誰が見ても新聞の一面。でもそこに顔が描かれています。
さらによく見ると…なんと活字も写真も広告も全て描いたものなのです!
吉村芳生の作品には美しさを越えた得体の知れない何かが秘められています。
緻密さに圧倒される『新聞と自画像』もそのひとつ。大きさは実際の新聞の2倍。
鉛筆や色鉛筆を使い3週間費やして完成させました。
誰にもできる、でも誰もやらない、誰にもできない方法で。
吉村芳生という大いなる謎に迫ります。
美の巨人たち 吉村芳生「新聞と自画像」
放送:2019年2月2日
プロローグ
北京五輪開幕。随分古いなぁでも。何か変だ。写真じゃない絵だ。
活字も違う。手書きか。一面まるごと。
顔がある。何でこんなことをこの世界に。
そんな人間が存在するのか。
もしかして、そうこの人です。
名を吉村芳生。
2013年に63歳でこの世を去った画家です。
吉村芳生は鉛筆画家とも呼ばれていました。
一本の鉛筆が生み出す驚きの世界。
色鉛筆だけで描いた奇跡の花。
超絶技巧のスーパーリアリズム。
吉村の作品は一見そう見えるのですが。
そこには美しさを超えた得体の知れない何かが秘められているのです。
今日の一枚は東京駅にある東京ステーションギャラリーに展示されていました。
吉村芳生の作品が一堂に会するのは東京では初めてのことです。
「おそらく、絵を描く喜びとは無縁の仕事なんです。描くという行為を一回全部分解して組み立てなおすという。そのことによって絵とは何かということを改めて考え直させる」。
その集大成であり代表作がこの膨大な作品群。その中に。
今日の一枚、吉村芳生作「新聞と自画像」。
2008年8月9日土曜日の新聞です。縦146センチ、横109センチ。
本物の新聞のおよそ二倍以上の大きさです。
紙の上に鉛筆と色鉛筆。水性ペンや墨、水彩絵の具を使って描かれています。
カラー写真の部分は色鉛筆で選手の顔が分かるほどとても丁寧に描かれています。日付も見出しもリードも広告も全て手書き。
細かな文字も活字のように写し取られています。
その紙面の上に大きな自画像が鉛筆で描かれているのです。
吉村芳生はこの新聞と自画像シリーズを何枚も描いています。
描いていると言えばいいのか、書いていると言えばいいのか。
それとも映していると言えばいいのか。
一体これは絵画なのか。
そう考える前にこの作品に費やされた膨大なエネルギーと時間と根気と労力に圧倒されてしまうのです。
果たして吉村芳生とは何者なのか。
これは吉村が描いたジーンズです。 彼曰く、だれでも描けるというのですが。その描き方の一端がこちら。
線を引く。
数字を書く。 塗りつぶす。どういうこと。
しかも息子さんがこの番組のためにお父さんの作品を再現してくださいました。
どうやって父は作ったのかと。
リアルなジーンズの描き方
ではこのジーンズの描きかたを公開いたしましょう。まずジーンズをモノクロで撮影します。そして写真を絵の大きさに合わせて引き伸ばします。
引き伸ばした写真に鉄筆で2.5 mm×2.5 mm のマス目を引いていきます。
さらに各マス目の濃度を0から10段階に分類します。
吉村の作業を捉えた貴重な映像が残されていました。無心に機械的に数字を書いていきます。
最も明るい部分は0。2番目に明るい部分は1。最も暗い部分は9という具合です。
その数字を同じサイズの方眼紙のマス目にひたすら書き込んで行きます。
こちらが吉村の描いた実物。まるで数字だけが並んだ絵です。
そして透明フィルムを重ね0は一本。1は一本と数字に対応する斜線を引いているのです。
ひたすらマス目を斜線で埋めていけばどうなるかと言うと。
とってもリアルなジーンズの完成です。彼はこう言っています。「僕はやっぱり誰も描いたことがないようなもの描いてみようとか、今までの描き方とか、見たことないもの作品にしようと思ってましたから」。
あきらめない人
県内の芸術系の短期大学を卒業し、広告代理店にデザイナーとして勤めていました。
26歳の時に東京に出て創形美術学校で版画を学びました。
その在学中画廊の個展で発表したのが全長17メートルに及ぶ金網のドローイング。金網の模様をじかに描いたわけではありません。
ケント紙の上に金網を置き、その上からプレスをかけて紙に残った金網の跡を鉛筆でなぞったのです。
編み目の数はおよそ18000。吉村は70日間ただひたすらなぞり続けたのです。
吉村芳生の自画像です。
1981年7月24日から1982年7月23日に至る365日間の自分の顔を描き続けたのです。
写真ではありませんもっとも身近な題材を9年の歳月をかけて完成させたのです。
「僕は小さい頃から非常に諦めが悪かった。しつこくこだわってしまう。僕はこうした人間の短所にこそすごい力があると思う」。
吉村芳生はあきらめない人なのです。では今日の作品。
新聞と自画像はどうやって生み出されていたのでしょうか。
山口県山口市の郊外にある徳地は吉村芳生が亡くなるまで暮らした土地です。彼が制作に励んだアトリエのある家は今もご家族が暮らしています。
息子の吉村大生さんは中学卒業と同時に父に弟子入りし、現在画家として活躍しています。
「絵を描いているときの父はすごく楽しそうに描いてましたね。その背中を見ていてすごくも集中していて、いい作品を書こうとしている。そういう意識を感じることができました」。新聞と自画像はどうやって作られていたのか。
今も残る吉村義男のアトリエで、大星さんに再現していただきました。
まず自分の顔の写真を撮影します。
プリントした顔写真を A 4サイズに拡大します。拡大した写真に1cm×1cmのマス目を引いていきます。
続いて新聞紙面と同じグレーの色を塗ったパネルに2.5cm×2.5cm のマス目を引いて行き、
その拡大率に合わせて顔写真を転写していきます。
そして陰影をつけていきます。
ある程度顔が出来上がったところでいよいよ新聞の出番。
パネルの上にカーボン紙を敷いて新聞を重ねます。トレースに使用するのはボールペン。
赤のインクを使うのはどこまでなぞったか分かりやすくするためです。位置がずれてしまうと台無しになるので慎重に。さらに細かい文字は鉄筆を使わなければなりません。反対側からトレースしていくのは字そのものを意識してないようにするためです。コツコツと気の遠くなるような作業が続いて行きます。新聞の一面を映し終えるだけでも軽く一週間はかかると言います。なぜ吉村は恐ろしいまでの労力を費やして新聞を描いたのでしょうか。理由の一つが輪転機。
新聞紙の印刷工場です。新聞を摺り上げる輪転機が回っていますが、1分間で千五百部を刷り上げることができるそうです。一方新聞と自画像は、一面を完成させるのにおよそ三週間はかかります。理由はもちろん手で描くからです。でもどうして手で描くのでしょう。
吉村芳生の新聞のドローイングは26歳の時に始まりました。
1976年11月6日の新聞の全紙面22ページ。
広告もラテ欄も4コマ漫画も全て足掛け3年の歳月をかけて描いたのです。なぜそこまでするのか。
吉村の言葉です。機械が人間から奪った人間の感覚を取り戻す。
この作品は現代日本美術展に出品されますが、入選にとどまっています。
この時審査員を務めた劇作家の寺山修司はこう言っています。「こうした世界の複製の企みを"騙し"とみるのは易いが、作者の意図はそんなところにあるのではないだろう。それはいわば失われた手の復権とでも言ったものかもしれない」。吉村芳生にとって新聞に自画像を組み合わせる作品は手仕事の力で、文明に抗う行為だったのかもしれません。新聞の一面に毎日欠かさず鉛筆で自画像を描き続け、
1年間パリに留学した時はほとんど外に出ることなく地元の新聞に自画像を描き続けました。
日々を積み重ね、止まることのない繰り返しを重ねてその数は1000枚にも及びました。
その一方で吉村はもうひとつの世界を見つけます。
山口県の山里に暮らしていた吉村は周囲の自然に目を向けるようになります。
花です。ます目を塗り進めていくという磨き上げてきた技法を使い、色鉛筆で描いたのです。
これは吉村芳生が描いた最大級の作品。
近くの川の中州の風景です。
枯れ草に混じって咲き誇る菜の花。
川面に映し出される曇天の空。
水面のさざなみ。
それが逆さまに展示されています。
命が、天と地も、虚像と現実も、日常も非日常も超えていく。
「制作の方法としては、若い頃写真を元にその写真を一ますごとにカンバスに写し取って行ったというのと同じなんですけれども、
晩年の花の絵にはある種のメッセージ性が込められるようになってくる。それは例えばその彼の死生観だったりとか、あるいは亡くなった方への鎮魂だとか、そこを読み解いていくのが花の絵を見る時の魅力の一つかなという風に思ってます」。
息子の吉村大星さんによる新聞と自画像の制作です。
最後の一文字のトレースを終えて、新聞の一面が全て写し取られ一見8割方終わったように見えるのですが、実はここからが一番大変なのだそうです。カーボン紙で写し撮った文字などを油性ペンを使い分けながらもう一度なぞっていくのです。
「なぞって行くより大変。失敗できない。清書なので」。
一つ一つなぞっていく。ぬり潰していく。描いていく。ただひたすら繰り返す。その果てに吉村芳生は何を見たのか。
残されたのは空白。
吉村芳生のアトリエです。彼が使っていた全120色の色鉛筆が残されていました。ここで鉛筆を削り、ひとますひとます描いていたのです。
咲き誇る藤の花。縦2メートル 横7メートルの大作です。タイトルは無数の輝く命に捧ぐ。
吉村芳生が東日本大震災の後に描いた鎮魂の花。息子の吉村大星さんによる新聞と自画像の制作。ようやく終盤です。
最後の一文字を描き終えて、父の手法で作り上げた息子の新聞と自画像。
「常に新しい可能性を探っていって、執念深いと言うか、チャレンジ精神と言うか、そういうのを少しだけ僕も理解できたかなと思いますね。難しかったです」。
吉村大星さんも父から受け継いだ技法で驚くべき作品を生み出しています。父とは違うものを、さらに磨きをかけて、父の思いを写し取るかのように。
コスモスの花が咲いています。吉村芳生の絶筆です。あと少しの空白を残して。
「目を手をただ機械のように動かす。42.195km を自動車で走るのではなく自分の2本足で走る。マラソンマンは生を刻む時間息を吐く空間を自分のものにするためひたすら走り続けるのかもしれない。僕にとって描くことがそうであるように」。
2008年8月9日土曜日朝刊の一面です。描いている。書いている。写している。生きていく。吉村芳生作新聞と自画像ひと文字ひと文字ひとますひとます、時を刻む。歳月を刻む。命を燃やして歩みを刻む。
超絶技巧のアーティスト、吉村芳生を知っていますか? | カーサ ブルータス Casa BRUTUS
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