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響くアートの愛好家

日曜美術館「シリーズ北斎 此道を改革せん~画業に人生をかけた絵師~」

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弘法大師修法図

世界で最も知られた日本の芸術家の一人、葛飾北斎

20歳で浮世絵師としてデビュー以来90歳まで生涯をかけて常に絵を改革し続けた。

そんな作家の生きざまと実像に迫る。

東京・六本木で開かれている「新・北斎展」。

展覧会の企画者、故永田生慈氏は私財を投じて北斎の作品を収集しながら研究者としてもさまざまな発見をしてきた。

展覧会にはそんな永田氏の貴重なコレクションが中心に並ぶ。

彼は常々代表作の「富嶽三十六景」や「北斎漫画」だけではない、北斎の多彩な面を知って欲しいと願ってきた。

さまざまな技法やジャンルの絵画に挑戦して自分を磨き、絵を変化させてきた改革者・北斎の軌跡を追う。

【ゲスト】大和文華館館長…浅野秀剛,演出家…宮本亜門,【司会】小野正嗣,高橋美鈴

 

日曜美術館「シリーズ北斎 此道を改革せん~画業に人生をかけた絵師~」

放送日

2019年2月10日

プロローグ

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世界中で最も知られた日本の芸術家の一人葛飾北斎

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その大規模な展覧会が東京六本木で開かれています。近年新たな調査研究が進むなか、北斎の芸術性が再評価されているのです。f:id:tanazashi:20190217174433p:plain

グレートウェーブとして世界に知られる浮世絵、富嶽三十六景神奈川沖浪裏。

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そして北斎の代名詞赤富士を描いた凱風快晴。

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北斎漫画は19世紀ヨーロッパの名だたる画家たちに影響を与えました。

でもそれは北斎の業績のほんの一部に過ぎないという人物がいます。

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展覧会を企画した北斎研究の第一人者、永田生慈さん。

2年前からガンと闘いながらこの展覧会の準備を進めてきました。

北斎の実像に迫ろうと研究を続けて50年。

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その傍ら永田さんは私財をなげうっておよそ2000点もの作品を収集してきました。

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個人としては最大級のコレクションです。研究者ならではの視点で集められたこのコレクションこそが展覧会の見どころです。「こういうこともやっていたのか知らなかったぞと言って、われわれは次の文化の種まきをしている」。永田さんが伝えようとするほんとうの北斎とはいったい何か。それを知る手掛かりが北斎の晩年のことばにありました。

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「90歳よりはまたまた画風を改め、百歳の後にいたりてはこの道を改革せん」。シリーズ北斎。一回目の今日は展覧会の作品を通してみえてきたへ区債の人生とその神髄に迫ります。

 

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永田さんと北斎とのかかわり

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展覧会では永田さんが長年収集してきたコレクションを中心に20代から90歳まで。北斎の幅広い作品が見られます。中でも特に貴重なのはこちら。

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唯一現存する北斎初期の肉質画"鍾馗図"。

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力強い筆づかい。

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厄除けの意味を込めて描かれたものだと言われています。

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そしてこちらは日本初公開のひまわり図。

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江戸時代にひまわりが描かれた作品が大変珍しく、晩年の北斎に特有の西洋風の雰囲気を漂わせています。

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こちらも北斎の作品。

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絵を切り抜き組み立てて遊ぶ組み上げ絵。

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現代で言うプラモデルのような大人向けのおもちゃです。

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風呂屋さんの格子の奥に見えてくるのは、北斎ってこんなものも作っていたんですね。

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若かりし頃の永田さんは北斎との出会いを番組でこう語っていました。「古本屋に安い本。ゾッキ本ってありますよね。その中に、小学校の3、4年のころだったんですが、一冊だけみすぼらしい和綴じ本があって見てみたら面白い」。

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それがこの北斎の絵手本。絵手本とは絵の手本となるイラスト集のようなもの。

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いろはなどひらがなの図柄が描かれた絵の百科事典になっています。

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をのページでは、乙女、落ちる、驚くなどをから始まる様々な言葉を図解。所狭しと書かれた人物たちの躍動感とユーモアに魅了され、永田少年は宝物のように毎日本を眺めていました。

 

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そして中学生の時、富嶽三十六景山下白雨を見て永田さんの人生が変わったと言います。

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「山下白雨というのは、富士山の山頂は雲ひとつない快晴です。中腹は夏雲が沸いています。そして山麓は一面真っ暗になって稲妻が光っていて、地上は大雨。つまり晴れても曇っても大雨でも稲妻が光っても富士山という雄大な山は微動だにしないって事を探しています。こんな絵ないじゃないですか」。深遠な自然のあり様を絵で見事に表現した北斎に、永田さんは心酔して行きました。

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そして高校生になるとせっせとお小遣いを貯めてあの北斎漫画を買いました。これがその後に続く永田コレクションの始まりです。

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大学は北斎の専門家がいる学校を選び、卒業後も浮世絵専門の美術館に勤めながら北斎の研究に没頭しました。そんな永田さんが世間の注目を集めたのは32歳の時。

 

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江戸時代の天才画家葛飾北斎の肉筆と見られるこの大きな浮世絵。東京足立区の西新井大師で見つかりました。落款はありませんが北斎の作品でしかも最も大きなものと鑑定に当たった専門家は見ております。永田さんは過去の文献を頼りに行方不明だった作品を発掘したのです。

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高さ1メートル50センチ幅2メートル40センチの大作。弘法大師修法図。漆黒の闇の中から襲いかかる病魔の化身それを追い払おうと一心不乱に祈祷を続ける弘法大師空海。異様な迫力に満ちた北斎晩年の傑作です。さらに20年後永田さんはまたも歴史に残る発見をします。

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パリの美術館で調査をしている時、その直前に寄贈されたある掛け軸を目にしました。

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北斎の雲竜図。墨で描かれた暗黒の雲。その中から姿を現した天上の龍。永田さんはこの絵を見てあることに気がついたのです。

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それは勤めていた太田記念美術館で所蔵していた北斎最晩年の大作、雨中の虎図と似ていること。横に並べてみると、

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「私はこれを並べてみると何が起こったのかわからないような。虎の表具と全く同じものが出てきたのです」。

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表具を比べると全く同じ龍の柄。落款と印章も同じです。

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そして虎の目線をたどると龍と見事一致。

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永田さんはこの二つの作品が対で描かれたものであることを発見したのです。以前から永田さんと親交のあった日本美術が専門の河野元昭さん。

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「その二つ初めてこのソウズだということを中田さんを発見することによって、この絵の本質って言うか素晴らしさはこの絵の傑作たる所以がよりはっきりと理解されるようになったと思うんですね。永田さんの人柄。これはまあ一言で言うとやっぱり天才肌なんだよね。どうでもいいような付き合いとかそういうものは一切省いて全てを北斎に捧げるという、北斎も永田も天才だと思って、根底の部分でよく共鳴したと言うか呼応してたんじゃないかなと思うけどね」

 

スタジオ

和文華館館長の浅野秀剛さん。

「若い時やはり随分苦労されたなという痕が見えるんです。だんだん年を重ねるに従って自分の好きなものを好きなように描くことができるようになった。そしてその生き様がねやっぱり作品も好きですけど生き様も同じように好きですね。永田さんは今まであまり注目されてこなかった部分を重点的に集めていました。北斎の多面性を知るためには欠かせないとおもわれたのでしょう」

演出家の宮本亜門さん。

「想像を超えることだらけで、その反骨精神とも含めて、特に晩年70代89代90代の頃作品がますます力強くなっていく。エネルギーはどこから来たのかなぁって」

永田コレクションを通じて北斎の画業の変化が見えてくる

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北斎は生涯におよそ30の名前を用いました。19歳で浮世絵師勝川春章に弟子入りし、もらったのは勝川春朗。

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そんな時代に書かれた永田コレクションの中で最も早い時期の作品。北斎のデビュー作と言われています。

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描かれているのは当時人気の女形。役者絵の定形に則ったもので、まだ北斎の個性は見られません。ところが中田さんはこの頃からすでに北斎は独自のやり方で絵の腕を磨いていたと言います。

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歌舞伎の舞台が描かれたこの作品。師匠の絵から学ぶことが常識だった当時。北斎は何と別の絵師の画法を見習っていました。

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空間の奥行きを強調するために平行する線を放射線状に描く遠近法。江戸で数人しか使っていなかったこの描き方を、北斎はいち早く取り入れていたのです。

 

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さらに北斎が新しい題材に取り組んだ様子も見えてきました。

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師匠が得意とした役者絵から離れ、北斎は早々に風景画を描いていたのです。

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大仏や七里ヶ浜など鎌倉の名所がずらりと並んだ鎌倉憧憬図鑑。絵師としてすでに幅広い仕事をこなしていたのです。「単に習作期としかみなされてこなかったこの年代。意外なほど多彩で後年を彷彿とさせるような諸画家への研鑽の様子も見られる。生涯のうち最も幅広い題材をものにした時代といえ、進取の精神が伺える」。北斎は35歳で春朗の名を捨て浮世絵の世界から一旦身を引きます。そして宗理と名乗り、次なる分野に踏み込んだのです。

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それが不特定多数に売られる浮世絵と違い、顧客の注文に応じて作られる版画。摺りものです。北斎はここで顧客の期待に応えようとします。江戸時代、新年の挨拶に摺り物を送り合う習慣がありました。今の年賀状のようなものです。

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その中に絵暦と呼ばれたものがありました。松の先端に大と小の文字。これは大の月と小の月を表しています。毎年大小の月が変わっていた江戸時代。カレンダー代わりに暦が隠された絵暦が流行したのです。

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子供の袖に文字が。7月は閏月好です。こうしたアイディアを北斎は次々に編み出していたと言います。わかる人にだけわかるという知的な遊びで顧客をうならせ、評判を得るようになったのです。

さらに北斎は摺り物を通して絵師としての飛躍を遂げたことが分かってきました。

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それが裕福な人々が短歌の挿絵として注文した高級版画、狂歌刷り物です。一つ一つに手間暇かけ、高度な版画技術で掘られた緻密な柄。

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当時浮世絵では贅沢だとして禁止されていた金や銀も使われています。美しさ、豪華さを競い合う中、こうした凝った版画作りで北斎は絵師としての技量を発揮し、狂歌刷り物の第一任者として目覚ましい活躍を見せたと永田さんは分析しました。

「非常に洗練された人々の美意識にフィットする。刷り物とはそういうもんで非常にコアな人たちの熱烈な愛好を受けるということが重要であって、基本的にどんな仕事でも引き受けてそれをやると、だけど全身全霊を込めてやる。そうするとそういった人々からさらにその次の注文が来てそれによってまた北斎自身もクオリティを高めてくってこの二つの因果関係があったんじゃないかなと思うんですね」。

スタジオ

「展覧会で見る北斎富嶽三十六景もそうですけども、版元が作らせた商品ですよね。刷り物はオーダーメイド。非売品なんですね。注文者にから注文を受けた時にそ一定の部数を作って納める。当時刷り物を注文する人たちに共通してる意識は、一般売りする商品とは違うイメージのものを作って欲しい。差別化を図ってほしいということです。味わい深くケバケバしたイメージはやってこういうのは嫌というのが一般的にだったように思います」。

ライフワークとの出会い

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江戸の人気絵師となった北斎は50代を迎えて絵手本の制作を始めます。絵師は客や版元からへの注文を受けそれに答えるのが仕事です。

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しかし絵手本の場合、絵の内容は別紙の裁量に任されることがあります。描きたいものが自由に書ける。北斎にとって表現の場だったのではないかと永田さんは考えています。

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中でも最も有名なのが北斎漫画。

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流れる動きの中で一瞬を捉えたユーモラスな表現。

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取るに足らない日用品まで。絵師としての技量を試す実験の場でもあったのです。

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一巻の予定が15巻まで作られるヒット作となりました。その後これがヨーロッパの人々に大きな衝撃を与えます。

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ポールゴーギャンの「説教のあとの幻影」

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旧約聖書に出てくるヤコブと天使が取っ組み合う姿。北斎漫画の力士に影響を受けました。

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マネの版画は北斎の和傘から発想を得ています。北斎漫画以外にも絵手本はおよそ20種類見つかっています。

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これは着物の生地のデザイン案。

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文という文字を組み合わせてデザインしたもの。

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この柄は畳。なんでも図柄にしてしまう斬新なセンス。

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こちらは櫛などのデザイン集。様々な角度から見た富士山の風景。実はあの有名な富岳三十六計の原型だといわれています。絵手本は北斎の創作の源だったのです。

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創作の源だった絵手本。しかし徐々にその意味合いは変わってきたと永田さんは言います。たとえばこんな記述が。

「憤怒勇猛の形を画んには風流優美ならばその勢い鈍しと心得べし」。勢いのある絵を描くには上品さは忘れるべきだ。北斎は絵手本に絵の描き方のみならず、絵師としての精神性や心構えなど自戒の言葉を綴るようになっていったのです。

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そして自身最後の絵手本には北斎の絵師としての決意表明が書かれています。88歳の時に出版した「画本彩色通」。自身が身に着けた技のすべてを残そうとページの隅々にまで書き込んでいます。そして巻末にはこんな言葉があります。

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「90歳よりはまたまた画風を改め、百歳の後にいたりてはこの道を改革せんことをのみ願う」。90歳からはさらに画風を新たにして、百歳からは絵の道を一新したい。生涯にわたるあくなき探求心こそ本当の北斎ではないかと永田さんは考えています。

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北斎は数え二十歳で画壇に登場して90歳で亡くなるまで毎日毎日絵を描いて常に新しいもの。それがあるところまで行くとそれを捨てて土台としてまた次にチャレンジする。まさに今の社会でこの時代に最も我々が知っておくべきそういう人じゃないかっていう風に私は考えています」。

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雪の積もった雄大な富士山。高みに上っていく龍。

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90歳で亡くなった北斎の絶筆です。いのちの最後まで筆を握り続けました。北斎は昇天していく龍を自らに重ね合わせたとにいます。「この絵を見て龍が登ってく様がなんとも幸せに感じるんですよね。絵師としてあらゆる絵を描き、神が創りし自然の美しさ人間の美しさよりももっとそれと同じ絵を描くんだって。越えて行こうとしたような気がして。最後にパンと解放していくもう自由になっていた絵という気がするんですよね。年を重ねることに一切枯れるわけではなくむしろ本気を感じる。生きる本気を感じる。1回限りの人生を全て注ぎ込んだらここまでの事ができるんだという証明。天才という一言では片付けたくないこんな先輩たちがいたんだという感じが感じますね」。

 

取材先など

 

放送記録

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展覧会