがレオナルドダ・ヴィンチです。当時のパトロンだったミラノ公の依頼で、翼廊と診療の交差するドゥオーモ部分の構造を決める設計コンペに参加したのです。その時の素描です。レオナルドはフィレンツェのドゥオーモと似た建築案を提出しましたが採用されませんでした。「レオナルドの時代を先取りしすぎていて計算プログラムなしに正しさを証明できなかったのです」。サンタマリアデッレグラッツィエ協会の壁に描かれた最後の晩餐。レオナルドはミラノにしっかり痕跡を残していたんですね。それにしてもどうやって大聖堂が完成したんですか。1805年、イタリア国王となったナポレオン・ボナパルトは、ミラノ大聖堂戴冠式を行うために未完成だったファサードの工事を急がせました。そして1813年、ついにファサードが完成。その後装飾や彫刻ステンドグラスが備えられファサードの一番右側の扉の設置を持ってミラノ大聖堂は完成したのです。時に1965年のこと。
なぜ大聖堂を作り続けることができたのか。そこにミラノの奇跡が。
ミラノの郊外に大聖堂専用の工房があります。タンドリアの砕石所から運ばれてきた白い大理石は修復のためにこの工房で加工されるのです。「大聖堂のために何世紀にもわたって多くの人が働いてきました。それは今もまったく変わりません。これからも受け継がれていくでしょう」。作っては直し作っては直しその繰り返し。永遠に終わることのない大聖堂の歴史。なぜそれが可能なのか。14世紀からミラノ大聖堂の建設や修復など運営のすべてを取り仕切ってきた組織があります。ヴェネランダ・ファブリカ・デル・ドゥオーモです。「ファブリカにとって最初の課題は資金集めでした。お金はもちろんのこと建設資材だったり食べ物だったり様々な形で寄付されました。これは今でも続いています。ミラノの人々は大聖堂のために自分の財産を寄付し続けてきたのです」。戦争や疫病の流行。資金不足と、幾度も建設は途絶えました。それでもミラノの人々は完成を信じ続けたのです。いつかきっと奇跡は訪れると。ミラノ大聖堂には毎日5千人の人々が訪れます。聖堂内部のたくさんの芸術品を堪能したら博物館に行くのもお忘れなく。大聖堂屋上からの景色もおすすめですよ。ミラノ君主ジャン・ガレアッツオヴィスコンティは美しい大理石を選びました。そのファサードはキャンバスのように太陽の光の加減で刻々と色を変えていきます。ミラノ大聖堂。600年の歳月をかけた終わることのない祈りの結晶です。ミラノの誇り。ミラノの奇跡。

 

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